第22話 

エルは目を覚ました。


一瞬、どこにいるか分からなかったが、すぐそばで立っているブケラトムを見て、石切場にいることを理解した。体が鉛でできているようだ。

――動きたくない。

エルは窪みの底から、上を見上げた。

四角く切り取られた夜空には、満天の星が輝いている。とても美しい。


ブケラトムが鼻を鳴らし、尻尾を振っている。

その耳が、ぴんと立っていた。


一瞬で、眠気が覚めた。


エルは体を起こすと、窪みの入口へ目をやった。

ゆっくりと立ち上がる。

全身が悲鳴をあげ、エルは小さくうめいた。


ブケラトムの耳は前を向いている。

その足が、一歩前へ出た。

さらに前へ進みそうだったので、エルは慌てて、手綱たづなを掴んで押さえた。ブケラトムを安心させるように叩くと、窪みの入口へにじり寄った。


石切場を吹き抜ける夜風の音や、遠くからのキョキョキョという夜鷹よたかの鳴き声に混じって、微かにひづめの音が聞こえた。

ゆっくりと着実に、こちらに向かって近づいてくる。

エルの心臓の鼓動が、一気に激しくなった。


登ってきやがった!


浅い呼吸を繰り返しながら、エルは耳を澄ませた。

相手は一頭だけだ。見回り?

自分を探しているわけではないのかもしれない――じゃあ、やり過ごせるのか?


カツカツという音が、はっきりと聞こえるようになってきた。

窪みのすぐ近くで、蹄の音が止まった。

ついで、乗り手が着地した音。


いまにも喉から、心臓が飛び出しそうだ。


それから、ハッハッハという呼吸音が聞こえた。

犬もいるんだ!

エルの心臓が止まった。


もう、逃げられっこない――。


エルは腰に手を伸ばし、さやから短剣を引き抜いた。

足音が近づいてくる。


中に入ってきたら、

音をたてずに、

一瞬で――。


いままで人を殺めたこともない、この俺に、そんなことができるのか?


馬鹿なことは、やめろ。

大人しく捕まるんだ。


エルの呼吸が、どんどん速くなる。


じゃあ、掴まったら、どうなるか分かってんのか? セウ家から馬を盗んだんだ、牢獄行きに決まってる。


汗ばんでいく手は震えだし、いまにも短剣がすべり落ちそうだった。


だからって、罪のない誰かを殺すのか?

でも俺は、ブケラトムを――。


窪みの前で、足音が止まった。

「エル、そこにいるんだろう?」

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