5-23 苦手

「名残惜しいけど、今度こそ帰るね」


 そう告げて廊下を進む夕の足取りはとても軽やかであり、ナデナデに大層満足してくれたご様子だ。せめて見送りでもと思い、俺も後に続いて家の前まで出ると、そこで振り返った夕がにっこり笑ってお辞儀をしてきた。


「おじゃましましたぁ~」

「おっ、帰りはお客様?」


 入る時は「ただいま」だったので、そうからかってみた。それに今はもう、本当に家族のような存在なのだから。


「あら、それもそうね。うーん、この場合はなんだろ……行ってきます?」

「ははっ、それも少し変だな」

「だぁよねぇ~。ふふふ」


 そうして二人で笑っていたところ、夕の後ろからタンクトップ姿の若い女性が小走りで近付いてきた。良く見れば、闇夜やみよに溶けるような真っ黒の大型犬を同伴しており、愛犬と夜の散歩と言ったところだろうか。

 そのまま俺たちの横を通り過ぎるかと思いきや、その軽く夕を超えるほどの体格の大型犬が、突然リードに逆らって駆け寄ってきた。


「夕、犬が――」


 バウワウ!!


「ひぃあぁぁぁ!?」


 声をかけるが時すでに遅く、大型犬の腹に響く咆哮ほうこうを背後から浴びせられた夕は、悲鳴を上げながら尻もちをついてしまった。


「あぁぁ! ごっ、ごめんなさいお嬢ちゃん。こらっ、チョコっ! ひとに吠えちゃダメっていつも言ってるでしょ! あぁもう、しつけがなってなくて、ほんっとすみません」 


 飼い主は夕に謝りながらも、大型犬をすぐさま遠くへ引っ張って行き、指を突きつけてしかりつける。犬は単純にじゃれつきたかっただけなのか、悲しげにクゥ~ンと一声鳴くと、しょんぼり小さくなって――いやそれでもデケェな。


「ほんとごめんなさいね、お嬢ちゃん……びっくりさせちゃったよね? 今起こし――っとこの子がここに居たら怖いままよね……あ、隣の、お兄ちゃんかな? 代わりに妹さんを慰めてあげてね? それじゃ……」


 飼い主はとても申し訳なさそうにしつつ、素早く立ち去って行った。


「だっ、大丈夫か夕?」


 すぐに転んだ夕に手を貸して起こすと、その手は恐怖にプルプル震えている。


「ぁ、ぁぁぁ、パ、パパぁ……怖かったよぉ……」


 来るのが見えていた俺でさえビビったくらいだ、背後から突然来られたら、どれほど恐ろしかったことか。俺でも悲鳴くらいは出ていたかもしれない。


「もうどっか行ったから、安心しな。ほら、落ち着いてな?」

「あ……うん、ありがと……」


 安心させようと掴んだ手を強く握れば、夕もすがるようにギュッと握り返してくる。


「えっとその、実はね……あたし小さい頃に犬に襲われたことがあって、どうしても無理なの。仔犬でもちょっと怖かったりするし、あんな大きいのに吠えられると、こうして腰抜かしちゃうくらいに……うぅ、はずかしい」

「まぁ、誰にだって苦手なものの一つくらいはあるさ」


 夕には気の毒な話だが、色々とハイスペック過ぎるので、こういったささやかな弱点でもなければ世の中のバランス的におかしい。


「ふぅ……パパのおかげで少し落ち着い――たぁ!?」

「うおっとと! ……ど、どうした?」


 そこで夕は突然驚きの声を上げ、俺をポンと突き飛ばしてきた。


「あっ、あ、ご、ごめんね! えっとその…………そう! ちょっと忘れ物があったから、取ってくるね!?」

「ん~? そんなん俺が取って来るぞ? 何を置いて――」

「いっ、いいの! パパはここで待っててね? ぜーったいだよ? もし来たら嫌い――になんか絶対ならないけど……あ、後でどうなっても知らないわよ!?」

「お、おうよ……」


 その謎の剣幕に押されて、良く分からないままに頷くと、夕は大慌てで家の中に入って行き…………なんと鍵を閉めやがった!


「なんでだよ!」


 家主が締め出しを食らうというあまりに意味不明な状況に、思わず虚空にツッコミを入れてしまった。


「はぁ。そこまで言われたら、さすがに見に行かないってのに」


 夕の「どうなっても知らないわよ」が正真正銘のマズイヤツなのは、つい先ほど重々理解したところなのだから。それでそこまでして隠す物となれば……例えば、未来関連の機密書類や道具類あたりだろうか。それだと確かにその辺に置いていかれるとこちらも大変困るので、ぜひ回収してから帰って欲しいところだが、そもそもそんな物騒なブツを忘れないで欲しいものだ。



   ◇◆◆



 十分ほど経ったころ、夕がトボトボ歩いて戻ってきた。


「お早いお帰りで。そんなに探すの大変だったのか?」


 大事な忘れ物の場所を忘れる忘れ者を半分茶化してみると、


「ん、あ、うん……」


 夕は気もそぞろで生返事を返してくる。まだワンコショックから立ち直れていないのかと思いきや……ナゼか少し顔を赤らめてソワソワと落ち着きなく、何か別の理由のようだ。


「何かあったのか?」

「んやぁっ!? 何でも、ないですことよ? おほほほほ」

「んんー?」


 どう見ても挙動不審だし、それに「あぁこれはヤバイわ、ダメよ」などと良く解らない独り言をボソボソつぶやいている。


「ま、何はともあれ、見つかったなら良かった」

「あ、うん。そうね」

「それじゃ、また明日な」

「またね~」


 夕は微笑みながら小さく手を振ると、ゆっくりと帰りの坂道を下り始めた。小さくなっていく夕を見守っていたところ、途中で振り返って大きく手を振ってきたので、こちらも軽く振り返してあげる。


「まったく、そんなに後ろ髪を引かれるなら、家まで送って行くってのにな。ほんと頑固な子だよ、ははっ」


 そうして俺は、あれほどに追い返そうとしていた夕との別れを名残惜しく思いながら、家に戻っていくのであった。


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