5-12 果然

 早上がりの部活を終えて帰宅した俺は、ゆったりと風呂に浸かりながら、今日の色々な出来事を思い返していた。朝はあの悪夢から始まり、突然の夕襲来からの遅刻寸前、昼は一色にボコられ、ヤスには夕関連でからかわれまくった挙げ句、部活ではヤスの代理で部長をさせられた。……うん、これまた散々の日だったな。せめて今日はこれ以上何も無く、静かな週末を迎えられますように。

 風呂から上がって台所で牛乳を一杯あおりつつ、直に炊きあがる炊飯器を横目に晩飯の献立について考える。やはり即席系に逃げたい気持ちもあるが、ここしばらく夕の超美味い飯を強制摂取させられていたせいか、ふと真面目に作る気になってしまったのだ。

 強制摂取と言えば、「食は身体の源なんだから、さぼっちゃダメ! というかあたしが毎日ご飯作って、パパの細胞を全部塗り替えてあげるんだからね!」などと、恐ろしい計画を夕が語っていた。このままでは俺の全細胞にまるゆ印を押され、体内からも侵略されてしまう。確かに健康になるのはアリガテェことだが、そういう問題ではない……やはり早く追っ払わなければ。それにヤスの言う通りになるのもしゃくなので、次こそはガツンと言って見返してやらないと。

 新たな決意を胸に思考を献立へと戻し、冷蔵庫を開けて確認するが、目ぼしいものは全くない。平日は基本的に買い物へ行かないので、金曜ともなれば必然的に食糧は少なくなる訳だが、それを差し引いても貧弱の極み……特に肉類ゼロが致命的。ギリギリ一週間持つ予定のはずが、一体いつ消費――あぁ、貧困詐欺にあって、まんまとまんまを食われたんだったなっ!

 それでも何か心躍る物が発掘されないかと、冷蔵庫の奥底をガサゴソやっていたところ……


 ピンポーン!


 チャイムが鳴り響いた。すでに嫌な予感しかしない。宅配の予定はなく、ヤスは勝手に入って来るので、新聞や宗教の勧誘か訪問販売……むしろそれであってくれ!

 現実逃避はさておき、ゆの字さんの本日二回目の襲来とすると、無視したところで今朝のようにメール連打されるか、今度こそ普通に鍵を開けて入ってくるだけだ。それに万が一にも普通のお客様だったなら、居留守忍びは忍びない。

 それで渋々ながらも応対すべく廊下を進み、玄関の灯りを点けると、戸の磨りガラスに丸帽子付きのちびっこシルエットが映る。おやまあ、なんとも小柄な新聞勧誘員だこと。

 そして戸を開けると、そこに立っていたのは、なななんとまさかのっ!? ――朝ぶりの姿。デスヨネ。


「こんばんは、パパ。お元気かしら?」

「たった今、お元気じゃなくなったわ。どうしてくれる」

「まあ、あなたの愛しい娘が会いに来たというのに、つれないことね」

「俺に娘は居ないから人違いだな。んじゃっ」

「――あまいっ!」

「なにぃ!」

 

 戸を閉めようと手を掛けるが、それを予測した夕が先んじて手足で押さえてきた。これは強引な訪問販売員がやる技……この子は一体なにを売りつけにきたのやら。


「……はぁ。懲りずにまた何用だってんだ」


 夕は用事が済むまであらゆる手段を駆使して居座ってくるので、それなりに話を聞いてやるのが追い返す最速手と思っての質問だ。この時点ですでに、夕の思うツボな気がしないでもないが。


「え、そんなの今朝の続きに決まってるじゃない? 宣言通り、ちゃぁんと答え持ってきたんだからね!」


 今朝はやる気満々のご様子だったので、どうせ近いうちにまた来るとは思っていたが……もう来ますか、そうですか。昨日からの今朝もそうだったが、ほんともうメッチャクチャに行動早い子だなっ! この善は急げを地で行く生き方は嫌いではないが、この歳でそんな生き急がなくても良いのに。そもそも、日に何回も押しかけてくるのはやめて欲しい――あっ、一回なら来ても良いという意味じゃないぞ?


「続きな……はぁ、さいですよね……」

「もー、そんなげんなりした顔しないのっ。せっかくのイケメンが台無しよ?」


 夕はとても意外な事を言いながら、俺の顔に指先を向けてぐーるぐる回してきた。


「おいおい、イケメンて……生まれてこの方、初めて容姿を褒められたぞ。お前、目悪いのか?」


 逆に悪く言われたことも無いので、至って標準的な顔なのだろう。美男美女は何かとお得なので、少しうらやましくはある。ちなみに夕は……圧倒的にお得側だ、ズルイヨネッ!


「失礼ねっ! 一般論とかぶっちゃけどうでも良くて、あたしにとってパパは宇宙うちゅう一のイケメンなのよ。仮にしわっくちゃのおじいちゃんになっても、過去・現在・未来まで、永劫えいごうに!」


 夕はそう主張し、ふんすと鼻を鳴らす。


「ほー、腰が曲がった総入れ歯でも?」

「ええ」

禿はげ散らかしても?」

「……ええ」

「オカマになっても?」

「……」

「……」

「…………ぷふっ、なにそれぇ、あははは。性別まで変えられちゃうと、さすがにイケメンからは外れちゃうかもね。その場合はイケウィミン……イケジョ? まぁそんな道に走る前に、あたしが全力で止めるけどね!?」

「はぁ……お前、いろいろと強いな」

「ふふん、恋する乙女は強いのよ」


 普通の人ならお世辞か口先だけとでも思うところだが、夕の場合は本気で言っていそうなもの……まったく、そのとんでもない熱意を俺以外へ向けて欲しいものだ。


「でもぉ、女装したパパは見たいわねぇ。絶対可愛いわ! 今度可愛い服と化粧道具を持ってくるわね。あと名前は……そうね、いち子ちゃんにしましょ!」

「いやいや、何を勝手に! お前、ほんと無茶苦茶だな!? んなもん絶対に着んからな」

「え~? 絶対面白いのに~。できれば靖之やすゆきさんもセットで、にゅふふ――っとまた玄関で長話になっちゃったわ。入っていいかしら……いち子ちゃん? ふふっ」

「ええい、その名前だけはやめるんだ!」

「なんでぇ? 可愛いのに。あ、入れてくれたら考えてもいいわよ、いち子ちゃん?」


 名前を質に取って侵入を試みてくるとは、なんたる悪逆非道幼女。


「だぁもうわかったから! その名前はいわく付きだからマジでやめろ!」

「えっ、なになに、何か面白い話のよかーん!?」

「……なんでもねぇよ」


 実は保育園の学芸会で、男女比の都合で女の子役にされてしまい、その名前でしばらくからかい倒されたという苦い思い出がある。そんな厄ネタ、すでに目がキラキラ星になっている夕になんて、絶対に言えるわけがない。


「おっとと、本題を忘れちゃダメ。気になるけどまた今度ね。ということで、おじゃましまーす――んや、ただいまー」


 夕は靴を脱いで整えると、その言の通り、まるで我が家だと言わんばかりに堂々と上がり込んでいく。


「はいはい、どうぞどうぞ、お上がりくださいませよ!」


 どうやっても俺の力では追い払えないようなので、もはやヤケクソである。夕と話していると、なんだかんだで結局こうなってしまうのか……そう諦めていると、「ほーら僕の言った通りじゃん! 予定調和すぎて草」と笑い声が頭を過ぎる。――ええい、くっそ腹立つなぁ! てめぇは馬らしくそこら辺の草でも食ってろ! まったく、誰でもいいから夕に勝てる方法を教えて欲しいもんだぜ……後でヤブー知恵袋にでも聞いてみるか。それこそ大草原を生やされるとは思うが。

 そうして俺は、他力本願にならざるを得ない不甲斐ふがいなさを嘆きながら、足取り重く夕の後に続くのだった。


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