第15話 

「イオアン様? どこにいるんです」


「ここで、世話をしている」

ブケラトムの体に隠れて、イオアンが答えた。


姿を現わして、アルドを追い払いたいが、イオアンが動けば、エルが丸見えになってしまう。


「朝から、ずっとそこに?」

「まさか」

イオアンは、後ろでエルが、自分にしがみつくのを感じた。

「外に出て、戻ってきたところだ」

「ナディアが、馬小屋に誰か入ったと騒いでるんですがね。見てませんか」

アルドの声はすぐそばだ。

「――いや」

イオアンの体が汗ばむ。

「幻でも見たんじゃないか、暑いから」


「ナディアですから、そうかもしれませんが――うん?」アルドが、何かを拾いあげたようだ。「何で、こんなものが、ここに――」


ドレスとシュミーズが見つかったのだ。

どう言い訳しようかと、イオアンが頭を回転させていたところで、しわがれた老人の笑い声が聞こえた。


「ほほう。真面目な顔をして、イオアン様も隅におけませんな。ナディアには上手く言っておきますから、ゆっくりお楽しみを」


アルドの、くつくつという笑い声が小さくなっていき、聞こえなくなった。


イオアンが、ブケラトムの体から顔を出した。

続いて後ろから、エルも顔を出す。


「いなくなった?」

「そのようだな」

「爺さんは、何がおかしかったんだ?」

「分からない」

「とにかく着替えを済まそうぜ。心臓がもたないよ」


隣の馬房に戻ると、ククルビタの脇で、ふたりはドレスの着付を再開した。


イオアンがシュミーズを拾いあげ、エルに着させた。今度はエルは大人しく、イオアンのされるがままになっている。次いでイオアンは、麻袋から取り出したペチコートをかせ、腰のあたりを紐で結んだ。


「そこに座るんだ。足を出して」


イオアンが命じると、エルは木箱に腰を下ろし、足を前に投げ出した。イオアンがエルの前で片膝をついた。ペチコートをまくりあげ、ストッキングを、エルの右足の太腿ふとももまで引き上げると、膝下で紐を留めた。エルはくすくすと笑っている。


「動くな」

イオアンが、エルの太腿をぴしゃりと叩いた。

「だって、くすぐったいんだよ」

「我慢しろ」

「貴族のお姫様ってさあ、毎日、こういうことしてんのかな」

「そうだろうな」イオアンは、エルの左足にもストッキングを履かせた。

「悪くないなあ」エルはにやにやしている。

「何がだ」

「こうやって、誰かに、かしづかれて世話をしてもらうの。偉くなった気がする」

「それは良かったな」

イオアンは、伯爵夫人の小さな靴を取り上げると、

「これはさすがに無理か。見えないから、まあ、大丈夫だろう」

と呟き、エルのブーツを両足に履かせた。

「立つんだ」


エルが木箱から腰を上げ、イオアンは麻袋から、たたまれた板のようなものを出した。


「何それ」エルが訊いた。

「コルセットだ」

「えー、着けんのかよ」

綺麗きれいな体の線を見せる必要がある」

イオアンはコルセットを広げると、エルの胴体に巻き付けていった。

「そんなの、いらないだろ」

「じゃあ、どうやって大きな胸を作るんだ。支えがなきゃ無理だろう」

「よく分かんねえー」

「ほら、手を上げろ」


イオアンはエルの後ろに回ると、コルセットの穴に紐を通し始めた。エルのうなじから背中にかけての傷跡を見ると、イオアンは顔をしかめた。


「ずいぶん酷い傷だな。痛まないのか」

「いつもはね。古い傷跡だから。でも、たまに、汗が沁みるときもある」

むちの跡か」

「六歳ぐらいかな、軍団の食料を盗もうとして捕まった。途中で気を失ったよ」

「そんな小さいときから――」

「盗みをしてたのかって? 仕方ないじゃん。村の食い物を全部、兵士が持っていくんだから」

軍団レギオの人間が?」

驚いているイオアンに、エルは鼻を鳴らした。

「あったりまえじゃん。バッタみたいに食い尽くしていくんだ。あいつらが通った後はぼろぼろだよ。見たことないのか」

「私は――イグマスから離れたことがない」

エルは意外そうだった。

「アルケタの先生なんだから、いろいろ旅をして知ってるのかと思ったよ」

「ほとんど書物から学んでいる」

「ふーん。でも、自分で見聞きしたほうがいいぜ。本に書いてないことなんて、たくさんあるんだからさ」

「そうかもしれない。思いっきり、息を吐き出してくれ」


エルが大きく息を吐くと、イオアンがコルセットをきつく締め上げた。


「うはっ。これじゃ息ができないよ」

「慣れてもらうしかない。次はドレスだ。腕を上げて」


伯爵夫人のドレスは、スカートと一体になっている。イオアンは、ドレスをエルの頭から被せると両袖を通させ、体をぐるりと回してエルの背中を紐で留めていった。袖口は長く垂れ下がっている。エルは袖をひらひらと振ってみた。


「これ、どっかで引っかかりそうだな」


エルは袖口を持ち上げて、しげしげと眺めた。細かい金糸の刺繍が、純白の絹の生地に、花柄や渦巻きの模様でびっしりと施されている。


「すげえな、これ。どれぐらいするんだろ」

「値段か?」

「うん」


「相当、手間がかかっていることは確かだ。伯爵コメス様が奥方のために、わざわざ帝都の工房に注文したんだ。一流の職人たちが、数か月かけて完成させたんだが、残念なことに、その工房は戦火で焼けてしまった。だから、同じようなものは二度と作れないらしい」


「そうなのか。すっごい貴重じゃん!」

「家一軒ぐらいの値段はするだろう」

「ええ! そんなもの着てっていいのかよ」

「これじゃないと、奥方様の変装にならないからな。大切に扱ってくれ」

「何か、重たく感じるよ」

「最後にこれだ」


イオアンは、麻袋から取り出したマントを広げた。


これも純白の絹の生地に、金糸で刺繍が施されている。マントいっぱいに広がっているのは、立ち獅子に十二の星のセウ家の紋章だった。目にしたエルは、立ち眩みのように、よろよろと倒れそうになった。


「大丈夫か」

慌ててイオアンが寄り添った。

「ここは暑いから、少し休んだほうがいい」


イオアンは、エルを木箱に座らせた。エルはひたいに手をあてて、ぐったりとしている。


「――思い出したんだ」

「何を?」

「あの子たちがいた村を。村が焼かれたとき、広場には、セウ家の軍旗がはためていたらしい」


イオアンは何も言えず、黙っている。


「それなのに、そのマントは羽織れないよ」

エルは顔を両手でおおった。

「俺に、こんな変装なんて、無理だ」


「そんなことはない。おまえなら着れる」

イオアンはエルを立たせると、純白のマントを肩に掛け、胸元を金の輪で留めた。


エルは改めて、自分の恰好を見下ろした。


ブーツまで隠れる、ふんわりとした長いスカート、ひらひらと揺れる長い袖、首を後ろに回してみたが、背中のマントの紋章までは確認できなかった。


これで、若い娘みたいに見えるのだろうか――。


「大丈夫かな?」

エルは、フリルがついた胸元を押さえ、自信なさげに口にした。

「まるで――自分じゃないみたいだ」


「見てみよう」

イオアンは角灯カンテラを掲げ、エルを照らした。

「腕を広げて、回ってみてくれ」


頷いたエルは、慣れない様子で、イオアンの前でゆっくりと一周してみせた。


「どう?」おずおずとエルが訊いた。


「そうだな――」

イオアンは感情を抑え、冷静に伝えようとした。

「よく似合っていると思う」

「本当に?」エルが、はにかんだ表情をみせた。

「ああ」

イオアンは頷いた。

「これなら、南大陸ノウェミアの領主の娘が、これから舞踏会に向かうところだと言われても、信じてしまいそうだ」

「よかった!」

エルは、胸の前で両手をぎゅっと組んだ。


見ていたイオアンは、なぜか気恥ずかしさを感じ、エルから顔をそむけた。落ちていたエルの服を掴むと、ドレスの胸元に乱暴に突っ込んだ。

「ぜんぜんふくらみが足りないからな」


「何だか、変な気分」

エルが、はち切れそうに膨らんだ胸を押さえた。

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