5-02 安堵

「――っ!」


 嫌な夢を見た。それも随分と鮮明な夢で、木が焼け焦げる匂いも、素肌を焼く炎の強烈な熱も、そして天井が崩れ落ちる轟音ごうおんも……忌まわしい記憶のままだった。長らく思い出すこともなく、思い出したくもなかった出来事なのに、なぜ突然このような夢を見たのだろう。これは親父が、俺に何かを思い出せとでも言っているのか。


 ――大地……負けるなよ!


 夢の記憶とともに、親父の声が脳裏によみがえる。あの時の俺は少女を運び出して助けを呼ぶことに必死だったため、てっきりそのことに対する言葉とばかり思っていた。だが、今思えばこれは……こうして独り残される俺への、父の最期の激励だったのかもしれない。そう、あの時すでに、親父は自身の死を悟っていたのだろう。

 だがよ……「負けるな」って言われても、いったい何にだよって話だよな。普通の解釈をするなら、いわゆる逆境にってやつか?


「はぁぁ」


 そう言った本人が、その逆境を作った一因なのだから、ため息も出るというものだ。恨みつらみはとうの昔に言い尽くしたし、今さらどうするものでもないが。

 それで親父と言えば、昨日も頭の中で声を聞いていた。その時は――


「っっ!」


 鮮烈なフラッシュバックとともに、思い出した。涙を流しながらも、気丈にも泣いてないと言い張る少女のことを。


 ――こんな大地なんて見たくなかった!


 追い打ちとばかりに悲痛な叫び声が脳裏を過り、合わせて左手の甲がじんじんと熱を訴えてくる。


「だぁもう、何だってんだよ!」


 その熱を消そうと、右手で左手を強く握り締める。

 知り合ったばかりのゆかりもない少女だというのに、俺はいったい何を気にしている……夕に泣かれようが罵倒ばとうされようが、もう二度と会うこともないだろうに。

 そこで身体に妙な違和感を覚え、ふと周りを見回すと、ここがベッドの上ではなく茶の間だと気付く。あの後そのまま家に帰ったものの、その後何も手に着かず、うだうだと考えていて……そのまま寝落ちしてしまったらしい。テーブルに突っ伏して寝ていたせいで、身体の節々が痛むし、こうして悪夢も見るというものだ。

 柱時計を見れば六時半を指しており、意図しない早寝のおかげで、かなり早めの起床となってしまった。早寝早起きと言えば聞こえは良いが、生憎と健康は損なわれている。身体の鈍い痛みとぼんやり残る眠気に、睡魔が耳元で囁いてくるが、その誘惑を確固たる意思で振り切る。我が家には起こしてくれる者など居ないので、二度寝は最大級の危険行為なのだ。

 それで少々早めの登校準備をしようと、二階の自室へと向かった。薄暗い部屋のカーテンを引くと、朝焼けの残りを帯びた淡い陽光が差し込み、室内をほのかに照らし出す。ついでにと窓も開ければ、早朝の引き締まった冷ややかな空気が流れ込んできた。良い目覚ましとばかりに顔を出し、大きく息を吸い込んでみれば、先ほどまでのぼんやりとした頭もえて実に爽快そうかいだ。

 ふと視線を下ろして家の前の小道を見れば、ゆったりと早朝の散歩を楽しむ老人が居たり、犬連れの女性が軽快な走りを見せていたりと、穏やかな朝の日常が感じられる。それで俺も気分良く予習でもしようかと、首を中に戻そうとしたその時、視界の端に何かが映った。

 視線を少し戻してみれば、まだ日も差してない門の内側には、何者かが立って居た。目を凝らしてみると、その人物は長い蒼黒そうこくの髪に丸帽の制服姿の幼い少女――ってえぇ!


「ゆ――」


 慌てて口をつぐみ、言いかけた言葉を飲み込む。

 ハハ、今さら呼んでどうするんだよ。それに今自分ののどから出た声には、安堵あんどと期待が混じっていたような……まさか俺は、嬉しい……とでもいうのか? 自分のことながら、分からない。

 再度夕の方を見れば、家に入るでもなく、出て行くでもなく、ただうろうろしている。鍵の在りかはバレているので、入ろうと思えばいつでも入れるはずだが……やはり昨日のことで、入り辛いのだろうか。


「にしても、まさか来るとはなぁ……」


 あんな喧嘩別れのような形になり、もう二度と会うこともないと思っていたので、そのシツコサには呆れを通り越して感心する。だがこのナゾの熱意は、是非とも俺以外へ向けて欲しいものだ。

 でだ、俺は一体どうしたら……そう一瞬だけ悩んではみたものの、別にこちらから何かする必要もなく、夕がこのまま帰って終わり……それで良い話だった。夕にはここ数日でいろいろと世話になったし、連日付きまとわれて騒ぎを起こされるのも……まぁ、正直なところ楽しかったさ。だが、だからこそ、もうこれ以上関わるべきではないのだ。

 そう改めて心を戒めると、視線を切って窓をそっと閉める。先ほどは机に向かおうと思っていたが、そういう気分でもなくなったので、早めの朝食を取りに自室を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る