6-55 本物(2)


「大地が私以外の人と本当の幸せをみつけたとき」



「!?」

「そのとき、私は潔く去るわ」


 夕は静かに、でもハッキリとそう告げると、とても寂しそうな目をして微笑んだのだった。


「っく……」


 なん、なん、だよ……夕は、これほどまでの覚悟で来ているというのに……。

 俺が幸せになるためなら、自分が引くことすらも辞さない、だと?

 その後に、ただ一つの道を閉ざされたお前は、どこへ行くというんだ……?

 そんな、どうやったらここまでの………………ああ、そうなのか。

 これこそが……「真実の愛」なのかもしれない。

 笑ってしまうような歯の浮く言葉だが、確かにいま俺の中でだと感じてしまった。

 さっきヤスが言っていた「本物」、まさに夕のためにある言葉ではないか。

 ああ……こんなに辛いことを言いながらも、健気に微笑もうとする夕を見ていると……今にも胸が張り裂けそうになる。

 そして夕はを思ってこらえられなくなったのか、唇を震わせて顔を伏せると、その前髪が暗幕のように蒼黒そうこくひとみを隠した。まるで、弱い私を見ないでと言うように。


「夕っ!」


 そんな夕を抱きしめてあげたい衝動に駆られるが、


「――くっ」


 手を動かしたところで、拳を握りしめて必死に堪える。

 それは、ダメだ!

 まだ夕に言ってあげられることなんて、何もないんだよ。

 覚悟が決まっていない俺に、そんな資格なんてありはしない。

 こんなこと夕は望んじゃいない……同情で気を引くなんて、誇り高い夕が喜ぶわけがないんだ。


「……ごめん」

「あ……」


 その俺の様子を見て、夕は一瞬驚いた顔をするが、


「…………ふふっ」


 すぐにそれはいつもの笑顔に変わった。


「大地は、ほんっとーに、私のことを大事にしてくれるんだね。あぁ、心がほわぁっと暖かさで満たされるわ。こんなに誠実で、優しくて、素敵な大地と、こうして一緒に居られるだけで、私はとっても幸せなんだよ?」

「んなっ!」


 お前がそれ言う!? 夕の方こそ誠実の塊だし、俺の幸せのことしか考えてないようなひたすら優しい子のくせによ!


「そんなの、こっちも同じだっての!」

「え……うえぁあ!? なっ、ななな――」

「――あ、待った! そういう意味じゃない! 違わないけど……少し違う!」


 夕の突然の動揺に、自分が思わず言った言葉がどう受け取られたか理解し、慌てて弁解する。


「いや、でも夕はそういうつもりだもんなぁ……その、軽い気持ちで『同じ』って言ったわけじゃないけど、もうちょい弱めにとらえて欲しい! てかお前が強すぎんだよ!」


 そりゃ夕と同じなんて言った時点で、告白してるのと変わんねぇっての。うむぅ、安易なこと言わないよう、気を付けないと。


「え? あ、うん、そうよね!? 突然過ぎておもっきしテンパっちゃったじゃないの………………んっもぉ! こんなこと言って、私をどんだけれさせたら気が済むのかしらぁ!?」


 夕はそう文句を言いつつ、顔からは湯気が出そうになっている。

 勘違いさせてしまって、すまぬよ。


「そ、それは――」

「そんなわる~いにはぁ………………どぉ~ん♪」


 そこで夕が飛び込んできて、抱きつく――


「っぐふ」


 ――のではなく、なんと頭突きをしてきた!

 受け止めたものの、これは、そこそこ効く、ぞぉ?

 それでえっと、これは、照れ隠し、だよな?


「おまえなぁ……」


 ほんと無茶苦茶しよる。ただまぁ、この流れで普通に抱きつかれたら……いろいろヤバイ気がするしな。――って夕もそう思っての頭突きか?


「んっ」


 俺の胸に頭頂部を押し付けた珍妙な体勢のまま、夕は何かを催促しているようだ。


「え?」

「もー、なでてって言ってるのっ! にぶちんなんだからぁ~」

「おまっ、そういう意図の頭突きなのか!?」


 ここからは見えないが、いつものあきれ半分照れ半分の顔をしていることだろう。


「そうよ! ――んっと、ほんとは抱きつこうとしたんだけどぉ……抑えられなくなりそうで……」


 抑えるって何を……と聞こうとしたところで、今朝の夢を思い出して急速シャットアウト。深く考えてはいけない!


「それと、普通に恥ずかしさに負けたのも……たはは、あたしも大概チキンだよねぇ」

「にしたって突然の激甘えモードだなぁ?」

「ふふ、シリアスな話のしすぎで、もう燃料使い切っちゃったのよ。だからなでなでして補充してね、パパ? 今はもう娘モードなので~す♪」


 言うが早いか、両肩を支えていた俺の手をズラすと、頭を軸にくるっと器用に回転してひざの間に座り込み、再度「んっ」と催促してくる。それと娘を強調してくるのは……そういう話は終わりだから、気にせず甘やかしてねって意味か。


「はぁ、しょうがねぇなぁ」


 ここまでされたらでざるを得ないか。

 早速とお求めの秘奥義を披露してあげると、


「んっ……ふにゃぁ~」


 すぐに夕の満足げな声が聞こえ始める。後ろからは見えないものの、どんな顔になっているかは容易に想像がつくというもの。まさに猫にマタタビか……俺の手、ヤバイ薬か何かなのかな……我ながら怖いんだけど。


「はい、おわり」


 十撫じゅうなでほど投薬したところで、すぐに止める。前回よりはかなり少なめだが、これ以上の服用は夕がおバカさんになってしまうので大変危険、と処方箋しょほうせんに書いてあったしな。それに耳栓も用意してないので、当然こちらの被害も甚大だ。そもそも、ピッタリくっついているこの状況だけで、すでにドキドキしているわけで……よし、ここは素数でも数えて無心になろう……一、二、三――って一は素数じゃねぇ!


「はふぅ~……フル充電よっ!」


 努めて平静を装う俺をよそに、夕はロボット起動と言わんばかりに両腕を横にズンと突き出した。その突拍子もない剽軽ひょうきんな動きに思わず笑いそうになるが、こちらの妙な緊張も横に吹き飛ばされて助かった。


「はは、俺は充電台かよ」

「そうよぉ。でも、あたし専用のね? にしし」


 夕はクスクス笑いながら、ゆらゆらと楽しそうに頭を揺らしている。


「……」

「……」


 そして、撫で終わっても夕は退く気がないようで、こちらに静かに寄りかかったままだ。

 何かしら話すでもなく、このままじっとしているのも悪くないなぁと思っていたところで、


「……こほん」


 夕が軽く咳払せきばらいをすると、少し真面目な声でそのまま話しかけてきた。


「とまぁ、カッコつけてはみたけど……」

「うん?」

「もちろんお返事は聞きたいんだからね?」

「お、おう」


 筋や理屈云々うんぬんはさておき、そりゃそうだよな。ほんと面目ねぇ。


「だから、その時がきたら……ちゃんとくださいな?」

「ああ、もちろんだ!」

「ふふ♪」


 その俺の答えに、待ってるとは言わない夕。

 でもきっと、いつまでも待ち続けるのだろうな。

 本当に、俺なんかにはもったいない限りだ。

 そして、そんな夕の気持ちが分かるようになった事がとてもうれしくて、俺も自然と笑みがあふれてしまうのだった。

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