2-03 仰天  ※挿絵付

「……は?」


 ヤスがおかしな事を言い出したので、聞き返してみる。


「だから、今日転校生が来るみたいだよ」

「こんな時期にか? ここは小学校じゃないんだぞ」


 我が銀丘高校はそれなりの進学校なので、三年生の途中から転入してきても、付いていけるのかは怪しい。ヤスなんて、入学から居るのに全く付いていけてないのに……そもそもどうやって入ってきたんだコイツ?


「僕の予想では仕事の都合+過保護ってとこじゃないかな――っと中嶋だ」


 ヤスが席に戻るのと入れ替えに担任の中嶋先生が教壇に立つと、早速その話を始めた。


「あー、まずは転校生を紹介します」


 中嶋先生は由緒正しき定型句を告げると、続いて廊下に待機しているはずの転校生を呼ぶ。


「小澄さん、入って来てください」


 小澄……聞いた事あるような無いような……まぁそこまで珍しい苗字でもないしな。宇宙うちの万倍は居るだろう。

 俺は正直どうでも良いが、教室内からは好奇な視線が入り口に集まっている。


 ……


 十秒経過。入り口の戸は音を立てる気配すらない。


 ……


 二十秒経過。依然として戸は物言わぬ壁のままで、教室と廊下を隔てている。


「……おや? 小澄さーん?」


 聞こえなかったと思ったのか、中嶋先生が先ほどよりも大きな声で呼ぶ。そのとき、廊下――正確には隣のクラスから小さく声が聞こえた。


「わぁぁぁーすみませぇぇん。教室を間違えましたぁ~」


 次いで隣の教室から戸が閉まる音がして、今度こそはこちらの入り口の戸の出番かと思いきや……


 ガゴンッ!


 完全に予想外の音を立てた。そう、それはまるで鈍器で殴りつけたような音であり、引き戸に対してごく普通の開け方を試みれば絶対に発生しない音である。


「ぶつかったな」「あれはぶつかったね」「呪いかもしれん」「こっちまで痛くなっちゃう……」「引き戸にぶつかる人って居るの?」「これは引き戸の呪いだな」「回転扉とかならともかくなぁ」「自動ドアと勘違いしたとか?」「まっさかぁ、どこにそんな近未来学校があるんだよ」「これはもう自動ドアの呪い」「すごいお金持ち学校から来たとかさ」


 周りの生徒達が異音について口々に騒いでいる。情報を総合すると……ふむ、呪いのせいか。多数決の原理ってオソロシイネ。

 異音がしてしばらくすると、戸は本来の仕事を思い出したとばかりに、カラカラと音を立てた。周りが騒ぐのを止めて注目する中、待ちに待った転校生が額を赤くしてご登場。


「すみません、間違えて隣のクラスに入ってしまいました……」


 あぁ、よーく知ってるともさ。この場の全員がなっ!

 よし、ここでちょっと状況を整理しようか。まず中嶋先生が教室に入ってから、転校生の名前を呼ぶまでに三十秒あるかってくらいだったな。それで中嶋先生がどっちに入って行ったか忘れてしまい、間違ったわけだな? 転校初日で緊張していた、もしくは人間たまにはぼーっとしていることもあるだろうし、うっかり分からなくなる事もあるかもしれない。だが窓から教室の向きを見られるわけだし、普通はどっちが前かくらい判るよな? それすら気付かないほど、緊張していたのだろうか。入るときに思い切りぶつかったくらいだし。

 色々と考えているうちに、すでに転校生は教室内に入ってきており、教室内が先ほどとは違った意味を含んでざわめき立つ。それは特に男子から……つまり転校生は美少女、自明の結論だ。

 そして推定美少女の転校生は、教壇に立つ中嶋先生の側まで進もうとし……なんと、こけた。豪快に、こけた。万歳の態勢で若干スカートをまくれさせながら、床に突っ伏している。これはもはや、お笑いの教科書に載せられるレベルである。

 ちょ、え? 待ってくれ……今こいつ何も無いところでこけたぞ? もしや俺からは見えていないだけで、誰かが新入り制裁の足払いでも仕掛けたのか? やだ怖い。それともこれはツカミなのか!? さっきの件もツカミ用のネタだとすると、一体どれだけ用意周到なやつなんだ。

 

「い、痛いですぅぅ。あれぇ、め、めがね、めがねぇぇ、どこぉぉ……」


 転校生は床で情けない声を出し、こけた拍子に吹っ飛んでいった眼鏡を探している。

 素だ! これは間違いなく素だ! もしもこれが演技なら、来る学校間違えてる。女優か吉○でも目指せ。こんな漫画のようなキャラが現実に存在しているとは、驚愕きょうがくの事実だよ!

 おっといかんいかん、冷静になれ。普通に考えて、現実にこんなヤツが居るわけがない。間違ってもツッコミなど入れてはいけない、演技派転校生の思うツボだ。


「だ、大丈夫ですか、小澄さん。どうぞ」


 今起こった事が信じられないといった顔をしながらも、飛んでいった眼鏡を拾って転校生に渡してあげる紳士教諭。流石は大人、実に冷静な対応だ。若干顔が強張ってはいるのは致し方あるまい。


「あ、ありがとうございますぅ。私眼鏡がないと何も見えな……? あれ? 見え……ます? おかしいなぁ、どうしてでしょうか……急に視力が良くなったのかなぁ? やったぁ! 毎日ブルーベリー食べた甲斐かいが……あっ、今日はコンタクトでした。どうりでクラクラすると思いました(テヘペロ)」


 たった今、「いや、ねぇよ!」の意思がめでたく教室統一を果たした。これ程の教室の一体感は、給食のプリンジャンケン以来だろうか。誰もツッコミを入れなかった事が、もはや奇跡レベルと言える。俺よ、よくぞ我慢した、エライぞ。


「あー宇宙君? TPOをわきまえましょう」


 な、なんだってぇ! ついに口に出してツッコんでいたのか! さっきもヤスに思っている事を口に出してしまったが……これはマズイな。対人問題を極力排除するために今まで築き上げてきた近寄りがたい雰囲気が崩れ――いや待てよ? これは全員が言いたくて仕方なかった事なので、意外と誰も俺を気にしていないのでは? 中嶋先生も、私も必死に我慢したのですから、と言っているようなものである。ヨシ、そうだということにしよう。

 それはさておき……転校生が戸にぶつかったのは、近視のダブル視力矯正で度が合わず、ふらふらしていたからなのかもしれないな。まぁ、そうでなくともぶつかっていた気がしてならないが。つまりだ、信じがたい事にもだ、あれは演技ではなく、天然ドジによる所業という事になる。

 いやまったく、想像を絶するポテンシャルを持ったキャラだぜ……どれほど高性能な計測器スカウターを使ったとしても、この天然力は到底計れまい。そしてこいつは、絶対に来る学校を間違っている。ここはお笑い芸人養成学校ではない。


「ははは、小澄さんはうっかりさんですね。はい、それでは大丈夫そうでしたら自己紹介して下さい」


 もはや手遅れ感は否めないが、中嶋先生は懸命に流そうとしている。そしてこれをうっかりの範疇はんちゅうに収めるならば、世の中の全うっかりさんキャラは脱帽である。

 そうしてついに、転校生は教壇の前に立った。通常は教室に入ってから教壇にたどり着くまでに、三秒もあれば事足りるはずだが……ナゼか三分も経過していた。恐ろしい子。


「皆さん初めまして、小澄こすみひなたです。今度父の仕事の都合でこちらに引っ越してきました。母の実家がこちらにありまして、今はそこに住んでいます。以前は銀丘小学校に通っていましたので、ご存知の方も居られるかもしれません。向こうの友達には、ひなちゃんはちょっとだけドジな子って言われてましたが、全然そんな事はないと思います。ひどいですよね。それでは、どうか宜しくおにぇっ、がひしまふ。いだぁぃ……」


 ちょっとだけだとぉ? お前いま、友人の発言を改竄かいざんしただろ! それとも俺の知らない間に、「ちょっとだけ」という単語の使用方法が変わったのか? 英語でいうとvery muchあたりかね。あと「ちょっとだけ」に気を取られてスルーしかけたが、最後噛んだよな? 絶対噛んだよな? もうツッコミどころが多すぎて、どこから手をつけて良いものやらだ。将来の突っ込み役の相方は過労死するぞ。

 だがこれで、このような時期に転校してきた理由が分かった。万一こいつに一人暮らしなどさせようものなら、よくて三日で出火・延焼・爆散、最悪の場合は……想像し得ない程のカタストロフィが下宿先周辺を襲うことになるだろう。小澄の親は実に賢明な判断をしたのだが、欲を言うならば、もっと才能を活かせる学校に行かせて欲しかったものだ。

 自己紹介を終えた小澄は、教室の隅の位置に予め用意されていた席に着く。追加席なので必然ではあるが、隅というありがたい配置だ。もし机の樹海の中を通らせれば、自分の席に辿たどりつくまでに百%こけるだろう。小澄を知ってわずか五分足らずの俺だが、断言できる。

 ……ああ、小澄は奇しくも意図せずして、ただの自己紹介よりも正確かつ確実に、自己を紹介してみせたというわけか。もしかすると俺は、ヤスを除く他の生徒の事よりも、小澄の事を理解してしまったかもしれない。うーん、全くもって理解したくなかったのだがなぁ。

 普段ならば転校生が来ようとも全く興味がない俺だが、これ程の衝撃的な登場シーンを見せつけられては、強烈な印象を残してしまうのであった。




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小澄陽の立ち絵 https://kakuyomu.jp/users/mochimochinomochiR/news/16816452221406019852

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