7-64 決別

 ひなたから、そして過去から逃げ出した俺は、薄暗い林の道を無我夢中で走るしかできなかった。あまりのことに頭が完全に混乱し、矛先の見つからない怒りが、カラカラの喉から漏れ出る。 


「ちきしょうがっ! なんでだよ! なんでよりによって、ひなたなんだ!」


 せめて、知らない誰かであって欲しかった。

 せめて、仲良くなる前のひなたであって欲しかった。


「あいつを、友達を恨みたくなんて、ないのに! なんで──っごほっ、げほっ」


 こんな精神状態で走りながら叫べば、当然すぐに息があがってしまい、半ば倒れ込むようにして地面に膝をつく。


「ぜぇ、はぁ、はぁ……なんで、だよ、ひなた……こんなこと、俺が知らなきゃ、これからもずっと友達で……なのになんで」


 こうして上手く関係を築けていたのだ、最後まで隠し通して欲しかった。

 それができないなら、いっそ最初から俺に近付かないで欲しかった。

 知らないほうが幸せなことなど、世の中たくさんあるのだ。

 こんな辛いだけの過去をわざわざ掘り返しても、お互い不幸にしかならない。


「なのにどうしてお前は……!」


 もはや怒りをどこにぶつけて良いかも分からず、乱暴に拳を地面に叩きつければ、皮膚が破れて血がにじみ出す。

 その痛みと共に流れ出る血を、ぼんやりと眺め続けていると、次第に怒りも流れ出て行き……そして俺に残ったのは、虚無だけだった。


「ハ、ハハ……せっかく夕に救ってもらったってのに……いつまで経っても俺は……この最悪な過去の悪夢からめることもなく……永遠に苦しめられ続け――――っ!?」


 ――ごめっ、ごめん、なさい……ごえんあさいぃ……まって……おねがい、まってぇ……


 そうして「夢」と口にしたところで、今朝に見た悲しい夢が頭を過っていった。

 いま俺の目の前では、その夢の再現のように、知らない女の子が泣きじゃくりながら謝り続けている。

 そのもやに覆われた顔を注視していると、それも次第に散り始め……現れたのは幼いひなたの顔――瞬間、当時の記憶が呼び覚まされた。


「ああ、そうか……俺たちは事故の後すぐ、会っていたのか」


 あの頃の俺は完全に自暴自棄になっていて、本当に何もかも全てがどうでもよくて、ひなたと会ったことすらも忘れていた。それで必死に謝り続けるひなたに対して、一切何の感情も浮かばず、何も告げずに立ち去って……それっきり会うこともなかったのだ。


「――ハッ! それでお前は……今まで、ずっと……?」


 そうして俺へ何も伝えられなかったひなたは、親父の件を誰からも責められることも許されることもなく……それどころか、半ば死人のようになった俺を見て、さらに罪の意識が高まることになった。それで生真面目で責任感の強いひなたは、これらの連鎖した不幸が全て自分のせいだと思ったまま、独りでその罪を背負って苦しみ続けてきたのだろう。


「そうなると……まさかあれは、そういう意味だったのか……?」


 そこまで気付いたことで、先の皆の前でのひなたの何気ない言葉、それに隠された悲しい意味を悟る。


 ――私にだって……絶対に許せない人がいます


 そう、あの「絶対に許せない人」とは……ひなた自身を指していたのだ。

 決して許されない罪人として、自身を否定し続けてきたのだ。


「ああ、ひなた……お前も俺と同じだったんだな」


 サバイバーズギルト。あの悪夢に囚われて膝を抱えていた無力な少年、そして未だ抜け出せずにいる哀れで罪深き少女。

 普段は明るく振る舞うひなたの中で、それが何年も熾火おきびのようにくらくすぶり続けていたが……そこへ未だトラウマを抱えていた俺と再び会ったことで、罪の意識が一気に燃え上がり、心が限界に達してしまったのだろう。


「だからお前は、打ち明けた――いや、打ち明けるしか道がなかったのか」


 俺に恨まれるという悲惨な結果が待つと分かっていても、それでもこのまま良心の呵責に押し潰されるよりよほど良いと……そう、この罪の告白は、絶望の淵に立つひなたの最後のSOSだったのだ。


「くそっ、あのとき俺が弱かったばっかりに……あのとき真っすぐ向き合えなかったばっかりに……お前をここまで苦しめ続けていたのか……本当に、すまねぇ」


 随分と時間が経ってしまったが、俺は今こそ、それに応えなくてはならない。

 ただ果たして、俺は心の底からひなたを許せるのか……それはまだ分からない。ひなたの迂闊な行動が原因で親父が死に、俺がただ一人残されたこと、それは変えられない事実なのだ。

 だが例えひなたを許せなくとも、それでも逃げることだけは、絶対に許されない。

 俺がこのまま目を背ければ、いずれひなたの心は、完全に壊れてしまう。


 ──ただ、そのときは……どうか、真摯に向き合ってあげて欲しい。これはわたしの心からのお願いだ。


「……そうだったな、なーこ。約束したもんな」


 いつもひなたを見ているなーこなのだ、全ての事情は知らずともその闇に俺が深く関わっていると推察していて、ああして切なる願いを託してきたのだ。あの完全無欠の策略家が、何の裏もなく、ただただ純粋にひなたのための願いを。


「ああ、お前の分も背負っていくから、任せてくれ。いつまでも弱い俺のままでなんか、いるつもりはねえ。そんなヤツは、ここでサヨナラだ!」


 そう、ここで尻尾を巻いて逃げ出したら、ひなたにも、なーこにも、小さなヒーローにも、二度と顔向けできねぇよな!

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