6-26 好調

 無事になーこから開放されて射場に戻った頃には、もう部活終わりまで残り三十分弱といったところであり、本当に今日は何しに来たのだろうかと改めて自問したくなる。ちなみになーこは、これからモノ部に行って一仕事をするそうで、明日に向けての物資調達だとか良く分からないことも言っていた。

 それで俺は今さら何をしたものかと思案しつつ、今朝のように射場内を見渡すと……的前まとまえで立ち並ぶ部員に混ざって、正座の状態でひざの前に弓を立てている、一際目立つ女性部員――ひなたの姿が目に入った。

 今ひなたが行おうとしているのは、坐射ざしゃと呼ばれる方法で、昇段試験等で求められるようないわゆる正式な射法である。それは普段の簡易的に行う起立状態から開始する立射りっしゃよりも手順がとても複雑であり、その良し悪しで容易に技量を推し量れる。

 その背筋の伸びた凛々りりしい姿と巧みな手捌てさばきに感心しつつ眺めていると、またもやバッチリと目が合ってしまった。

 おっとと……これはまずいな。またロボットになってしまうんじゃ?

 だが、今度のひなたは一瞬だけ微笑むと、すぐにキュッと口元を引き結ぶ。その表情は先ほどのように緊張で強張っている訳ではなく、試合前のアスリートが見せるような、気力の充実した面持ちであった。どうやら俺の心配は杞憂きゆうだったかもしれない。

 続けてひなたは矢を番えて粛然と立ち上がると、かいに至るまでの過程を上級者然とした流麗な動作で進めていき、離れの段階となる。

 俺はこの時点で結果を確信していたが、


 スパーン


 果然として、その放たれた矢は的心てきしんへと吸い込まれた。実に見事な射である。

 その後ひなたは続けて三射、計四射を行ったのだが……なんとその四射全てを当然と言わんばかりに的中させてしまった。このように全ての射が的中することを「皆中かいちゅう」と呼び、甲矢はや乙矢おとやによる二射皆中でも素晴らしいものだが、それら二組の四射皆中ともなれば並大抵の技量ではなかなか起きないものだ。

 例えば的中率が八割のエース級でも、四射皆中率は単純計算で四割しかないが、三射続けて当たると最後は気負って外しがちになるのが人間というものであり、さらに確率は低下するのである。そういう訳で、常時よりさらに緊張する競技大会中での四射皆中ともなれば、応援している仲間はそっと胸中で――騒いではいけないので――大きくガッツポーズをするほどである。

 そうして、改めてひなたの技量の高さに度肝を抜かれていたところ、


「マジぱねーよなぁ」

「うぉぅ!」


 突然背後から声をかけられ、別の驚きの声を上げてしまう。久々のスーパー最ヤス人の登場だ。


「いきなり何だ」

「すまんすまん。で、小澄さんな」


 ヤスは隣に立ち、ひなたの方へ感慨深げな目線を送る。


「……ああ、大したもんだぜ。俺らはまだまだヒヨッコってわけだ」

「おいおい、大地がひよこだったら僕はまだ卵ってか? ハハハ」

「いっそ親鶏まで回帰したら上手くなるんじゃ?」

「おお、頭いいな――ってそりゃもう別じゃん!」


 ヤスは小声でツッコミを入れると、


「――いやぁ~、可愛いだけじゃなくて、こんなものスゲーところまで見せられたら、僕もうれちゃうね!」


 またいつぞや聞いたような事を言いだした。

 んまあ、ひなたの色々な面を知った今となれば、その気持も分からんでもないな。


「しかもよ大地、お前は今ので驚いてるようだけどさ」

「ん?」


 そこでヤスは俺に一歩近付くと、


「たぶん今日一回も外してない」


 真面目な顔をして信じがたい事を言ってきた。


「はぁ?!」

「な、ヤバすぎだろ?」

「おいおいおい、さすがに盛り過ぎでは?」


 俺がなーこと話している一時間半程度の間を引き続けていたなら、軽く三十射はしているだろう。その全てが的中している――三十射皆中となると、どう考えても奇跡のような確率である。


「だってお前、全部見てたわけじゃないんだろ?」

「そりゃあ、自分の練習があるから人のばっか見てられないけどさ。でも僕は一応部長ということもあって、他の部員の矢をだいたい覚えてたりするんだよ。んで、何度か小澄さんの矢を確認したんだけど、的から外れてるのを一本も見つけられんかった……しかも半分近くは的心に当たってる」

「マジなんかよ……」


 よもやそこまでとはな。まさに超高校級ってやつだ。


「そういや緊張して当らなくて八割五分って言ってたしな。たしかに調子が良ければあり得る――」

「そうそれ、調子だよ」


 俺の言葉を遮ったヤスは、何か事情を知っていそうな様子だ。


「最初はどっかに行ってたみたいなんだけど、射場に戻ってきたなと思ったら、あれは何というか……ウキウキしてる? そんな雰囲気になってた。表立ってはしゃぐような子じゃないけど、明るいオーラがあふれ出てる感じかな? んで、見ての通りのまさに絶好調状態ってわけよ」

「……そ、そうか」


 教室での別れ際のひなたの様子を思い出し、その理由に気付いてしまった。

 ――にしても、そこまでうれしかったのかよ……こっちまで照れくさくなってしまうんだが。


「んん? どした――ってかそうだよ、お前今までどこ行ってたん? 最初はてっきり小澄さんと一緒に居るのかと思ったけど、どうやら違うみたいだし?」


 おおう、やっぱ鋭いなこいつ。時間ずらしといて正解だったか。いやまあ、別にやましいことしてた訳でもないけど……ほら、な?


「んで、突発性夕ちゃんショックで行き倒れになってんじゃないかと心配してた」

「なんだよその奇病は……」


 命名はさておき、言わんとすることは分かるがな。んで、思い出すと辛いもんはあるけど、そんな隠れて独りで落ち込んでたりはせんて。


「ええとまぁ、色々あってな。ここじゃアレだし帰り道にでも」

「……真面目な話ってわけね。了解」


 なーこの案件は真面目な話かと言われると少々疑問だが、伝えておかないと明日大惨事になるので、重要な話には違いない。後で話し忘れないようにしないとな。

 そうこうしているうちに終わりの時刻になり、ヤス部長の号令で部員が前に集まりだした。

 そして俺も列の最後尾に並んで正座したところで……あることに気付く。

 俺、今日一回も弓握ってねぇ!

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