12.黒の時代
何時も通り、帰りを待っていた。友人達との時間を過ごし、帰ってくるあの人を。
玄関の方から、「ただいま」と微かに聞こえた。何時ものように、外套を受け取り出迎えるため、その方に赴く。
「お帰りなさい」
「まだ起きていたの?」
笑いながら私の手を取って、口付けた。それから外套を受け取り、寝室へ。お酒と煙草の匂いに混ざる、彼の匂い。大好きな匂い。
「そうだ、今日ね、写真を撮ったのだよ」
「写真?何でまた」
太宰さんが見せてくれたのは、坂口さんと織田作と写る太宰さんの写真。各々が、思い思いに写る。纏まりが有るようで、無い、けれど何かで繋がっている三人。何時だか撮った私と太宰さんの写真の隣に飾ることにした。
「階級、役職を越えての友人、羨ましい」
「そう?」
興味無さげに返されたから、この話は終わり。
「何か飲む?」
「冷たいの」
作りおきしておいた麦茶に、氷をたっぷり入れて持っていく。受け取ると、一気に飲み干した。空に成った硝子杯を受け取る。
「お風呂は?」
「入る。君とね」
せがんでくる様子が可愛くて、つい許してしまってから、御所望の時は何時も一緒。
太宰さんに抱き締められながら湯船に浸かる。浴室は薄暗く、灯るのは蝋燭の灯。灯りを点ける事を嫌がるのは、身体の傷を見られたくないから、そうだと勝手に解釈してる。御本人は私の髪を触ったりしながら、ぼんやりと何かを考えている。
「ねえ、卯羅、前にも訊いたね。君は何時まで私と居てくれる?」
「そうね……太宰さんが『要らない』って云うまで」
そうか、と呟いて、胸下に回る腕に力が入った。
「柄にも無いこと云って佳い?何か、近々、私の中の何かが崩れ落ちる気がしてね」
「太宰さん」
此れ以上は引きずり込まれてしまう。深い深い闇の底。其れを清めでもするかのように、身を泡で包む。されるがままの幹部様。濡れた身体を拭こうとすると、抱き締められる。
「どうしたの今日は」
「こうしていたい日が有っても佳いだろう」
其のまま寝台へ共に向かった。
翌日、組織の武器保管庫の一つが襲撃されたと連絡を受けた。現場には広津さんが居ると云う。
「なら、その前に一仕事していこう。やり方は君に任せる」
昨日、取引現場を襲撃してきた浮浪者の集団。そのうち一人を捕縛して、地下に繋ぎ止めてある。
「吐かせるなら母様に頼めば早いのに」
「姐さんには口出しさせない」
二人で其処へ向かった。
「却説・・・・・・」
既に部下が小突き回している最中だった。
「手緩くては吐きそうにないね」
二人して溜め息。導いた答えは同じようだった。上司の溜め息が聞こえたのか、部下たちが振り向いた。そして捕虜への道が作られる。其の道を二人で歩く。
「算段は?」
「何時も通り」
昨夜の襲撃の目的、指揮官の素性、組織その物、訊きたいことは山ほど。両腕、両足は拘束されている。逃げ出すことはない。空間を操る異能者でも無い限り。見たところ、浮浪者の格好をしているけれど、纏う物が違った。服とか、ではなく、もっと不可視な部分。此の場に居る全員──捕虜を含めて──が殺すという行為に馴れている。手始めに、両の前腕を砕く。武器を握れなくするため。
「何故、此の銃を抜かなかったの?此の鎖なら出来たはず」
黙り。言葉が通じない?異国の出身か。決して得意な訳ではない。でも聞き出すにはそうするしかないのだから。喋り慣れない、異国の言葉へと切り替えた。其れを見届けてから、太宰さんは「任せる」と一言。
「結果は連絡する」
とは云ったものの。異国の異能犯罪者というなら、此の手の事には馴れているだろう。鞭打ち程度じゃ生温い。平手打ちにも劣るだろう。だとしたら、私には残りの手段しかない。異能。右膝を踏み抜いた。絶叫。此のまま摩耗させよう。
「なかなか骨があると思うの。せめて此れだけ教えて、何の寄合?」
国内、海外問わず、多くの犯罪組織を相手にして来た。けれど、どの組織にも彼らは当てはまらない。
「答えて」
左大腿を踏みにじりながら、頚を絞めた。
焦りすぎた───捕虜の口が或言葉を声もなく呟いた後、カチッと嫌な音がした。嵌め込み式の小型爆弾だとしたら。最期の言葉を反芻しながら、手を離す。咽喉が僅かに動き、何かを飲み干した。痙攣の後、事切れた。
mimic、ミミック。捕虜は確かに呟いた。模倣、擬態、類似、どちらかというと、人を嘲笑うような言葉。部下に死体の処理をさせ、太宰さんに連絡を入れる。
「太宰さん」
『やあ卯羅。善い報告かな?』
流石に息が詰まった。
「失敗しました」
『失敗?此れは珍しい。何かしら情報は掴めたのだろうね』
何時もの平坦な声。元から期待していなかったのだろう。ミミックという組織の名前、奥歯に仕込んだ毒薬、海外からの流れ着きだという事。
『成程ね……首領への報告書を頼む。此方の検分が終わったら戻るよ』
死体を片付ける部下に混ざった。腰の拳銃嚢に仕舞われた一丁。捕虜がどうしても引き抜かなかった其れに手を掛けた。旧そう。試しに構えてみた。引き金の感覚から、連射は出来なさそう。
「此の銃、解る?」
一人ぐらい銃愛好家が居たって佳いだろうに。誰も答えなかった。広津さんなら知っているかな。
戦利品の銃を布に包み、携えて執務室に向かう。あの場に太宰さんが居たら、私よりも多く聞き出せた筈。端末に向き合い、調書を作成する。唐突に昨夜、不意に太宰さんが呟いた事を思い出した。再度訊かれた「君は何時まで居てくれる?」という問い。あの時は流してしまったけれども。何と返せば正解なのか考えていた。すると携帯が唸った。
「はい、尾崎」
『卯羅、今から云う場所に向かってくれ。織田作が危ない。私も部下を連れて向かう』
「解った」
背凭れに掛けていた黒外套を着、指定された場所へ向かった。狭い路地裏。銃声。太宰さんや他の部下と合流し、状況を確かめる。相手は二人。先程、私が拷問し損ねた捕虜と、同じ格好をしていた。
「織田作!屈め!」
声。閃光。銃声。敵はもう動かなかった。
「君は全く困った男だなぁ」
織田作を助け起こす太宰さんを眺めながら、部下達に混ざって、なるべく二人の背景で居ることにした。織田作は、宿泊亭で狙撃された。その狙撃主を追って此処へ。太宰さんが、襤褸男の腰を見るように云った。矢張、例の旧式拳銃を提げていた。
「この拳銃は彼らにとって徽章の様なものだろう」
「この男達は何者なんだ」
「ミミック」
顔をしかめながら「ミミック?」と織田作が復唱した。
「其処の彼女のお手柄でね」
織田作の後ろに立つ私を目線で示した。それから続けた。
「まだ善くは判っていないが、どうやら欧州の犯罪組織らしい。判っている事は二つ。彼らが何故か日本に来たこと。それとポートマフィアと対立していること」
まだ調査中だよ、と肩を竦めた。責められてるような気がして、何となく居心地が悪かった。
「安吾の部屋を狙撃しようとしていたことから何か判るかもね」
織田作が抱えていた金庫を太宰さんに見せた。針金を器用に鍵とし、金庫を開ける。中から出てきた異物に二人は考えを巡らせていた。
「何故だ?太宰、お前は此の銃は徽章だと云ったな?なら此れは一体どういうことだ」
少し考えた後、太宰さんが口を開いた。
「此れだけではまだ何とも云えない。安吾が連中から奪ったのか。偽装証拠として誰かを陥れようとしているのか。此の銃は何かの符牒なのか」
また少し黙って、「一つだけ判った事がある」と切り出した。
「安吾が昨日、取引の帰りだと云ったよね。あれは多分嘘だよ」
「何?」
織田作が怪訝な顔をした。
「安吾の鞄を見ただろ?上から煙草、携帯雨傘、カメラと戦利品の骨董時計。携帯雨傘は使われていて、拭き布に巻かれていた。そして、出張先の東京は雨だった」
一見何の不都合もない。けれど、骨董品の上に濡れた雨傘というのはどうも腑に落ちない。
「安吾は自前の車で取引に向かった筈だけど───ではあの傘はいつ使われた?取引の前じゃあ無い。傘は時計の上に置かれていたからね。そして後でもない」
「何故だ?」
「あの傘の使われ方は二、三分使われた感じじゃあない。たっぷり三十分は雨に打たれていたはずだよ。それだけ雨の中に居たにしては、安吾の靴もズボンの裾も乾いていた」
頭を過る「近々、私の中の何かが崩れ落ちる気がしてね」という言葉。質問の意味。漸く理解した。
「安吾はポートマフィアの諜報員だ。秘密の一つや二つぐらいあるだろう」
「ならば一言云えば佳い。『云えない』と」
糸が解れ始めた。表情の無い太宰さん。戸惑いが隠せない織田作。
「なのにアリバイを用意してまで、密会を隠したかった理由は何だ?」
織田作が答えを探した。私も探そうとした。それよりも早く見付かったのは、息絶えたはずの襲撃者が動いていた。よろよろと覚束無い足取りだが、確実に此方へ向かってきている。太宰さんは其れを見やると、珍しい動物を見るかのように近づいた。
「驚異的な精神力だね。実際、私は君たちを敬畏しているのだよ」
「太宰、よせ!」
ミミックの残党が向けた銃口へ迷い無く歩いていく。織田作が手を伸ばしたが届かない。私なんて尚更。
「私の目の中の歓喜が君にも見えることを願うよ」
脈がおかしくなる。過呼吸。名前すら呼べない。
「頼むよ。私を一緒に連れて行ってくれ。この酸化する世界から醒めさせてくれ」
銃声二発。少し間があって、豪雨の様な銃声。狙撃主は纏った襤褸と同化し、血肉を晒していた。
「悪いね、吃驚させて。迫真の演技だったろ?」
悪びれもなく云う。
「演技?」
織田作は反対に顔をしかめた。
「狙撃銃の跡は左頬についていた。つまり彼は左利きだ。利き腕ではない右手の上、まともに立てない程ふらついた状態で、おまけにあの旧式拳銃だ。あれじゃあ銃口を額につけ無い限り当たらないよ。会話で時間を稼いで彼の腕が疲れれば、あとは織田作が何とかしてくれる」
顔の右に巻いた包帯がみるみる血に染まる。じわりじわりと音が聞こえるようだった。駆け寄って怪我の程度を確認する。当たり前だけれど、割合抉れている。
「やめろ太宰。もういい」
呆れたのかうんざりしていた。織田作は私たちに背を向けた。
「・・・・・・織田作」
その背中に投げ掛ける。
「安吾を頼む」
「・・・・・・ああ」
「太宰さん!」
執務室に戻ると、怪我もそのまま、仕事を始める。無理矢理、寝椅子に押し倒す。馬乗りになる。
「我慢できないの?帰るまで待ってよ」
頭の包帯を慎重に取った。創部面を剥がすときは流石に痛いと漏らした。髪をかき上げ、傷を露出させる。生理食塩水で洗い流してから消毒。痛い痛いと喚く。掠めただけで本当に善かった。もし貫通でもしていたら、あんな解説すら許されなかった。肉芽が出ることを祈りながら、保湿剤をたっぷり散布し、防水のフィルムがついたガーゼを貼る。湿潤療法で様子を看る。
「何さ、柄にもなく泣いて」
面白いものを見たように笑われた。
「こんな怪我、何時もしているじゃない。もっと酷い怪我だって」
云い返したかった。でも言葉は見つからない。
「悪かったよ」
手が頬に伸びてきた。
「お願い・・・・・・」
ん?と太宰さんは微笑む。
「私の前から居なくならないで」
もう涙は止まらなかった。子供みたいに泣いてしまう。
傷が塞がるのに合わせて、ミミックの情報が手元に集まってきた。
「睨んだ通りだね」
集めた情報を纏めた報告書を捲りながら溜め息。首領に報告し、対ミミックの前線指揮を仰せつかった。
「軽く罠でも張ろう。まだ情報が要る。カジノが佳いなあ。彼処の金庫、空にしておいて。暗証番号を奴等に知らせ、襲わせる。其処に催眠瓦斯の雨」
笑いながら計画を練る。太宰さんの頭の中には捕らえた後までの道筋が出来上がっている。
「捕らえた後はこうだ。まず奥歯の毒薬を外す。一番厄介だからね」
心的外傷のように思い出す「カチッ」という音。
「拷問は他構成員にさせる。芥川くんも前線ばかりでなくそういった仕事もさせなければ……本当は君から手解きしてもらいたいところだが、この報告書の方が先だ。今日中に此れを首領に。捕虜から聞き出した情報も加える。私は織田作に話をしに行く」
捕らえたら私経由で太宰さんに連絡が行く手筈になった。部下に連絡を入れ、鼠取りの支度をする。
「手緩くても佳いから、太宰さんが着くまで生かしておいて」
「畏まりました、けれど貴女の異能なら───」
「私は治癒異能者じゃない」
同じ組織だから、同じ派閥だからといって、互いの異能をきっちりと把握している訳ではない。特に上司は私が使う事を避ける。
「治癒異能者だったら、今頃此処には居ないよ。私はね、その反対だよ」
治癒異能者だったら、どれだけ善かったか。それこそ拷問が専門に成っていただろうし、龍頭抗争の時に不死部隊でも作ろうと首領は考えただろう。
「芥川くん」
少し離れた所に居た、痩身に黒外套の少年に声を掛けた。
「先走っちゃ駄目だからね。焦らないで、云われた事だけ」
「承知している。僕は僕のやり方で太宰さんに貴女よりも使えると証明してみせる」
励め若人よ。その意味を込めて頭を撫でた。ふん、と顔を逸らされた。
「何かあったら呼んで。執務室に居るから」
戻って先ずは太宰さんの執務机を片す。乱雑に置かれた今回の事件の資料。他の業務は事実上の凍結。普段は器用に草鞋の枚数を増やしていく太宰さん。それをしない点で、何れだけミミックを警戒しているかを感じる。
矢張一番知りたいのは頭目の異能力。それが解らなくては、此方も手を出しにくい。けれど、ミミックという組織の全容が顔を出しつつあった。欧州の異能犯罪組織。先の大戦の敗残兵。だからあの狙撃主は二人組だったし、武器庫襲撃の手際の善さも理解できる。英国の古い異能組織『時計塔の従騎士』に追われて日本へ。一つ気になるのは、何故極東の日本なのか。確かに横浜は先の大戦後、法律の隙間を掻い潜って、犯罪組織が国内外から乱立する『魔都』と化した。ポートマフィアも例に漏れない。手引きをしたのは誰か。ミミックの狙いは、ポートマフィアで間違いない。他の海外系組織と手を組まない辺り、自部隊に対する自信が窺える。あともう一つ。此の時期に消息を絶った坂口さん。武器庫の暗証番号は、坂口さんに振られたものだった。太宰さんは明言しなかったけれど、坂口安吾は“ほぼ黒”と確定した。
「尾崎です──了解。太宰さんに伝える」
部下からミミックがカジノを襲撃したと連絡があった。
『私だよ』
「太宰さん、猫さんはお食事の時間」
『了解した』
ふと私の机に置いた鏡を見た。
「老けた……」
この数日でかなり歳を取った。顔が。仮眠しかしていない所為だろう。寝てて佳いよと太宰さんは云うけども、彼がこなす仕事に凡人は追い付けない。
地下牢へ向かう。低く唸るような重低音が聞こえた。またか、と頭を抱えた。私もぶん殴られるで済めば佳いけれど。
「卯羅」
「あぁ……太宰さん」
「乗り気しない顔だね」
「色んな事が起こりすぎて」
「その顔は寝てないね」
頬から顎にかけて撫でられた。涙を拭いでもするように。はぐらかす為に笑っておいた。二人で最奥の特別牢へ向かう。
「───説明が欲しいな」
開口一番。鮮血が床を染め、逃げられないと判ったら、色が黒ずむ。構成員の一人が経緯を説明する。罠の話、捕らえた兵士が目覚めた事、襲いかかってきた事。
「其れを僕が処断した」
芥川くんが進み出た。
「何か問題でも?」
「成程ね……いや?問題など何もないよ。不撓不屈の恐るべき兵士から仲間を守った訳だ。君の異能力でなければ、そのような強敵を一撃のもとに倒すことは出来なかったろう。お陰で捕らえた兵士は全員、死亡だ」
手をヒラヒラさせる。表情は変わらないが、かなり怒っている。
「これで手懸かりは無くなった。一人でも生き残っていれば、敵の本拠地、目的、次の標的、指揮官の名前と素性、指揮官の異能力。貴重な情報が聞き出せたろうに」
「情報など──連中ごとき僕が纏めて四つ裂きに──」
鈍い音がして芥川くんの体が跳ねた。頭を打ち付け、ふらついている部下を眺めながら、殴った手を擦った。
「芥川くん、君は私が言い訳を求めているように聞こえたのだろう。誤解させて悪かったね」
血を吐きながら噎せる芥川くん。まだ目眩がするのか、立ち上がる様子はない。
「銃貸して」
彼の部下の躾。私も加担せざるを得ない。銃を手渡すと、五発のうち二発を抜いて、三発残した。
「私の友人に、孤児を個人的に養っている男がいてね。貧民街で君を拾ったのが織田作だったら、きっと見捨てず、辛抱強く導いただろう。それが正しさだ。けれど私はその正しさから嫌われた男だ。そういう男はね、使えない部下をこうするんだ」
いつかはやると思ったが、今やらなくとも。薬莢が澄んだ音をたてた。少しして、先程聞いた重低音。
「へぇ、やればできるじゃあないか」
芥川くんの異能が銃弾を止めた。理論上は可能、とよく云っていた空間断絶。
「何度も教えただろう。哀れな捕虜を切り裂くだけが、君の力の凡てじゃあない。そうやって防御にも使えるって」
「今まで成功したことは無かった……」
「けれど、成功したじゃあないか。目出度いねぇ」
嬉しそうに。芥川くんには、それへ反論する気力も残っていない。
「次しくじったら、二回殴って五発撃つ。佳いな?」
地の底から聞こえてくるような声。冷徹。誰も次の言葉を紡げない。
「出来の悪い部下への教育は此処までにして、死体を調べてみよう」
太宰さんの指示通りに、密着手袋をして、遺体の前に屈む。
「あの、死体の何をお調べしましょう」
「全部だよ!アジトの痕跡を見つけ出すんだ。靴底、ポケットの屑、服の付着物、全てが手掛かりだ」
呆れて云う太宰さんに、怒られてたまるかと、部下も次々に着手する。
「全く、うちの部下は揃いも揃って、敵を嬲り殺すだけがマフィアだと思っている。この分だと、織田作一人で解決してしまいそうだ」
「織田作之助・・・・・・その男なら私も知っています。マフィアでいて、人を殺す度胸の無い男、とても太宰さんと釣り合うような男には思えませんが・・・・・・」
ご機嫌を窺いながら云うにしては、随分な物言い。云い放った部下を詰まらなそうに眺めて、口を開いた。
「君の間違いは二つ。先ずは、釣り合う、釣り合わないに度胸は関係ない。もう一つは警告だ。織田作を侮らない方が佳い。もし彼が心の底から怒ったのなら、此処に居る全員が銃を抜く間も無く殺されるよ」
確かに彼の異能力『天衣無縫』は戦闘時に威力を発揮する。例えそれが奇襲戦であっても。それに、彼はマフィアに加入する前は、暗殺を請け負っていたと云う。詳しい話は聞いていないけれど、太宰さんの話からすると相当の腕を持っている。
「芥川くん、君なんて百年経っても織田作には勝てないよ」
嘲るように云う太宰さんに、芥川くんが噛みつく。それをさらりと受け流して、死体に向き直り、また手を動かし始める。
「早く片付けないと異能特務課が出張ってきて面倒なことになる」
太宰さんの隣で死体を漁りながら、あることに気付いた。兵士の靴底がどれも泥で汚れている。西洋風に赤煉瓦が敷かれていたり、舗装整備が進んでいる横濱。泥の付くような場所は限られる。太宰さんも同じく靴底の付着物に着目していた。
「葉っぱ?」
「かなり特徴的だと思わないかい?」
葉の表、裏、を確かめる。
「此れで絞れるかもしれないね」
その言葉の通りに成った。区画整理が成されてる市街地を除外。辿り着いたのは、廃墟となって久しい、気象観測所だった。すぐに太宰さんが織田作に連絡を入れる。其処に坂口さんが居るかもしれないと。
「もう休もう。君も連日で疲れたろ」
正直、体力は限界に近かった。けれど、此の状況で、いつ召集が掛かるかも解らない。部屋の隅に簡易式寝台を組み立てた。完全に頭が回っていない。何を思ったのか、私はその場で脱衣した。そして、予備の下着と襯衣を出し、着替える。
「……卯羅」
襯衣の前衣を閉じようとしたら、手を引かれた。外套が揺れる。太宰さんの腕に収まる。何も云わなかった。暫くそのまま。ただ、彼の鼓動を聞く。だんだん眠くなってきて、彼の胴に腕を回す。
「ん……っだざ……」
胸に頭を擦り付ける。好きなの。いつからか、なんて解らない。けれもど、好きなの。
「おやすみ。さあ、ゆっくりお休み」
寝台へ促される。横になると、寝台の縁に腰掛ける。暫く見詰め合った。それから、手を握ってくれ、頬に口付けてくれた。
「大丈夫……太宰、さん……私は、いるから……」
睡魔に意識を奪われながら伝えた。返事は聞こえなかった。微かに動いた口を、読み取る事が出来なかった。其れから太宰さんの携帯が鳴り、指示を与えているのを見て、記憶は途切れた。
翌朝、五大幹部会が召集された。組織の趨勢を決める、極めて強制力の強い意思決定会議。
「卯羅、息災か?」
「母様、大丈夫、元気だよ」
「太宰の小僧に無理難題を押し付けられてないか?」
「平気。コツを掴んできたから」
会議室で、母様に久しぶりに会った。窶れた気がすると、ひたすらに心配された。それから、嫌だと無理だと思ったら直ぐ戻れ、とも。
着席した上司に資料を渡す。ミミックの概要、今後の予測。ミルクたっぷりのカフェイン抜き珈琲を置く。小さく、ありがとう、と呟く。
「揃ったね。始めようか」
首領が着席する。私は他の構成員に混ざり、此の場と上司の警護役となる。
「まずは今回の抗争の件だけれども。太宰くん、報告を」
資料を元に、所々話を補足しながら、淡々と報告をする。それを聞きながら、太宰さんの後頭部を眺める。
「───以上です」
「ありがとう。実に厄介な敵だ。異能特務課が動く前に片を付けなくては成らない。前線の指揮、戦略立案は引き続き太宰くんに頼むとしよう」
「ミミックは現在、マフィアの保護下にある商店を襲撃しています。この組織を経済基盤から傾けさせるつもりでしょう」
昔、織田作と食べに行った洋食屋さん。大丈夫かな。
「早速、武闘派構成員にて小部隊編成の許可を頂きたい」
「許可しよう。他派閥からも合流させよう」
母様がちらり、と私を見た。武闘派、という認識は無かったけれど、そうか。
会議が終わって騒がしくなる。また大規模抗争が始まる。「急ぐよ」と眼で合図され、部屋を後にする。
「卯羅にも編成に加わってもらう。人手が欲しい時だ、勘弁しておくれ」
「仰せの儘に」
昇降機の中でお互い無言。執務室で、隊の構築。私は得物の手入れ。
「卯羅は街中を回ってくれ。芥川くんの部隊に沿岸周囲を回ってもらう。敵を見つけたら殲滅で構わない」
「解った」
「異能も使って構わない。ウチの商売仇だからね」
能力名『道化の華』まだ上手く扱えているとは思えない。太宰さんの『人間失格』とは違い、任意発動なのが救い。小型無線機を右耳に填めた。
「何かあったら連絡する」
「頼む」
大腿の銃嚢に短銃一丁、腰の剣帯に短刀一振り。上から外套で隠す。
「そうだ、織田作は」
「織田作なら無事だよ。詳しくは後で話す」
頷いて執務室の扉を空ける。
「卯羅」
不意だった。振り向いて、なあに?と聞き返す。
「大丈夫。私の指示通りにして」
「わかった」
「期待しているよ」
少しだけ太宰さんの口許が笑った。邪ではなく、穏和に。
市街地は殺伐としていた。マフィア構成員は階級に関わらず殺気立つ。一般市民──買い物客、店主たちを退避させる。
「龍頭抗争を思い出すな……」
「尾崎さんもあの抗争に参加を?」
日の浅い構成員に訊かれた。
「してたよ。裏方だけどね」
視界の端で何かが動いた。それに違和感を感じて、発砲。襤褸の男だった。立ち上がろうとしている男へ走る。鼠径部を追い撃つ。襤褸は群れで行動する。物陰、路地から敵の援護。一瞬視界が揺れた気がした。
「殺っちゃって」
銃弾は雨となって降り注ぐ。どの構成員もそうだ。文字通りの血道を行く。各位置に構成員を配置する。
「襤褸は全て潰せ」
街の各地が戦場になる。その間を、血に染めながら移動する。着いた先は美術館。織田作と芥川くん。そしてトラックが去る。芥川くんは気絶していた。連れてきた部下に、美術館内の様子を探らせる。
「織田作!」
「尾崎か」
「怪我は?」
「お前らの部下を診てやれ。腹と腕を撃たれた」
一応ごめんね、と云ってから銃創に生理食塩水を浴びせる。静かな庭園に絶叫が響き渡る。止血帯をきつく締める。腹部の創は多重に重ねたガアゼを巻き付けて圧迫する。
「帰ったら森先生に診てもらおうね。織田作は?」
「胸を撃たれたが、防弾内衣の上からだ」
確認のため中を診せてもらった。紫斑が出ていた。善くて内出血、悪くて肺挫傷。呼吸もできて、吐血した様子もないから、後者の可能性は低い。
「織田作も。帰ったら透視ね」
「嗚呼。それにしても此の芥川という少年は何者なんだ。太宰への執着がお前以上だぞ」
「いやよ?私の執着と、芥川くんの執着は別。太宰さんのやり方の所為だと思う。知ってるでしょ?彼が過酷教育なの。いくら芥川くんが戦果を挙げても褒めはしない。下手したら『そんなものか。もっとやれるだろう』ぐらいは云う。ごめんね、変な心配させて」
気絶する芥川くんの頭を撫でる。館内を調べていた構成員が戻って来た。頭を振った。掃除屋に連絡を入れその場を撤収した。
芥川くん以下怪我人を収容し、太宰さんの元に戻る。首領には「エリスちゃんに手伝わせるから佳いよ」と云われた。身体がふらつく。
「卯羅!」
織田作と話していた太宰さんが駆けてきた。彼が駆けてくるなんて珍しいなと思った。
「直ぐに森さんの処へ行くんだ」
「えっでも森先生は佳いよって。エリスちゃん居るから」
「なんなら此処で脱がせてやっても佳いんだよ?」
「待って?森先生の処でも嫌!」
話が見えず、もう溜まりに溜まったモノの処理をしろと云うことで、理解する。乱雑に襟衣の前を開かれた。
「太宰さん公然の趣味もあったの?」
頬に衝撃。平手打ち。脱がせておいて何事かと抗議してやろう。そう彼の顔を見た。眉間が感情を物語っていた。
「今まで気付かなかったわけ?」
太宰さんの指が触れた部分が鈍く痛む。呼吸が逼迫する。
「織田作済まない、また後で連絡するよ」
買い物袋を抱えるかのような、軽やかな仕草で横抱きにされる。そのまま執務室に向かう。それから私の救急箱をひっくり返し、物品を探す。
「縫合する」
「出来るの?」
「森さんのを見て覚えた」
組み立てたままにしていた、簡易寝台に寝かされる。縫合具一式と麻酔薬。消毒液と洗浄液。
「鎮痛剤は?」
「要らない。気付かないぐらいだもの」
太宰さんによる処置が始まった。何故だか涙が出てくる。麻酔で痛くはない。
「どうした?痛いなら鎮痛薬を──」
こんな時に何故私は懐古しているのだろう。儘ならない記憶。思い出せないのが、悲しいのか、恋しいのか。
「終わったら、少し姐さんの処に居ると善い。君は善処してくれた」
「ごめんな、さ、い」
「何故謝るの?」
言葉は涙に溺れた。終わったよと、創部に保護材を宛がった。それから自分の外套を掛けてくれた。
「姐さんに連絡するからね。待っていて」
「居て・・・・・・」
行こうとする手を握った。
「太宰さんが傍に居て・・・・・・」
「疲れたろ、後は私が引き受けるから」
「違うの。もう、行かないで」
何処に?私にも解らない。首領の右腕である彼に休みなど無い。彼の居るところが戦禍の中心。それは理解していても、離れたくなかった。
「・・・・・・それは、出来ない」
手を解かれる。指がするりと抜け落ち、少し触れる。母様に連絡を取る太宰さんの背中をぼんやり眺める。大好きな背中。愛した背中。こんな時に限って、焦がれる。
「姐さんが迎えに来てくれる。今日はもう休んで。明日迎えに行くよ」
程無くして、母様が迎えに来てくれた。抱えられるようにして部屋を出る。私に手を振ったあと、太宰さんは友人に連絡を入れた。
その夜は、母様と久しぶりに過ごした。
「全くなんじゃ、あの男は」
「そう怒らないで。仕方ないよ、太宰さんだって手が欲しいんだもの」
五体を削がれた訳じゃない。この場に居れば、これぐらいの傷は当たり前。
「お前もお前じゃ」
母様が淹れてくれたお茶。久しぶり。とても落ち着く。
「全く、過ぎたことに文句は云わぬ。もう少し自分の体を大事にせんか」
「今回のは、本当に気付かなかったの」
「迂闊すぎるわ。死ななかった事を喜ぶしかなかろう」
「もっと深かったら本当に死んでた」
きっと市街地で威力偵察をしていたとき。何か目眩がした瞬間。
「でも、もう平気」
お腹の縫痕。それも大好きな彼が縫ってくれたの。
「太宰が迎えに来るまでゆっくり休め。風呂にもゆるり入って無かろう」
その言葉に頷いて、風呂に入る。全身を眺めてみる。傷と徴が混在する身体。鏡を見て気付いた。どの傷も、上から紫斑。事の最中、身体を舐め回っていたのは此れか、と合点がいった。傷にでも嫉妬したのか。言葉通り、お湯が腹に染みる。一応、森先生に診てもらった方が佳いかな。けれど、此の傷は、此のままにしておきたい。
ゆっくり湯船に浸かると、走馬灯のように思い出される此の数日。あまりにも怒濤だし、あまりにも太宰という男の本質に触れてしまった気がする。本質、というのは少し云い過ぎかもしれない。確かに、彼の内側を形成する“何か”は垣間見えた気がする。けれどそれが、本心なのか、悪戯に見せた別のものなのか、私になんて到底理解し得ない。銃口を向けるミミック兵に吸い寄せられる様に懇願をした時。絞り出すように懇願していた。「頼むよ」と。あの顔がどうしても離れない。「迫真の演技だったろ」と云いながら、どこか期待の外れた顔。そのあとの、弁明でもするように捲し立てて云った言葉。死に焦がれながらも、生を求める。情事を終えた後の、慈しむ、とでも云えそうな顔。
上がると、母様が冷たいお茶を出してくれた。
「今回の事件、いつ終わるのかな」
「分からぬ。敵が殲滅されれば、だが長引きそうじゃのう」
「早く終われば佳いのに」
早く終わって、また太宰さんと過ごしたい。少しは、恋人みたいな事、してみたい。
「終わったところで、次の何かがある。休みは無いであろ」
「そうだねぇ……」
今回の抗争が終結したら、その分の損失を補填する。そして凍結している事業の再開。休まることはない。
「今のうちじゃ。寝溜めでもしておけ」
「そうする。おやすみなさい」
布団に潜り込む。柔らかい。こうしている間も、太宰さんは事件を追ってる。忍びない気もするけど、今は休息が命令。ふわり、何かに頭を撫でられる。
「おやすみ、卯羅」
おやすみなさい、太宰さん。
翌日、言葉通り太宰さんが迎えに来てくれた。母様にお礼を云って、本部楼閣へ足を進める。
「休めた?」
「お陰さまで」
「肌艶が戻ったもの。此方も大詰めだよ」
昨夜は、いつもの酒場で密会だったらしい。其処で坂口さんから色々聞き出したと。
「情報は裏付けられたよ。問題はどうやって奴等を完全に排除するかだ」
小さな洋食屋さん。織田作が贔屓にしているお店。其所に、その人が居た。
「織田作」
私が声を掛けるより先に、太宰さんが声を掛けた。
「太宰か。どうした」
「織田作。君が何を考えているか判るよ。だけど止めるんだ。そんな事をしても───」
「子供たちは戻ってこない?」
織田作が扶養している子供たちに、何かあったのだろうか。予測される答えは一つしかない。
「連中の居場所ならもう判っている。招待状が来たからな」
「織田作、聞くんだ。数時間前、首領が秘密の会合に出席したらしい。相手は異能特務課。このミミックの一件にはまだ何か裏がある。それが判るまでは───」
「何かなど無いよ。もう全て終わったんだ」
織田作は直ぐに太宰さんの言葉を否定した。声は、絶望、諦めに満ちていた。
「おかしな云い方を許して欲しい。何かに頼るんだ。この後に起こる、何かに頼るんだ。きっとそれはある筈なんだ」
沈黙。当事者で無い筈の私が泣きそうだった。誰にも用意されない救済の路。
「ねえ、織田作。私が何故ポートマフィアに入ったか知っているかい?私がマフィアに入ったのはね、其所に何かあると期待したからだよ。暴力や死、本能に欲望、そういう剥き出しの感情に近いところに居れば、何か生きる理由が見つかるかと思ったんだ」
最後はぽつりと。どこか自信無さげだった。気に入った玩具を無くしたと、親に報告する子供のような。
「俺は小説家に成りたかった。一人でも殺したらその資格が無くなると思ったんだ。だがそれも今日で終わりだ」
「織田作」
伸ばした太宰さんの手は空を掴んだ。
「織田作!」
絞り出した彼の叫びが、雷鳴に掻き消された。
「ねえ、太宰さん待って」
織田作と別れたあと、足早に目的地へ向かう。それを追いかけながら、状況を整理する。事態は最悪の展開を迎えつつある。
「卯羅」
急に歩を止めて、私を向いた。眼は静かに怒っていた。なのに慈しむように云った。
「散々無理をさせたね。もう、自由にしてやろう」
「そんなもの要らない」
どうして?と云う様に首を傾げる。「姐さんの所に戻るなりすれば善い。もう私から君にしてやれる事は無いよ」
「それでも、そうだとしても、太宰さんが居なかったら、私が生きる理由は無い」
虚を突かれた顔。それから口角だけで笑って、首領の部屋に向かう、硝子張りの昇降機に乗り込んだ。眼を瞑り、最適解を導こうとする。無機質な鐘が鳴り、最上階へ着いたことを告げる。「退け」と見張りの構成員を一瞥する。首領執務室の扉を乱雑に開け、殴り込みかという勢いで首領の前に進み出る。
「おや、太宰くんに卯羅ちゃん。丁度善い、北欧から飛び切りの紅茶が届いてね。今淹れさせよう、其所に掛け給たまえ」
「首領」
殆ど食って掛かる様に、太宰さんが言葉を投げた。それを合図に私は扉の向こう、廊下に退がった。
微かに漏れる声。交渉が失敗したら始末される。太宰さんとて容易ではない。慎重に言葉を選んでいる。付けたままにしていた無線から、敵の拠点に着いたと連絡が入る。
「そのまま、織田作之助の援護と敵の殲滅。達成されるまで退くな」
指示を伝え、顔を上げると、先程上司に気圧された構成員が、私に銃口を向けていた。
「太宰くん。君は此処に居なさい。それとも、彼のところへ向かう、合理的な理由があるのかな?」
尤もだった。太宰治もそう結論付けた筈だ。もし、今、命を賭しているのが織田作之助でなかったら。
「彼が友達だからですよ」
その言葉を聞きながら、目の前の光景を眺めた。相変わらず銃口は私を向いている。そのうち、私の後ろの扉が開いた。
「卯羅」
促されて、昇降機に乗った。降りても、互いに無言だった。
慣れた街を駆け抜けた。敵の牙城に着くと、太宰さんは導かれるように駆けていった。私はその後に続くだけ。簡単だった。ミミック兵の死体が方向を示していた。
「織田作!」
樫木の扉を叩き割る勢いで開ける。もう凡てが終わった後だった。
「太宰か……」
倒れる友人へ駆け寄る。黒の外套が舞う。その外套を拾って少し離れた処に立つ。
「莫迦だよ織田作、君は大莫迦だ!あんな奴に付き合って死ぬなんて莫迦だよ」
死の縁に立つ友の身を起こし、その手に付いた血液を否定するように握り締める。
「太宰……云っておきたい事がある」
「駄目だ、止めてくれ!まだ助かるかも知れない、いや、きっと助かる、だからそんな風に───」
「聞け」
織田作が太宰さんの髪を握った。そこの織田作に初めて気付いたかのように身体を跳ねさせて、驚いていた。
「お前は云ったな。人間の本質に近い部分に居れば、生きる理由が見付かると」
「嗚呼、云った、云ったけれどそんな事今は」
殆ど悲鳴だった。喪失を厭わない男の悲鳴。
「見つからないよ。人を殺す側になろうと、人を救う側になろうと、お前の予測を超える者は現れない。お前の孤独を埋めるものはどこにもない。お前は永遠に闇をさ迷う」
私の心が晴れた気がした。私も太宰治の孤独は埋められない。やっと答えが出た。傍に居てくれるだけの存在。それでも善い。「傍に居て欲しい」と気を紛らわせる存在には成れる。
「織田作……私はどうすればいい?」
すがっていた。見えない答えを友に求める。
「人を救う側になれ。どちらも同じなら、佳い人間になれ。弱者を救い、孤児を守れ。正義も悪も、お前には大差ないだろう……その方が、幾分か素敵だ」
「何故判る?」
「判るさ。誰よりもよく判る。俺はお前の友達だからな」
「……判った。そうしよう」
新しい道。親友とも云うべき男が示した道。
「『人は自分を救済する為に生きている』か……その通り、だな……」
織田作の手が脱力した。
太宰さんはそのまま、動かなかった。微かに身体が震えた。
ただ、静寂だけが包んだ。
その夜、拠点にも、本部にも寄らず、自宅へ戻った。
「太宰さん……」
続く言葉は無かった。寝台に腰掛けて、頭を垂れて、微動だにしない恋人。同じく寝台に腰掛けた。それから、肩を抱いて、頭を胸へ抱いた。
「見てないから。誰も見ていないから」
今まで一度も聞いたことの無い嗚咽。この人の涙は、今日という日のために取っておいたのかしら。「子供のまま大きくなった大人」という織田作の言葉は正しかった。慰める言葉は求めていない。この喪失感は太宰さんだけのもの。世の理不尽さへの抗議。それだけ。
私は抗議を続ける青年の頭を撫で続ける。ふと枕元の写真立てを見る。其所には何時もの笑顔があった。
「卯、羅……」
「なあに」
「君は居てくれるよね?私とずっと居てくれるよね?」
「居るよ。ずっと一緒に居るよ。太宰さんが『要らない』って云うまで」
少し落ち着いたのか、呼吸を整えようと深呼吸をする。
「落ち着いた?」
「一つだけ聞いて欲しい」
剰りにも真剣な顔。腰に手が回り抱き締められる。私も彼を抱き寄せた。
「織田作の云う事を信じようと思う。だから私は───」
太宰治と尾崎卯羅が消息を絶って二週間。森は空位と成った幹部の一席は埋めないと宣言した。
「太宰くんは兎も角、卯羅ちゃんまでもか。まあ、無理も無いだろう」
「尾崎殿の異能力は、結局どのような異能なのでしょう」
「嗚呼、あれね。あの異能は『触れた部位を重症化させる』能力だよ。例えば、腹部に触れたなら、潰瘍、癒着、絞扼・・・・・・彼女には『選択肢』がある。何れを選ぶかは彼女次第だ。顕著な例はいつだかの尋問だよ。あの時の選択は『心房細動』だったかな?相手は何時、自分の導火線が弾けるのか解らない。心拍がおかしいと気付いたらもう終わりだ。それほど怒り心頭していたということだろうね。けれど、彼女の知っている範囲でしか症状を出せない。だから私が引き取った」
今回の事件の報告書の束を眺めながら、隣に控える構成員の問いに答える。
「道化の華、というのは当たっていたようだね」
死を望む太宰治と、死へ導く異能を持つ尾崎卯羅。しかし太宰は自身の能力により、その恩恵が受けられない。
「道化の傍らに、道化を嗤うように咲く華。それが卯羅ちゃんだよ。結果的には、道化に魅せられたようだけどね」
「写真、此処に置くね」
横濱の街を臨む丘。其処に造られた共同墓地に私と太宰さんは居た。喪服に身を包んで、墓石の前に立つ。写真の隣に純白の花を供える。其れを合図にか、風が吹き抜ける。
「堅豆腐食べてもらいたかったなあ・・・・・・」
立ち尽くす彼の手を取る。写真に焼き付いた笑顔はもう其処に無かった。
私と治さんは一軒の酒場に向かっている。
「治さん、いつもの場所と違う」
「君、本当自然と呼ぶようになったね。あんなに恥ずかしがってたのに」
「だって、もうそう呼ぶしか無いんだもの」
からかうように笑う元上司。その腕を抱き締め、手を握る。
「誰でしたっけ?『私生活なんだから名前で呼べ』って散々云ったの」
誇らしそうに鼻で笑う。それに少しムッとすると、もっと笑いながら、額に口付ける。
「さあ、お行儀佳くしなきゃ」
「誰に会うの?」
行ったこともないような安酒場。いったい誰に会うと云うのか。
引き戸はガラガラと安い音を立てる。初老ぐらいだろうか、という男性が手酌で呑んでいた。そしてその男へ治さんは歩いていく。
「内務省の重鎮が、こんな安酒場で独り手酌とは寂しい限りですなぁ、種子田長官」
「君たちは確か・・・・・・」
「お注ぎしましょう」
長官の向かいに座る彼の隣へ座る。にこにこ笑みを浮かべる太宰と、それを疑るように見る種子田長官。それもそうか、マフィア幹部なんて要注意リストに殿堂入しているだろう。尤も、そんなものがあればだけど。
「君の顔は報告書でよく見たなあ。要注意人物リストの常連だ」
あるんだ、と思いつつ、二人の話に耳を傾ける。
「どうやって此処が判った」
長官が訝しげな表情を更に濃くする。それに対し「調べれば大体の事は解ります」と肩をすくめる。
「暫く組織から行方を眩ませたとった筈だが……何の用かな?」
「転職先を探していましてね。何処かお勧めは有りませんか?」
転職先───私たちが第二の人生を始める場所。殆ど初めて、息をする光に照らされた場所。にこやかな治さんと、隣で彼の影に隠れるように座る私を見て、長官は驚きつつ、考え込む。
「君たちには訊きたいことが山ほどあるが……特務課を志望かな?それなら───」
「そちらの方は辞退しますよ。規則の多い職場は肌に合わなくてね」
今まで自分が規則だったようなものだしな、と思った。本当に自由人。苦笑いする太宰さんの横顔。
「では何が希望かね?」
御猪口をぐいと煽り、眉をひそめる。
「人助けが出来るところ」
即答だった。答えてから「そうだろ?」と云うように私へ笑いかける。長官は暫く考えてから、口を開いた。
「君たちの経歴は汚れすぎとる。洗うためには、二年ほど地下に潜る必要があるぞ」
地下生活、という言葉がのし掛かる。不安が心を染め上げていく。
「でもまあ、心当たりが無いわけではない」
にんまり笑って、扇をバッと広げ、顔を近付けてくる。
「伺いましょう」
明るい声で応えて、顔を突き合わせる。
「異能力者を集めた武装組織だ」
声も自然に小さくなる。大人三人の内緒話。
「軍や警察に頼れぬ、灰色の厄介事を引き受け、解決する。其処の社長は心ある男でな。君たちの希望に沿うやもしれん」
今度は治さんが目を瞑り、考える。暫くして開いた目は決心を宿していた。目の前に細い、縫い糸のようだけど、確かに指し示された道が見える。
「其処は、人助けが出来ますか?」
苧環の標 ちくわ書房 @dz_pastecake
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