6-07 応援

 俺たちが普段使用する弓道場は、三角屋根の木造平屋構造になっており、趣深い歴史ある日本建築といったたたずまいだ。入り口は建物に向かって右手前にあり、木製の戸を横に引いて中に入れば、左脇ひだりわきに事務室兼受付カウンターが、奥には飴色あめいろをした板張りの美しい廊下が続く。その廊下の先にはまずメインとなる射場があり、奥には巻藁まきわら練習部屋、弓具倉庫、学科試験用教室、更衣室、お手洗いの順に並んでいる。

 靴を脱いで右側の下駄箱にしまうと、今は誰も居ない受付の前を素通りして早速と奥へ向かおうとする。もちろん一般客は利用手続きが必要だが、うちの弓道部員は基本的に顔パス扱いで、あとで部長が利用者数を報告することになっている。なお、その部長のヤスはよく報告を忘れて女性スタッフに軽くしかられたりするが、どこかうれしそうで……こいつやっぱドMだな。

 そうしてひじ高さほどの事務カウンターの前を通り過ぎるところで、


「あら、大地君にヤス君、おっはよーっ!」


 その奥側の下から女性スタッフがひょっこりと顔を出すと、元気よく挨拶してきた。どうやら屈んで小物の整理作業でもしていて、こちらからは見えなかったようだ。

 挨拶しようとカウンター前にヤスと並ぶと、


「土曜の朝早くから部活だねー? よしよし、え・ら・い・ゾっと」


 スッと伸ばした左右の人差し指で、俺たちの胸元をツンっと押してくる。


「おはようございます、那須なすさん。そちらこそ早朝からお仕事お疲れ様です。今日もよろしくお願いします」

「んもー、大地君ってば相変わらず固いんだから。ま、それが君のいいとこでもあるんだけど?」

「っはよござっす。いやぁ、那須さんはいつも綺麗きれいですね!」

「ヤス君の方は口ばっか達者なんだからぁ。そのくらい弓道も達者になって欲しいんだけどねー? あ、君らは足して割ると丁度良いんじゃないかなー?」

「えー、大地と足されるのはイヤだなー!」「んなもん俺もだよ! 冗談じゃねーわ!」

「あははっ。いっつも仲いーね! お姉さんちょっとうらやましいゾ?」


 こうして気さくに声をかけてくれた女性――那須なす一与いちよさんは、入部当時から大変お世話になっている常勤スタッフだ。普段から弓道衣で事務仕事をしており、肩下までの黒髪を一房にまとめて左前に流した姿は、その活発な言動ながらも落ち着いた雰囲気を醸し出している。もちろん正確には分からないが、歳は二十代前半ほどで、俺たち高校生から見れば立派な大人の女性だ。ちなみに、現在彼氏は居ないらしいとヤスが言っていた気がする。

 それでこの那須さんは、ぎんこう弓道部のOGなので、後輩にあたる俺たち部員を全員下の名前で呼んでくれており、何かにつけて面倒を見てくれる。また、国体出場経験があるほどの実力から技術面でも大いに頼りにされていて、この弓道部内ではまさに「みんなのお姉さん」と言った存在なのだ。ただ、このように距離がメチャクチャ近いので、俺は少し苦手だったりはするが。


「…………んんん~? あれれ?」


 挨拶も済んだので更衣室に向かおうとしたところ、那須さんがいぶかしそうに俺の顔を見てきた。


「大地君さ、何となくなんだけどさ……元気なくない? ただのお姉さんの気のせいかな?」

「「えっ」」


 一歩後ずさって、「そんな顔に出てるか?」といった目線をヤスに送ってみるが、首を横に振って返される。


「そ、そんな元気なさそうに見えます?」

「うーん。大地君っていつも仏頂面だからさ、他の子よりかっなーり表情読みにくいんだけど……ここ数日はなんというか、少し柔らかくなったというか、明るくなったように感じてたんだよね? 急に何があったのかは分かんないけど、実はお姉さんちょっと嬉しかったりしたのよ。でも、今日はどこかしら暗めなような……気が? あっ、ひょっとして眠いだけとかなのかな?」


 実際についさっき大変ショッキングなことがあった訳で、本当に良く見ている人だ。こうして姉のような人に心配されるのは、なんだか気恥ずかしくもあり嬉しくもあり――って、俺がそう思えるようになったのも、夕のおかげなんだよな。でもその夕は…………っとと、こんな落ち込んだ様子を見せたら、増々心配されてしまう。


「(やっぱ那須さんスゲーなぁ)」「(それな)」

「んー? 君ら何ヒソヒソしてんのかな?」


 那須さんの観察眼の鋭さに感心して小声で話をしていたのだが、


「い、いえ、何も――」

「あーっ! 男の子達がコソコソすることって言うと、これはもしかしてー!?」


 その様子を見て何かを察したようだ。


「好きな子にでもフラれたってやつかなー? ってまさか大地君に限ってそんな――――え? うそでしょ?」


 正確には違うものの、かなり近い内容の指摘をされてうっかり驚いてしまい、バレてしまった。そもそも那須さんが鋭過ぎるのはあるが、俺たちのポーカーフェイス下手過ぎ問題。


「へぇー、ほぉー、この大地君が失恋ねー? これはこれは意外だゾー?」


 カウンターから上半身を乗り出して、まさに興味津々といった様子で俺の顔を下からのぞき込んでくる那須さん。ええい、ほんと色々な意味で距離が近い人だなぁ!


「あ、ごめんごめん。大地君がモテるモテないとか言ってるんじゃないのよ? 何ていうか大地君ってさ、色恋に興味ない子……んや、それも何だか違う気が……とまぁお姉さん最近までそう思ってたからさ?」


 はい、その通りです。いや……その通りでした、になりかけているかも、が正しいかな? 我ながら実にややこしい。


「ごめんねぇ大地君、お姉さん少し見誤ってたみたい。そっかそっかぁ、それは良かった……――じゃなくてフラれたんだっけ!? たいへん! あーん、こまった、どーしよっ!?」


 両手をパタパタして慌てる那須さんの様子が、失礼ながらも子供っぽくて可愛らしいなと思い、少しほおが緩んでしまう。


「えっと、那須さんが想像するようなフラれたとは違いまして……大切に想ってる子と少しトラブルが起きた……が近いけど本当はちょっと違うし、えーっと……とにかくややこしいことになってしまったんですよ。すみません、全然要領の得ない話で」


 もちろん未来人や別のダレカの話なんてできないが、言わないことには状況を説明しようがないという、まさに八方塞がり。もう、「実は好きな子にフラれたんですよー、ははは」とそのまま肯定して逃げれば楽な気もするが、それを言ってしまうと夕に申し訳ないし……そもそも俺自身があのダレカが夕だと絶対に認めたくない。


「お、お、おお? なんだかとってもむつかしそう……ごめんね、お姉さんあんまり頭良くないから、ちょっと話に付いてけなかったゾ?」

「いえ、俺が悪いんですよ。詳しくは言えない事情があって、すみません」


 こうして実際に夕と近い立場に立ってみて、秘密を明かさず嘘もつかずに納得してもらうというのは、物凄く頭を使う大変なことだと実感した。こんな大変なことを、嫌な顔一つせずにずっと俺に……ほんと夕、すげーよな……。


「そっか。お姉さん的にはちょっぴし寂しいけど、仕方ないわね。でもお姉さんバッチリ応援はしてるから、気を落とさず頑張ってね!」

「はい、ありがとうございます」


 例え事情が正しく伝わっていなくても、こうしてただ応援してくれるだけで少し元気が湧いてきた。さすがはみんなのお姉さん、励ましの達人だ。

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