プロローグ

幕間99 タビダチ

 とある小さな研究室、私は簡素なベッドに腰掛け、来たるべきその時を待っていた。

 所在なげに自身の身体を見れば、薄手の検査着から露出した手足には山のように電極がり付けられており、また視界の上端には頭部を覆う無骨なヘッドギアが映る。そのヘッドギアからは高規格通信ケーブルが伸び、わきの制御用の量子コンピュータ、そして隣の部屋の大型解析装置へとつながっている。

 そしてそれぞれの部屋で、慣れ親しんだ二人が私の旅立ちの準備を進めてくれていた。




 そう、私は、今から旅立つ


 遠く、遠くへ


 ここへは、二度と、戻ることはできない


 得るものも多いが、失うものも多い


 だけど、この決断に後悔はしない




「それじゃぁ、そろそろ行こうかしら?」


 ちょうど入力作業を終えた様子の白衣の背中に向かって、まるでコンビニにでも行くような、あえて気軽な雰囲気で話しかける。


「そうか……やはりどうしても行くのか? どうしてここまで……今からでも、やっぱやーめたと言ってくれても良いんだぞ?」


 長い付き合いなので、頑固者な私の決意を変える事など到底できないと解りつつも、ダメ元でそう言ってくれているのだろう。これほど私を案じてくれることが、とてもうれしく……同時に、その真の目的を話せない不義理を、心から申し訳なく思う。


「ごめんなさい、何度も考えた末の結論ですから……ね? 私だって、もし万一のことがあったら、もう会えなくなるのだと思うと……今だって必死に涙を堪えてるんですよ? これ以上決心を鈍らせないで欲しいかなぁ?」


 正直なところ、まだ少し迷いはある。

 本当に、もう二度と、会えなくなるのだから。

 少しでも気を抜けば涙が出そうに――ンッ、気合いよ気合い!


「もちろん、無理矢理に引き留めるつもりなんかないさ。その決心を尊重するとも」

「うん……ありがと」


 残念ながら私一人ではこの装置を使えないので、もし本気で引き留めようと思えば、何もしなければ良いだけなのだ。こうして最後まで私の我儘わがままに協力してくれることにも、感謝の念は尽きない。


「あー、こほん。その、なんだ……もしもの万一の時のために、言っておくよ」

「うん?」

「この八年間、本当に楽しい日々だった。心からの感謝を言わせてくれ……ありがとう!」


 彼はうやうやしくそう告げると、その大きく温かな両手で私の手を握ってきた。


「っ! ……もっ、もー縁起でもないこと言わないでよぉ。ちゃんとすぐに戻って来るんですからね?」


 それが万一どころか確定事項だと解っている私は、その複雑な気持ちを悟られないよう誤魔化しながら、手をぎゅっと握り返す。


「そ、そうだな。ごめん」


 んーん、こっちこそ……本当にごめんね。


「でも、もしもの場合に、後悔したくなかったからさ?」

「ん、それも、そうですね。それにこうして改まって言うこともなかなかないし……良い機会かもしれません」


 本当ならば、怪しまれないようにお別れの挨拶すらできなかったところなので、これは願ってもない提案だった。


「――こほん。私も、今まで本当にお世話になりました。それこそ感謝なんて言葉では言い表せないくらい。初めて会った時のこと、今でも鮮明に思い出せますよ? だってあの時の言葉……ふふっ♪」


 あの時もらった言葉は、私の荒れ果てた心を溶かしていき、今でも私の生涯で最も鮮烈な記憶として残っている。それはこれからも、会えなくなったとしても、私の心を永遠に支え続けてくれるのだろう。


「おいおい、その話は照れちまうからやめてくれよ、ははは」


 ほおきつつそう答えてくるが、すでに照れているんだから仕方ない。カッコイイだけじゃなく、こういう照れ屋で可愛いところも、全てがただただ愛しい。


「そうだな、突然な出会い――」


 ん? まぁ突然と言えば突然だった、かな?


「──だったし、仮にこれで突然な別れになってしまっても、それも運命なのかな……とでも割り切るさ。だって、永遠の別れにはなっても、お前が死ぬわけじゃないんだからさ? その時は……迷わず元気に生きてくれ」

「!?」


 ええっ、もしかして気付いて……いやいや、この鈍感を絵に描いて額縁に飾ったようなにぶちんが、まさかね?


「そっ、そうね。もしそうなってしまっても……ちゃんと、生きますから」


 そう、迷うとは思うけど、ちゃんと……ね。


「――ってあーもー! そもそもちゃんと帰って来るってばぁ! どれだけもしもの話するんですぅ?」

「ははは、そうだったな」

「ふふ。ほんと心配性で過保護なんだから」


 でも、決心の助けになったわ……そうとは言えないけど、ありがとね。


「あと、餞別せんべつだ。持っていきなさい」


 彼は白衣のポケットを探ると、手に収まるサイズの何かを取り出し、私の手に乗せてくれた。それは金色に輝く円形の金属製で、一見すると化粧品のコンパクトのようだけど……それにしては少し重い気がする。


「ふっふふん♪ 中身はな~にかな~? ………………おお~!」


 ワクワクしながら金属ぶたを開けると、精緻なデザインの文字盤が現れ、正解は懐中時計と判明。さらに裏蓋を開けて文字盤の裏側を見ると、そこでは色鮮やかな九つの歯車が動いており、極めて精巧な造りの機械式時計のようだ。女の子へのプレゼントとしては少々渋い品だけど、エンジニアの私には最高の贈り物であり、こうして好みを熟知してくれていることも嬉しい。……それとその裏側には、以前に頼んでいた例の物も収められていた。


「いいデザインだろ?」


 言われて再度文字盤を見てみると……夕暮れ時の海岸に水平線、そして空に大きくきらめく明星。


「――あっ、すてきね!」


 その意味を理解し、瞬時に心へ感動が染み渡る。

 もう二度と会えないからこそ、本当に、本当に嬉しい。

 あうぅ……やばいっ、こんなの泣いちゃうってばぁ……ズルイよぉ……。

 嬉し涙が出そうになって思わず顔を伏せると、美しい時計の内装が再び目に入り、そこで表蓋の内側に「I D P」と刻まれていることに気付く。もしやと思って裏蓋の内側も確認すると、そこにも「Y Y Y」と三文字のアルファベットが刻まれていて……むむむぅ、これらは一体? 何かの暗号、なのかしら?


「気に入ってくれたようで良かった」

「っとと。うん、ありがと!」


 涙の代わりにき出した好奇心をひとまず抑え、元気良く感謝を伝える。


「ちなみにただの懐中時計じゃなくて、俺からのメッセージが入ってる。もしもの場合には……寂しくなったら聞くんだぞ――って言いたいところだが、指定の時間が経たないと聞けないようになっている。まぁ無事に帰って来てその時に聞いてくれたら良いし、いずれにしろ、それまで大事にしておいてくれると嬉しいな」

「……分かりました。必ず」


 そのメッセージが正直スッゴク気になるけど、いつかのお楽しみと……タイムカプセルのようにワクワクを提供してくれる、色々な意味で素敵な贈り物だった。

 でも、本当に帰って来られないから、向こうで聞くことになるし……きっと、思い出して泣いちゃうんだろうなぁ。




 それにしても、別れ際にこれを渡すなんて


 あぁ、なんて、粋なことをするんだろう


 こういうとこ、ほんっと、かっこいいんだから


 あぁ……だれにも、渡したくないなぁ


 愛しい、愛しい、私のヒーロー


 すべてを捨てても欲しい、私のすべて


 でも、私じゃ、ダメなんだよね


 だから、行くわ


 これがあなたの幸せを紡ぐ道と、信じてるから


 こんな私を救ってくれて、愛を、喜びを、そして幸せをくれたあなた


 そんなあなたにこそ、幸せになって欲しいから


 それに私も、他の誰でもないあなたなら、きっとまた愛せるから




 ――っとと、旅立ちの時にしんみりしてちゃダメじゃない。

 それに、一度決めたことはやり遂げなきゃね!

 絶対に、抗ってみせるんだから!

 そうして気を抜くと揺れそうになる心をたしなめていたところで、


「おっとそうだ! 頼まれてた花、持ってくる」


 彼は私のお願い事を思い出したらしく、小走りで奥の部屋へと向かう。

 緊張しながら待っていると、「ほいどうぞ」の声と共に、コトンと硬い物が置かれる音が近くの机から聞こえる。

 その机の方を恐る恐る見ると、置かれた鉢に植えられていた一輪の花は……黄色。


「……うん。そっか」

「えっと……これで良かったかな?」

「ふふ、ありがとっ」


 全然ちっとも良くはないけれど、もちろん顔には出さない。

 彼は知らないだろうから、運試しやジンクスみたいなものだけど……現実を突きつけられたようでツライ。

 最後くらいサービスしてくれてもいいのに、やっぱり神様なんて大嫌いだわ。

 でもこれで……決心がさらに固まった。


「さて……それじゃ、お願いしますね」

「よし、しっかり送り届けてやる」

「うん。この世で一番信頼できる言葉かな」


 彼は嬉しそうに私へ頷き返すと、次いで隣の部屋に向けて大きめの声をかける。


「おーい、もう出発だけど直接話さなくていいのかー?」

「大丈夫ですよー、昨晩充分にお話しましたからー。今ここで顔を見ちゃうと、私……絶対泣いちゃうっ、からっ……」


 遠くから別の声が返ってきた。語尾がすでに弱弱しくかすれており、今どんな顔をしているのかここからでも分かってしまう。

 まったくもう、予定ではすぐに帰ってくるっていうのに、どっちもほんと心配性なんだから。嫌な人……では決してないし、好敵手……も語弊があるし、目の上のたんこぶ……が一番しっくりくる? とにかくそんな人だったけど……いま目の前で泣かれたら、きっと私も泣いちゃうんだろうなぁ。


「ああ……旅立ちはみんな笑顔で、だよな」


 言葉とは裏腹に顔は随分と強張っているが、私も人のことを言えない。


「ゔん……」


 しっかりしなさい、私! 

 まだ伝えなきゃいけないこともあるんだから!


「それじゃ、よし、始めてくれー! くれぐれも選び間違えるなよ?」

「もぅ~そんなミスするわけありません!」


 若干ねた可愛らしい声が、隣の部屋から返ってくる。

 ええと、選び間違える? 一体何のこと……とまぁ、いくら何でもこんなここ一番でミスはしないでしょ。ドジっ娘キャラなんて、ギャグ漫画にしか居ない架空の存在なのよ。そもそも一番このシステムを理解しているあの人が、操作を間違えるなんて絶対ありえないし、これも彼のいつものからかいだろう。

 そう考えている間に設定の最終入力を終えたのか、システムが無事に作動し始めた。突然の爆発炎上はなさそうな点は一安心だが、それとは別に緊張感が高まる。




 あぁ、もうすぐだ


 どうしよう


 旅立ちを止められないまさに今しか、伝えられないこの想い


 言うだけなら、簡単じゃないけど、できる


 でも、それが残されたあなたの重荷になるかもしれない


 どうしよう、どうしよう

 

 でも、これだけは、やっぱり言っておかないと


 だって、今を逃せば、あなたには永久に伝えられないんだから!

 

 そう、八年の想いをここで想い出に変えなきゃ、先になんて進めない!


 ええい、後悔先立たずよ!




「あのね、最後に大切な話があるんだけど……」

「え、今!? そういう事はもっと早く――って最後?」

「うん……ごめんね、実は最後なんだ。それであたしね、ずっと前から、そう、きっと出会ったあの時から、あなたの事が――」


 そこで、私の意識はブツリと途絶えた。まるで神様が私の心の迷いをあざ笑い、狙い澄ましたかのような最悪のタイミングで。

 こうして私の一世一代の大冒険への旅立ちは、何とも格好のつかないものになってしまったのであった。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 こんにちは、ここで突然の餅餅餅です。お読みいただいてお察しの通り、これはものすごく特別なエピソードでして、ひとこと申し上げたいとでしゃばってきました。(べ、別に読んでくれなくてもいいんだからね!)

 大見出しの通り、これはもう一人の主人公である夕星のプロローグであり、もともとは大地君のものと一緒に小説冒頭に置く予定のエピソードでした。ですが、ミステリーとしてお楽しみいただくことを第一に考えた結果、ここに配置する次第となりました。

 現時点ではまだ意味不明な、いわゆる伏線がてんこ盛りとなっております。例えばタイトルの「99」にすら複数の意味があり、中にはエンディング直前まで回収されないものもございます。物語が進んだときにこのエピソードを読み返すと、スルメのように染み渡ってくる仕組みとなっております。

 そういうわけでして、謎解き気分で今後何度もお読みいただけましたら、作者冥利に尽きるというものでございます。また、コメントも大歓迎ですよ!



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る