墓守のモリーさん

あおきひび

墓守のモリーさん

 私は墓守だ。

 この墓地から出ることはない。これまでも、そしてこれからも。

 

 この墓地は、「教会の町」裏手にある。

 教会は真っ白な壁に金十字の輝く、たいそう美しく立派なところらしい。各地から聖職者たちが多く訪れて、「教会の町」は小さいながらもにぎわいを見せているのだそうだ。どれもこれも、葬儀屋から聞いた話だ。実際に町の様子を見たことはない。

 早朝、墓守小屋で目を覚ます。古びたボロ小屋は、私一人が使うにはやけに広々としている。以前は多くの墓守たちが暮らしていたらしい。私が物心ついたころには、ここには私と、老人が一人しかいなかった。

 老人は、森に捨てられていた、まだ幼い少女だった私を拾ってくれた。貧しい暮らしの中、老人はわたしを10数年間育ててくれた。そして一昨年の冬を越せず、死んだ。

 老人や墓守たちは「不浄の民」として、町の人々から忌み嫌われていた。その老人に育てられた私も当然、そういうことになる。

 私は小屋を出る。一日中墓地の見回りや手入れをし、小屋の裏でわずかな作物を育てて食いつなぐ。夜更けに寝て、夜明け前に起きる。

 そんな生活が一生続く。そのことに対して、深い思い入れは無かった。孤独には慣れているし、昼夜を問わず働くことも、そこまで苦にはしていない。老人が遺してくれた書物もいくつかあったし、死ぬまでここで暮らすことを、特に何も感じることもなく受け入れていた。

 

 そんな一人の墓守暮らしだったが、ある時、それが二人になった。

 ある朝、私が食事をとっていると、ノックの音がした。出るとそこには一人の若い男がいた。薄汚れた服はそれでも上等そうで、いいところの出だと分かった。旅人だろうか。外套を羽織って、肩に小さなかばんを掛けている。

男は私を見るなり絶句した。無理もない。私は長いこと体を洗っていなかったし、髪も伸びるに任せている。相当に、汚れているだろう。

 かと思えば、そいつはこうつぶやいた。

「美しい……」

 あまりにうっとりとした声で言うものだから、私は少したじろいだ。腐敗した死体にも動じない、この私が、だ。

「こんなに美しい方は初めて見ました。身体も、魂も、どちらもこの上なく清らかだ」

「それは、どういう意味だ?」

 私はなんとか落ち着きを取り戻し、問い返す。今更侮辱されようが何とも思わないが、それでも、この男がただのでたらめを言っているだけとは思えなかった。

 男はふいに私の手をとって、まくしたてる。

「どういう意味か。あなたの手が、それを物語っています。痩せて細く、肌は堅く張っている、まさに奉仕する者の手です。それに、墓場を見てきました。どの墓もよく手入れされていて、死者を丁重に弔う清い心を感じました。あなたの魂は素晴らしい美を放っています」

 やたらと褒めてくるので、はじめ私はこの男を怪しんだ。私のような不浄の民に優しくするとは、付け入る隙を狙っているのか。ここには価値のあるものなど何一つないというのに。

 しかし、次の一言で考えが変わった。

「それにあなたの身体は、誰にも汚されていない。なんとも美しいことだ」

 ああ、こいつは私が処女だと言いたいのだ、と分かった。そう考えるとずいぶんあけすけな奴だ。私は安心した。親切にされることには、慣れていない。


 こんなところに来るからには、何か用があるのだろう。私が尋ねると、

「実は、こちらに少し泊めてほしいのです」

と、そう言うではないか。

 私がやめておけと言っても、そいつは「泊めてください、何でもしますから」の一点張りだ。私は根負けして、その男を家に置くことにした。

「あなたのような美しき方と共にいられるなんて、私はなんて幸福なのでしょう」

 そいつが歯が浮くようなセリフを平気で言うものだから、

「ほら、何でもするんだろう。さっさと仕事にかかるぞ」

 なんだかこそばゆくなってきて、私は顔を伏せたまま墓場へと出ていった。その日は、男に仕事を教えるだけで一日が終わった。いつもよりだいぶ疲れがきて、わたしはベッドにもぐりこんだ。

 

 男はたいそうよく働いた。

 仕事を覚えるのも早かった。女の私よりもさらに華奢な手で、懸命に墓石を磨いている。その細い体躯に見合わず根性はあるようで、一日中見回りをした後でも弱音ひとつ吐かない。大したやつだ。

 そいつは3日目の朝、だしぬけに言った。

「あなたのお名前は、なんとおっしゃるのですか」

 その時わたしは裏の畑で、作物の様子を見ているところだった。今年はあまりよく育っていないから、秋のうちに山で食べるものを採ってこなければ。そんなことを考えながら、振り向かないままで答えた。

「名はない。好きに呼べばいい」

 今までもそうだった。「墓守ども」、「奴ら」、「あれ」。町の連中は私を好き勝手呼んだ。きっと名前などそういうものだ。

 少し間があって、そいつはこう言ってくる。

「では、「モリーさん」というのは」

「……は?」

 私は思わず振り返った。そいつが顔を赤らめて言うには、

「ほら……「はかもり」の「モリ」に「さん」をつけて、「モリーさん」、です。その、何と言いますか、あなたともっとお近づきになれたら、と……」

 体をもじもじとさせつつ、そんな間の抜けたことを口走るので、

「お前、思ったより馬鹿だな」

 ふっと、笑いが漏れた。笑ったことなど、何年ぶりだろうか。男は安心しきった様子で、その後も上機嫌で作業をしていた。そして私は「モリーさん」になった。

 

 死体入りのずた袋をひきずり、墓地の端のあたりまで来た。高い柵のすき間から、遠くに街道や畑が見える。昨日堀っておいた墓穴に死体を放り込んで、ざくざくと埋めていく。

 視界にちらちらと、男の姿が映った。男は動物によく好かれた。切り株に腰かけたそいつの周りには、烏や野良猫が何匹も群がっている。男はかばんから保存食か何かを出して、それらに与えている。男の表情は柔らかい。なぜあんな鳥や獣にそう優しくなれるのか、私にはよく分からなかった。

「さぼっていないで、少しは手伝ったらどうなんだ」

 私の呼ぶ声に気づくと、男は慌ててこちらに駆けてくる。烏は散り散りに飛んでいき、野良猫は素早く茂みの中に姿を消した。

 二人でシャベルを握り、土をすくっては穴に放り込む。

「墓をつくる土地が足りないんだ。もう少し木を伐採して、墓地を広げておかなければ。冬が来る前に」

 掛け声をそろえて墓石を持ち上げ、決まった位置に納める。

「私もやります。薪も、もう少し必要ですからね」

 男は重労働のさなかでも、つらそうな顔を見せない。ふと気になって、尋ねてみた。

「どうしてお前はそうなんだ?」

「と、言いますと?」

「なぜ、そんな風に気楽でいられるんだ。さっきだって、やたらと間の抜けた顔をしていた。鳥や獣なんかに食料をやるのは、そんなに楽しいのか?」

 男はにっこりと笑って、言った。

「それはもちろん、世界は神の恵みで満ちていますから。こうして日々生きていること自体が、この上なく幸いなことです」

「よくわからないな」

「烏や猫のこともそうです。この世に生きとし生けるものすべては、みな等しく天恵を受けるに値します。持つ者が持たざる者に与えるのは、当然のことでしょう」

 にゃーん、と鳴き声がして、男の足元には黒い子猫がすりよってきている。男は困ったように、子猫と私を交互に見た。

「もういい、あとは私が片付けておく」

 そういうと、そいつはまた気の抜けたような顔をして、そして子猫を優しく撫でた。その手は骨ばって、出会ったころよりも痩せたように思えた。

(なあ、お前は本当に幸せなのか)

 そう口に出すことはなく、私は遠くの方から、親し気にふれあう1人と1匹を眺めていた。

 

「モリーさん」

 墓地の雑草を刈っていると、後ろから声が掛かった。

 見ると、男は手の中になにか黒いものを抱えている。

「この子、死んでしまいました」

 そいつはうつむいたまま、薄く笑った。こんなときにまで、笑う必要などないのに。

「お墓は私が作っておきます。あなたの手を煩わせることはありませんので」

 それを聞いて、私は黙って立ち上がり、墓地の奥へと向かう。男が付いてくる様子は無い。

「ほら、早くこい」

「……え?」

 男の背中を押し、一緒に墓地の奥へ向かった。

 森の木々を抜けると、少し奥まったところに広場がある。広場は草一つなく、周りを石れんがで囲われ、白い花がいくつも植えてある。男は目を見開いて、その新しい墓地にくぎ付けになっている。

「ここは……でもどうして」

「猫も、烏も、いつか死ぬだろう」

「ですが、モリーさんは言っていました、墓にする土地が足りていない、と」

「いいから、さっさと弔ってやれ」

 男ははっとして、それから腕の中の亡骸をやさしく抱きしめた。

 子猫を埋めて、墓石を立て、野花を供える。最初の小さな墓が、小さな墓地にひとつ出来た。

 墓の前でひざまずき、男は祈りをささげている。その背中に向けて、何とはなしに呟く。

「いつかお前はどこかへ行くのだろう。だが、私はずっとここにいる。一生、死ぬまで、だ」

 それはただ事実を言っただけにすぎなかった。しかしそいつは、その言葉からそれ以上の意味を感じとったらしい。

「感謝します」

 弔いを終えて、立ち上がった男の頬には、一筋の涙の跡があった。

 

 その日はひどい雷雨だった。

 どんなに空が荒れようと、仕事は仕事だった。朝早くに起き出して、墓場に出る。男は起きてこない。まあ、たまには疲れが出ることもあるだろうと、そのまま放っておいた。

 数時間後、ずぶ濡れになって戻ってきてみると、男はベッドの上で、布団もかけずにうずくまっていた。

 ついに体を壊したか。私が近寄ると、風雨の音にまじってかすかな嗚咽が聞こえた。肩に触れると、ひどく震えている。尋常な様子ではなかった。

 私は何もできず、ただそれを見ていた。遠くで雷鳴が響く。激しい風に小屋はきしんだ。

 どのくらい時間がたっただろうか。男は泣き止み、ゆっくりと起き上がった。そしていつもの微笑を浮かべて、

「お見苦しいものを、見せてしまいました」

などと言うものだから。私は柄にもなく、

「話、聞かせろ」

と、男の座るベッドの端に腰を下ろした。

 

 この男が初めて来たときから、妙な感じはあった。こんなに身なりのよい奴が、わざわざ旅人などをしているのはなぜか。男が変に超然としていて、いつもかすかに笑みを浮かべているのはなぜか。

 それはきっと、こいつの今までに関係している。そして今、こんなに不安定な状態でいるのは、つまり、忘れられない過去の記憶があふれだしたせいだろう。こんな嵐の日、人はよくそうなる。

「モリーさん。わたしは、つみびとなのです」

 罪人。そいつはそう言った。その表情は硬く、とても冗談や例え話ではないことが分かった。

「それで、自分の町を追放された、ってわけか。別に、私はお前がどんな大悪党だろうと、今更なんとも思わないが」

「いいえ、そういう問題ではないのです。わたしの罪は、もっと大変な、取り返しのつかないものです」

 男が暗い声でそんなことを言うので、私は思わず、こんなことを口走っていた。

「それは、お前の信じる、神、とやらに関係があるのか」

「ええ、そうです……しかし」

「なら、「ざんげ」でもすればいい。お前の神の方法で」

 男はぐしゃぐしゃになった顔で、こちらを見た。私はまっすぐその眼を見据え、言葉を続ける。

「老人が遺した本の中にあった。お前の神による、聖なる書物らしい。やりかたは、なんとなく分かる」

 ベッドから降りて、小屋の奥へ向かう。本に書いてあった方法を思い出しながら、祭壇の準備を始めた。

 男はなおも泣き言をつぶやいている。

「私が、ゆるされるなど、そんな」

「うるさい。黙って準備を手伝え」

 いつの間にか、嵐は過ぎ去っていた。静かな小屋の中、二人で儀式の準備を整えた。

 

 小屋にあった中で、いちばん汚れが少なく白っぽい布を選び、ぼろぼろのそれを身にまとう。髪や体を泉で清め、小さな薪を十字に縛った、短杖を右手に掲げる。

 私の目の前には、聖なる書の置かれた、布きれを掛けただけの祭壇。そしてその前に、男が目を閉じてひざまずき、手を前に組んで一心に祈っている。私の背後には、天井まで届きそうな高さの廃材で出来た十字架が立ち、この貧相な懺悔室をすこしは様になるものにしている。少なくとも私はそう思う。なにしろ、本物の教会など見たことがないのだから。

 聖なる本にある口上を、司祭役の私がぎこちなく読み上げる。

「神の声、を聞け、人の子よ。汝の罪を、ここに告白、せよ」

 男は目を閉じたまま、つぶやくように、しかし確たる口調で、言う。

「わたしは、つみびとです」

 それを聞いて、私は思わずその言葉に応えていた。

「ああ」

 儀式としては、ふさわしくないのだろう。だが、そいつがあまりに静かな声を放つものだから、ひとりにしてはいけない、と感じた。

「ゆるされないことを、しました」

「そうか」

「あのひとは、いつもわたしをまもってくれた。わたしはあのひとと共にありました」

「そうだな」

「わたしは、あのひとをあいしていました」

「ああ」

「あいして、しまいました」

「……そうか」

 なんとなく、思った。きっとこいつの言う「あのひと」は、きっと、ずっと遠い所へ行ってしまったのだろう。

「これが、わたしの罪です。ゆるしてほしいなどとは言いません。これは、わたしが永遠に背負うべきものです」

 殊勝なことに、男はこの先ずっと、ひとりでいるつもりのようだった。その決意は、私ごときには到底動かせないものなのだろう。

 ならばせめてもの、餞別を。

 ひざまずき、目を閉じて祈る男。私は祭壇からそっと降りていき、男の額に十字の短杖で触れた。

「ゆるした」

 

 私の声と同時に、天井の一部が音を立てて崩れた。今朝の嵐で壊れたのだろう。破片が舞い、壊れた屋根のすき間から日が差す。柔らかな光の帯が私たち二人を照らした。私も、男も、目を開けることは無かった。この瞬間こそが永遠だった。

 

 次の日には、男はこの墓地から去っていった。

 儀式を終え、片付けを済ませるやいなや、男は憑き物が落ちたような、清々しい笑顔を見せた。今までの曖昧な微笑なんかとは大違いの、いい顔をしている。

「長い間、お世話になりました。すぐにここを出ます。あなたのおかげで、勇気が湧いてきました」

 男は手早く支度をすませ、気づいた時にはもう姿を消していた。

 男の居ない墓守小屋はやけに広く感じた。全てが今まで通りのはずなのに、どこかおさまりが悪い気分だった。しかしそれにもじきに慣れていくことだろう。

 あいつは今頃どうしているだろう。ふと仕事の手を止めて、青空を見上げた。確か、「神の国に行きたい」とか言っていたような気がする。どこでも好きな所へいけばいい。それでお前が、少しでも幸せになれるのならば。

 

 私は墓守だ。名を、モリーという。

 この墓地から出ることはない。これまでも、そしてこれからも。

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墓守のモリーさん あおきひび @nobelu_hibikito

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