第3幕

前編

6-01 梯夢(1)

「はぁ疲れたぁ」


 坂を登って古めかしき愛しの我が家に到着し、戸を開けて中に入る。


「ただいまー」


 ん? 無意識に口から出たんだが……何か引っかかるぞ。

 そう、俺は、誰に、言ったんだ? この家には誰も居ないはずなのに。

 すると、家の中からパタパタと軽い足音がして、


「おかえりなさーい、あ・な・た♪」


 夕がまぶしい笑顔で出迎えてきた。


「え!?」


 その夕はどういう訳か成長した姿で……まだ顔つきは若干幼げだけど、背は少し高くなっており、俺と同い年くらいだろうか? また、エプロンを着けて菜箸さいばしを持っており、つい今しがたまで料理をしていたというご様子だ。

 えっと、一体全体なんなんだこの状況は!?


「どゆこと!?」

「?」


 パパってば何言ってるのかしら、といった風に可愛らしく首を傾げる夕(?)。


「何でお前大きくなって……――ってか、あなたって何だよ!」

「え? 結婚した時に呼び方はそれで良いって言った……じゃない? それとも昔みたいに……パパって呼んで欲しいのかな? むぅ~、大人になった今となるとぉ、ちょっち恥ずかしいかも……。あ、でも、子供が生まれたら……またパパって呼ぶことになるかな? うふふ、楽しみだね♪」


 夕はそう言って優しく微笑むと、わずかに膨れたお腹をさする。


「けっ、こん!!! こど、も!!!」


 もう一体何がどうなってやがる……俺は頭がおかしくなったのだろうか。


「もー、あなたってば、お仕事で疲れてるのね?」


 そう言われて自身の姿を良く見れば、何故かスーツを着て革靴を履いており、いかにも仕事帰りといった装い……そうか、俺はサラリーマン大地で、夕を妻として迎え入れて……――いやいや高校生だってば! あっぶね、もう少しでうっかり洗脳されるところだったわ。

 うむぅ、こいつは色々とおかしな状況だぞ……。


「これは今すぐ癒やしてあげないとだね!」

「なに?」

「よーしっ、ご飯はスルー、お風呂もスルー、なのであ・た・しぃ、にするねっ♪」


 急に子供の姿に戻って、わーいと飛びかかってくる夕を見て、俺は気付く。

 そう、これは夢だ!


 ――――ねぇ起きて


 よし、起きよう!

 そう決意した俺は、選ばせる気ないんかーい、と夕に突っ込みを入れながら、


「――っ!!!」


 夢から目覚めた。

 そしておぼろげに目に映るのは見慣れた天井。脇のカーテンからは朝日が少し差し込み、部屋の中を薄っすらと照らしている。

 ふぅ、どうやら無事に現実に戻ってこられたようだ。

 それでええと、確か昨晩は……そう、親父の夢を見た後……深夜に水を飲んで寝直したんだっけか。それで待ってましたとばかりに、夕が出てきたのな。あのー、夢出演の順番待ちとかやめてくれます?

 ああ、そういや夢から起きる寸前に誰かが遠くから呼んでたような……えっと、あの声も、夕だった気が?

 まだ頭がぼーっとする中、あぁそうか夕が起こしてくれたのかーと思い至るが………………いやいや待て待て、何で夕が起こしに来るんだよ。

 そうか、きっと夢の中の夕とごっちゃになってるんだろうな――ってそうだよ! 冷静になって良く考えてみれば、夕のやつめ、ついに夢にまで出てくるようになったのか!? しかも夕と新婚生活を送る夢とか、色々と問題あり過ぎだろぉ!? ぐぬぅ、なんてこった、昨晩に懸念してたことが現実になりやがったぞ……もはや俺に安息の地なぞ無いとでもいうのか。


「ん?」

 

 それはそうと、なんか身体が若干重いような気が……というか上に何か乗ってる?


「パパー、起・き・てってばぁ~!」

「うおぉ!?」


 どう考えても現実の夕の声に、慌てて首を下に向けると……リアル夕とばっちり目が合った。その夕は寝ている俺の上に覆い被さって、胸のあたりからこちらを見上げている。


「もぉ~、やぁっと起きたー?」


 俺の上で伏せていた夕は体を起こしてアヒル座りになり、制服の茶色のリボンをクイクイっと整える。あと、俺がいつまでも寝ていることに少しだけねているようだが……起きろというなら、まずは上から降りてもらえませんかね? いやまぁ、めちゃくちゃ軽いのでちっとも苦しくはないけどさ……そういう問題じゃなくてね?


「ちょ、え? 夕……お前、何で居るの?」

「え~? そりゃパパの娘になったんだから、いつも側に居てもいいんでしょ?」

「あぁそっか……――っていやいやいや、そうじゃなくて! 昼から来るんじゃなかったっけ?」


 昨日はそういう約束だったはず、だよな? まさか寝すぎてもう昼になってたり? と壁の時計を見れば八時であり、まだまだ約束の昼には遠い。


「えっ、あはは。そのぉ……昨日のことがあまりにもうれしくってさ、もう我慢できなくて来ちゃった♪ ねねね、びっくりしたぁ?」


 イタズラが成功した子供と言った風に、夕は若干高揚した様子でそう聞いてくる。


「そりゃな!?」

「ドッキリ成功ね、にしし」


 いやほんとそれ。どんだけ夕のことを知っても、この思いついたように突然死角から繰り出してくる神速パンチには毎度毎度驚かされるしかないし、今後慣れることもないんだろうな、ハハハ。


「っとと、早く起きないと、朝ごはん冷めちゃうよ? も~、ねぼすけなんだから」

「お、おう」


 なんとすでに朝ごはんを作ってくれてるとは、こりゃありがたい。しかも夕料理長の朝ごはんとか、ホテル級のクオリティに違いないわけで……最高かよ。


「んでも~? 寝てるパパを眺めてるのは最高だったんだけどね?」

「なっ!」


 え、ずっと寝顔を見られてたってこと? ちょ、くっそ恥ずかしいわ!


「このままずぅっと眺めてようかと思ったくらいよ? 大好きな人の寝顔なんて、どんな名画にも勝るってものね♪」


 夕は前傾して顔をずぃっと目の前まで近付けると、「せっかくだしもっと近くで鑑賞しましょ♪」と言って楽しそうに見つめてきた。


「ちょぉ、近い! 近いってば!」


 お客様、困ります! 部屋の外まで下がってドアを閉めてご鑑賞ください!

 ここまで近いと顔に息がかかってこそばゆいし、なんか女の子の甘い匂いもするしで……そっ、それに夕の綺麗きれいひとみにこうじっと見つめられると、吸い込まれそうで……あと昨日の事も思い出してしまって、色々と緊張するっての!


「え~? なんでそんな困ってるの~? ねーねー、教えて欲しいなぁ?」


 夕は白々しくもそう言うと、両足をパタパタさせながら、ニヤニヤ顔で頭を左右に揺らしている。


「くっ……お前、絶対分かってて言ってるよな?」


 そうやって純朴な男子をからかって遊ぶの、やめてもらえませんかね?


「それに、いつもいつも恥ずかしげもなくさ……」


 すっ、好きとかさ……。


「ん~?」

「あ、いや、何でも」


 おっと、悟られないようにしないとだった。


「…………………………あっ……そっか……そっかぁ。嬉しいな……へへ……えへへぇ」


 夕は少し顔を引いて自身の胸に手を置くと、照れながら微笑んでいる。

 あーもーほらー、やっぱすぐバレるし。


「うん。そういうことなら、あたしも本気出して良さそうね!」

「何だと!」


 え、うそやん、これで今まで手加減してたの? 実はその帽子、何十kgもあるやつ? 封印されし左手が抑えられぬぅ、なの?

 あと、この上でさらに夢に夕が出てきたことまでバレたら、大変なことになるぞ。調子に乗って大喜びでいじりまくってくるに違いないし、絶対に夢の情報は死守だ。


「うふふふふ」


 そして夕は不敵に笑って、再びズリズリと近付いてくる。


「…………あのー、ひょっとして昨日のこと、まだちょっとだけ怒ってたり……します?」

「え? あはは、そんなわけないよぉ。もー心配性なんだからぁ。ちょっと拗ねちゃっただけで、そもそも本気で怒ってなんかないってば。それにナデナデしてくれたから、充分過ぎるくらい幸せ成分補充されたし?」

「そ、そうか」


 確かにあのナデナデは、かなり満足してくれていたようだったしな。むしろ効きすぎてこっちが焦ったくらいに。


「で~もぉ……あたしって、ちょっと欲張りなのよ?」


 おっと、夕のこのフリは……嫌な予感しかしないぞー?


「せっかく『同じような体勢』になったんだからぁ……」

「え」


 言われて体勢を良く見れば、夕にのしかかられて密着されており、俺は動けない……おい、こりゃほとんど昨日の再現じゃないか!

 そして夕は、


「つ・づ・き、しちゃう?」


 トンデモ発言をしてきやがった。


「なぁっ! なんのだよ!?」

「んもぉ、解ってるく・せ・にぃ~?」


 その綺麗な桃色の唇へ指を当てて意味深にそう言うと、紅潮した顔をさらに近付けてくる。


「待った! ちょぉ待った!!!」

「うふふ、待ちませぇ~ん♪」


 だぁぁ、昨日と違って完全にノリノリで、全く止まる気配が無いぞっ!?


「だってパパならあたしなんて余裕で退けられるんだし……そういうこと、だよね?」

「……」


 そうだよ、俺は何で抵抗しないんだよ。ナゼしようとも思わないんだ?


「ふふ、昨日のことを気にしてくれてるんでしょ? それにあたしの気持ちをちゃんと解ってくれたから……このくらいはしなきゃって心の底では思ったんじゃないのぉ? もーほんと優しいんだから♪」

「なっ」


 そ、そうなのか……な? ――ってぇ冷静に心情を分析している場合かよ!

 そして夕は、いいよね? とでも言わんばかりにゆっくり瞬きをすると、


「だ~いち♪」


 瞳を閉じ、


「好きよ」


 優しくささやいて、


「んむっ!?」


 小さな唇を合わせてきたのだった。

 その口づけは、あの初めての時のように甘く柔らかで瑞々みずみずしく、また夕の想いの丈を知った分だけより一層情熱的に感じてしまう。心臓が馬鹿みたいに打ち鳴らされているのに、頭は甘くしびれてまともに働かない。

 そうしてほうけたように夕を見つめていると、その目がゆっくりと開き、それが驚き、拗ねへと変わり、最後には……ニヤっとイタズラっ子のように細められた。

 あ、マズイ。これはさらに良くないこと考えてる顔。これは不躾ぶしつけに見ていたことへの仕返し……えっと、この流れからして――あ、ちょ、絶対ダメだってば!

 次にくる行為を予想して焦った瞬間、案の定と触れていた夕の唇が少し開き、その隙間すきまから熱い夕の――

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