第21話 

白い道は、荷車が通れるぐらいの幅がある。

だが、川に沿って、うねるように曲がっているので視界は悪い。崖を穿うがって通した道なので、左側は切り立った崖、右側のすぐ下には、増水した川が流れている。この道はどこへつながるのだろう――不安に思いながら、エルは進んだ。

セウ家の男たちが登った峠道は、下りで視界が開ける。やがて、エルがどこにもいないことに気づくだろう。その前に、できるだけ離れなくてはいけない。


しばらく、誰ともすれ違わないまま進むと、カンカンと硬い物を叩く音や、くぐもった叫び声が聞こえてきた。

この先に、何者かが、大勢いるのだ。

いまさら引き返すこともできず、慎重にブケラトムを進めると、カーブの先で突然視界が開けた。


大きな、石切場のようだった。


石切場は、川に向かって山を切り崩した、すり鉢状になっている。長いあいだ大理石を切り出し続けた結果、巨人の階段のようになっていた。

太陽は山に沈みかけているので、石切場の大半は陰に隠れ、西日が当たった大理石の壁だけが、オレンジ色に染まっている。

そのなかで、大勢のドワーフの石工が動いていた。

どうやら、仕事じまいの時間らしく、上の階層から梯子はしごをつたって降りてきたり、道具を片づけたり、肩を叩きあって話し込んでいたりしている。


そんな風景を、馬上のエルは呆然と眺めていた。


気づいた数人の石工が、エルのほうを見て、ひそひそ声を交わすと、ひとりの年老いた石工に相談した。年老いた石工は、ブケラトムのところまでやってくると、エルを見上げ、丁寧に頭を下げ、しわがれた声で質問した。


「どうかしましたか、お嬢様?」


お嬢様だって!?

驚いたエルは、石工を見下ろした。

禿げ頭のドワーフで、豊かな顎髭あごひげを生やしている。

石切場じゅうの石工たちが手を止めて、ふたりのことを注視していた。


「俺は――」

と口にしかけ、ハッとした。

喋ったらいけないことを、エルは忘れていた。

顔はヴェールで覆われているから、表情でも伝わらない。手振り身振りだけで、自分の思いを伝えなければならない。


エルは振り返って、白い道を指差した。


老ドワーフは首を傾げた。

「向こうで、何かあったんですか?」


エルは頷き、こぶしを高く上げ、振り下ろす動作をした。


「ハンマーで叩いている?」


エルは首を振り、喉もとを手のひらで切った。


ああ、と老人は声をあげた。「剣を持っている?」


エルは何度も頷き、ドレスの胸の前で、腕を交差させると、体を縮こませた。


「胸が痛い?」


首を振ったエルは、同じ動作を繰り返した。追手に怯えていることを伝えているつもりだった。


老人が怪訝そうに首を傾げていると、後ろから、他の石工たちも近づいてきた。


「親方、寒がってるんじゃないんですかね?」

「この暑い日にか?」親方と呼ばれた老人が、石工たちに訊き返した。

「じゃあ、夏風邪をひいてるのかも」


もどかしげに、エルは首を振った。

こんなことをしてる場合じゃないのに――だんだん焦りが生まれてくる。

怯えていることを伝えるのは諦め、右手で石切場の奥を指し、左手でブケラトムの手綱たづなを握ってみせた。


親方は眉を寄せた。「前へ進む?」


エルは親方に頷いた。


「なるほど!」親方は手を打った。「この先に、進みたいというわけですな」


エルは、激しく頷いてみせた。


「残念ですが、ここは行き止まりでして」

と、親方が説明した。

「お嬢様が通ってきた道は、この石切場に通じているだけです。どうして、こんなところに迷い込んできたのかは分かりませんが、もう、日が暮れます。お戻りなられたほうがよいでしょう」


愕然としたエルは、追いつめられた兎のように、きょろきょろとあたりを見回した。


わしらも、仕事を終えたところです」

親方がブケラトムの手綱を掴んだ。

「お嬢様のきれいなドレスが汚れてしまいます。さあ、こちらへ」

親方は、優しくブケラトムを白い道へ引き戻そうとした。他の石工たちも、やれやれといった表情で背を向けた。


追いつめられたエルは、とっさに甲高い声をだした。

「私は悪者に追われているのです」

突然の声に、驚いた親方がエルを見上げた。「はあ? いま、なんと?」

「私は、悪者に、追われているのです!」

裏声で叫んだエルは、もうヤケクソだった。


親方はぽかんと口を上げて、エルを見上げていたが、しばらくして、

「ああ、なるほど。それで」と頷いた。

耳が悪いのか、エルの不自然な裏声も気にならないようだった。

「では、悪者があちらから?」

親方が白い道へ顔を向けたので、エルは頷いた。


まわりの石工たちが体を伏せ、地面に耳をあてた。

「――確かにやって来ます」

「――それも、結構な数だ!」


エルはヴェールの中で青ざめた。

まさか、こんなに早く!


「分かりました」

親方はエルを見上げると、長い顎髭をしごいた。

「お嬢様は隠れていて下さい。それからどうするかは――その悪者とやらに会ってから考えましょう」

親方はひとりの石工にエルを任せると、振り向いて、他の者たちに叫んだ。

「さあ、おまえたちは仕事に戻ってくれ!」


若いドワーフの石工が、エルを乗せたブケラトムを曳いて、石切場の上層へと連れていった。坂道をジグザグに登り、四層目にたどり着いたところで、背後から馬のいななきが聞こえた。


若い石工は石切場を見下ろすと、ブケラトムが下から見えないように、通路のできるだけ奥を歩かせ、大理石の壁にできた大きな窪みの中に案内した。

窪みの奥は暗く、奥行きはわからない。

「じっとしてて下さい」

そう言い残すと、若い石工は去っていった。


ブケラトムから降りたエルは、ブケラトムに語りかけて落ち着かせた。暗がりに目が慣れると、手を伸ばし、ゆっくりと奥へ歩いた。

十歩歩いたところで、壁にぶつかった。

窪みの幅は、エルが両手を広げても届かない。切り出された場所なので、天井はなく、夜空が見えている。


引き返したエルは、窪みから出た。

通路を這って進み、端から下を見下ろした。


星明りが照らしているが、淡い光が届かない石切場の底は真っ暗で、火が焚かれた中央だけが明るい。

焚火のまわりに、大勢いるのが見えた。

はっきりと、ふたつに分かれている。

石切場の奥にある小屋を背にしているのが、石工のドワーフの集団――五十人ぐらいはいるかもしれない。

それに対して、焚火を挟んで反対側、石切場の入口あたりにいるのがセウ家のエルフの男たち――二十頭近い軍馬に跨ったまま、石工と対峙している。

馬に乗った人数の少ないエルフを、数の多いドワーフが取り囲んでいる構図だ。


それぞれの集団を代表して、ふたりが話している。

石工のほうは、あの親方だろう。それを馬から見下ろしているのは、オウグス・セウだろうか――。

エルの高さからは何とか、ふたりの姿が見えるだけで、表情も、会話の内容も分からない。それでも成り行きを、エルは固唾かたずを飲んで見守った。


ふたりの話し合いで、自分の運命が決まるのだ。

親方は、自分を引き渡すのか、それとも拒絶するのか――。


正直なところ、親方は自分を引き渡す――引き渡すしかないだろうと、エルは諦めていた。セウ家の話を聞けば、エルが馬を盗み、ドレスで変装した女盗賊だと思うだろうし、そうでなくても、伯爵家の威光に逆らうことは、しがない石工には難しい。


セウ家の奴らが登ってきたら、すぐに逃げなきゃ。


エルは、まわりを見回した。

星明りに照らされた石切場は、巨人の円形闘技場アンフィテアトルムのようだった。

エルのところからは、あちこちに暗い窪みが見えるが、どれも奥行きがなく、逃げ込む先にはならない。長い坑道がある鉱山とは違うのだ。

石切場の一番上は、まだ切り崩している途中で、そこから尾根づたいに、山へ逃げ込めそうだった。

ただ、絶壁のような急斜面で、馬では無理だろう。

ブケラトムは、諦めるしかない――。


下で、動きがあった。


エルは、すぐに逃げ出せるように腰を浮かせたが、セウ家の男たちは馬を降り、石工たちは大人しく小屋へ引っ込んでいく。

どういうこと??

エルは不安な気持ちで、様子を見守った。

男たちは、エルのところへ登ってこないが、石切場から立ち去りもしない。


やがて、男たちは馬をつなげると、焚火のまわりに集まった。近くの荷車を壊して、火に投げ入れている。抗議していた石工たちも、諦めて小屋へ消えた。


まさか、野営する気かよ!

つまり、明るくなったら、この石切場を徹底的に探すつもりなんだ!


エルは体を震わせた。

夏とはいえ、夜になると山の中は冷たい。

這ったままエルは後ずさると、窪みの中に戻った。


暗闇の中で、ブケラトムが心細そうに鼻を鳴らした。ブケラトムは窪みの奥で、仔馬のように寝そべっている。エルはブケラトムのそばに座り込むと、その体をさすりながら考え始めた。


ブケラトムに乗って石切場の底へ降りるのは、どう考えても自殺行為だろう。やっぱりブケラトムはここに置いて、山に逃げ込むしかない


結局、俺は、おまえを救えないみたいだ――。

エルは、ブケラトムに語りかけた。


でも、俺に飼われるより、いいかもよ。

首なし騎士団トリステロの生活は不安定だし、そもそも見習いの俺は、ダマリみたいに馬のことが詳しいわけでもないし、いつ放り出されてもおかしくない。しょっちゅう、へまをして怒られてばかりさ。

セウ家の奴らに捕まっても、今度は大丈夫だと思う。

あれだけの走りを見せたんだ。

きっと、大事にしてくれる。

あいつらは金持ちだし、これからは、きれいな厩舎で新鮮な飼葉も食べれる。

俺なんか、何もないからさ。だから――、

だからこそ――俺は、おまえが欲しかった。

初めて、自分の馬を持てるかもしれない――そう思ったんだ。

おまえと、もっと走りたかった。

ふたりで、知らないところへ行きたかったよ――。


ブケラトムの首筋を、大粒の涙が濡らした。


でも、もう行かなくちゃいけない。

お別れだよ。

もう、行かなくちゃ――。


エルは、石切場から逃げ出さなきゃと思う。

だが、立ち上がるには体は重く、節々が痛み、あまりに疲れきっていた。

そして、暖かいブケラトムの体は心地よく、しだいにまぶたが重くなってきた。そのままエルは、ブケラトムにもたれて、いつしか寝入ってしまった。

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