西の人

「ヴェルレーヌさん、御食事ですよ」

「其処に置いておいてくれ」

 暗ぁい深地下牢に一人で、ぽつん。怖くないのかな。ずっと文机に向かって何か書いてる。小さな格子戸を開けて、牢の中に御食事を置いて、前の御膳と交換。

「君は、あの抗争に居たな」

「居たよ!あのお花、私のなの」

 母様と参加した初めての大規模抗争。怖くて、母様と大佐の後ろに隠れながらだったけど。途中で空間接続の異能を持つ、罠引屋のお兄ちゃんが、お花を入れてごらんって穴を出してくれた。その中に、私の周りにふわふわしていたお花を沢山入れた。母様も大佐も褒めてくれた。

 太宰くんは褒めてくれなかったけど。

「おじちゃん?お兄ちゃん?は怖くないの?」

「何がだ?」

「もしかしたら、処刑されちゃうかもしれないよ?」

「だったら、君に運ばせている食事に毒を仕込んでいるだろう。だが、私はこの通り今日も生きている」ヴェルレーヌさんは涼しい顔で云った。

 そっか。

 森先生、また難しいこと考えてる。「ずっと何書いてるの?入って善い?」

 お返事してくれなかったけど、戸を潜って、中に入る。外国語が書かれた紙が散らばる。踏まないように気を付けながら、ヴェルレーヌさんに近付く。

「何処の御国の言葉?」

「仏蘭西だ。俺とランボォの故郷だ」

「仏蘭西って、御伽話の国なんでしょ?お姫様が沢山いるの。私、眠り姫が一番好き」やっと洋筆を置いて私に気付いてくれた。私はお姫様がするように、背広の裾を持って御辞儀をした。

「灰被りでは無いのか?」

「だってね、運命の王子様からの愛でないと、目覚めないの。素敵でしょう?」

「随分とお転婆なお姫様に見えるが?包帯の王子はどうした」

「太宰くん?太宰くんは森先生の勅命で御仕事。あのね、森先生が、ヴェルレーヌさんから色々学びなさいって云うの」

 大体の事は先生が教えてくれた。ヴェルレーヌさんから何を教えてもらえば善いのかな。「では、舞踏でも教えてやろう。姫君には必要だろう」

 右手を握られ、左手をヴェルレーヌさんの上腕に添えるように。背を優しく支えられる。「前へ一歩。横へ一歩」先生の足を踏みそうだけど、すっと空間を作ってくれる。「そうだ。後ろへ一歩。横へ一歩。前へ一歩。余裕が出たら、次のステップに進む瞬間、少し膝を曲げてみろ」

 お姫様が王子様と踊るみたいに。身体が先生の動きに馴染んで、勝手に付いていく。「お前は飲み込みが早いな」

「森先生にも、母様にも云われた!」

 背の支えを離されて、一回転。礼服だったら、綺麗に裾が広がるのにな。背広じゃつまんない。

「身のこなしが軽い。暗殺者にでも成るか?」

「解んない。私、太宰くんの御世話係なの」

「身辺警護か。なら、少しぐらい技を教えてやろう」

「ううん。お姫様になる作法の方が嬉しい」

 お姫様になって、王子様と幸せに暮らすの。怖いことは何もない処で。

 王子様が誰かは解らないけど。

「明日も来るか?」

「森先生が終わりね、って云うまで御食事持ってくるよ」

「なら、続きは明日だな」

 ありがとうございました、新しい先生に御辞儀して、目的の下膳。

 深地下牢は怖い。お花で照らしていても怖い。でも、居るのは優しい暗殺王。何故か私を人質にしない暗殺王。

「卯羅、遅かったね」

 地上口に太宰くんが立っていた。ちゃんと背広を着て、余所行きの格好。「あのね、ヴェルレーヌさんが、舞踏を教えてくれたの」

「卯羅は夢見がちだからなぁ」王子様がするみたいな御辞儀を、大袈裟にする太宰くん。「僕がその王子になってあげようか?」

「王子様は、真実の愛でお姫様を目覚めさせてくれるんだよ?」

「結構大変そうだなぁ」

 じゃあ辞めた。そう云って先に歩きだした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る