Interlude The eyes in the sunshine (4)

 わたしは湧き出した恐怖心が抑えられず、彼女に背を向けて走り出す。


「──待ってください!」

「んえっ!? ――わぷっ」


 だが即座に腕をつかまれて引かれ、視界が急転したと思った次の瞬間、顔が柔らかい何かに包まれた。さらに背中と頭に手を添えられ、そのヤワラカ物体へむぎゅっと押し込まれてしまったところで……理解する。彼女の大きな谷間にすっぽりと収められていると。


「んー! んー! んー!」


 慌てて胸から脱出しようともがくが、想像以上の力でガッチリ抱きしめられていて──えっ、ちょ、全然抜けられない!?

 わたしが倒れ込むような体勢で力を入れ辛いのもあるが、そもそも非力な文化部員では、運動部員に力勝負で勝てる訳がないのだ!


「逃げないって言うまで、絶対離しませんからっ!」


 彼女は有言実行とばかりに、さらに力を込めて抱きしめてきて……ふぁぁ~あったかぁ~やわらかぁ~しゃぁわせぇ〜――ではなくて! 死ぬっ! 酸欠でっ!


逃げないからんんんんんん!!! 離してーんんんんー!!!」


 なっ、なんということだ、これでは逃げないと伝えることすらできないではないか!

 それで必死に背中をタップしてみるものの……ダメだ、全然離してくれる気配がない! もしやこの子、タップの意味を知らない!? ああそうだね、女の子は知らないよね!

 かくなる上はスタン――ってダメだろう! わたしは友達に何をしようとしているのだ!?

 ……ぅ……まずい……いし、きが……。


「…………いきっ…………」


 朦朧もうろうとしながらも、最後の気合で顔を一瞬浮かせて、死にそうになっていることを伝える。


「え……い、き? ――あわわわっ!」

「──ぷはぁっ!!! ぜーーーはーーーぜーーーはーーー」


 悪魔的シアワセ空間から解放された瞬間、全力で深呼吸をして、ひたすら空気を追い求める。


「ごっ、ごめんなさいっ!!!」


 酸欠でぼんやりする中、ワチャワチャと両手を振り回す様子を眺めていると、次第に思考がクリアになってきた。


「ひ~ちゃん……」


 一歩離れて立つ彼女の顔を真っ直ぐに見るが、すぐに目を逸らしてしまう。今のやり取りで一旦気が逸れ、先ほどまでの恐怖が少しだけ治まった気がして……逃げ出したいほどではなくなったものの……だけれど、この瞳を見ていると……やはりまだ……。


「その……わたしは……」


 でも、このような気持ちをどう説明して良いかも分からない。

 キミが怖いだなんて……言えるわけがないだろうに。ひ~ちゃんをも傷つけてしまう。

 思考することだけが取り柄のわたしが、何も考えられない。

 そうして続きの言葉も出てこず……わたしはうつむき加減になり、ぎゅっと目をつむる。


「……なーこさん」


 彼女がわたしを呼び、次いで一歩踏み出す音がして、身構えてしまう。


「あっ……」


 だが今度はふわりと優しく、わたしの上半身が彼女の両腕に包まれた。


「だいじょうぶです。こわくないですよ」


 背中をさすられるとともに、少し上の方からゆったりとした声が届く。


「わたしはなーこさんを、きずつけたりなんてしませんから」


 その声はただひたすら優しく、何者をも害さないと言うように。

 まるでわたしが何を怖がっているのかを、分かっていると言うように。


「だから、ゆうきをだしてめをあけてください」


 そうして、私を怖がらずに見て欲しいと。

 目元にかかる彼女の吐息は優しくこそばゆく、それすらもまぶたを開けてとささやいているかのようだ。


「うん……」


 勇気を出して目を開けば彼女の可愛らしい口元が目の前にあり、さらに少し目線を上げると、その美しく澄み切った瞳が視界に大きく映し出される。


「「……」」


 そのまま彼女と至近距離でじっと見つめ合う。

 目の前の綺麗きれい栗色くりいろの瞳は、依然としてわたしの心を鋭く見通す未知の光を放っており、すぐに目を逸らしたくなってしまう。だが同時に、掛けられた声のようにわたしを案じる柔らかな慈愛の光、そしてわたしを勇気付ける陽光のような熱い光も放っている。彼女の様々な想いが、それらの光を通じて心にみ渡ってくるのだった。

 そうか……これこそが、ひ~ちゃんの言っていたことなのかも知れない。

 そうしてその光をしばし見続けていると、何故あれほどまでに彼女を怖がっていたのかと不思議になり、段々と恐怖がしぼんでいくのを感じて……やがてそれは消えてなくなった。

 


「ああ……」


 数秒前まで恐れていたはずの瞳にコロッと癒やされてしまうとは……どうやらわたしは、自分で考えているよりも遥かに単純なヤツだったらしい。

 それはそれとて、冷静になってみれば……いやはや、なんとも……恥ずかしいものだね! これではまるで母にあやされる幼子であり、ここまでみっともないところを他人に見せたことなど、当然ありはしない。もちろんそれは、このひ~ちゃんだからだったのであろうし……それがひ~ちゃんで良かったとも感じる。


「…………まるで恋人同士のようだね」


 もう落ち着いたと伝えるために、照れ隠しで軽口をたたいてみる。我ながら何ともひねくれているものだよ。


「えっ? ――わわわっ! そっ、そんなつもりでは!」


 わたしを抱いて熱く見つめ合っていたことに気付いた彼女は、うっかり女子に触ってしまった純朴男子のように、慌てて飛び退いて弁解する。その様子があまりにも可愛らしくて……悪いとは思いつつも、もっと困らせたいと思ってしまった。


「くふっ、わたしはそれでも構わないのだけれど?」

「もっ、もぉー! からかわないでくださいよ!」


 もちろん冗談…………だと思う。――って待て待て! だと思う、とはなんだい! 一体わたしは何を考えているのだ!? ああもう……わたしは頭がおかしくなってしまったのだろうか。もしくは、この子の瞳には魅了チャームの魔法でも付いているのかね?

 そうして唇をとがらせて文句を言う彼女だったが、すぐにいつもの柔和な微笑みに戻っていた。


「うふふ、すっかり元気になりましたね」

「うん、おかげさまで。…………その、心配をかけてしまって、ごめんよ」


 わたしとしてはどうしようもなかった事とは言え、本当に悪いことをしたものだ。


「いえいえ、私の方こそごめんなさい。私の説明が下手だったから、なーこさんを不安にさせてしまって……」


 ええい、なぜそうなるのだい! ひ~ちゃんは何も悪くなくて、ただわたしが臆病だっただけだというのに。


「そんな――」

「なので!」

「え?」


 そこでわたしの手をギュッと両手で握ると、真っ直ぐにこちらを見つめて、元気な声でこう言った。


「もう少しお話しませんかっ!?」

「はっ、はい」


 彼女の勢いに乗せられるままに、何も考えずにうなずいてしまった。全くもってわたしらしくないと言うもので、やはりこの魔法の瞳の前では、どうにも思考力が奪われてしまう。


「では、そうですね……中庭のベンチはいかがです?」


 ここで部室を選ばないということは、二人きりでの会話を望んでいる訳で……たしかに、今の時間帯に人気ひとけが無い中庭は、内緒話に打って付けの場所だろう。


「うん」

「──じゃぁ早速行きましょう♪」


 頷いて同意した瞬間、彼女は嬉しそうにわたしの手を引っ張ってズイズイ歩き出す。


「ちょ、ちょっと、引っ張らないで。それに照れくさいから、手を離して欲しいのだけれど……」


 これでは本当に、母に引きずられる子供ではないか。彼女との十センチ程の身長差も、さらにそう思わせてくる。


「ダメですよぉー。なーこさんはすぐ逃げようとしますからぁー、なんて? うふふ♪」

「ぐぅ……それは面目次第もないけれど、もう逃げやしないというのに……まったくもう」


 この子ときたら……わたしを生き埋めにしてきた事といい、なかなか強引なところがある。生真面目と優しさが服を着ているような見た目をしているのに、実に意外なものだね。

 ただ、先ほどは困らせたいと思ってしまったけれども、逆にこうして困らされるのも……うれしいと感じてしまい……ああ、これはいよいよマズイかも知れない。

 そうしてわたしは、彼女にかれるままに、その後を付いていくのであった。

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