星空

 星が綺麗な夜だった。

 上司が仕事から帰るのを待ちながら、星を眺めていた。星に願うことなんて、無いけれど、唯一願うとしたら。

「あの人が無事で戻りますように」

「其れが私でありますように」

 頭上から声がした。窓枠に置いた手に、手が重ねられた。

「お帰りなさい」

「ただいま」

 珍しく穏やかな声。仕事後は、大体、無言で、声も刺々しい。何も云わずにいきなり抱くことすらある。

「ねえ、散歩行かない?」

「休まなくて良いの?」

「其れは御誘いかな?御婦人の御誘いは無下には出来ないから──」

「何で休むのとセックスが同義になるの!」

 尻を触る腕を叩いた。

 結局、夜の散歩に出かけた。波の音、汽笛の音、駆動音。その中を、海岸線沿いに、郊外へと歩いた。私は何時も、彼の少し後ろを歩く。でも今は違う。今は純粋に恋人として歩く。誰にも言えない秘密の関係。きっと母様に知られたら引き裂かれてしまう。自分と同じ轍を踏むだろうと。

「太宰さん」

「やっと呼んでくれた。帰ってきてから初めてだよ?全く酷い」

「ごめんなさい」

「でも、太宰さんは嫌だなあ。仕事みたいだ」

「治、さん……」

「ぎこちないのも愛らしい」

 手を繋いでくれた。少し冷たかったけど、彼の体温に間違いなかった。

「女性が好きそうな場所を見つけてね。少し歩くが、佳いかな」

「いいよ」

 山下公園を抜けた先、坂を上がって住宅街を進む。こんな夜更けに出歩く男女なんて居ない。住宅街の先には小さな交番があった。非合法組織の幹部様は堂々と前を横切る。着いた先は、港の見える丘公園だった。

「此処……」

「素敵だろ?大広間と奥には薔薇園。さて、お手をどうぞ?」

 わざとらしく手を差し出す。その手を取るとお互い少し照れた。

 破滅へと向かう王子様とお姫様。何時か、この関係は露呈する。死ぬなら一緒が善い。薔薇を眺めながらそんな事を思った。

「薔薇って色々有るんだね」

「私もこんなに見事なのは見たことない。触れたら、絡め取られて、一部に成ってしまうかもね」

 海風が薔薇を揺らす。包帯で隠された表情は、楽しんでいるのか、退屈なのか、読めなかった。風にのって、音楽が聞こえた。悲しい旋律の三拍子。ピアノの音。

『いつの日にか、貴方の元へ戻ったら教えてくださいな。どうやって優しいキスをしてくれたのか。愛しの王子様』

 外つ国の言葉は少ししか、心得がなかったけれど、そんな曲だった。太宰さんをそっと見ると、彼も私を見ていた。そのまま手を引かれ、彼のいう“広間”に出る。微かに聞こえる曲に気付いたのか、私の腰に手が回り、脚が三拍子を踏みしめる。私も彼も、教養として、舞踏は教えられた。首領の趣味。

「まさか、こんな処で役立つとはね」

 王子様は苦笑いした。つられて笑った。哀しい円舞曲。星のシャンデリア。この暗さなら、真っ直ぐ彼の眼を見れる。鳶色に夜景が反射していた。なんて綺麗なの。星空のよう。

 離れて、腰を寄せて、また離れて。曲が聞こえなくなるまで、踊り続けた。終わった後、太宰さんが抱き締めてくれた。今までに無い、強い力で。

「卯羅、こんな関係、許されると思うかい?」

「治さんとなら」

 黙って頭を撫でてくれる。彼の鼓動が聞こえる。其れだけで善かった。どんな言葉よりも嬉しかった。顔を上げると、太宰さんも同じ事を、しようとしていた。優しいキス。何度も何度も。流れ星。彼の胸に置いた手に力を入れてしまった。同時に私を包む腕にも力が入った。

「卯羅!居るか!」

 照らされた。秘密の舞踏会は呆気なく終わってしまった。母様が部隊を引き連れて探しに来た。太宰さんは部隊に背を向け、私を隠すように外套を掛けてくれた。

「やあ姐さん。お散歩?」

「貴様、卯羅は何処じゃ?」

「ライトを落としてくれないかなぁ。星が見えなくなってしまう」

「答えよ。卯羅は何処じゃ」

 夜叉が居た。太宰さんも異能を使う。「離れないで」と口だけで伝えてきた。

「卯羅は私の部下だよ?どうしようと私の勝手じゃあないか」

「貴様なんぞにやった覚えはない」

「おかしいなあ。彼女が所属した時にそういう話だった筈だよ?」

「それは仕事の話。私生活で迄お前に付き合わせる義理は無い」

 私はハッとした。見えないけど、僅かな布擦れの音。上等な織物が擦れる音。其れと金属が木と触れ合う音。

「娘を返せ」

「貴女の娘ではない」

「調子に乗るな若造。幹部だから何でも許されると思うておるのか?」

「だと良いねぇ」

 鋒は確実に太宰さんを向いていた。

「何でも許される、ねぇ。だからこうさせてもらうよ」

 口が「ごめんね」と動いた。同時に私は強い光に照らされた。

「卯羅!無事かえ?」

 背中をトンと押された。“行け”と命令された。

「嫌……」

 必死に捻り出した我が儘。首を振って否定された。外套を握り締めたまま、母様に向かって歩き出した。

「怖かったろうのう……もう大丈夫じゃ」

 太宰さんは暗い闇の中。殆ど同化してしまっている。

「おやすみなさい、太宰さん」

 母様が私に手を差し出した。でも取る気にはなれなかった。

「帰るぞ?今日は母と休め」

「まだ駄目……仕事が終わってないの。拠点に戻らなきゃ」

「仕事なぞ明日で佳い。太宰にも明日に成れば会える」

 手首を捕まれて、そのまま車に乗せられた。

 太宰さんは微動だにせず、其れを見ていた。

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