6-09 尊敬

 礼記射義らいきしゃぎと射法訓の斉読、続いて部長からの事務連絡を確認すると、周りの部員達は再び各自の練習に移っていった。対して俺は、まず何をおいても小澄へ謝るべきだが、さすがに人目に付くところでは避けたい。それでどうやって連れ出そうかと考えつつ、小澄を探して周りを見渡すと……ちょうど射場から出ていくところで、まさに好都合だった。小澄は手にノートを持っていたので、教室へ向かうに違いない。

 こちらも射場を出て廊下の小澄の姿を追うと、案の定と教室へ入って行った。その十メートル四方ほどの広さの教室には、机と椅子がズラリと並んでおり、一般的な学校の教室に近い雰囲気だ。主に昇段の学科試験に使用されるが、普段は誰でも自由に利用可能であり、例えば空き時間に宿題をしに来る部員も居る。

 外からそっとのぞいてみると、小澄は最前列でひとり机に向かっており、持ってきたノートに何やら書き込んでいる様子だ。あれは状況から考えて的中ノートで、今朝の自分の射の記録を付けているのだろう。

 それにしても、ほんっと真面目な子だなぁ……全ての矢がどこに当たったかを覚えるだけでも一苦労なわけで、俺含めて部員で付けてるヤツなんか見たことないぞ。ただ、そういった何事にもマメなところが上達の道につながっていて、俺たちに欠けているものの一つなのかもな。まったくもって耳が痛い話だぜ。

 教室に入りながら引き戸をそっと閉めて、熱心に机に向かう小澄の側まで歩く。それでも小澄はまだこちらに気付いていないので、驚かせないように落ち着いたトーンで声をかける。

 

「……あー、小澄、おはよう」

「ふぇぁっ!? だ、だだ、大地君! おっ、おはようございまひゅ」


 緊張して少しカミ気味ではあるが、普通に返してくれた。先ほどといい一昨日といい、逃げられてもおかしくない事を何度もしでかしていたので、まずは一安心だ。なにせ俺一人だけじゃ、一面いちめん楚歌そか作戦しか決行できないから、一瞬で逃げられちまうしな?

 そこで「ちょっと失礼」と一言断って、縦の通路を挟んで横に座ると、予定通り小澄に向かって頭を下げる。


「あー、さっきは集中切らしちまったよな? すまんかった」

「えっと、あの、そのぉ……大変お恥ずかしいところを、お見せしました……」


 小澄は恥ずかしげに顔を伏せて、消えるような小声でしゃべる。


「いやいやそんな、甲矢はやは完璧だったぞ! 乙矢は調子が出なかっただけだろ? ほら、小澄はプレッシャーに弱いって言ってたし、人に見られるのも気にするってこと、だよな?」

「あっ、それは、多少ありますけどぉ……」

「多少? それ以外にも何かあるのか?」

「えと、その……じっと見てたのが、大地君だから、ですよぉ……」

「いや何でだよ!?」

「ひっ、ごめんなさぃ……」


 想定外の答えで思わず飛び出た大声に、小澄は縮こまって目をきゅっとつむり、まるでおびえる小動物のようになってしまった。夕やヤスに対するノリでは、小澄には強過ぎたのかもしれないが……あの弓を引く凛々りりしい姿から、どうしたらこうなるんだ? よし、ここはウサギを相手にするように、もっと優しく丁寧にだ。頑張れ大地!


「ごっ、ごめん。全然責めてるとかじゃなくて、ただちょっと意外で、驚いてしまってな?」

「あ、はい……」


 それでナゼ俺だと緊張するのかだが……一昨日に夕が大暴露祭りを開催したときに、俺へアピールしたかったと言っていたので、思春期特有の短絡的な思考を遺憾なく発揮するなら、小澄が俺に気があると考えがちだ。だがそれはない気がしていて……何というか、小澄が俺に向けてくる視線や雰囲気が違うんだよな……そっ、その……ゆ、夕のとは――っぐあぁ! 考えただけで体中がムズムズするわ!


「ええっと、大丈夫ですか?」

「な、なんでもないぞー? ははは」


 あまりのむずがゆさに頭を抱えていたら、心配されてしまった……うむ、落ち着いて考えよう。

 それで他にも根拠があり、確か一色が「らぶ~とはちょっと違う?」と言っていた。二度と会いたくもない恐ろしい子だが、その悪魔のごとき観察眼と洞察力は、間違いなく信用できる。さらに「尊敬っぽい」とも言っていて、それに対して小澄は肯定しつつ「恩人のようなもの」とも答えていた。そうなれば、尊敬する人に見られていて緊張した、ということだろうか。

 例えば俺の場合、弓道で尊敬する人は師範だが、もし弓を引く時に横に立ってじっと見られていたら……おおう、それドチャクソ緊張するわ! 特に福田師範の眼光、ヤバ過ぎだしな。

 ひとまずその理屈は納得したとして、ナゼ俺が恩人扱いされているか……これ、夕と同じパターン? やたらと身に覚えのない御礼を押し付けてくる、御礼御礼オレオレ詐欺常習犯の困った子ら。

 恐らく夕は未来にその理由があるのだろうから、もしかして小澄も……未来人? ――いやいやいや、ねぇだろ。ない、よな? …………うーん、どうにも気になってきたぞ。よし!


「……あのさ、突然のすっげー変な話なんだけどな?」

「はっ、はい」

「未来人って居ると思う?」


 かなりぶっちゃけて聞いてはみたものの、小澄がどちらだとしても、「漫画のお話でしょうか?」などと無難な返しがくるだろうし、期待薄な問いかけだったかもしれない。そう思いきや……


「なぁっ!? そっ、そそ、そうですねぇ、居たら素敵ですねぇ!?」


 なんと小澄は黒目をキョロキョロさせて、上ずった声でそう答えてきた。

 うっそやろぉ……この反応、ほぼクロじゃね? あと手芸部でさっちゃんもツッコんでたけど、この子マジでごまかすの下手過ぎん? あれだわ、根が真面目すぎて、嘘をつくことに慣れてないんだろうなぁ。純粋培養ウサちゃんかよ。


「おっ、そうだよな。居たらいいよなぁ、ハハハ」


 それでほぼクロと判っていても、「で、おまえ未来人なんだよな?」などとは流石に聞ける訳もなく、無難に返すしかできなかった。

 とりあえずと落ち着いて整理してみると……オイ待て、俺の周りに未来人が二人も居るってことぉ!? んなことあるぅ? 未来人、超能力者、宇宙人は一人までって、いにしえの文献にも書いてあるのに。


「あのっ!!!」

「ぅおお!?」


 俺が大混乱する中、小澄は真剣な目をして、強い口調で呼びかけてきた。急にウサちゃんではなくなって、こちとらビックリだぞ。


「私は、未来人ではないですよ」

「……は? ええぇ!?」


 まさかのビックリの上書きが待っていた。

 おーいおいおいぃ……こいつはどう解釈したら良いんだ!? この小澄の言葉をそのまま信じるなら、未来人が実在することは知っているが、自分は違うってことか? じゃぁナゼ知ってるかというと、そりゃやっぱ……夕関連だよな? いや待てよ、夕は会う前から小澄を知っていたが、小澄は知らなかったし……すると夕以外にも未来人が居て、小澄はその人物と会ったことがあるとか…………だぁもう、わっけわかんねぇ!


「あっ、あわぁ! 私ってば、な、何言ってるんでしょうね? そんな当たり前のことを――」

「ははは、そうだな。実はな……俺も未来人じゃないぞ。驚いたか?」


 聞きたいことは多いが、ここはひとまず冗談で濁す形で、助け舟を出しておいた。隠し事が下手な子を問い詰めるのは気が引けるし、それに小澄は悪意をもって人を騙す子には到底思えないので、仮に嘘だとしてもいわゆる優しい嘘なのだろうから。


「えっ! あ、はい! そうですね、うふふ♪」


 有耶無耶うやむやになったことで少し安心したのか、小澄が微笑み返してくれたので、やはりこれで良かったと思うのだった。

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