6-24 好調

 こうして一色と握手を交わしてご挨拶もしたということで、確かに友達同士になれたのだと実感が伴ってきた。思えば随分長いこと話し込んでいたが、おかげで敵同士から一転お友達となれた訳で、最初はうつと皮肉ったこの時間も実に有意義なものだったと今は思える。

 そうして感慨深く頷いていたところ……ガララッと教室の戸が勢いよく開かれた。


「くそっ、物理の宿題あったな! わりぃけど、写させて――あっ!」

「こっ、宇宙先輩!」


 同時に後輩男子二人がノート片手に騒がしく入ってきたが、俺が居ることに気付くなり、大慌てで姿勢を正す。


「ええと……お取り込み中、でした、よね? 騒いですみません!」

「その、オレら大した用じゃないんで……失礼しゃっす!」


 俺と一色を見て妙な勘違いをしたらしい二人は、気まずそうな顔で出て行こうとしたので、慌てて引き止める。


「あー待て待て。ちょうど話も終わったし、気にせず使ってくれていいぞ」

「えーと……」


 だが後輩達は顔を見合わせて尻込みしているので、気さくな雰囲気でもう一言かけてあげた。


「ほら、物理の坂本先生の課題が提出ギリギリでヤバイんだろ? んな遠慮すんなって」

「いいんっすか!? いやぁ、オレいっつも赤点ギリギリだし、目ぇ付けられてて――」

「おい、先にお礼だろ! 宇宙先輩、ありがとうございます!」

「っとぉ、あざっす! 助かるっす、先輩!」


 そうして二人が机にノートを広げて片方が課題を写し始めたので、色々な面で俺とヤスみたいだなと思いつつ、一色と並んで出口へ向かう。だが一色は机の前で立ち止まると、ノートをチラ見してヤレヤレと首を振り、忙しそうな二人に声をかけた。


「……あややぁ~? どっちもぉ~間違えてるぅ~、かなかなぁ~?」

「え、マジっすか!? …………でも先輩、こんな一瞬で分かるもんっすか?」

「あっ、もしかして先輩、物理は得意なタイプだったりします?」

「そぉ~かもかもぉ~?」


 能天気陽キャモードで接する一色に、二人が失礼な事を言い始めたので、ややこしい事になる前にフォローしておく。


「ったくお前らなぁ……この一色は学年首席だ。物理は、じゃねぇよ、全て得意だ」

「なっ、し、失礼しました!」「疑ってスンマセンっしたっ!」

「んまぁ、この見た目に騙されるのは分かるがな。ハハハ」

「ぷぅ~、こすもくんってばぁ、ひっどぉぃ!」


 ぷくっと頬を膨らませる一色を見て、後輩達は「かわぇぇ……」と惚けているが……本当の姿を見てもそう言えるかな?


「……ってヤベェよ、こっちも直さないとだ!」

「だぁ~、これ提出間に合うか!?」


 坂本先生の提出期限は一律で土曜正午なのだが、提出できないと大量の追加課題を渡されてしまうので、二人は焦りまくっている。ヤスでよく見た光景だ。


「ふーん……」


 そこで一色は、二人を眺めつつ少し考えて頷くと、優しい声でこう提案した。


「しょ〜がない子らだねぇ〜? ちょっちぃ~、教えたげよっかぁ~?」

「えっ、いいんっすか!?」

「お友達の宇宙くんの~後輩だしぃ~? 特別さーびすぅ〜?」

「「よっしゃぁ!!!」」


 地獄に仏と大喜びする二人の前にサッと椅子を運び、手早くノートへ要点を書き込んでいく一色を見て、随分と面倒見の良い子だなと感心する。


「うおお、こんな優しくてキレイな先輩に教えてもらえるなんてっ!」

「最高かよっ! テンション上がってきたぁっ!」

「こぉ~らぁ~、無駄口たたかないっ! あたし帰っちゃうぞぉ~?」

「「うぃっす!」」


 またこの手慣れた対応からするに、手芸部でもよく教えているのかもしれない。何にしても、俺の出番はなさそうだ。


「すまんな、不出来な後輩らをよろしく頼むわ」


 なのでそう告げて去ろうとしたのだが、「貸しだよ、くふふっ♪」と耳打ちされて、この手助けの裏の目的に気付く。それで一体何を要求される羽目はめになるのやらと、頭を抱えながら教室を後にするのだった。



   ◇◆◆



 そうして射場に戻った頃には、部活終了まで残り三十分程となっていた。これがいつもならば何をしに来たやらと呆れ返るところだが、代わりに二人からは本当に大切な事を沢山学ばせてもらったので、全く何も気にする事はない。

 それで残り三十分程度で何をしたものかと思案しつつ、今朝のように射場全体を見渡してみる。すると的前まとまえで立ち並ぶ部員に混ざって、正座の状態でひざの前に弓を立てている、一際ひときわ目立つ美しい女性部員――ひなたの姿が目に入った。

 今ひなたが行っているのは坐射ざしゃと呼ばれる方法で、主に昇段試験や儀式等で求められる、いわゆる格式の高い射法だ。それは起立状態から開始する立射りっしゃと比べると、手順が複雑で修得が難しく、その良し悪しで容易に技量を推し量れる。

 それで今度は坐射が見られると思い、今朝と同じくひなたの右前へそっと移動する。そうしてその背筋の伸びた凛々りりしい姿と巧みな手捌てさばきを、感心しつつ眺めていたところ……


「「!?」」


 またもやバッチリと目が合ってしまった。

 これではまたロボット状態になるのではと心配するが……今度のひなたはこちらへ一瞬だけ微笑み返すと、すぐにキュッと口元を引き結んだ。その表情は今朝のように緊張で強張っている訳ではなく、試合前のアスリートが見せるような、気力の充実した面持ちであった。どうやら俺の心配は、ただの杞憂きゆうだったようだ。

 続けてひなたは矢を番えて粛然しゅくぜんと立ち上がると、かいに至るまでの過程を流麗な動作で進めていき、離れの段階に至る。この時点で結果を確信していたが……


 スパーン!


 果然として、その放たれた矢は的心てきしんへと吸い込まれた。うむ、お見事。

 その後ひなたは続けて三射、計四射を行ったのだが……なんとその四射全てを、当然と言わんばかりに的中させてしまった。このように全ての射が的中することを「皆中かいちゅう」と呼び、甲矢はや乙矢おとやによる二射皆中でも素晴らしいものだが、それら二組の四射皆中ともなれば並大抵の技量ではなかなか起きないものだ。

 例えば的中率が八割のエース級でも、四射皆中率は単純計算で四割しかないが、三射続けて当たると最後は気負って外しがちになるのが人間というものであり、さらに確率は低下する。取り分け常時より緊張する競技大会中での四射皆中ともなれば、応援している仲間はそっと胸中で――騒いではいけないので――大きくガッツポーズをするほどだ。

 そうして、改めてひなたの技量の高さに度肝を抜かれていたところ、


「マジぱねーよなぁ」

「うぉぅ!」


 突然背後から声をかけられ、別の驚きの声を上げてしまった。久々のスーパー最ヤス人の瞬間移動だ。


「いきなり何だ」

「すまんすまん。で、小澄さんな」


 ヤスは隣に立ち、ひなたの方へ感慨深げな目線を送る。


「……ああ、大したもんだぜ。俺なんか、まだまだヒヨッコってわけだ」

「おいおい、大地がひよこだったら僕はまだ卵ってか? ハハハ」

「いっそ親鶏まで回帰したら上手くなるんじゃ?」

「おお、頭いいな――ってそりゃもう別じゃん!」


 ヤスは小声でツッコミを入れると、今度は顔をデレッと伸ばしてこう続ける。


「いやぁ~、可愛いくて優しいだけじゃなくて、こんなモノスゲーところまで見せられたら、僕もうれちゃうね!」


 その相変わらずの惚れっぽさには呆れるが、ひなたの魅力的な面を色々と知った今となれば、その気持ちも分からなくはない。


「しかもよ大地、お前さんは今ので驚いてるようだけどさ」

「ん?」


 そこでヤスは俺に一歩近付くと……


「たぶん今日一回も外してない」


 真面目な顔をして信じがたい事を言ってきた。


「はぁっ!? マジで!?」

「な、ヤバすぎだろ?」

「おいおいおい、さすがに盛り過ぎじゃ?」


 俺が一色と話している一時間半程度の間を引き続けていたなら、軽く四十射はしているだろう。その全てが的中――四十射皆中となると、それこそ宝くじが当たる程の奇跡のような確率なのだ。


「だってお前、全部見てた訳じゃねえんだろ?」

「そりゃぁ自分の練習もあるし、人のばっか見てらんないけどさ。でも僕は一応部長てこともあって、他の部員の矢もだいたい覚えてんのよ。んで、何度か小澄さんの矢を確認したんだけどさ、的から外れてるのを一本も見つけられんかった……しかも半分近くは的心だかんなぁ」

「うおお、マジなんかよ……」


 よもやそこまでとはな。これぞ超高校級か。


「そういや前に、緊張して当らなくて八割五分って言ってたしな。たしかに、調子がすごく良ければあり得る話――」

「そうそれ、調子だよ」

「ほう?」


 俺の言葉を遮ったヤスは、何か事情を知っていそうな様子だ。


「最初はどっか行ってたみたいなんだけど、射場に戻ってきたなと思ったら、あれはなんつーか……すんげーウキウキしてる? そんな雰囲気になってた。表立ってはしゃぐような子じゃないけど、身体中から明るいオーラがあふれ出ててさ、言ってみりゃ歩いた道にお花畑が咲きそうな感じ? んで、見ての通りのまさに絶好調状態ってわけよ」

「……そ、そうか」


 教室での別れ際のひなたの様子を思い出し、その絶好調の理由に気付いてしまった。まさかあの程度のことが、ひなたにとってそこまでうれしかったとは……何とも照れくさくなってしまう。


「んん? どした――ってかそうだよ、お前今までどこ行ってたん? 最初はてっきり小澄さんと一緒に居るのかと思ってたけど、違ったみたいだし?」


 おおう、やっぱ鋭いなぁコイツ。時間ずらしておいて正解だったな。いやまあ、別に二人でやましい事してた訳でもないけど……ほら、なんかさ?


「んで、突発性夕ちゃんショックで行き倒れになってんじゃないかと心配してた」

「なんだよその奇病は……」


 奇天烈きてれつな命名センスではあるが、言わんとすることは伝わった。


「まぁ、思い出すだけで辛いもんはあるけど、そんな独り隠れてメソメソ落ち込んでたりはせんて」

「そか、なら良かった。いやさ、探しに行こうかとも一瞬思ったけど、もし見つけた時お前が号泣してたら……ほら、お互いくっそ気まずいじゃん?」

「はは……だな」 


 ヤスは部長をやっているだけあって、こういうところは凄く気が回る。


「するってーと?」

「ええとまぁ、色々あってな。ここじゃアレだし、また」

「りょ」


 そうこうしているうちに終わりの時刻になり、ヤス部長の号令で部員が前に集まり始めた。合わせて俺も列の最後尾に並び、正座したところで……あることに気付く。

 俺、今日一回も弓握ってねぇ!

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