血生臭い密室で少年が尋問される。とうとう首なし騎士団について自白した彼が、思いがけない仕事を提案されたこと
第5話
男のドワーフが、少年を見下ろしている。
名をバルバドスという。
少年のほうは床に
「見覚えは?」
バルバドスが振り返った。
遠くから少年を眺めていたイオアンは首を振った。口を開きたくない。
肉屋の天幕の中は蒸し暑く、空気は
イオアンは手で口を押さえ、眉を
「何でこんな場所にしたんだ」
バルバドスは平気な様子で肩を
「ここが手っ取り早かったんだ。これから何をするか、知られたくないだろ」
「べつに私は構わない」
イオアンが平然と答える。
バルバドスは呆れた顔をした。
「騒ぎになったら困るの俺じゃない、イオアン様だぞ。
イオアンは顔を
「もう一度ちゃんと見てくれ、本当に心当たりはないのか」腰が引けているイオアンに、バルバドスが
イオアンは少年に近づくと片膝をつき、観察した。
うす汚れた上着にズボン。
肌は浅黒く、巻き毛の黒髪が顔にかかっている。
顔を確かめようとイオアンは、目を閉じている少年の
まだ、幼さが残っている可愛い顔だち。
十五歳ぐらいか。
少女と勘違いしてしまいそうだ。
記憶を
貧しい恰好からして、ここ数年、新市街に大勢住みついている、
イオアンは立ち上がった。
「知らないな」
「じゃあ、なんで、わざわざイオアン様を狙った」
「私が知るわけがないだろう。おまえがこの少年に直接
バルバドスは
「結局、俺がやるのかよ。分かったから、イオアン様は向こうで隠れててくれ」
大人しくイオアンは天幕の入口まで移動した。ここからなら、吊り下げられた肉塊に隠れて、少年の様子を観察することできる。
バルバドスが少年の肩を何度も揺すったが、目を覚まさない。
あたりを見回す。
天幕の中央にある、乾いた血で黒ずんだ作業台の上には、肉切り包丁や刃の大きな
バルバドスは
少年の背後に回る。
バルバドスは彼の頭に手を添え、ゆっくりと下へ押していく。少年の頭が水桶の中に入り、巻き毛の黑髪が濡れていく。
すぐに少年が反応した。
バルバドスが手を離すと、少年は顔を上げ、苦しそうに息をした。
少年は
ほう、とバルバドスは眉を上げた。
この状況で怯えていない。少なくとも、それを外に出さないだけの自制心がある。
「おまえは何者だ」バルバドスが尋ねた。
少年はじっとバルバドスを観察している。
「あんたこそ、何者だ」
バルバドスは答えず、にやりと笑う。
「
少年は
「奴隷商人にでも売るつもりか。やめといたほうがいいぜ、俺は病気持ちだ。すぐに死ぬ。気も狂ってるんだ。人に噛みつく癖があるしな。それに――」
早口で喋る少年の後ろに、バルバドスが回った。
振り向こうとする少年の頭を、バルバドスが大きな手でがっしり掴み、再び水桶の中に押し下げた。
少年は何とか頭を持ち上げようとするが、バルバドスの馬鹿力はそれを許さず、しばらく、彼の頭は水桶に
ふいに、バルバドスが手を離した。
頭を持ち上げた少年の体は、反動で
げほげほと、少年はしばらく
バルバドスはその様子を眺めていたが、自力では起き上がれない彼の体を抱きかかえると、再び胡坐の姿勢をとらせた。
少年の頭はがっくりと下を向き、濡れた黒髪からは、水が
「残念ながら、質問するのは俺だ。おまえじゃない」
バルバドスは優しく
「それで、お前はいったい何者だ」
「エル」
下を向いたまま少年が答えた。
「それがおまえの名前か」
バルバドスが確かめると、少年は黙って
「だが、名前なんてどうでもいい。お前は何者だ。何のためにあそこにいた」
「何でって――」
少年は
「理由なんてない。たまたま見つけたんだ」
「たまたま、だと」
バルバドスが鼻で笑った。
「あの広場には大勢の観客がいた。たまたまなんてことはあり得ない。どうして、あの方を狙った」
「あの方?」
ますます困惑している少年を見て、バルバドスは革袋から硬貨を取りだすと、少年の前に突き出した。ドワーフの掌には金貨と銀貨が輝いている。
「あ、俺の金!」少年が叫んだ。
身を乗り出した少年はバランスを崩し、前のめりに倒れた。
「はっ、いまや俺のもんだ。そもそも、おまえのもんですらないがな」
バルバドスは少年の姿勢を元に戻した。
「それで、どうしてあの方から盗もうとした」
ようやく理解したらしい少年は、バルバドスの顔を窺うように慎重に尋ねた。
「あの方って、背の高いエルフのこと?」
バルバドスは頷いた。
「狙った理由を答えろ」
「それは、あのエルフが――」
何かを言いかけた少年は、ハッと口を
「言わないと、また水をたらふく飲ませるぞ」
「分かったよ」少年が慌てて答えた。「俺は見たんだ」
「何を?」
「あんたが俺を捕まえたところに、十二歳ぐらいの、
「ニナのことか」
「あの子、ニナっていうのか?」
「それでどうした」
「そのニナに、あのエルフが金貨をあげてるのを見たんだよ」
「金貨一枚をか」バルバドスが頭を抱えた。
「な、おかしいだろ? それであいつは、よっぽどの金持ちじゃないかって思ったんだ。それだけさ」
バルバドスは黙って考え込んでいる。
「なあ、あんた、あのエルフの知り合いなのか」
バルバドスが顔を上げた。
「だとしたら、何だ」
「だとしたら、注意したほうがいいぜ。まわりのことをぜんぜん気にしてなくて隙だらけだった。イグマスみたいな大きな町じゃ、俺みたいに狙ってる奴なんて、いくらでもいるんだからさ」
「ご忠告ありがとう」
バルバドスは素っ気なく頷いた。
「じゃあ、おまえは、あの方を知ってて狙ったんじゃないんだな」
「そうだよ。今日、初めて見たんだから」
バルバドスがじっと少年を見つめた。
「じゃあ、おまえは、どこかの盗賊団か」
「え?」
「
「え、いや、俺は――」
「図星だろ?」バルバドスがにやりと笑った。「とっとと正体を明かせ」
「そんなこと、ぺらぺら話すわけないだろ」
「いや、話せ」
バルバドスが一歩踏み出して、少年を威圧した。
「お前はいま、自分の立場を分かってるのか」
「もう、いいだろう」
突然、入口から聞こえた声に、バルバドスが振り向き、少年は驚いた。
ぶら下がった肉塊をかき分けて、イオアンが姿を現わした。まったく予期していなかった少年は、ぽかんと口を開け、目を丸くしている。
「私を狙ったのでないなら、話は終りだ」
「だがな――」
バルバドスは渋い顔をした。
「外に出るときは
「そもそも、私のことなど、誰も知らないだろうが」
イオアンは
「もう帰るぞ」
「待ってくれ。ここからが、いいところなんだ。俺がこいつの正体を
とバルバドスは息巻いている。
「駄目だ」
イオアンが天幕の入口で振り返った。
「その少年は、牢獄塔へ連れていくんだ」
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