7-65 帽子

 意を決して再び立ち上がると、大急ぎでひなたの元へと駆ける。林道を抜けてそのまま広場に飛び込むなり、辺りを見回すが……どういうことか、その姿が見えなかった。


「……え、どこ行った? おーい、ひなたー!」


 見たところ入口は一つしかないので、途中ですれ違わなかった以上は、必ずここに居るはずなのだ。もしかすると、動かずにうずくまって泣いているのではと思い、がけへ近寄ってみるが……やはり居ない。

 だがそこで、視界のすみ──崖の端スレスレの地面に、見覚えのある物が落ちていることに気付く。急いで低い柵を飛び越え、拾い上げてみると……それはひなたの帽子だった。そして一歩前には、高さ百メートル以上はある絶壁。


「まさか……おいおいおい……うそ、だろ……?」


 先の思い詰めた様子での罪の告白、それを受け止められず逃げ出した俺、そして姿は無く崖の前に残された帽子……それらが意味する結末は、一つしかなかった。


「あんの、ばっかやろぉがぁ……」


 ひなたの帽子を握りしめれば、涙がこぼれ落ちる。


 ああ、また俺は、間に合わなかったのか……

 俺が逃げずに真っ直ぐ向き合っていれば……

 ちきしょうっ、ちきしょうが……

 どうして俺はいつもこうなんだ……

 なーこ、みんな、すまねぇ……


 あまりの絶望に心を打ち砕かれ、その場に力なく崩折れる。

 だがそこで――


「……ええ、その通りです」


 背後からか細い声が届き、驚いて立ち上がりつつ振り向けば……ひなたが立っていた。まさか幽霊──と一瞬ありえない想像をしてしまったが、もちろん足もちゃんとある。


「どっ、どこにいたんだ!?」

目眩めまいで倒れそうになって、木陰のベンチに」

「あ、ああ、そうか……じゃぁ、これは?」

「また風で飛んでしまったのですが、取りに行くと危ないので」

「はあぁぁぁぁ……」


 状況が状況だけに最悪の展開を想像してしまったが、それも全くの見当違いだったと分かり、思わず特大の安堵あんどのため息が漏れ出した。

 それですぐさま柵を飛び超え、ひなたの隣に立つと、まずは文句をぶつける。


「ビックリさせやがって! てっきり、お前がその……飛び降りちまったのかと思ったっての!」

「そんなことする訳がありません。そんな、そんな程度ことでは到底――えっ、大地君?」


 ひなたが途中で言葉を切り、俺の顔を指さしながら驚いて――あっ、早とちりで流れた涙か。


「いや、これは……うん」


 色々な意味で気恥ずかしくなり、慌ててそででその跡をぬぐう。


「……まったく大地君はどこまで優しいんですか。まさか戻ってくるなんて思いませんでしたし、まして……こんな私をまだ心配してくれるなんて、正直どうかしています」

「はぁぁ!? 友達なんだから心配するに決まってんだろうが!」

「えっ! …………あはは……まだ、お友達と思ってくれてるんですね」

「当ったり前だ!」

「……はぁ、大地君こそ馬鹿なんじゃないですか。大馬鹿です」

「えぇぇ……」


 自暴自棄になってしまっているのか、ひなたがいつになく辛辣しんらつだ。まさかこのひなたから罵倒ばとうされる日が来るとは、夢にも思わなかった。

 

「はいはい馬鹿で結構。んで、それはさて置きだ…………まずは話し合おう」

「真実はもう全てお伝えしましたし、話すこともありません。私のことなんて放っておいて下さい」

「いやいや、そんな訳にいくかよ!?」

「大地君が帰らないなら、私が帰りますので」

「ちょ、え」


 とりつく島も無いとはこのこと。意気込んで戻ってきたのに、話し合いすらできないとは……これは想定外だった。


「待てって。このままでいい訳ないだろ」

「私は構いません」


 帰ろうとするひなたの前に回り込んで引き留め、その顔を見つめると……とても辛そうな表情で、目をキョロキョロと泳がせた。いつもは必ずこちらを真っ直ぐに見て話す、このひなたがだ。それに今の言葉も、表面的に発しているだけで、全然気持ちがこもっていない。……まるで何かを隠すために、無理をして言っているような? 無理して……俺に嫌われようとしている、のか? うーむ、それがナゼかは分らないが……ここから切り崩してみよう。


「……なぁひなた。お前さ、わざと嫌われようとしてないか?」

「――っ!? そ、そんなことありません!」

「いやいや、あるだろ」

「ありませんてばっ!」


 やはりひなたは嘘が下手すぎる。ここ最近なーこひねくれ者の相手をしてきた俺を、甘く見るなよ?


「……第一そんなことしなくても、大地君にはもう嫌われてます。これ以上ないくらいに」

「は? 嫌ってないが? あとついでに言っとくが、お前を恨む気もぜんっぜんないからな?」


 百パーセントそう言い切れない気持ちもあるが、そうありたいと思ってはいる。


「なっ、なんでそうなるんですか! おかしいでしょう!?」

「ほー、おかしいと思うなら、ちゃんと話を聞くんだな」

「む…………仕方ありません」


 渋々といった様子ではあるが、なんとか聞いてくれそうな雰囲気にはなったので、一歩前進と思おう。


「……んでまずな、お前の行動とか気持ちが、チグハグで不可解過ぎなんだよ。真実は全部話したって言ったけどさ、やっぱ肝心なことを色々と隠してないか? だから、例え万一俺がお前を嫌うような事があったとしても、そのあたり全部聞いてからだ」

「何も隠してなんて、いません……」


 やはり目を見て話してくれない。嘘発見器いらず。

 こんな素直な子相手では少々気が引けるが、なーこ式尋問でも仕掛けて、まずはこの嫌おうとしている理由を問い詰めてみよう。


「ひなたはさ、これまでずっと仲良くなろうとしてくれて、昨日道場でじっくり話し合って友達になれたし、俺を応援するとまで言ってくれた。今日ひなたや皆とBBQやら謎解きやらして、俺はすっげー楽しかったし、お前も楽しそうにしてたよな。それも全部……嘘だったのか?」

「そんな訳ありません!」


 ひなたの真剣な様子での否定に、心底安心する。これを肯定されたら、心がバキバキに折れるレベルだ。


「ああ、分かってる。もちろんそうだよな。なのに、今は……俺に嫌われようと無理をしてる。まるで恨んで欲しいようなことまで言う。それは、どうして?」

「それは……」


 押し黙ってしまったが否定はしてこないので、やはり俺の予想は当たっており、しかもそこに重要な隠し事があるのだろう。


「予想だが……嫌われたい訳じゃないけど、嫌われなければいけない理由がある……違うか?」

「……」


 黙秘は肯定と解釈して、まずは話を進めよう。


「んで不思議なのは、俺に恨まれる必要があるなら、なんで再会した時にすぐ打ち明けなかったんだ? お互いを知って仲良くなる前なら、しかも今よりもっと弱かった俺なら……きっとお前を恨んだろうし、その良く分からない目的は簡単に達成できたはずだ。……それに、お互い今より傷付くこともなかった」

「そ、それは…………単純に勇気がなかっただけ、です」

「……まぁ、それも多少あるかもしれん」


 確かに昨日道場でそう言っていたので、これも本当なのだろう。


「でもそれだけじゃないだろ? だって今のひなたは、言うべきことは勇気をもってちゃんと言える、そのくらいは分かってるつもりだ。……そうなると、その頃はまだ話すべきじゃない他の理由があって、それがその恨まれることより重要──いや、より望んだからでは?」

「……」


 ひなたは話を聞いてはくれているが、その隠し事の情報を与えないためか、口を閉ざしたままだ。ここはもう、まどろっこしい聞き方はやめにして、核心を突いてみよう。


「分かった、ハッキリ言おう。こうして仲良くなれた後なら、この話を打ち明けてお互いに深く傷付くことになっても、いずれまた必ずやり直せる……そう期待したからじゃないのか? だから、こうして打ち明けてきたのは、助けを求めてきたんだろ? それなら俺だって──」

「違います。全くの見当違いです」

「っえええ!?」

 

 この目を見てのハッキリとした否定からすると、本当に違うのだろう。つまりひなたは、俺との和解を一切望んでおらず、言葉通り俺から恨まれたまま終わりにしたいということだ。


「いや、そんな……なんでだよ……」


 これはあまりに想定外であり、それに何よりもショック過ぎた。俺がひなたを許すことができ、それでひなたの罪の意識が少しずつ消えていけば、いつかは元のように戻れると思ったのだが……そんな単純な話ではなかったようだ。

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