6-40 思出

 二人で食器を持って台所へ行くと、俺は早速と洗い物に取り掛かる。その間に夕は、ミニ脚立に乗って戸棚でガサゴソとやり始めた。


「何してんの?」


 その様子を不思議に思って、皿を洗い回しながらも後ろに声をかける。


「ん? コーヒーでもと思ってね。味付けは洋風だったし、お茶より合うでしょ?」


 ほほう、食後のコーヒータイムと洒落込しゃれこむわけな。イイネ。


「うーん、でも豆はないのね。何故かコーヒーメーカーはあるのに? しかもこれ、サイフォン式のめっちゃいいやつじゃないの……持ち腐れもいいとこだわ」

「あぁ、残念ながら今はインスタントしかないな。ほら、フィルターやら洗浄やらがめんどいしさ?」


 そこまでコーヒーにこだわりがある訳でもなく、たまに気が向いたらインスタントのを飲む程度だ。なので、その立派なコーヒーメーカーは、未だに親父が使用した回数の方が多いな。


「そ。じゃぁ仕方ないわね」


 少し残念そうな返事からすると、夕はコーヒー通なのかもしれない。次に来る時には豆を持ってきたりしそうなものだ。

 それからややあって、瓶のふたがカパッと開く音がしたかと思うと、声を掛けられる。


「ちょっともらうよん」


 隣に来た夕が、水を微量だけカップに入れると、スプーンを持ってテーブルに戻って行った。

 またもや不可解な動きをする夕が気になり、今度は洗うのを止めて振り返ってみる。


「ね~りねりねりね~♪」


 すると夕は、コーヒーカップの中で粉を楽しそうに練っていた。たまにヒッヒッヒとか言っている。


「……何してんの?」


 先ほどと同じ問いを、今度はいぶかしげにぶつけてみる。コーヒーは練っても色は変わらないし、うちには派手な電球もないぞ?


「水練りしておくと、まろやかになるのよ」

「へぇ……」


 誰が入れても同じにしかならんと思われるインスタントコーヒーにすら、こうして美味くしようとひと手間をかけるとは……ほんと料理人の鑑だわ。んや、本職は料理人じゃなくて学者さんと判明したんだけどな?


「ああ、これって……さっきの卵と同じで、ダマにならないようにするわけだよな? そのまま入れたらお湯に浮くもんな。てことは、コーンスープや片栗粉かたくりこなんかも同じだったり?」


 もしや、「コーンスープ最後だけめっちゃ濃い現象」の謎が解明されたかもしれん。


「え? うん、そうよ。さっすがパパ、しっかりネリネリされてるね♪」

「ネリネリ…………あぁ、おかげ様でな?」


 さっき得た知識を練り込んで、しっかりと自分の物にしていると褒められてるんだろうな。いつもながら流れをんで上手いこと言いよるわ。あと、こうして純粋に褒められると、なんともうれしくなるもんだな。



   ◇◆◆



「終わりっと」


 俺は最後の皿を水切りかごに乗せて、ミッションコンプリート。夕の方はどうなったかと様子を見てみれば、先ほどのカップ二つをレンジで温めているところのようだ。

 夕はレンジを止めてカップを取り出し、グルグルとかき混ぜると、


「んー、もーちょいっ」


 またレンジに戻して温め始める。


「レンジのが良いのか? ――ほら、インスタントコーヒーといえば、普通は熱湯を注ぐよな?」

「うん。マイクロ波がコーヒー分子を活性化させて深みが出るのよ。あと、局所的に高温になると風味が抜けるから、カップ内の温度分布が均一になるように適宜まーぜまぜして、六十五度くらいをねらうんだよ!」

「ぷっ」

「ほえ?」


 料理の解説を聞いてる気がまるでしなくて、思わず吹き出してしまった。


「あーいや、そんなお硬い言い方されると、なんだか化学実験してるみたいだなって思ってな?」


 夕が学者さんだと知ったこともあり、なおさらそう感じる。


「あら、案外近いもんよ? 料理上手は実験上手って、研究者の中では良く言われたり?」


 夕はそう言いながらカップを取り出すと、上手く調整できたのか満足そうにうなずいている。


「へぇ、そうなんだ」


 正しい手順で工程を進め、ときには工夫を重ねてより良いものを作り出す。本格的な研究について良くは知らないが、近い要素が多いのかもしれないな。


「うん。向こうのパパに美味しいご飯を作ってあげたくて、料理のお勉強も精一杯したんだけど、後々の研究生活ですごく役に立ったと思うわ。それで、センスいいなって褒められて嬉しかったり、ね……」


 夕はそう言い終わると、どこか懐かしそうな、それでいて少し寂しげな目をした。きっと、未来の宇宙大地のことを色々と思い出しているのかな。


「――っとと、少しおセンチになっちゃったわ。それに……いきなりこんな未来のパパとの思い出話をされても困っちゃうよね……ごめんね?」


 少しバツの悪そうな顔でこちらを見上げてくる。


「んや、困ったり不快だったりとかはないかな?」

「うん……そっか」


 今朝のヤスに言われたような嫉妬しっととかではないが、この夕の様子に多少は思うところがないでもない。だけど、その対象が広い意味では俺なわけで……なんとも不思議な気持ちだ。こんな変な状況にあるのは、宇宙うちゅう広しと言えども俺だけだろうな――まぁ、宇宙こすもだとそもそも俺だけしかいないが。


「……ほら、逆に考えるとさ」

「?」

「それを気にするってことは、今の俺をちゃんと見てるってこと……だろ?」


 まだ少し不安そうな顔をしていたので、慣れないフォローなんかをしてみたり。


「え!? あ、そっか、そうよね。そもそも思い出話って自分で……うん、うんっ! …………――っふふ」

「ど、どした?」


 俺の言葉に驚き、続いて納得してうなずいていたかと思ったら、急に笑い出したぞ? ほんと忙しいやっちゃな。


「なんかパパがにぶちんじゃないこと言ってるしぃ~♪ なまいきだぁ~♪」

「おい、それはひどない!?」


 せっかくフォローしたのに! あと人の胸をツンツンしないの。くすぐったいだろ!

 んでもまぁ、ちっとは俺の方も視野が広くなってきたのかな。ひなたに夕は見えてたと言われたが、それがよりしっかりと見えるようになったのだろうか。そういう意味でも、俺と夕は案外似たもの同士だったのかも……なんてな。


「んふふ、パパには鋭くあって欲しいけど……にぶちんでも居て欲しいのよねぇ~」

「ええい、どっちだよ!? ほんと無茶苦茶言いやがって……」

「もちろんただの乙女の我儘わがままだよぉ~? んでも、その微妙な乙女心が分からないなら、まだまだ安心かなぁ、なんてね? にっしし」


 そうして夕はクスクスと得意げに笑うと、香り立つコーヒーカップ二つを持って台所を出ていった。


「はぁ、どういうこっちゃね……」


 すでに歩き去った夕に、自然と独り言をつぶやいてしまう。結局のところ、多少分かるようになったところで、まだまだ夕の心は複雑怪奇のままというわけか。ただ、間違いなく嬉しそうにはしていたことだし、まぁ別にいいかと思い、残り香を辿たどるように茶の間へと向かうのだった。

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