第二章

〈魔の馬〉の血をひくブケラトム、屋敷に侵入するための〈酔っ払いの梯子〉について、ドワーフの傭兵が語る

第8話 

縄をほどかれたエルは、よろよろと天幕の外に出た。


まぶしさのあまり目を細める。まわりは家畜市場だった。羊や豚がやかましく鳴き声をあげながらうろつき回っている。すぐそばでは、太った肉屋がにわとりめていた。遠くには、大理石のヤヌス像が見えた。


後からドワーフのバルバドスが、のっそりと天幕から出てきた。肉屋が「もういいですか、こっちも仕事にならないんですがね」と、血で汚れた両手を広げながら詰め寄っている。バルバドスが渋々金を渡すと、肉屋は静かになった。


「どうする?」

バルバドスが面倒臭そうに、エルに顔を向けた。

「どうするって――」

まだ混乱しているエルは、青空を見上げた。


もう、とっくに昼は過ぎている。

本当に、軍馬の取引が失敗したなんて信じられない。でも、どちらしろ、もう仲間は待ってないだろう。それにエルフの若者が言うとおり、本当に巡視隊ウィギレスが探しているのなら、馬を預けている宿に戻るのも危ない。待ち構えていそうだ。


バルバドスはエルに背を向けて、眠そうな顔の山羊やぎでている。エルが逃げ出すことを気にしていないのか、無心な表情だった。


「あんたが、その馬がいる屋敷に連れていってくれるんだよな?」

エルの言葉に、バルバドスが顔を上げた。

「じゃあ、イオアン様の仕事をするつもりか」

「それは――これから考える」

「まあ、好きにしろ」


バルバドスは山羊に別れを告げ、歩き出した。エルも後ろをついていく。


ヤヌス神殿テンプルム・イアニの広場のまわりには、五階建て、六階建ての古い建物が密集しており、そのあいだの薄暗い路地を、バルバドスはずんずんと進んでいった。エルが両手を広げれるほどの道幅しかない。逃げ出したとしても、自分も迷ってしまいそうだ。すでにエルは方向感覚を失っていた。

ここしばらく、仲間と一緒に人気ひとけのない辺境を旅していたから、イグマスの町にいると息苦しかった。路地の上を見上げても洗濯物が干してあり、ほとんど空が見えない。道幅の広い〈陰の街道ウィア・ウンブラ〉に出て、エルはやっと息がつけた。


街道沿いにはたくさんの食堂や屋台が出ており、そのたびにエルが立ち止まるので、バルバドスは仕方なく、パンとソーセージを買い与えた。

空腹がおさまったエルは、ようやくイグマスの町を楽しむ余裕をもてるようになった。通りには、精巧な彫刻で飾り付けられた大商人の屋敷、巨大な神殿や寺院、様々な職人ギルドの会館が立ち並んでいる。


エルが気楽な調子で、バルバドスに声をかけた。

「なあ、あんたは、あの人の護衛?」

バルバドスは答えるか迷っていたようだが、しばらくしてからうなずいた。

「数年前まではな」

「今は?」

「セウ家の軍団レギオに入っている。数日前、南大陸ノウェミアから戻ってきたところだ」


反応がないので、バルバドスが振り返ると、エルが暗い目をしていた。


「セウ家の人間は、嫌いか」

と、バルバドスが訊いた。

「当たり前だろ」

と、エルは街道につばを吐いた。

「俺は南大陸の生まれだぜ。セウ家も、タタリオン家に従う他の奴らも、みんな死ぬほど大嫌いだよ」

「そうか」

バルバドスは、表情を変えることなく頷いた。

「向こうでも、おまえのような目をした子供がたくさんいた。俺は構わんが、そういう台詞せりふはイグマスじゃ、あまり大声で口にするなよ」


バルバドスに忠告され、はっと気づいたエルは、あわててまわりを見回した。だが、街道を行きう旅人の中で、エルを気にしているような人間はいなかった。


エルは声をおさえて訊いた。

「ドワーフなのに、何であんたは、エルフの伯爵家コメスなんかにいるんだ」

「傭兵は、好き嫌いなんて言ってられんのさ」

バルバドスはお道化どけたように答えた。

「本当のところは、オウグス様の戦い方をじかに見てみたかった。それに、セウ家には、余所者よそものだけの部隊もあるんでな。居心地いごこちはそれほど悪くはない」


「ふーん」

エルには、到底理解できない考え方だ。

「それで、あの人はいったい何者なんだ」

「あの人?」

とぼけんなよ。イオアンとかいう、さっきの若者」

「イオアン様か。おまえはどう思う?」

「どう思うって、あの人も、セウ家の人間なんだろ」

「ほう。どうしてそう考える?」

「だって、それは――」


イオアンが、セウ家の紋章のペンダントを、物乞ものごいの少女に触らせていたところを、エルは思い出していた。だが、あの場面を、自分がこっそり見ていたことは秘密にしておきたい。それに、そのことを話せば、セウ家の人間だから、イオアンを狙ったことがばれてしまうだろう。


「――いま、セウ家の軍団にいるあんたが護衛をしてたんなら、あの人も、セウ家の人間だと思うのが、自然だろ」


エルの回答に、バルバドスは少し考えてから、

「――なるほど道理だ。賢いな」

と言って笑った。

「だとしたら、いったいイオアン様は、セウ家で何をしてるんだろうな?」


バルバドスの謎かけに、エルは首をひねっている。


「最初は、修道僧かと思ったけど――」

「違うと思うのか?」

「護衛付きの修道僧なんていないだろ。それに金を持ちすぎだし、偉そうだった」

「確かに偉そうだな」バルバドスはにやりとした。

「じゃあ、何なんだよ」

「俺の口から言えんな。直接訊いてみろ」

「ちぇ、何だよ。つまんねえな」


エルの悪態に、バルバドスがまた笑った。


しばらくエルは、街道沿いの風景を眺めながら、バルバドスの後ろを歩いた。並行して右側にファッシノ川が流れており、大きな倉庫の隙間からは、小型の帆船が見えた。あの船に乗って川を下っていけば、いずれ海に流れ着くはずなのだ。


エルがバルバドスに追いつき、横を歩いた。

「これから俺がる馬って、本当に、あのルベルマグナの子供なのか?」

「ブケラトムのことか。そうだな――」

バルバドスは顔をくもらせた。

「俺はそう思っていない。屋敷の人間もみんなそうだろう。まだ信じているのは、イオアン様ぐらいだ」

「なんだ、全部あの人の妄想なのかよ」

エルは舌打ちした。

「信じて、損した」

「だが、イオアン様が信じる理由わけはあるんだ。そうだな、おまえはルベルマグナのことを、どれぐらい知っている?」

バルバドスが、エルへ顔を向けた。


「すべて、酒場とかで聞いた話だけどさ――」

と、エルは前置きした。

「象みたいに巨大で、虎のように狂暴。敵兵をり飛ばして殺し、みついては殺し、逃げる者は地の果てまで追いかける――別名〈人喰ひとくい〉って呼ばれてたんだろ? タタリオン家の公爵ドゥクスと一緒に、戦場で死んだって聞いたけど」


「それが、ずいぶん昔の話だ」

と、バルバドスは頷いた。

「俺も本物は見たことはない。だが、ある男が、そのルベルマグナの子供だと言って、まだ仔馬こうまのように可愛かわいかったブケラトムを、屋敷に連れて来た」

「へー、どんな男?」

「首なし騎士団の、若い男だ」

「嘘だろ!?」驚いたエルが声をあげた。

「嘘じゃない。その男は髑髏どくろの仮面を被り、真っ黒な馬革のマントを羽織はおっていた。そんな恰好をしてるのは、首なし騎士団以外にはあり得んだろ」

「それはそうだけど――」

エルは眉を寄せて考えている。

「だって、タタリオン領では、俺たちは軍馬の取引を禁止されてるじゃん」

「だが、それは最近の話だろう。お前たちは数年前まで、普通に屋敷に出入りしていたじゃないか。知らないのか?」

エルは頷いた。

「俺が見習いになったのは、最近だから――」


バルバドスは顎髭あごひげをしごいた。

「あのとき、確かに俺たちも不審に思った。なんせ、男の顔は見えなかったが、ダークエルフであることは、何となく分かったからな」

「ダークエルフ!?」

エルが、バルバドスに叫んだ。

「それこそ、あり得ないよ! 俺が会った首なし騎士団トリステロの騎士は、そんなに多くはないけど、みんな人間だったし、聞いたことがない」

「俺もそう思ってたがな――」

バルバドスは、となりのエルの顔を見た。

「近頃の首なし騎士団は、おまえみたいな奴や、オークまで仲間にすると聞いて、ちょっと確信が持てなくなってきたところだ」

「それはそうだけど――それで?」


バルバドスが黙り込んだ。

当時のことを思い出しているようだった。


「ブケラトムが屋敷にやってきたのは、三年前、寒い日のことだった」

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