第二場 屋根裏部屋:カルハースが、無実の罪で捕まっている仲間について相談する

第一話 屋根裏部屋

シアは、再び〈フリュネの誘惑〉の五階にいた。

今度は、一人ではない。

後ろには、首無し騎士団の男と少年がいる。

二人は五階へ昇るあいだ、淫らな格好の〈貴婦人〉とすれ違ったり、激しく交わる声が聞こえても、ひと言も口をきかず、黙ってついてきた。


イオアンの部屋は、五階のヴィヨルンドの部屋とは、反対側の廊下の奥にあるという。その扉が見つかり、シアはホッとした。

女主人から預かった鍵で扉を開ける。

扉の向こうは、真っ暗な廊下がさらに続いていた。


燭台を掲げて進むと、廊下の中央にぽつんと、ガーゴイルの石像がうずくまっていた。羽根を広げた石像はどこかユーモラスで、余裕があるときであれば、シアも可愛いと思ったかもしれない。

シアは、後ろの二人に見られていることを意識しながら、ガーゴイルの口の中に手を突っ込んだ。教えられた通り、下の左から二番目の歯を押す。


何も起こらない――。

シアは焦った。

すると、廊下の天井から、階段が軋みながら、ゆっくりと降りてきた。


ちゃんと動かせたわ!

嬉しくなったシアは、思わず振り返ったが、髑髏どくろの仮面の男は何も言わないし、少年も無表情に、シアを見返しただけだった。

シアは咳払いすると、恐る恐る階段を昇った。幅は一メートルほどあり、しっかりとした造りである。


階段を昇ると、屋根裏部屋は真っ暗で、ほこりっぽかった。

燭台に照らされているのは――、

派手なドレスが乱雑に詰め込まれた箪笥たんす、小さな天使像、食器が入った木箱、美しい女の肖像画、無造作に重ねられた椅子――などなどである。

後ろの二人も階段を昇ったのを確認すると、シアは慎重に屋根裏部屋を進んだ。


部屋の奥に、灯りがともっている。

誰かが机に向かって座っていた。褪せた白っぽい金髪と、鬱金うこん色のローブを着た背中が見える。

あれが、イオアン様だろうか?

今度こそ、失礼のないようにしなくては――緊張したシアは、心の中で誓った。

机に近づくと、その人物が振り返った。

やはり、イオアンだった。

シアはホッとして、小さく息を吐いた。

「お連れしました」


立ち上がったイオアンが、机の近くの椅子を二人に勧めた。だが、二人とも座らずに、きょろきょろと部屋の中を見回している。


書類が散乱した机の上に、ランプが置かれ、近くのテーブルにも置かれた燭台が、あたりを照らしていた。

本がぎっしりと詰まった書架が並び、正面の壁には、イグマスと近隣の属州の地図、世界を構成する元素の相関図、竜の再現図などが貼られている。

棚には瓶詰めにされた何らかの生物の組織、天井からは薬草がぶら下がり、離れたところにはトロールらしき骨格標本が立っていた。


「座らないのか」イオアンが訊いた。

「ここの出口は、あの階段だけなのか?」首なし騎士団の男が質問した。

「そうだ」

「他に、逃げ道はないのか」

「逃げ道? そんなものはない。いて言うなら、屋根には上がれるから、そこから外へ逃げ出すことは可能だが――」

「それは、どこにある」


イオアンが屋根裏部屋の奥を指差した。

「いまは暗くて見えないだろうが、屋根に上がる階段がある。上に、通信用のはと小屋を作ろうと思っているんだが、いまのところ実現は――」

「もういい、分かった」

遮るように男は声をかけると、椅子に浅く座った。

「エルも、座らないのか」

イオアンが訊いた。

エルと呼ばれた少年は、無言で椅子の位置をずらすと、イオアンから距離をおいて、髑髏の仮面の男の後ろに座った。


「仮面は?」

イオアンが尋ねた。

「お前の正体を気にする者など、ここにはいないぞ」

男は一瞬躊躇ちゅうちょしたが、髑髏の仮面を外すと、丁寧に膝の上に置いた。


三十代半ばの、色白の男の顔が現れた。

長い金髪を後ろで束ね、細い口髭くちひげを左右に伸ばし、一見、洒落しゃれ者の優男やさおとこといった雰囲気である。恐ろしいというよりは、貴族的な優雅さを感じさせた。

男が思っていた通りの人物だったので、イオアンは安心した表情を浮かべた。


「久しぶりだな、カルハース」

「久しぶりだ、イオアン君」カルハースと呼ばれた男が鷹揚おうように頷いた。「お招き頂きありがとう」


べつに招いてはいないがな――とでも言いたそうな顔をしたイオアンは、

「ちょっと待ってくれ」

と断ると、そばで立っていたシアに声をかけた。


「階段の上げ方は、知っているか」

「ガーゴイルの同じ歯を、もう一度押せば、持ち上がると教えられております」

「廊下はそうだが、屋根裏部屋側での操作方法は、知らないだろう」

「はい」

「階段は、下ろしっぱなしにしないで、その都度つど、天井に引き上げてほしい」

「はい、分かりました」

「あの階段を上げるのか?」

カルハースが口を挟んだ。

「我々がいるあいだは、下げたままにしておいて欲しいのだがな」

「しかし、ここにいることがばれてしまうぞ」

「客が、下まで来るのか?」

「ないとは思うが――」

「では、階段は、いつでも降りれるようにしておいてくれ」

「いいだろう。ただ、彼女に説明だけはしておく。君は一緒に来てくれ」


イオアンは、シアを階段の場所まで連れていった。


「これだ」

イオアンが示したのは、階段のそばに置かれた、弓を構え、羽根をつけた愛らしい少年像である。高さは、イオアンの腰までしかない。

「この恋の神クピド像に、仕掛けが?」

イオアンは頷くと、少年像の股のあいだにある、小さな突起物を左にひねった。


階段が天井まで、ゆっくりとせり上がってきた。


「まあ」シアは口に手をあてた。

イオアンが、今度は少年像の股間を右に捻ると、階段が軋みながら廊下に降りた。

下を覗き込んでいたシアは、顔を上げると、何か言いたそうにイオアンの顔を見つめ、イオアンもシアを見つめ返した。


「誤解の無いように言っておく。この仕掛けは、私が考えたものじゃない」

「あ、そうなんですか」

イオアンが、シアの仮面の奥を覗き込んだ。

「シア、だな?」

シアは頷いた。

「先程は済みませんでした。伯爵様のご子息だとも知らずに――」

「君は入ったばかりだから仕方ない。ルマンディアにも、限られた者だけに教えるように伝えてある」

「でも、セウ家の方なのに――」

イオアンが小声で遮った。「それより、君に頼みたいことがある」

シアも声をひそめた「何でしょう?」


階段が廊下まで下りきっていたので、イオアンは再び、少年像の股間を捻った。また階段がせり上がってきた。軋む音にまぎれて、イオアンが説明した。


「一階に戻って、しばらくしたら、上がってきてくれ」

「それはいったい――」

「大丈夫だとは思うが、ここには私と、あの二人しかいない。念のためだ」

「何かあったときのため、ということでしょうか?」

「そういうことだ」

「それならば、私よりも経験のある〈侍女〉の方に代ってもらったほうが――」

「いや、お前でいい。人が変わると二人も警戒するだろう」

「理由は、どうしましょうか」

「それは適当に、ワインでも持ってきてくれ」

「ワインには、何かご希望が――」


「イオアン君、まだかね」

やや苛立いらだった、カルハースの声が聞こえた。


「あとは、頼む」

イオアンはそう言うと、カルハースたちのところへ戻っていった。

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