6-36 指導

 二人とも空腹の限界ということで、早速料理に取り掛かることとなった。

 俺も何か手伝おうかと思い、夕に続いて手を洗い始めるものの……


「あ、パパは茶の間で大人しくしててちょうだい。餓死しないよう省エネに努めるのよ?」

「んな危機的状態じゃねぇよ!」


 昨日同様に後方待機指示が下った。無慈悲な戦力外通告とも言う。そりゃ夕のレベルからしたら役立たずかもだけどさ。


「……あーそのなんだ、夕にばっか作ってもらうのも悪いし、俺にも何かできることないか?」

「えっ、そんなの気にしなくていいのに。パパのために料理するのはあたしの生き甲斐がいなんだから、むしろ取られたら困るんだけどぉ?」


 夕はからかうような口調でそう告げると、持参したらしいエプロンを装着し、黙々と調理器具を準備し始める。

 ふむ、生き甲斐とまで言われたら仕方ない――っていやいや、お前は奉仕の精神の塊かよ?


「そうは言ってもこっちの立場ってもんもだな……迷惑はかけないからさ、ほら、生姜しょうが焼きは悪くない出来だったろ?」

「むむ……確かにパパの手料理を食べるのは最高よね。うん、じゃぁせっかくだし、そうねぇ……卵焼きでも作ってみる?」

「お、よしきた。任せろ」


 無事にお手伝いの許可を取り付けたぞ。卵焼きくらいなら楽勝だろうし、夕の手を煩わせることもないはずだ。

 そうして気楽に思いつつ冷蔵庫から卵を四個取り出すと、二個は夕へと渡し、残りはこちらの卵焼き用にする。受けるおわんを置くと、うどん用の湯を用意中の夕を横目に、早速と卵を割ろうと構えたところで――


「お待ちっ」

「!」


 鋭い静止の声が入ったため、割ろうとする手を止める。

 えっと、そのキャラは何さ……鬼の料理長モード?


「焼く場合の卵は常温に戻さないとダメ。割って放置だと結構時間かかるから、二個までだったら手で握って少し温めるといいよ。それから割ってね」

「は、はい」


 俺は親鶏になる! という決意と共に、卵を両手で握って温める弟子一号……シュールだ。


「あと今、調理台の角で割ろうとしたよね?」


 おっとぉ、これは追加指導の予感!


「まずかった……でしょうか?」


 なんかその方がいい感じに割れそうだし、いつもそうしてたけど。


「殻が入ることあるからダメね。あと黄身も割れたりするから……今回みたいな卵焼きならいいけど、目玉焼きだと困るでしょ?」


 くっ、身に覚えがありすぎる……卵白に混ざってぬるぬるの殻を取るの、地味に面倒なんだよな。あと黄身が割れた場合、自動的にスクランブルエッグに強制進路変更となり、「息子さんは目玉焼きに向いてませんので……」と親御さんに辛い宣告を――あ、俺が親鶏だった。


「なので台の上の平面か、もしくはそこの醤油瓶しょうゆびんの側面ででも割るといいわよ。実は力学的に曲面が一番適しているの」

「そうだったのか……」


 夕は解説を終えると、いそいそと例の踏み台に乗ってチーズを刻み始めた。これだけ見ると、ただの小学女児なんだけどなぁ……中身は鬼の料理長よ。

 たかが卵焼きの、しかも焼くどころか割る段階で、ここまでダメ出しを食らうとは思わなかった。それにしてもこの料理長ってば、料理に対して厳しすぎません? ……んでもまぁ、そういう一つ一つの気配りや手間が、味に効いてくるんだろう。うん、甘く見ちゃいかんよな。

 そう思っていたところ、夕が手を止めて、


「あ……ごめんね。ちょっと小うるさかったよね……そのぉ、気を悪くしちゃった、かしら?」


 俺の方を不安そうに見てきた。台で底上げされているのでいつもよりは目線が近いものの、それでも夕が少し見上げる形にはなる。

 それでこれは……料理へのこだわりから、ついつい言い過ぎてしまったというところだろうか? こっちは教わる立場で、文句なんかあるわけもないのに――ったく心配性かよ。


「いや、そんなことない。せっかくだし、俺だって上手くなりたいしな? ダメなところは遠慮せずドンドン言ってくれ」

「うん、そっか……うふふ、パパのそういうとこ好きよ?」


 目の前の夕は少し首を傾げて、うれしそうに微笑む。


「んな! そ、そいつはどうも……」


 だぁもう、いきなり至近距離で電波飛ばしてくるのヤメテ! びっくりするだろ!


「おっとと、イチャイチャしてる場合じゃなかったわ。まずは手を動かしましょ」

「ええい、口に出して言うんじゃぁない!」


 俺のツッコミに「うふふ、うっかりなのよぉ~」と白々しく答えて、再び調理作業に戻る。一方で俺は卵を握るしかすることがないので、夕の動きを見守る――勉強させてもらうだけだ。


「あ、プチトマト出して欲しいな」

「任せろ」


 そう言って野菜室からパックごと取り出したものの、


「うわ、めっちゃしなびてる……そりゃ、夕に言われるまで忘れてたくらいだしな」


 それはシワシワのご高齢トマトになっておられた。


「だいじょぶだいじょぶ。かしてみー?」


 時の流れは残酷だなー、と遠い目をして御老体を引き渡す。


「こーするんだよ!」


 そして夕はお椀にうどん用の熱湯を入れ、そこへ渡されたプチトマトを全部放り込む。えっと、お爺ちゃんの湯治かな? 熱湯はさすがに虐待じゃない?

 そうして十五秒ほど経ったところで湯を切ると……


「ジャジャーン!」

「おお!」


 なんと張りのあるツヤテカトマトに変身していた! 不死フヂトマトだ!


「ふふん。どーよ、すっごいでしょ?」


 夕は手品大成功とばかりにドヤ顔であり、蒼黒そうこく色のサイドテールがぶんぶんしている幻が見える。


「いやぁ、こいつは大したもんだわ」

「にへへ~」


 何気にスゴイ小技に素直に驚いてあげると、夕はドヤ顔をでろんと崩して喜んだ。

 なるほどなぁ……一般的な技術のみならず、料理に関する様々な豆知識も持っているという訳か。流石は料理長殿だ。


「……おっと、そろそろかな」


 そうこうしている間も真面目に卵を握っていたため、すっかり生暖かくなっていた。なので早速と言われた通りに瓶の側面で割ってみると……おお、確かにすごく割りやすい。これは良いことを知った。卵焼大学A判定をもらえて親御さん(俺)もにっこり。

 さて味付けは、醤油と塩を少々に……あー、砂糖はどうしよ。これは完全に好みの問題だし、夕に合わせてあげよう。そう思って夕を見る。


「ん? あぁ味付けね。あたしは甘いのが大好きよ。別に甘党というわけじゃないんだけど、なぜか卵焼きは甘いのがいいのよねぇ。このサイズで二個なら大さじ1くらいかしら」

「オッケー」


 言われた通りの分量を入れて、念のため味見する。うん、ものすごく甘い。

 続いてはしで卵を混ぜ始めるが……


「お待ちっ」


 ここでまたストップがかかる。むむぅ……なんか夕の邪魔ばっかしてて、悪い気しかしない。――んでも、一瞬目線を寄越しただけで手は止まってないからいいのかな……器用なもんだなぁ。


「単調にグルグルかき混ぜただけだと白身がダマになるよ。焼いた時に白い塊見たことあるよね?」


 あるあるー。料理長殿は何でもお見通しですなぁ。


「箸をお椀の底に付けて左右に素早く切るように混ぜるの。あ、でも卵焼きの場合は切りすぎるとフワフワ感がなくなるから、ほどほどにね?」

「イエスマム」


 混ぜ方にまで正しい手順があるとは、卵焼きを完全にめてたわ……誰だよ楽勝とか言ってたやつ。そりゃ夕の料理と歴然の差が生まれるわけだよ。あと、卵焼きの場合ってことは他の料理だと違う手順なのかな? そう考えていると、


「茶碗蒸しとかプリンみたいなキメの細かい卵料理の場合は、完全に白身が混ざるまで徹底的に切り混ぜるの。本格的にやりたい時は専用のこし器まで使うんだけど、茶こしでも代用できるよ」

「へえー」


 それを予想したかのように追加のご指導をいただいた。こちらの手際から、何を理解していないか、また何を疑問に思うかを予想できるんだろうな。この師匠ってば優秀すぎかよ。お料理教室開いたら繁盛間違い無しだな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る