5-01 悪夢(2)  ※挿絵付

 コテージの中に飛び込めば、すでに入口付近まで燃え広がっており、目的の部屋に続く通路は揺れる炎に包まれていた。建物が乾燥している時期だったためか、幸いにも大量の煙に覆われて視界が失われてはいないが、その分火の足は速いようだ。

 まだ入口にも関わらず、猛烈な熱気が襲い掛かってきており、むき出しの顔と手足の皮膚が熱さで痛みを発している。この先を、行くと考えるだけで、生物の本能で勝手に足がすくむ。だが、父がまだ戻って来ないということは、さっきの重音で何かあったに違いない、早く行かなければ!

 そうして震える足を奮い立たせ、奥へ向かう通路を走るが、その間に炎の熱が全身をジリジリと焼いてくる。そこでわきの花瓶に目が止まり、試しに持ち上げて被ってみると……お湯に近い水が頭から降り注いだ。これで多少は耐えられるだろう。

 体感では永遠とも思えるような時間をかけて、ようやく最奥の部屋へとたどり着いた。すでに焼け落ちた扉から室内を覗くと、薄く煙に覆われているものの、目の前くらいは辛うじて見える。


「父さん! 父――っとと」


 呼びかけつつ足を踏み入れて数歩目、危うく何かにつまずきそうになり、見れば通路の床に女の子が倒れていた。例の取り残された子だとすると、助けに来た父は一体どこに……この奥に居るのだろうか。充満した煙や焼けて倒れそうな家具で、通路先の部屋はほとんど見えないが……行くしかない。


「――っぐ、ごほっ」


 奥に向かおうとしたところ、目とのどに走った強烈な痛みに思わずしゃがみ込み、慌てて右手でハンカチを口に当てる。

 くっ、たった一呼吸で、煙って、こんなにも、キツイのか。だが床付近は……まだなんとかなる。こんな、煙なんかに負けてられるか!


「とう、さんっ!」


 呼びかけながらも、薄目でうようにして進む。床に着いた左手とひざが焼けるほど熱いが、気にしている場合ではない。


「……だ……い」

「父さん、そこに居るのか! 今行く!」


 聞こえた父の声に少し安堵あんどし、声をかけながら五十㎝ほど進んだところで、地面に伏せる父の頭が見えてきた。

 急いで近づくと、父の周りの凄惨せいさんな状況が目に映り、心臓が跳ね上がる。


(挿絵:https://kakuyomu.jp/users/mochimochinomochiR/news/16818093075998971602


 父の背中を大きな金属棚が押しつぶし、さらには天井のはりが肩に突き刺さっていた。これでは……いかに屈強な父とて動けるわけがない。


「ばか、やろう! なんで、来た、んだっ」


 それは、普段の豪快な父からは考えられないほどの、弱弱しい怒声だった。


「今、助けるから――っぐあぁぁ!」


 咄嗟とっさに金属棚へ手を掛けるが、ジュッという音と共に、強烈な痛みが左手を襲う。熱いではなく、痛い、という感覚しかなかった。炎にあぶられた鉄を素手で触ったのだから、当然であった。


「やめろっ、無理だ……」

「でもっ!」


 この部屋はいつ崩れてもおかしくないのだ。


「いいか、大地……良く聞け。そこの少女を、まず、部屋の外に出すんだ」

「そんなことより父さんを!」


 肩に突き刺さった梁を引き抜こうとするが、深く食い込んでいて全く抜ける様子はない。


「父さんはいい……大地にできる事を、するんだ。その子を、外に出し、それから……救助隊を呼んで、状況を説明しろ。それしか、道はない」

「でも――」

「早く行け!」


 重症の父の死力を振り絞った声に、俺だけではどうしようもないことを悟る。


「ぐっ……わかった、必ず助けを呼んでくる」

「そうだ、それで、いい。順番を……絶対に間違えるな。約束だぞ」

「……うん」


 そう答えると、急いで向きを変え、屈んだまま入口に向かって戻る。


「大地……負けるなよ!」


 背後からは、小さく父の声が聞こえた。そのげきに自分を奮い立たせ、少しずつ歩みを進める。

 先ほどよりも煙が濃くなってきており、ハンカチ越しにせき込みながらも、なんとか少女のところまで戻ってきた。


「おい、大丈夫か! しっかりしろ!」

「……ぅ、ぁ」


 呼びかけつつほおたたいてみると、返事はあったものの弱々しく、意識もハッキリしていないようだ。自分で動けないとなれば、抱えて外に出そう。


「ふぬっ! お、もっ!」


 なんて重い……人間はこんなにも重いのか。持ち上げるなんて到底無理な話で、引きずるしかない。


「ぐっ……ふっ……」


 少女の細腕を持って、ズリズリと入口の方へと引っ張る。立つと煙に巻かれるので、力の入らない屈んだ状態で引くしかないのが、実にもどかしい。たった数メートルの距離が果てしない距離に感じる。

 あぁ時間が無いってのに! もう、放っておいて、先に救援を――


 ――約束だぞ。


 そうだ、何を弱気な。

 先ほど交わした約束で、今にも負けそうになる心を戒める。


「大丈夫だ、お前をちゃんと連れ出すから。そしてすぐに、助けを呼びにいくんだ」


 意識朦朧もうろうとする少女へ、そしてくじけそうになる自分自身にも言い聞かせる。

 自分では気の遠くなるような時間をかけて、じりじりと少しずつ少女を引きずると……ついに、部屋の外まで出られた。身体中が擦り傷や火傷だらけで、すでに満身創痍まんしんそういである。


「はぁ、はぁ、やっと……げほ、ごほっ」


 早く、早く呼びにいかないと。焦る気持ちと裏腹に、咳き込んで立ち止まっていたところ、大きな足音を立てて何者かが駆け込んできた。顔を上げると、なんとそこには救助に来た消防士たちが立っているのだった。瞬時に安堵の気持ちが沸き上がり、全身の力が抜け落ちる。


「少年! 大丈夫か!」

「うん、それより早く父さんを! 棚に挟まれてる!」


 そう言って慌てて部屋の中を指さす。


「なに! この中にだと……急ぐぞ、俺ともう一人で――」


 ミシミシッ


「――退避っ!!!」


 え、退避って、何を……そう思うや否や、消防士は俺と少女を抱えて一歩下がり、その瞬間――


 バキバキ ドガーン!!!


 先ほどのきしむ音に続いて、木材が折れる音、そして最後には地鳴りがするほどの轟音ごうおんを立てて、部屋の天井が完全に崩れ落ちてきた。

 そうそれは、自分がさっきまで居た、そして動けない父がまだ居る部屋を、二階部という大質量が押しつぶしてしまったことを意味していた。


「父さーーーん!!!」


 抱きかかえられていた俺は、たった今起きた絶望的な光景を前に、ただただ叫びをあげることしかできなかった。

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