第二章
〈魔の馬〉の血をひくブケラトム、屋敷に侵入するための〈酔っ払いの梯子〉について、ドワーフの傭兵が語る
第8話
縄を
後からドワーフのバルバドスが、のっそりと天幕から出てきた。肉屋が「もういいですか、こっちも仕事にならないんですがね」と、血で汚れた両手を広げながら詰め寄っている。バルバドスが渋々金を渡すと、肉屋は静かになった。
「どうする?」
バルバドスが面倒臭そうに、エルに顔を向けた。
「どうするって――」
まだ混乱しているエルは、青空を見上げた。
もう、とっくに昼は過ぎている。
本当に、軍馬の取引が失敗したなんて信じられない。でも、どちらしろ、もう仲間は待ってないだろう。それにエルフの若者が言うとおり、本当に
バルバドスはエルに背を向けて、眠そうな顔の
「あんたが、その馬がいる屋敷に連れていってくれるんだよな?」
エルの言葉に、バルバドスが顔を上げた。
「じゃあ、イオアン様の仕事をするつもりか」
「それは――これから考える」
「まあ、好きにしろ」
バルバドスは山羊に別れを告げ、歩き出した。エルも後ろをついていく。
ここしばらく、仲間と一緒に
街道沿いにはたくさんの食堂や屋台が出ており、そのたびにエルが立ち止まるので、バルバドスは仕方なく、パンとソーセージを買い与えた。
空腹がおさまったエルは、ようやくイグマスの町を楽しむ余裕をもてるようになった。通りには、精巧な彫刻で飾り付けられた大商人の屋敷、巨大な神殿や寺院、様々な職人ギルドの会館が立ち並んでいる。
エルが気楽な調子で、バルバドスに声をかけた。
「なあ、あんたは、あの人の護衛?」
バルバドスは答えるか迷っていたようだが、しばらくしてから
「数年前まではな」
「今は?」
「セウ家の
反応がないので、バルバドスが振り返ると、エルが暗い目をしていた。
「セウ家の人間は、嫌いか」
と、バルバドスが訊いた。
「当たり前だろ」
と、エルは街道に
「俺は南大陸の生まれだぜ。セウ家も、タタリオン家に従う他の奴らも、みんな死ぬほど大嫌いだよ」
「そうか」
バルバドスは、表情を変えることなく頷いた。
「向こうでも、おまえのような目をした子供がたくさんいた。俺は構わんが、そういう
バルバドスに忠告され、はっと気づいたエルは、
エルは声を
「ドワーフなのに、何であんたは、エルフの
「傭兵は、好き嫌いなんて言ってられんのさ」
バルバドスはお
「本当のところは、オウグス様の戦い方を
「ふーん」
エルには、到底理解できない考え方だ。
「それで、あの人はいったい何者なんだ」
「あの人?」
「
「イオアン様か。おまえはどう思う?」
「どう思うって、あの人も、セウ家の人間なんだろ」
「ほう。どうしてそう考える?」
「だって、それは――」
イオアンが、セウ家の紋章のペンダントを、
「――いま、セウ家の軍団にいるあんたが護衛をしてたんなら、あの人も、セウ家の人間だと思うのが、自然だろ」
エルの回答に、バルバドスは少し考えてから、
「――なるほど道理だ。賢いな」
と言って笑った。
「だとしたら、いったいイオアン様は、セウ家で何をしてるんだろうな?」
バルバドスの謎かけに、エルは首を
「最初は、修道僧かと思ったけど――」
「違うと思うのか?」
「護衛付きの修道僧なんていないだろ。それに金を持ちすぎだし、偉そうだった」
「確かに偉そうだな」バルバドスはにやりとした。
「じゃあ、何なんだよ」
「俺の口から言えんな。直接訊いてみろ」
「ちぇ、何だよ。つまんねえな」
エルの悪態に、バルバドスがまた笑った。
しばらくエルは、街道沿いの風景を眺めながら、バルバドスの後ろを歩いた。並行して右側にファッシノ川が流れており、大きな倉庫の隙間からは、小型の帆船が見えた。あの船に乗って川を下っていけば、いずれ海に流れ着くはずなのだ。
エルがバルバドスに追いつき、横を歩いた。
「これから俺が
「ブケラトムのことか。そうだな――」
バルバドスは顔を
「俺はそう思っていない。屋敷の人間もみんなそうだろう。まだ信じているのは、イオアン様ぐらいだ」
「なんだ、全部あの人の妄想なのかよ」
エルは舌打ちした。
「信じて、損した」
「だが、イオアン様が信じる
バルバドスが、エルへ顔を向けた。
「すべて、酒場とかで聞いた話だけどさ――」
と、エルは前置きした。
「象みたいに巨大で、虎のように狂暴。敵兵を
「それが、ずいぶん昔の話だ」
と、バルバドスは頷いた。
「俺も本物は見たことはない。だが、ある男が、そのルベルマグナの子供だと言って、まだ
「へー、どんな男?」
「首なし騎士団の、若い男だ」
「嘘だろ!?」驚いたエルが声をあげた。
「嘘じゃない。その男は
「それはそうだけど――」
エルは眉を寄せて考えている。
「だって、タタリオン領では、俺たちは軍馬の取引を禁止されてるじゃん」
「だが、それは最近の話だろう。お前たちは数年前まで、普通に屋敷に出入りしていたじゃないか。知らないのか?」
エルは頷いた。
「俺が見習いになったのは、最近だから――」
バルバドスは
「あのとき、確かに俺たちも不審に思った。なんせ、男の顔は見えなかったが、ダークエルフであることは、何となく分かったからな」
「ダークエルフ!?」
エルが、バルバドスに叫んだ。
「それこそ、あり得ないよ! 俺が会った
「俺もそう思ってたがな――」
バルバドスは、となりのエルの顔を見た。
「近頃の首なし騎士団は、おまえみたいな奴や、オークまで仲間にすると聞いて、ちょっと確信が持てなくなってきたところだ」
「それはそうだけど――それで?」
バルバドスが黙り込んだ。
当時のことを思い出しているようだった。
「ブケラトムが屋敷にやってきたのは、三年前、寒い日のことだった」
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