第25話 

石切場の入口で、若い従士が見張っていた。

眠気に勝てず、うとうととしている。まわりから、川からの冷たい朝靄あさもやがゆっくりと広がっていた。


足音が聞こえた。

ハッとした従士は目をらした。白い靄の中から誰かが近づいてくる。


「ご苦労――」

その声を聞いた従士の顔が明るくなった。

「アルケタ様!」

朝霧の中から、姿を現わしたアルケタは、親しげに従士の肩を叩いた。

「何も問題もないか」

「はいっ」

と答えた従士が思いだした。

「あの、昨晩、イオアン様が――」

アルケタは頷いた。

「そのことは、マルガリウスから聞いてる。まだ降りてきていないんだな」

従士は黙って頷いた。

憧れの騎士を目の前にして、言葉が出てこない。


そばかすのある従士はまだ十五歳。それに対して、アルケタは十九歳だが、はるかに大人に見える。

エルフとしては背丈は高くないが、筋肉質の体はすらりとしていた。兄のような近寄りがたい冷たさはアルケタにはなく、暖かい親しみやすさがある。だがときおり、傷つきやすい少年のような表情を見せることもあった。

アルケタが従士に家族の消息について尋ねた。そのうちに、従士の緊張もほぐれてきたようだ。


アルケタはまわりを見回した。

「あとは私が見張っているから、おまえは休むといい。捜索が始まるまで、まだ時間があるだろう」

従士は頭を下げると、仲間たちがいる焚火へ駆けていった。


アルケタは、濃い靄の中を見通そうとした。

白くて、何も見えない。

上を見上げると、灰色の空が明るくなっていた。

まもなくで夜が明け、靄も晴れるだろう。そうなれば、この石切場の全貌が掴める。アルケタの若い顔に、決意に満ちた表情が浮かんだ。


振り返ったアルケタは、靄の向こう、切り出された大きな大理石の上に、誰かが立っているのが見えた。眉をしかめた彼は、その人影へ近づいていった。


白い靄を透かして、だんだん、その姿が明らかになってきた。すらりとした長身を黒ずくめの服で包んでいる。その人物は大理石の塊の上から、身じろぎもせず、はるか彼方へ視線を向けていた。

アルケタは、大理石の塊の手前で立ち止まった。

大理石の塊は彼の背丈よりも高い。塊の上に立っている人物は、アルケタの存在に気づかないのか、遠くを見据えたままだ。彼は咳払いをした。


「父上――」


オウグスが下を向いた。

髪には白いものが混じり、頬はこけているが、その眼差しは鋭く、尖った鼻梁びりょうとあいまって、猛禽類もうきんるいのような雰囲気を漂わせている。

オウグスの射抜くような視線にさらされ、いつもながら、アルケタはたじろぐような気持ちになった。気を取り直して話しかける。


「どうかなされたのですか」


オウグスは視線をふたたび遠くへ戻した。

「うむ、目が覚めてしまってな。戦場と同じだ。外に出ると気がたかぶってしまう」

「何かありましたか」

「あの馬と、女のことを考えていたのだ」

「はい」

「私の目に狂いはなかった。だが、あの馬を乗りこなした女首領は、なかなかのものではないか。なんとか捕まえたいものだ」

「ええ」

アルケタは頷いた。

「ここ数年間、手を焼かせましたが、やっとです」

「〈暁の盗賊団〉は、どれぐらいの規模だ」

「正確な人数は分かりませんが、十数名ぐらいかと。もっと多ければ、さすがに按察官の密偵たちが見つけだしているはずでしょう」

「そうか、思ったより少ないな。どう組み込むのがいいのか――」

「組み込む?」

「全員捕まえたら、セウ家の軍団に配属できないものかと考えておる」

「盗賊団をですか。それはちょっと――」

「遊撃隊として、効果的な働きをしそうではないか」

「しかし、あのような者たちを加えるのは、軍団の品位が落ちるのではないでしょうか。賛成しかねます」

オウグスはくつくつと笑った。

「若いのに、おまえも頭が固いな。戦争では使えるものは何でも使うのだ。考えてみろ、もしあの女盗賊の能力で敵軍を――」

突然、オウグスが声を抑えた。

「誰か来たぞ」


振り向いたアルケタは、耳を澄ませた。


川の方からひづめの音が近づいてくる。

「何者だ、名を名乗れ」

アルケタは背中の弓を手に取ると、矢をつがえ、白い靄に向かって構えた。


「アルケタ、私だ!」

という声に、驚いたアルケタが叫んだ。

「兄上!」


アルケタは靄の中を進むと、ククルビタの手前で止まった。馬上のローブ姿のイオアンを見上げて、押し殺した声で訊いた。


「こんなところで何をしてるんだ」

「もちろん、ブケラトムを追いかけてきたんだ。従士から聞いてないのか」

「聞いたけど――」

アルケタは後ろの父親を気にしている。

「まさか、本当だとは信じられなかったよ。どうしてそんな無茶を」


馬上のイオアンは体を折り曲げ、アルケタに顔を近づけると小声で訊いた。

「あそこに立っているのは父上か」

アルケタが頷いた。

「ちゃんと報告したほうが――」


イオアンは背筋を伸ばすと、張り上げた声を出した。

「おまえが探している女盗賊は、ここにはいない!」

突然の大声にアルケタは驚く。

「何を言ってるんだ?」

「私は上まで行って確かめてきた。母上のドレスを着た女など、どこにもいない」

「そんなはずはない!」

アルケタもムキになって言い返す。

「街道の先には誰もいなかった。あの女はここに逃げ込んだはずなんだ!」


この頃には、朝靄も晴れ始めた。

焚火のそば、セウ家の騎士や従士たちも目を覚まし、ふたりのやりとりを眺めている。石切場の奥の小屋からは、ぞろぞろとドワーフの石工たちが姿を現わし、毛むくじゃらの太い腕を組んで、イオアンとアルケタの会話に耳をすませていた。


ククルビタの上から、イオアンはまわりの者たちの視線を意識しながら、大声でアルケタに説明した。


「私は見たんだ。ひとりで街道をここに向かう途中、馬に乗った白いドレスを着た女とすれ違った。夜道で星明りだけだったが、あの小さな馬はブケラトムのように見えた。まさかブケラトムが、あんなに元気なはずがないと思って私はやり過ごしたが、あの女が、おまえの追っている女盗賊じゃないのか」


「まさか、そんな――」

アルケタは狼狽えた声を出した。

「女盗賊は、イグマスへ逃げたって言うのか」


まわりのセウ家の者も石工たちも、互いにざわざわと話し始めた。


「そんなことはあり得ないよ」

アルケタが否定した。

「ここに来るまで、山の中の一歩道だったんだ。ずっと、あの女の背中が見えていた。女が途中で引き返してたら、俺たちだって会っていたはずだ」

「だが、たまたま、見逃してたってこともあるだろう」

なんとかイオアンは説得しようとした。

「いや、ないね」

アルケタはきっぱりと断言した。

「俺たちは、ばらばらになって追いかけてた。ここにいる二十人全員が、イグマスに戻る女を見逃すはずがない。必ずここに隠れているはずだ」

「しかし、だな――」

イオアンは弱々しく反論しようとした。


「お言葉ですが――」

人混みから、石工の親方が姿を現わした。

「このあたりには、余所者よそものが気づかない洞窟や鍾乳洞が無数にあります。〈あかつきの盗賊団〉の女首領なら抜け道も熟知してるでしょう。そこを通れば姿を見せず、イグマスに引き返せると思いますが――」


親方の言葉に、石工たちから賛成の声があがった。どうやら、セウ家の方々は女の幻を探してたみたいだぜと誰が叫ぶと、石工たちがどっと笑った。それを聞いたセウ家の男たちがいきり立った。


石切場が騒然としてきたところで、

「静まれ!」

と、いままで静観していたオウグスが、大理石の塊の上から一喝した。

「石切場を捜索すれば、分かることだ」


イオアンはククルビタから降りると、大理石の塊の下まで進み、オウグスを見上げた。深呼吸をして、ごくりと唾を飲み込む。


「父上、お戻りになってください」

自分でも声がかすれているのが分かる。

「南大陸への遠征前でお忙しいはず。こんなところで時間を浪費してはいけません」

イオアンからの滅多にない進言に、オウグスは意外そうな顔をした。

「ほう。私を心配してくれるわけか」


この言葉が、本心なのか皮肉なのか分からず、イオアンは黙って頭を下げている。


「私は、おまえのほうこそ心配だがな。体のほうは大丈夫なのか」

「はい。近頃はずいぶん良くなりました」

「それは結構」

オウグスは塊の上から見下ろしている。

「だが、セウ家の跡継ぎとしての自覚を持て。こんな山の中まで来ることは、おまえには不要なことぐらい分かるだろう。すぐにイグマスへ帰るがいい。これから私は、ここであの馬を探しだす」


「父上!」

イオアンが叫んだ。

「ブケラトムも女盗賊も、ここにはいません!」

イオアンはローブ下から短剣を取り出すと、高々と掲げてみせた。

「本当です。私は大地の女神テラに誓います!」


「兄上、何をする気だ!」驚いたアルケタが叫んだ。


「止めるな、アルケタ!」

イオアンは叫ぶと、恐る恐る短剣で指先を切った。


しかし不器用なイオアンは、思いのほか深く切ってしまい、ぽたぽたと地面に垂れる自分の血を見て、立ちくらみのようにして頭から地面に倒れた。


「イオアン!」

アルケタが飛びつくように寄り添ったが、仰向けになって地面に倒れたイオアンは、がたがたと痙攣けいれんすると口から泡を吹き始めた。しだいに痙攣は激しくなり、手足を動かして、のたうち回っている。

子供の頃から兄の病気を知っているアルケタも、どうしていいか分からず、騎士や従士にいたっては、イオアンの発作に顔を背けたり、眉をひそめていた。


人混みの中からバルバドスが前に出て、イオアンのとなりで片膝をついた。

「いつもの発作です」

バルバドスは小声でアルケタに伝えた。

「しばらくすれば収まります」

頷いたアルケタは、イオアンの頭の下に目をとめた。

「だが、血が出ているぞ」

イオアンの血が、大理石の粉で白っぽくなった地面を赤く染めていた。バルバドスはイオアンの頭を持ち上げて確かめた。

ひたいを切っただけです」

バルバドスがアルケタへ顔を向けた。

「あとは私が見ますから、アルケタ様は他の者たちを連れて、お戻りください」


「しかし――」

アルケタは上を見上げた。


大理石の塊の上のオウグスは微動だにしていない。すると、そのオウグスが立っている塊を、石工の親方がハンマーで思いっきり叩いた。衝撃音が石切場に響きわたり、さすがのオウグスも何事かと顔を顰めた


「何をする!」

驚いたアルケタが立ち上がった。

「何をするって――」

親方はとぼけた顔をしてみせた。

「仕事ですがね。もう朝になった。石工の儂らは仕事がありますんで。あんたらが探すのは結構だが、せいぜい怪我をしないよう、気をつけるんですな」


そう言うと親方は、ふたたびオウグスの乗る塊にハンマーの一撃を加えた。それを見た他の石工たちも、次々にハンマーを手に取ると振り回し、ところ構わず叩き始めた。その耳が潰れそうな騒音が石切場に反響して、つながれていた馬たちは狂ったようにいななき、暴れはじめた。


この恥知らずのドワーフめ!

セウ家の騎士たちは、そう叫んだが、

「ここはナイト伯爵の石切場だ。文句があるんなら、伯爵家に言うんですな」

と石工の親方は豪快に笑い飛ばした。


無言のオウグスが、ひらりと大理石の塊から飛び降りた。馬に近づくと縄を解き、馬に跨って、そのまま何も言わず、石切場から去ってしまった。


呆気にとられたセウ家の騎士たちは、一斉にアルケタのほうを見た。唇を噛んだアルケタは、この騒音にもかかわらず、気を失ったまま地面に倒れているイオアンを心配そうに眺めた。バルバドスが出発を促すようにアルケタに頷いてみせる。


決断したアルケタは騎士たちに叫んだ。

「イグマスに戻るぞ!」


セウ家の騎士たちは手を耳で覆いながら、それぞれの馬に急いで戻ると、馬をなだめ、つないでいた縄を解き、馬に跨ると石切場から次々に姿を消した。


最後の一頭が見えなくなると、石工たちはハンマーを放り投げた。反響音がしだいに小さくなり、岩の隙間に吸い込まれ、やがて石切場に静けさが訪れた。

ひとりの若い石工が、雄叫びをあげた。

一斉に他の石工たちも叫びだし、山の中の石切場に、ドワーフたちの勝利の大歓声が響き渡った。

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