6-05 考察

 ヤスとしばらく走り続け、夕が見えなくなったところで、一旦立ち止まる。


「ふぃー、ここまで来れば大丈夫かな――っておい大地、お前……な、泣いてん、のか?」

「え……」


 言われて顔を触ると、目元が少しばかりれている。あまりにも気が動転していて、全く気付いていなかった。


「――っと、はは……かっこわりぃな……ああ、ほんと、情けねぇ……」


 涙の跡をそでぬぐうと、湧き出した羞恥心しゅうちしんを誤魔化すように足を進める。ヤスは心配そうな顔でこちらを見つつ、合わせて隣を歩き出した。


「いや……これは、しょうがないだろ。僕だってめちゃくちゃショックだったしさ、大地なんてそのままぶっ倒れちまうんじゃないかって……だからこうして緊急脱出してきたわけだけど?」

「あ、あぁ。あのままあそこに居たら……マジでヤバかったな」


 俺の精神的にもそうだが、夕の方も心底おびえていて、下手をすれば通行人から通報されかねない状況だった。


「助かったぜ、ヤス」

「へへっ、いいってことよ」


 小澄の時といい今回といい、いざという時にはメチャクチャできるヤツになるよなぁ。本気出せば、ってヤツか。いつも出せよって思うが、まぁそこがヤスらしいな。


「……にしてもさ、夕ちゃん一体どうしちゃったんだろ?」

「ほんとそれな……俺なんかもう、途中から夕の形をした別のナニカに見えてた……」


 いつもの優しい夕と同じ声で放たれる、まさに正反対の心をえぐ辛辣しんらつな言葉の数々は、そうして現実逃避したくなる程の破壊力だった。


「うん、そう思うくらいの豹変ひょうへんぶりだったね。てかそうとでも思わんと、お前のSAN値が心配――って、大丈夫か? 今日はもう家でゆっくり休んだ方が……」

「いや、大丈夫だ。こうして話してる間に、だいぶ落ち着いてきた。なんか心配かけちまって……すまんな」

「ははっ、んな今さら水くせーこと言うなよ、長い付き合いだろ? それに僕は大地にたくさん借──いや、なんでもねぇ」


 ヤスが珍しく真面目な顔をしたかと思うと、急に照れ臭そうに横を向いて言葉を切ったので、ここは聞かないでおくことにした。


「……それにな。少し冷静になってくると、やっぱ夕にも何か事情があったんだと思えてきて」

「おおお……すげぇ。まさに信頼だなぁ」

「信頼……か。そう言えるほどのものかは、まだ判らんけどな。それに今回の件については、そうでも思わないとやってられんしさ、ハハハ」

「いや、それにしたって大したもんだ。あんなエゲツねーこと言われても、まだそれだけ信じられるって、大地、お前……本物だな」

「んな大げさな」

「いやいや、僕だったら今ごろバッキバキに心折られてるっての。ってかお前どんだけ夕ちゃんのこと好きなんだよ? はよ結婚しろ!」

「だから、好きとかそういうんじゃねぇって」


 俺はあの小さなヒーローに救われたとき、夕を絶対に信じると決めたのだ。それは色恋とはまた、違ったもの……だと思う。


「ん……確かに。好きの中の大事な一つだとは思うけど、イコールじゃないっか」

「そういうことだ。必要条件ってだけかと」

「へぇ~。いやぁ、今の好きの理解にしたってさ、アレ以来は人と深くつながれんかったお前が、こんなになぁ……うんうん、ぼかぁうれしいよ」


 そのおかん目線は何なんだよ、気色わりぃヤツだな……。


「あと夕ちゃんマジで凄過すごすぎでは!? 僕が何年もかけてもできなかったのに……やっぱり本物達は、過ごした時間の長さなんて関係ないんだなぁ。よし、夕ちゃんは天使じゃなくて、ちっちゃな愛の女神様にしとこ!」

「おいおい。夕は神様が大嫌いだから、そんな事言ったら怒られるぜ? 心の中で思うだけにしとけよ」

「え、そうなん?」

「『神様なんとかしてーとか、どんだけ甘えてるわけ? まずは自分で頑張んなさいよ』って感じだったか」

「ぷっ、やべー、夕ちゃんらしい」

「それな。あいつの真っ直ぐで努力家で、あと頑固なところが分かる話だろ。それにやたらお節介焼きなところもあるし、『それでダメならあたしが何とかしたげるわ!』なんて続きそう」


 あんな愛らしい見た目をしておきながら、粋な姉御な一面もあり、まさに俺にとっての小さなヒーローなのだ。


「はは、それも言いそう――っとぉ、ノロケ話はそんくらいにしとけよ?」

「んなんじゃねぇよ!」


 咄嗟に否定したものの、こうして夕の良いところを誇らしく思ってしまうのは……そういうことになるのか?


「とは言ってもなぁ……その夕ちゃんがあんなになっちゃってて、目下ツラみ祭り開催中なわけなんだけどね」

「うむ……ただ、今できること、というか考えられることは、考えておきたい」


 何かあってから後悔しても遅い。それは身に染みて解っている。


「そうだな――あっ! そうだ! もしかしてさ、双子とか? 実は夕ちゃんに見えて、ただのそっくりさん説!」

「なるほど……――ってそれは無いな。夕って呼んで反応しただろ?」

「あー」


 それでナゼ知っているのかと言われて……くっ、思い出しただけでも胸が痛い。俺がお前の名前を知らない訳が――っとそう言えば、出会った頃の夕が同じことを呆れ顔で言っていたっけ。あの時の夕も、こんな気持ちだったのかな。


「じゃあさ、その双子も夕ちゃんとおそろいで、夕なんたらって名前なパターンは?」

「いや、その可能性もゼロじゃないが……まぁそれとは別に否定材料があってな」

「ほー、わけアリと?」

「んむ。実はな、夕は――ってあー、どうしよ、ヤスに言っていいんかコレ……」


 未来人について勝手に言って良いものか迷うが……これだけ俺らを心配してくれているヤスになら、教えても夕は怒らない気もする。


「あっ、それって夕ちゃんの乙女の秘密ってやつ? それは昨日話してたときに散々出てきたなぁ。でも、いつか僕にも必ず話すとも言ってたけど」

「おおー」


 先のメールでも、ご恩は一生忘れないと言っていたので、やはりヤスも充分に信頼されているようだ。


「なら大丈夫そうだな。ま、万一ダメだったら後で叱られとくわ」

「え、いいのか?」

「おうよ」


 この情報がさっきの夕の謎を解くヒントに少しでもなるなら、叱られるくらい安いものだ……だってそれは、いつもの夕に戻ってるってことだしな。


「それでな、にわかには信じがたい話だろうけど、実は夕はな…………未来人だ」

「…………は? ええぇぇ!? 未来て、ちょちょ、どゆこと!? 僕にも分かるようにプリーズ!」

「いや、詳細は今日の午後に話してくれる予定だったし、今は俺もサッパリ解らん。ただ、その未来から来たってことについて、俺は絶対に信じると決めてる。何があっても、誰が何と言おうともだ」


 昨日のあの流れであの夕が、まさに全霊を込めて伝えてくれたことだ。これを信じられないというのであれば、もはや他に信じられるものなんてこの世にない。


「そ、そうか……お前がそうまで言うなら、本当……なんかな? いやぁなんだろ、僕からは何と言っていいかもわからん! なんかすまん!」

「ま、それが普通の反応だろうな」


 今の俺と今の夕、この組み合わせ以外では、まず信じることはできないような突拍子もない話だ。俺はそのきずなを、誇らしく思う。


「ということで、双子説はまず無い」

「ん? あぁなるほど。未来人だから、双子がこっちに居るわけもないってことだね」

「ああ」

「んー双子説は無しかぁ。となると、他には何か言ってなかったん?」

「そうだなぁ、何かあったかなぁ……てのも、その未来人ってことを話してくれた時点で、もう夜遅くて帰らなきゃいかん時間――あっ!」


 ヤスのおかげで、夕が帰り際に言っていた大事なワードを思い出した。まったく、気が動転していたとはいえ、こんな重要な情報を忘れていたとはな。

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