5-17 英雄 ※挿絵付
ヤスのお漏らし案件が片付いたところで、ここから夕に引き下がってもらうためにも、まずは夕がどの程度正確に事情を把握しているかの確認を始める。
「とまぁ、ヤスから事情を聞いたんなら……俺がどうしてお前らを避けようとしていたのかは、解ったんだろう?」
「ん、ええ……あたしと
最近はヤスからこの話を振ってくることもなかったので、ヤスが今の俺の状態をどう
「その理由は……親しくなると別れが辛いから、でいい?」
「……まぁ、そうだな」
やはり正確に読まれており、夕もヤスも本当に良くひとを見ていると改めて思う。
「そこまで知ったんなら、どうしようもないことだって解っただろ?」
「うーん……とても難しいことってのは、ね?」
「だろ。んじゃ
試しにそう言ってはみたものの、それを承知の上でこうして来たとなれば、ハイハイと素直に帰ってくれる訳がない。この頑固者の場合は特に。
「え~? イヤで~すっ! か・え・り・ま・せ~ん」
夕は
「おま――」
「そんな難しいってくらいで、ぜんっぜん諦める気なんてないんだけどぉ?」
「じゃぁどうするってんだ。これは俺の心の奥底にある不安や恐怖であって、俺にも、ましてや他人なんかにはどうにもならん」
「他人じゃなくて家族なんだけどぉ?」
頭ごなしに帰れと言われたせいか、完全に拗ねてしまった。これはどうしたものか。
「はぁ、んな
極論かもしれないが、自分とそれ以外という意味では他人だ。
「ちがう! そんなことない! 家族は、深い
「うおぅ」
予想外の激しい反論に、思わず気押されてしまった。目の前の夕からは、これだけは絶対に譲らないという強い意思が感じられ……やはり「家族」というものの在り方には相当思う所があるらしい。
そこで夕は、フッと悲しげな表情に変えると、静かにこう続けた。
「でも、今のパパは……それを完全に失ってしまっていて……感じられないかもしれないけど……」
「……そう、かもな」
そこで、炎の中の最期の親父の姿、そして今朝思い出した言葉の数々が脳裏を過る。もし親父が生きていたならば、そういう風に思えたのかもしれない……そんなもの、どうしようもないタラレバ話だが。
そこで夕は勢いよく俺の顔を見上げると、真剣な声でこう叫んだ。
「だから! あたしが家族になるって言ってるの! もちろんお嫁さんがベストだけど、まだ年齢的に無理だし、婚約者……んーん、この際ひとまずは娘でいいから!」
さらに夕は戸惑う俺の手を両手で優しく包み込むと、その海のように深い
「そうしてね……家族としてずっと側に居てさ……ゆっくりとでもいいから……大地の心を癒していきたいの」
そう言い終えた夕は、まるで母親が愛し子に語りかけるような、慈愛に満ちた眼差しをしていた。また、それが心からの願いであるとでも言うようであり、そのひたすら献身的な想いから、夕がしようとしていることが――ってそうか、そうだったのか。
この言葉で、これまでずっと不思議だった夕という少女のことが、ほんの少しだけ解った気がする。思えば夕は、出会った頃に俺が寂しそうと言っており、諸事情は知らずとも最初から本質を見抜いていたのだろう。
つまり、出会ったときから娘としての役を続け、たびたび家族であることに強いこだわりを見せたのは……まさに今の言葉通り、ひとえに俺を癒やしたい一心からだったのだ。それも「ただの
「くっ……」
こうして夕の想いのかけらを知り、胸と目頭が熱くなってしまう。
だけど……そうなるとなおさらに、分からねぇ。
夕はどうしてそこまでして、俺に優しくしてくれるんだよ。
夕にとっての宇宙大地とは、いったい何なんだろう。
今朝は「私のすべて」と言っていたが、夕にそんなことを言ってもらえるほど立派な人間だとは、何より俺自身が到底信じられない。
だがこの夕の心からの言葉からは、本当に俺だけを想って生きているとでも言わんばかりの、強い覚悟が感じられた。
慈愛や博愛、または少女の抱く好意だけで――もちろんそれを軽んじるつもりはないが――本当にそれだけで……ここまで大それたことを言えるものなのか?
ああ、夕を知るほどに、夕をこうまでして突き動かす理由がさっぱり解らなくなる。
「お前の痛いほどの気持ちは分かった。それがどこから来るのかは、やっぱり解らないんだけど……その、ありがとな」
色々と思う所はあれども、まずはこの夕の優しさに素直な感謝の気持ちを伝える。夕から
「うん。それじゃぁ――」
「でもダメだ」
「ええっ!? ……どうして? 私じゃ、ダメなの?」
「そういう問題じゃない」
そもそも本質的な解決にならないからなのだが、それをハッキリ突きつけてやらないと諦めてはくれないようだ。夕をイジメたいわけもなく、とても心苦しいが、致し方あるまい。
「仮に夕が言うように、家族のような関係になったとしてもだ……」
「う、うん」
「お前もいずれ居なくなる」
「なっ……」
「そんな関係での別れはさぞ辛いだろうが、それもどうにかできると?」
「そっ、それは……」
当然ながら夕は言葉を詰まらせる。答えられるのはそれこそ神様くらいのもので、人の心などいつ変わるかも分からないし、夕もまたいつ突然死ぬかも分からないのだ。
「うぅぅ……もおおお! パパのばかぁ、いじわるぅぅ……!」
無茶な問いかけに悔しそうに歯噛みする夕を見て、少し申しわけなさを感じる。だがこの夕が何も反論できないということは、本当に打つ手が無いということなので、これで納得はせずとも諦めてくれるだろう。
「ああ、イジワルで大いに結構。それじゃ大人しく帰――え」
しかし、それはあまりにも考えが甘かったようで……俺はすぐさま射抜くような鋭い眼差しを向けられ、言葉を途中で切ってしまった。
「でもっ! 絶対に! 負けないんだからっ!!!」
「んな」
夕が威勢良くそう言い切ると、その不屈の攻勢を前に、俺はポカンと大口を開けたまま
おいおい、うっそだろ……こんな無茶振りされた状態からどう逆転するってんだよ。世の中にはできる事とできない事があることくらい、この
「んむぅぅぅ……くぅぅぅ……」
諦めることを知らない夕は隣でウンウン
「…………よぉしっ!!!」
そうして夕はしばしの熟考の末に考えがまとまったのか、自身の伸ばした
「いい? しっかり聞いてね!?」
「は、はい」
その夕が発する気迫に、ついつい
「まずね、私の意志で大地の側から居なくなること、これは絶対に無いわ。それこそ絶対にね。だって、今朝も言ったけど……大地は私のすべてだから!」
こちらを真剣に見つめる夕は、今朝の大げさな言葉を再度持ち出して、絶対に心変わりなどしないと言い切る。
「そう、私を必要としてくれる限りは、それが大地のためになる限りは――」
そして夕は、勢いでテーブルに体を乗り出すと、
「永遠にあなたの側に居るわ!!!」
それはまさに、「誓い」であった。
「夕……」
なんなんだよ、夕の全身から溢れ出すこの圧倒的自信は。
容易に移り変わる人間の心に、どうしてそこまでのことが言えるというのか。
それも決して気軽な冗談なんかではない、夕の魂を込めた誓いとしてだ。
果たして俺に、このように永遠を誓える気持ちなど、ただの一つでもあるのだろうか。
「だ、だけど……それでもさ――」
「うん、解ってるわ。続き、聞いてね?」
まるで駄々っ子のように食い下がる俺を優しく制し、夕は言葉を続ける。
「そして、私が……死んで、しまうこと。こればっかりは……ごめんなさい。それはまさにメメントモリ。生きとし生けるものはみなすべからく、いずれは死ぬ運命にあるのだから」
夕は悔しさと寂しさの入り交じる表情でそう告げ、ゆっくりと顔を伏せた。
「……そうだな」
勢いや精神論で絶対死なないなどとは言わないところが、本当に夕らしい。
この子は、少なくとも俺には絶対に嘘をつかない、そんな気がしている。
そう、常に誠実であろうとしてくれている。
それゆえに、さきほどの誓いも絶大な効力を発揮する。
信じるに足るものと、思えるのだ。
「でもね? 人はみな、少なかれ別離の恐怖を抱えて生きているのよ。でも、それを押して余りあるほどの、共に在ることの喜びがある。それこそが絆を紡ぐことの意義、私はそう思うわ」
「ん……む」
夕の持つ死生観の深さに驚くとともに、納得してしまう自分がいた。そうでなければ、人間はとうの昔に独りきりで生きることを選んでいるはずだから。
「だけど大地の場合は……不運にもその
夕はそこで大きく深呼吸をすると、テーブルへ膝立ちで上がって迫り、俺の目の前で叫ぶ。
(挿絵:https://kakuyomu.jp/users/mochimochinomochiR/news/16818093077225350455)
「だから、私があなたを支え、その傾いた天秤を直してみせるわ!
あなたの一番近くから、あなたの心を癒やしてみせるわ!
そう、私とあなたが死で分かたれる、その時が必ず来るとしても!
その悲しみを超えられるほどの、喜び! 愛! そして幸せをあげるわ!
そして最期の時には、『今までありがとう』って必ず言わせてみせるわ!
それまでは、絶対に死んだりなんてしない!
それまでは、あなたを置いてなんていかない!!!」
全身全霊の魂を込めた宣誓とともに、自信に満ち
その眼差しは、優しくも強く、そして……ただただ美しかった。
「夕っ……お前ってやつは……」
俺の出した無理難題にも、こうしてただひたすら
「はは……」
もはや反論などあまりに無粋 ――そんな気すら
ああ、これはもう完全敗北か ――こんなに敗北が嬉しいなんて
俺も変われるのだろうか…… ――夕がそばに居てくれるのなら
「カッコ良すぎんだろ、ばっかやろぅ……っく」
溢れ出した涙を
「むぅ~? それは女の子に対して言う言葉かしらぁ? ふんっだ」
テーブルから下りた夕は、わざとらしくそう言ってそっぽを向き、こちらを見ないフリまでしてくれている。
どんだけカッコつけたら気が済むんだ、まったくよ。
ハハ、これじゃまるで……
「ヒーローかよ……」
待ちに待ったヒーローが――って、そうか。
俺はずっと、救われるのを、待っていたんだな。
こうして図体ばっか大きくなって、中身は止まっていたんだよ。
あの時の、小さく無力な子どものままで。
そうして、暗闇の中で膝を抱えて、ずっと待っていたんだ。
だけど、そんな小さな俺を助けに来てくれたのは、
大きく屈強な親父ではなく、こんな……
『小さなヒーロー』
でも、こんな小さな女の子のヒーローが、誰よりも頼もしいなんて。
はは……これじゃぁ、一体どっちが子供なんだろうな。
子供な大人に大人な子供、なんとも皮肉な組み合わせじゃないか。
でも、それも悪くない……お似合いってヤツかも、しれないな。
「ヒーロー……ね。靖之さんも、昔のパパを見てそう思ったらしいわね。それに……ふふっ。あたしにとっても、パパはずーっとヒーローなんだよ? だから、ヒーローの娘がヒーローになっちゃっても、おかしくないかもねっ?」
「ったく、なんだよそのヘンテコな理屈は……世襲制ヒーローとか聞いたことねぇよ」
「うふふ、いいのよ。だって、それってなんだか、パパとの繋がりが感じられて、すーっごく嬉しいもんっ!」
夕は両手を大きく広げて喜びを示し、ニコッと笑ってウインクをしてくる。
「はは……そりゃ何よりだよ。んだが、俺がヒーローかどうかはさておき、ヒーローに助けられるヒーローってのもどうなんだよ」
「あら、いーじゃない? お互いに困った時は助け合うってことなんだから。それにほら、情けは人のためならずってことで、いかが?」
「人のためならず、か」
――その時差し出したお前の手は、まわりまわって必ずお前を救うだろう。
はは、なんだよ。出した覚えもない手が俺を救ったとでも言うのか? まったく、あんたの調子いいところは、死んでも変わらないな。まぁ、そりゃそうだけどさ。
「あと、助け合いこそが家族の在るべき姿だと思うわ。ね、素敵でしょ?」
「……そう、だな。それも良いもん、かもな」
そうして受け入れられそうな気持ちになっている時点で、きっと俺は救われたのだろう。
「ありがとう、夕」
あぁ、そうだな
「あら、どーいたしまして? まだなーんにもしてないんだけどねー? にしし」
「いや、もう充分にしてもらったさ。それに、甘えてばっかりいられるかってな?」
この恩に報いるためにも、変わらなきゃな
「それでこそパパだわ! あたしが応援してるんだから、頑張ってね? うふふ♪」
「ああ、もちろんだ」
この小さなヒーローに、胸を張って誇れるようなヤツにさ!
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一区切りまでお読みいただきまして、誠にありがとうございます。
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