3-05 名前

「パパ、今朝ぶりね♪」


 いつの間にか背後に立っていた不思議少女は、俺の左隣の席に腰掛けると、そう言って満面の笑顔を向けてきた。その少女の姿を見てみると、どうやって入手したのか銀高うちの女子制服を着ているのだが、明らかにサイズが合っておらず、三分さんぶそでが五分袖になってしまっている。


「お、おまえどうやって――」

可憐子かれんこちゃんじゃないかっ!」


 俺の問いかけを遮って、ヤスが乗り出してきた。ええぃ寄るな触るな暑苦しい!


「こんにちは、靖之やすゆきさん」

「うひょほぉぉぁ! やっぱ可愛いすぎるぜえぇぇ!」


 少女に笑顔を向けられたヤスは、発狂寸前である。こうはなりたくないものだ。


「なんでここに――ってぇ! おまえっ! このちびっこめっ!」


 ズビシィィ!


 気付けば俺は、少女の細く白い腕に宇宙大地斬しっぺを叩き込んでいた。少女に遭遇する事で、蓄積し続けていた怒りが瞬時に爆発したのだった。


「あいたっ! パ、パパ何で叩くの!?」


 パシッ!


「うっさいわ! お前のせいで俺は、ヤスにいいように言われたんだぞ!」


 少女はすでに涙目であるが、俺の怒りはこの程度では収まらない。


「いやっ、やめっ、こんなのはまだ早っ――」


 パシッ!


「ええい、やめんかぁぁぁい!」


 ヤスに手を取り押さえられた。


「なぜ止めるヤスよ! 俺の怒りはこんなものじゃ――」

「落ち着け馬鹿もん!」

「――はっ!?」


 気付けば俺はヤスに脳天チョップされていた。

 俺はいったい……たしか、宇宙こすも流空手殺法を繰り出して……?

 冷静になって少女を見てみれば、ほおを紅潮させながら涙を眼にめて腕を押さえ、さらには上目遣いでこちらを何やら物欲しそうに見つめていた。

 な、なんだよ……そんな眼で見ても弟子にはしてやらんぞ?

 そこでヤスはゴホンとせき払いをすると、


「あー、なんだ、お前らもうそんなことしてる仲なのか? もうさ、あれだ、結婚しちまえよ! 祝ってやんよちきしょう! あとだ、そういうプレイは二人きりの時にしてもらいましょうかねぇ? 見てる僕の身にもなってくれよぉぉ!」


 涙目の上目遣いで訴えてきた。何が言いたいのか良く分からないが、とりあえずヤスの場合は大層気持ち悪いだけだった。



   ◇◆◆



「すまない不思議ちゃんよ。怒りに我を忘れたとはいえ、これはやり過ぎた。この通り海より深く反省している!」


 しばらくして三人とも落ち着いたところで、俺は頭を下げて大陳謝祭。ただの逆恨みだし、いくら何でも大人気なかったと思う。


「不思議ちゃんってあたしのこと……でいいのね? えぇっと、何で叩かれたのか良く分かんなかったけど……うん……ぁぅ……」


 どういうことか少女は恥ずかしそうにモジモジしているが、とりあえず許してはくれたようだ。


「それで電柱の君の可憐子ちゃんは何でうちの学校に?」


 ヤスが俺の代わりに、聞きたかった質問をしてくれた。


「あーえっと電柱の君? と可憐子ちゃんというのも……私の事ですか?」

「イエス、マイエンジェル!」

「まい、えんじぇる?」


 次々と増えていく呼称に、大混乱する不思議少女。そりゃそうだ。


「さっきから気になってたんだがよ、こいつのどこが可憐? むしろしたたかじゃ?」

「それは酷いよぉ~――っと文句言いたいところだけど、うん、そだね。あたしはパパの前、えっと、自然体? の時はきっと可憐とは程遠いかも? そう、恋する乙女は強かじゃないとやってられないのよっ!」

「おおー! 元気溢れる可憐子ちゃんでも、僕は全然オッケーだよ!」


 それはもはや可憐子ではない。


「あのぉ、できれば普通に名前で呼んで欲しいんですけど」

「確かに変なあだ名ばっかだね。大地、この子のお名前は何と?」

「知らん」

「「えぇぇ~!」」


 二人の声がハモった。お前ら仲いいな。


「あれだけきゃっきゃうふふしておいて、名前も知らんってのはどういうことだよ!」

「パパ、それはあんまりだよぉ~」


 ヤスはテーブルをバンバンと叩き、少女は頬をぷく~っと膨らませている。まるで突きたてお餅のような頬だ。


「聞かされてないものは知らんわ。俺はエスパーじゃねぇ」


 どうして俺が悪い事になるんだ。このお餅め、つまみ尽くしてやる――と言いたいところだが、今は先ほどの悪行非道三昧ざんまいの執行猶予期間中につき自重ナリ。


「あっれぇ、そうだっけぇ…………うん、言ってなかったわ! ごめんねぇ、パパ?」


 少女は非を認めると、舌をぺろっと出して小首を傾げた。そのあざとい仕草にヤスが悶死もんししたようだが、供養は不要だろう。ゾンビみたいなもので、リサイクル可。


「それじゃぁ、改めて自己紹介するわ――って言いたいとこだけど、珍しい名前だからまずはこっちをどーぞっ」


 不思議少女はポケットから生徒手帳を取り出すと、プロフィール欄を見せてきた。そのページの頭には「ミルキー女学院初等部・生徒手帳」と書かれており……あぁ、すぐ近くにある女子校か。

 次に氏名の欄を見れば「天野 夕星」と書かれているが、「よみがな」の欄は少女の指で隠されている。


「はいっ、こっこでぇ~、くーいず! 何て読むでしょぉーかっ?」


 確かにとても珍しい難読の名前であり、クイズとして成立している。ふむ……この単語はどこかで見たような……古典の問題集だっただろうか。


「あまの……ゆうほし?」

「ぶっぶー、はっずれぇ!」


 リサイクルヤスがそのままの読みで読みあげるが、当然ながら間違い。


「……ゆうつづ、いや……ゆうづつ? そんな感じの読みじゃなかったかな? 意味は確か……よい明星みょうじょう。そう、金星のことだ!」


 俺はようやく思い出せた情報を答えてみた。


「さっすがパパ、正解だよぉっ! だけど読みはちょっと違って、『ゆうづ』ね。みんなは、ゆうちゃんとか、ゆっちゃんって呼ぶかな」

「よーし! じゃぁ夕ちゃんって呼ばせてもらうよっ。僕の名前は――ってもう知ってたっけ? なんで?」

「それはですねぇ……乙女のひ・み・つ・です♪」

「はっふぅぅーん」


 指をフリフリしながらの可愛らしいスマイルに、ヤスは再度の撃沈。まったく忙しいやつだ。


「俺の名前も、どうせ知ってんだろ」


 昨晩に一度呼ばれてはいるが、紹介した覚えもないので一応聞いておく。


「あったり前でしょ……あたしは全ての名前を忘れても、パパの名前だけは絶対に忘れないわ」

「そいつぁどうも」


 早いところ忘れて解放して欲しいのだが、残念ながら一番最後らしい。


「天野、夕星か…………すごく綺麗な名前だな」

「パ、パパあぁっ」


 感じたことをそのまま口したところ、天野は瞳を名前の通りキラキラ星に変えており、何やら感無量といった様子である。


「お前さぁ、聞いてるこっちが恥ずかしいんだが!?」

「あ、いや……そういうつもりじゃなくて」


 どう受け取られたのかに気付き、慌てて弁解する。


「氏名合わせて、天に瞬く宵の明星って意味だよな。何か洒落しゃれてるなぁと、ふと思っただけだ」

「うふふ、ありがと。パパだって宇宙の大地、つまり地球ってことでしょ? 雄大な感じがとっても素敵よ♪」

「はいはいはいはい! お二人さん、そういうのは他所よそでやってねぇ? あー砂糖吐きそ」

「靖之さんの名前も素敵ですよ?」


 なにその取って付けたようなお世辞。


「うっひょーい! ありがとう夕ちゃん」


 だめだこいつ……もう何でもいいらしい。

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