5-15 手間

 合掌を終えたところで、美味しそうな料理を前にしてすでに空腹も限界ということで、すぐさま箸を構えて臨戦態勢に入った。それでこの普段では有り得ない品数に、どこから攻めるべきかと一瞬迷い箸になりつつも……やはり一口目は味噌汁に限るということで、早速とお椀を口元へ運ぶ。


「……うむ」


 抜群の味噌加減と鼻を抜ける芳醇な香り、さすがは料理長だ。

 続いて具のジャガイモを含んでみると、結構な厚みにも関わらず、ホクホクと柔らかい。俺の経験では、あの短時間でここまで火を通すには、もっと薄くしておく必要が……?


「どったの、パパ? ……あぁ、ジャガイモはレンチンしてるよ。根菜みたいな硬いのはその方が早くて、まさに文明の利器さまさまかな。でもうっかりやりすぎると、どろどろジャガイモスープになっちゃうから気を付けてね?」


 首を傾げていたところ、料理長が素人の疑問を察して解説してくれた。しかもありがたい指南付きで。


「なるほど……いつも湯に直で放り込んで芯が残ってたけど、レンジなら素早くむらなく熱が通るし、しかもコンロも専有しないと……まさかそんな時短の手があったとはなぁ」


 次に大皿に盛られたサラダを見れば、シンプルな千切りキャベツのみで、その外観は至って普通だ。しかし、取り分けて一口含んでみると、俺が作る千切りとはまるで次元が違うことが解った。

 それは一本一本が糸のような細さであり、まさかこれを手動で切ってみせるとは、にわかに信じがたいほどの技量だ。それほどに触感がふわっふわとなれば、ドレッシングが良く染みて実に美味い。しかもこのフレンチドレッシングは、普段使いの既製品よりも数段上質なので、恐らくは夕が自作したものなのだろう。


「スゲェな……ちなみにキャベツの青臭さが全然無いんだけど、どうやってるん?」

「簡単よ。切った後、お酢入りの水に少し漬けてあるだけ」

「へぇ……」


 まるで料理人に弟子入りでもした気分であり、こうして夕に毎日ご飯作ってもらえば、ついでに俺の料理の腕まで上が――ってあぶねぇ! 俺の全細胞リフォーム計画が、うっかりで承認印押されるところだった。


「それだけとは言ってもね、料理はそのひと手間が大事なのよ? パパにだからこそ、こうしていくらでも手間をかけたくなるし、つまりそこが愛情の込めどころってね? ふふふ♪」

「……む、むぅ」


 そうして優しく微笑む夕を眺めていると、またうっかり絆されそうになってしまい、慌てて残りのキャベツを口に突っ込む。

 やはり美味い……ただの草が、なんでこんな美味いんだよ……信じられん。これがひと手間さんの実力というわけか。

 ただこのレベルの千切りともなると、合わせて揚げ物が欲しくなってしまうものだが、食材的にも時間的にも不可能なのは百も承知。そこで惜しまれる揚げ物の代わりと、メインのカットステーキ――らしきものを取ってみる。曖昧な言い方になってしまうのは、冷蔵庫に肉がなかったからであり……するとこれは一体なんだ? 

 百見は一食にかずと、謎肉を一口かじってみれば……すぐに正体が判った。


「コンニャクか!」

「そうよー。男の子だし、お肉じゃなくてごめんね~だけど。でも美味しいでしょ?」

「あぁ、聞いたことはあったが、初めて食べたわ。んで、驚きの美味さだ」

「んでっしょぉ。漬けてあるから、中までしっかりシミシミのはずよ」


 タレが覆う表面はカリッとしつつも、中にはしっかりと味が染みており、さらに和ダレと後付けワサビとの絶妙な合わせ技が畳み掛けてくる。肉汁は無いが、それに匹敵するほどの満足感が得られ、当然のようにご飯が進む。たかがコンニャクごときに、まさかここまで感動させられるとは思わなかった。

 続いてもう一つのメインディッシュを、大皿から大スプーンで取ってくる。それはトマトと卵を炒めたもののようだが、見たことのない料理であり、名前すらも分からない。だが、ここまでの流れからして絶対美味しいヤツなので、期待を込めて頬張ってみる。


「……は、ちょ、何これ、うんっま! さっきから月並みな感想しか言えてなくてスマンけど」

「うふふ。パパが喜んでくれただけで大満足よ♪」


 正体不明の料理ではあっても、やはり期待を裏切らない美味さだった。この一連の料理で、料理長への信頼がうなぎ登り祭り大開催だ。

 再度口に含んでみると……卵は一度油で揚げたのか、塊状なのに中がふわっふわのとろっとろを維持していて、まさに旨味の爆弾だ。もちろん俺には謎の技術であり、例え教えられたところで調理の熟練度的に再現不可能だと思う。さらに、独特の香りとコクのあるスープにトマトの酸味が絶妙なコンビネーションを発揮しており、ふわとろ卵と合わせて恐ろしい程の完成度に仕上がっている。


「このスープ、中華料理でたまにある味だけど……」

「オイスターソース。牡蠣かきのエキスだよ」

「それ!」


 ずいぶん昔に中華料理を作ろうと買ったものの、結局面倒くさくなって使わなかった覚えがある。すっかり忘れていたほどにはマイナーな調味料だというのに、この限られた食材の中で当然のように使えるとは恐れ入る。この子の頭の中には、膨大な量のレシピが詰め込まれているのだろう。


「冷蔵庫の奥底に未開封で眠ってたよ。ちょっと古かったけど、めてみて味も普通だったから大丈夫ね、タブン。もし当たったらゴメンちゃい♪」

「……腹は強い方だし大丈夫だ。もし当たっても死にゃしないし」

「そうそう、日本の食品はめっちゃ安全率高いんだからさ。消費期限が大幅超過ならともかく、日本人は気にし過ぎなとこあるよねぇ。そういう慎重過ぎる国民性もあって、いつまで経ってもフードロスが減らないし、SDGs十二番も達成されないのよ」

「へぇ。たしかに、日本の感覚で海外の食品を食べると腹を壊すって、良く聞くもんな」


 それにしても、こうして夕がしれっと小難しい事を言うのにも慣れてきたもので、あまり驚かなくなってきた。こんな幼い見た目なのに、俺よりも賢いのではとさえ思えてきている。


「さぁ、どんどん食べてね? 足りなかったらデザート作るわよ」

「え! いや、それは……」


 この料理長が作るデザートとなれば、どんな凄いものが出てくるのか正直期待してしまうが……そこまでしてもらう訳にもいかない。それに、追い返し辛くなるという理由も――っておいそこのイマジナリー・ヤス、無駄とか言うなや!


「ふふ、遠慮しなくてもいいのよ? パパに喜んでもらうのが、あたしにとって何よりの幸せなんだからね」

「ん。ありがたいが、これで充分だ」

「そ。んまぁ、何度でも作りにくるし別にいっか。にしし♪」

「さいですか……」


 そんな気はしていたが、やはりこちらの都合などお構いなしに、今後もどんどんお越しになられるらしい。

 そうして先行きに不安を覚えつつも、俺は目の前に並ぶ「ひと手間」のこもった手料理を、ありがたく頂くのであった。

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