第12話 

「ブケラトムが屋敷にやってきたのは、三年前の寒い日の――」

「あ、そのへんはいいや」

と、エルがさえぎった。

「だいたい、ドワーフのおっさんが教えてくれたから、ブケラトムを買ったところからを話してよ」


イオアンはうなずいた。

「ブケラトムを手にした伯爵コメス様は、まもなく属州アクィアに呼び戻された。残された騎士たちが、ブケラトムの訓練を担当することになった」


「そのときで、ブケラトムは何歳?」

「おそらく、すでに三歳は迎えていたらしい」

「じゃあ、いまは六歳ぐらい?」

「そうだろうな」

「それで?」


「それから訓練が始まったが、ブケラトムが軍馬には向かないことは、すぐに分かった。いつも寝てばかりで、起きているのは餌を食べるときだけ。まわりがどれほど騒がしくても目を覚まさない。すぐにブケラトムは太り始めた。

他の馬たちと競わせても、いつも列のいちばん後ろを、申し訳程度に、のろのろと走るだけだった。だが、その頃のブケラトムには、まだ愛嬌あいきょうがあった。何とか訓練をさぼろうと、騎士たちに甘えるふりをする。とても賢い馬なんだ。


やがて、伯爵様が戦地から戻ってきた。


そして、数か月間の成果を、近衛兵このえへいの訓練場で披露することになった。

もちろん、見るまでもなく結果は散々だった。

太り過ぎたブケラトムは走らなかった。乗り手である騎士の指示も、馬鹿にしたように無視をした


それを見た伯爵様みずから、ブケラトムにまたがった。

そして、セウ家の厩舎きゅうしゃで、いちばん速い馬をとなりに用意させた。この馬も魔の馬スレイプニルの血を引くとされている名馬だった。

合図が鳴ると、例のごとく、ブケラトムがのろのろと走り出した。もう一頭はすでにはるか先を走っている。伯爵様が、ブケラトムに強く拍車はくしゃをかけた。驚いたブケラトムが慌てて駆け出した。さらに伯爵様は、何度もむちを振るった。


ブケラトムにとっては、初めての体験だった。


なぜなら、いままで任されていた騎士たちは、金貨二百枚の馬を傷つけることを恐れて、できるだけ優しく扱っていたからだ。

ブケラトムは短いあしで、どんどん速度を上げていった。伯爵様が鞭を振るうたびに、加速していき、とうとうブケラトムは、もう一頭に追いつき、最後には、口から泡を吹きながら、追い越してしまった。


ブケラトムを降りた伯爵様は、騎士たちに命じた。


厳しく調教しろ。

この馬を走って、走って、走らせるのだ。

私は知っておる。父親のルベルマグナも、すぐなまけようとする狡賢ずるがしこい馬だった。誰が主人なのか、よく分からせてやれ。


やがて伯爵様は、今度は南大陸ノウェミアの軍団を統括するため〈海峡〉を渡った。


残された騎士たちは、今度は拍車と鞭でブケラトムを調教した。重い馬鎧を装着し、険しい山道、ぬかるんだ沼地を抜けて、長距離を踏破させた。

みるみるうちに、ブケラトムから無駄な肉が落ちた。どれだけ走らせても、ブケラトムはを上げなかったが、伯爵様が走らせたときの、あの夢のような速度を出すことは二度となかった。

なぜなら、騎士たちが拍車や鞭を当てると、ブケラトムは騎士を振り落とそうとしたり、とんでもない方向に走り出すようになったからだ。ブケラトムは、新しい遊びを覚えたようだった。いかに乗り手を翻弄ほんろうするかという遊びだ。


怪我をする、騎士や馬丁ばていが増え続けた。

とうとう誰も、ブケラトムに近づかなくなった。


再び伯爵様が戻ってきた。


成果を見せるように命じたが、誰もが首を振り、ブケラトムに乗ろうとはしなかった。伯爵様の命令を拒否するなど、あり得ないことだ。

処罰は後ですることにして、今度も伯爵様は自らブケラトムに跨った。騎士たちは怖ろしい思いで、どうなることかと見守った。

伯爵様が拍車をかけると、ブケラトムは従順に速度を上げていった。そして、かなりの速度になったところで、突然、ブケラトムは急停止した。


油断していた伯爵様が、宙を飛んだ。


青ざめた騎士たちがわらわらと、倒れている伯爵様のもとに駆けつけた。ブケラトムは勝ち誇ったようにいななき、駆け回っている。


さいわい大怪我にはならなかったが、それ以後、伯爵様がブケラトムに訓練を命じることはなくなった。屋敷で、その名を口にすることすらはばかられるようになり、ブケラトムはこの馬小屋に閉じ込められ、世話もされなくなったんだ」


「それで、あんなふうになったのか」

驚いているエルは、隣の馬房にいるブケラトムへ目を向けた。


「もう一年になる」イオアンはつらそうな顔をした。

「今は、あんたがブケラトムの世話を?」

イオアンは頷いた。「馬丁たちも世話をしないし、私しかいなかった。仕方ない」

「でも、何でなんだ? あんただけ、何で大丈夫なんだろう?」

「おそらく――」

と、イオアンが考えながら答えた。

「訓練しているあいだも、私は無理強むりじいをしなかったし、こっそり、ブケラトムの傷の手当てをしていたからかもしれない」

「そうなんだ」

「今は私が世話をしても、とやかく言う者はいない。だが、最近は食事を拒むようになった。私も仕事が忙しく、遠乗りにも行けていない――」


イオアンは、悔やむようにに唇をんでいる。


「あ、そうだ!」

黙って聞いていたエルが、はっと顔をあげた。

「訊きたいことがあったんだ!」


「助けになることであれば、すべて話すつもりだ」イオアンが力を込めて伝えた。


エルは、イオアンの顔をまじまじと見つめた。

「結局、あんたって何者?」


「え?」

「その仕事って、いったい何してんの?」

「それは――」

「あの、おっさんにも訊いたけど、はぐらかされたんだ、直接訊けって。まさか馬丁じゃないだろ。あんたはセウ家で、何をしてるわけ?」


「それは――この格好を見たら分かるだろ」

狼狽うろたえたイオアンは両手を広げ、袖の長いローブをエルに見せた。

「つまり、私は――」


「修道僧なわけ、ないよね?」

と、問いかけたエルは、

「おっさんは昔、あんたの護衛してたんだろ。よほどの身分じゃなきゃ、そんなことにはならない――」

と、自分で断定してから、こう告げた。

「――それに俺は知ってるんだぜ」


「いったい何のことだ」

正体がばれたのかと、びくびくしながらイオアンが確かめると、エルはイオアンの胸元を指差した。

「あんたが、セウ家の紋章の形をしたペンダントを、首に掛けてるって」


「何だと!」

イオアンがハッと胸を押さえ、激怒した。

「何で、おまえが、知っている!」


ただならぬイオアンの様子に、エルはたじろいだ。

「いや、それはその――市場で、物乞ものごいの子に見せてただろ。たまたまそれを、俺は見たんだよ」


「――ああ、あれか」

思い出したイオアンから、怒りが抜けていった。

「ニナと話していたときのことか」

「そうそう、ニナっていう女の子」

と、エルは頷いた。

「あんな高価たかそうな首飾りをしてて、まさか、貧しい修道僧ってことはないだろ。ずっと不思議に思ってたんだ。それとも、セウ家に仕えるエルフは、みんな、あんなペンダントを貰えるのか?」

「そんなことはない」

「だろ? じゃあ、あんたはいったい何者なんだ?」

「いいだろう」

と、頷いたイオアンが、小声でエルに警告した。

「だが、これから話すことは、誰にも言うな。これは、セウ家だけの秘密だからな」

「分かった」


「私は、アルケタ様の家庭教師なんだ」と、イオアンがおごそかに告げた。


「アルケタって――」エルが目を丸くしている。「あの、セウ家のアルケタ!?」


「そうだ。若くして帝国じゅうで勇名がとどろいている、あの、アルケティウス様だ。だが、伯爵家のご子息としては、勉学が少々――というか、かなり不得意なんだ。そこで私が帝国史など、騎士として必須の教養を教えている」


「そうなんだ!」

エルは素直に、イオアンの言葉に驚いている。

「じゃあ、あのペンダントは――」

「あれはだな」

イオアンはさらに声をひそめた。

「私の教えによって、アルケタ様の教養は劇的に高まった。それに報いるため、伯爵様から、直々じきじきに私に贈られたものなんだ」


「すげえ。あのアルケタの先生かよ」

エルは、イオアンを尊敬の眼差まなざしで見ている。

「俺はセウ家の連中は嫌いだけど、アルケタだけは認めてるんだ。南大陸での戦いぶりはよく聞かされたよ。なんていったって、一人で膠着こうちゃくした戦況を――」

「その話は、もういいだろう」

と、イオアンが遮った。

「それより、ブケラトムはどうにかならないのか」


「ああ、ブケラトムのことか」のんびりとエルは頷いた。「そんなの簡単だよ」


「簡単なのか?」と、イオアンは驚いている。

「うん、あんたの話を聞いて分かったよ」

と、エルは頷いた。

「ブケラトムは虐められてたようなもんだろ。〈魔の馬〉でもないのに勘違いされて、過酷な訓練をしているうちに、おかしくなっちゃったんだ」

「では、どうすれば――」と、イオアンが身を乗り出した。

すると、エルが答えた。

「だから、売ればいいのさ。どこかの農場で畑でもたがやせば、また元気になるよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る