5-18 交渉

 話が一件落着したところで、夕が休憩とばかりに台所へお茶をれに行ったため、俺は茶の間に一人残されることとなった。冷静になった中で、こうして手持ち無沙汰ぶさたになると、やはり先ほどのやりとりが自然と思い起こされる。


「いやぁ……さっきの夕、信じられんカッコよさだったよなぁ――っとと、こんなこと言ったらまたねられそうだ、ははは」


 おかげさまで新たな決意を胸にしたのは良いが、では何をするのかと言われると少々困るもので、気持ちの持ちようが少し変わったくらいだろうか。ただその夕の熱い言葉の嵐によって、長年わだかまっていた心の底の暗いもやが吹き飛ばされ、今はとても清々しい気分になっている。

 いやはや、言葉の力って凄いもんだよなぁ――


 ――永遠にあなたの側に居るわ!!!


「ぬぅぉっ!」


 そこで突如のフラッシュバックに頭を抱えてしまう。

 先ほどは激しい意地のぶつかり合いの最中さなかだったため、深く考えていなかったが、この言葉は――っていやいやいや! 家族のような存在として側に、って意味だっての! 日に二回もされてたまるかよ。うん、今は深く考えないことにしよう。

 しかしこれでは、しばらく夕と顔を合わせ辛いかもしれ――


「はいどーぞっ」

「んっ!?」


 いつの間に戻ってきたのか、夕は湯呑ゆのみ急須きゅうすを乗せたお盆をテーブルに置いて、微笑みかけてきた。ちょうど夕について考えていたこともあり、心臓がひっくり返ったかと思うほど驚いた。


「え、どしたの?」

「な、なんでもないぞー?」


 慌てて湯呑を取り、茶をすすって誤魔化す。

 うむ……考え事すると周りをシャットアウトしてしまう癖、早く治さないとだな。


「ふふっ、変なパパね」


 夕は隣に座ってくすっと笑うと、俺と同じように湯呑に口を付ける。


「あちぃ」


 だがすぐに離して舌をぺろっと出すと、舌を仕舞い忘れた猫のようになっている。

 くっそぉ……もちろん狙ってなんかないだろうけど、なんてアザトイ仕草だ!


「なんだ、猫舌か?」

「んや……そういう訳でもないんだけど。そうねぇ、うっかりかな?」

「ふーん」


 夕は少々意味深な返しをして、ふーふーと息をかけて冷まし始める。


「……」

「……」


 ふと会話が止まった拍子に、妙にしんみりとしてしまい、茶を啜る音や息遣いがやけに大きく聞こえる。その穏やかな時間は悪くないと感じるが、そうして静かになると、また色々と考えてしまう。

 思えば長らく人前で涙を流した記憶もなく、感動でとなればなおさらで……夕には随分と恥ずかしいところを見せてしまったものだ。アレ以来はあまり心動かされるような事もなかったので、ヤスからは冷めていると良く言われていたが、そんな俺がまさか小さな女の子に泣かされる日が来るとは夢にも思わなかった。


「……あっ、それでぇ」


 そうしてひとり考え込んでいたところ、夕が妙にモジモジしながら話しかけてきた。


「あたしは正式にパパの家族枠に入れるってことで、いいんだよね?」

「あー、ん、そうだな――ってなんか妙に恥ずかしいな!」

「うん……でも心がほわゎぁってするよね? えへへ」


 照れくさそうに微笑む夕に、こちらまでほおが緩んでしまう。俺にとって夕は、すでに家族と言っても良いほどの、大切な存在に成りつつあると……だぁぁぁもー、こっ恥ずかしくて床をのたうち回りそうだ!

 目の前の夕も身体を左右に少し揺らし、手元をこねこねしているので、同じような気持ちなのだろう。


「そ、そうなると、えっとぉ……お嫁さんはまだ無理だから……」


 あ、この流れは、もしや……?


「………………………………ふ、ふぃぁんせ枠は、空いてる……かしらぁ?」


 夕は頬を桜色に染めて小首を傾げ、予想通りのことを聞いてきた。


「だっ、ダメに決まってんだろ! そ、そりゃ、そんなもん埋まってる訳ないが……でもダメだ!」

「ええ~~~、そんなはっきり言われると……割と傷ついちゃうよ? あたし、そんなに女の子として魅力ないのかしら……ヨヨヨ……」


 これは悲しそうにしなびている演技……とは思うんだが……本当にショックを受けてたらマズイ……どっちなんだっ!? くそっ、俺程度じゃ判別できん!


「いやっ、その、夕の魅力とかそういう問題じゃなくてだな……そんなん高校生の俺には想像もつかんし……そ、そう! そんな気軽にホイホイと決めて良いことじゃないだろ? お互いのことをもっと良く知ってだな……と言っても、夕はナゼかめちゃくちゃ俺のこと知ってるけどさ?」


 こんな素敵な夕からこれほど熱烈に好意を寄せられれば、率直に言ってものすごくうれしいが……それはそれ、やはり物事には順序というものがある。うーむ、俺って頭固いんかなぁ。


「ふふっ、硬派なパパならそう言うよね」


 俺の心配をよそに、一瞬でヨヨヨから立ち直り、すまし顔になる夕。

 ええい、やっぱ演技じゃねぇか! そういうの、良くないと思うな!


「ああ。じゃ――」

「じゃぁ恋人ねっ!? 恋人同士として、恋人じゃないとできないことも色々してぇ、いーっぱいお互いのこと、知ろうね、だーいち? うふふ♪」

「んなっ!!!」


 おいおい、気付けばずっと夕のターンじゃねぇか、俺のターンはどこいった! それに言い方がさ……なんかちょっと意味深なんだけど!? 普通の幼女なら邪推することも無いが、この妙に大人っぽい夕の場合だと……深い意味で言ってそうでコワイ。

 それと不思議なことにも、お嫁にいかがと言われたときよりも、こちらの方がよほど大きな衝撃だった。ただの高校生からすると、嫁などと言われるよりも現実味を感じるからかもしれない。変な例えだと、五千兆円あげると言われても困惑するだけだが、百万円なら純粋に大喜びできる。


「はぁ、それじゃ婚約者と大差ねぇだろ……」

「大差ないなら、ふぃあんせでいいってことね? やったぁ♪」

「ちげーよっ! あーもう、娘枠で! 是非とも、娘でお願いします!」

「え~、今と変わんないじゃないの。そりゃまぁ、パパに正式に認められたって意味では、大躍進だけどさ?」


 夕は文句を言いつつも、顔は割と満更でもなさそうである。

 よし、ここが契約交渉のめどころだな!


「だろう? よし、それで決まりな! 夕は娘枠で。以上っ! 閉会っ! 解散ーっ!」


 高校生というステータスからすれば、ある意味恋人よりもよほどおかしな枠だが、それでも取りうる中で一番無難な落とし所のはずだ。ここでさらに欲をかいて、やっぱりお友達からで……なんて絶対に通るわけがない。そう、引き時の見極めが肝心であり、流れが変わらないうちに、即・決っ!


「むぅ、あくまで今のところは、なんだからね? 娘なんかで妥協しないわよ? 絶対にね?」

「お、おう……」


 一度締結されても契約更新を随時迫ってくるようで、実に商魂たくましい子だ。気付いた時には白紙の契約書にサインさせられていそう――あ、例え話だぞ? 役所に出すやつのことじゃないぞ?


「よぉーし、毎日パパを誘惑しまくってぇ~、めっろめろにしてぇ~、すぐに恋人へ昇格してやるんだからぁ! 覚悟しててよね!?」

「ちょぉっ!」


 おいばかヤメロ、やっぱさっきのはそういう意味かよ!? それでまた困るのが、おマセな子が背伸びして言ってるという感じでもなくて……夕の場合、こう、なんだ、アレなんよな! 


「ほんと勘弁してください……」


 いろんな理由で彼女なんか居たわけもなく、対女性防御なんて紙切れ同然なんだから、和紙のように破かないよう丁重に扱って欲しいもんだよ。そもそもだ、小学女子の暫定娘に対して、何でそんなことを心配せにゃならんのだ。まったく先が思いやられるぜ……はぁ。

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