7-63 過去

 早速ひなたと林道へ入ると、中も入口同様に狭めの道が続いてはいたが、ギリギリ並んで歩くことはできた。そのまま少し進んだところで隣を見るが、ひなたの方からは話し始める様子もないので、適当に雑談を振ってみる。


「いやぁ、今日は盛りだくさんの日だったなぁ。一ヶ月分くらい遊んだ気分だぜ」

「ええ、私もです。これも頑張り屋さんのなーこちゃんのおかげですね」

「ったく大した幹事殿だよな? んで俺らはさらに追加メニューで森林散策――っとそういやさ、こんな道よく知ってたな?」

「はい、実は前に一度来たことがあるんですよ。その時は、道沿いに色とりどりの草花が植えられていて、とっても華やかでしたけど……」

「そっか、昔こっちに住んでたんだもんな」

「あっいえ、それは引っ越した後で――っと、着きましたよ」

「お、意外と早かった」


 ものの十分も経たず到着した目的地は、両サイドの林と正面奥のがけに囲われた、百五十メートル四方ほどの空間だった。そこは雑草がまばらに生えただけの荒地で、どこか寂しさを感じさせるが……昔は華やかな林道で結ばれていたとなると、かつては活気のあったキャンプ施設の跡地なのかもしれない。

 そのまま二人で広場を突切って端の崖まで来ると、古びた低い鉄柵てっさくの前で立ち止まり、辺りをグルリと一望する。


「おおー、こりゃすげぇ! 綺麗きれいなもんだなぁ!」

「はい……この美しい眺めだけは、今も変わりませんね」


 正面の双子山の谷間へ沈みゆく夕陽、その茜色の陽光に照らされ、眼下に望む銀丘ぎんがおか市の街並みが美しく染まっている。それは銀どころか黄金郷――と言えばさすがに大袈裟おおげさだが、自分の暮らす街の美しさを大いに感じられて、純粋に嬉しく思う。


「いやぁ、ありがとな、ひなた! こんな素晴らしい景色を見せてくれて!」

「ふふっ、どういたしまして。――も大地君に気に入っていただけて、私も嬉しいです」

「…………え? お、おうよ」


 今ひなたは……今回も、と言ったような? それはまるで……まぁ、小声だったし、聞き間違えただけだろう。


「景色もそうだけど、いい感じに風が吹いてきてて、それも最高だな。ま、冬だと地獄の寒さなんだろうけど?」


 崖から背後の広場へ抜ける風が、隣のひなたのおさげやワンピーススカートを揺らしており、その顔もとても涼しげだ。


「ええ、ここは地形的に常に吹き込んでくるらし──わわぁっ!?」


 呼んだかと言わんばかりに、突風が崖下から吹き上がり、ひなたの帽子がさらわれてしまった。


「――っどりゃぁ!」


 即座に全力で飛び上がって、空へ舞い上がる帽子に手を伸ばす。


「――っキャッチ!!! ふぅぅ、あぶねぇあぶねぇ! もし崖の方に落ちてたら、絶対拾えんヤツだったぜ」

「うう、すみません。助かりました」

「ハハッ。今度は飛ばされないよう、しっかり深めに被っておけよ?」

「――っぅ」


 帽子を頭へ載せてあげると、ひなたは両つばをぎゅっと握って下げ、同時に顔をうつむかせつつボソリとつぶやく。


「……あはは……眺めだけじゃなかったなぁ」

「おお? 何がだ?」

「……それなら」


 俺の問いかけが聞こえていない様子で、ひなたは俯いたまま何か考え込んでいる。


「……もう、これで充分だよね……うん、終わりにしても」


 そこで腰のポシェットに付いたヘアピンを強く握ると、崖の前の柵へと覚束ない足取りで近付いていく。


「ひなた……?」


 その様子に何か不穏なものを感じて声をかけるが、やはり返事はなく……目の前の沈みゆく夕陽を、ただ静かに眺めているようだ。

 そしてひなたは何かを決心したかのように深くうなずくと、こちらへゆっくりと振り返り、両手を前に小さく広げた。


「ねえ、大地君」

 

 夕陽の逆光でその表情はうかがい知れないが、俺を呼ぶはかなげで哀愁あいしゅうを帯びた声色から、その影に暗い表情が浮かんでいるように感じる。


「この場所を覚えていますか?」

「……え? いや」


 今日初めて来た……はずだ。

 それでひなたは、なぜ俺がここに来たことがあると思ったのだろうか。


「では……このキャンプ場の昔の名前は覚えています?」

「えっ、前はシルバーヒルじゃなかったのか」

「はい。五年前、この場所で事故があって……多くの死傷者が出ました。それで悪いイメージの払拭ふっしょくのために、名前を変えたそうです」

「……なるほど」


 そう言えば丘の上で謎解きした時に、チューリップアートはイメージアップのためだと、なーことひなたが話していた。


「すると前は?」

「しろがねキャンプ場」

「しろ、がね──っ!?」


 その名称が耳に届いた瞬間、頭に鋭い痛みが走ると共に、くらく紅い情景がフラッシュバックした。


「ええ、そうです。ここは……」


 ひなたはグッと息を飲むと、その続きを告げる。


「大地君のお父様が亡くなられた場所です」


 そう、俺の人生を大きく変えたあの一夜、その忌まわしき舞台に、いま俺は立っていたのだった。


「………………。──は、ははっ……そう、だったのか。まぁ、ずいぶん昔のことだし、スッカリ忘れてた、な」


 もう五年も前のことであり、すでに自分の中でケリはつけたとは言え、やはり動揺はしてしまう。それは結局のところ、無理やりふたをしただけだからなのかも知れない。だが辛くても過去を乗り越えて前を向かないといけないし、まずは平静を装って、ひなたを――そして自分をだまそうと努める。


「……でも、なぜそれを?」


 そう問いかけつつも、心のどこかで答えは分かっていたのかもしれない。

 それを否定したくて、ただの勘違いだと確認して、安心したかったのかもしれない。


「あの時にお父様は、燃える部屋に取り残された少女を助けに向かいましたよね?」

「あ、ああ」


 ――これ以上聞いてはいけない


「大地君は後から入って、その少女を助け出しましたが……お父様は助けられませんでした」


 ――確かめない方が、知らないままの方が、幸せなこともある


「その時の少女は」

「ま、待て──」


 ──まだ間に合う、なかった事にできる


「あなたから最愛のお父様を奪ったその少女は」

「やめ──」


 ――今すぐ耳をふさ








「私です」








 瞬間――黒煙立ち込める中で横たわる少女とひなたの顔が重なり、俺の中で何かが弾けた。


「っあああ!!! おま、おまえがっ! おまえさえ! ──っく……くそっ」


 気付けばひなたの肩を乱暴につかみ、湧き出したドス黒い怨嗟えんさの言葉をぶつけようとしていたが……そこで我に返り、慌てて手を離して一歩下がる。


「ごっ、ごめん! 取り乱しちまった……そ、その、怪我とか、してないか?」


 大きく深呼吸をして気をしずめ、乱暴に掴んでしまった肩を気にかけたところ、


「………………なんで」


 俯いたままのひなたから、小さな呟きがこぼれた。


「え、と?」

「なんで大地君はっ! 私を、こんな罪深い私を、恨まないの!!! いまも、あのときも、いつだってっ!」


 あのとき、とは……そんな疑問も、普段のひなたからは想像もつかない剣幕に押し消される。


「なんでと言われても……」


 客観的に見て、ひなたに落ち度は全くないんだ。

 お人よしの親父が、勝手に助けに行って、勝手に……死にやがっただけ、なんだ。

 不運にも部屋に取り残されただけのひなたは……何も悪くない、ただの被害者なんだ。

 恨むなんて、それこそお門違いなんだ。

 ……そう自分に言い聞かせる。


「……だってひなたも、事故に巻き込まれて、逃げ遅れただけ、だろ。だからお前は悪くなんてないし、言ってみりゃ親父の自業自得なだけ──」

「違うっ! 違うんですよ!」

「え……? 違うって……のは?」

「……あのとき私は、ママに連れられて、一度部屋から出られてるんです」

「いやいやいや、でも実際あの部屋に……?」


 ひなたが取り残されたからこそ、親父が助けに行ったのだ。


「その後また一人で戻っているんですよ! 本当にどうしようもなく愚かな私は、たい――っ些細ささいな忘れ物を取りに!」

「なにぃっ……!?」

「だからぁっ! だか、ら……わ、私が、殺したも、同然なんです……だからこんな私はっ、助かるべきじゃ、なかったんです……」

「ぐぅっ……そっ、それでも──」


 ひなたに悪気があった訳ではないし、非常事態で子どもが冷静な判断ができなくても……そう言おうとしたが、無理だった。心の奥底から湧き出す、自分でも解らない複雑な感情が、それを許さなかった。

 ダメだ、このままひなたの前に居ては、また醜い言葉をぶつけてしまう。

 そうして再び頭が真っ白になりかけたところで……


「──っくそぉぉぉっ!」


 俺はひなたに背を向け、逃げ出していた。

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