第4話
楽しげなリュートの音が聞こえ、少年は
大きな人の輪の中に、小さな舞台が組まれていた。舞台脇で、少女がリュートを
これから人形劇が始まるらしい。
舞台の前では、幼い子供たちが膝を組んで座り、舞台を指差したり、ひそひそと
まだ、ぼんやりしていた少年は、舞台を眺めていて、ハッとした。
舞台の後ろから、派手な格好をした人形
ふたりは談笑している。
少年は一瞬身を固くしたが、若者の視線は、そのまま少年の上を通り過ぎた。
やがて、人形遣いが舞台に引っ込み、若者は子供たちの後ろに立った。
少女が演奏をやめ、牛の首についているようなベルを鳴らした。カランカランという響きと共に、遠巻きに見ていた大人たちが、いっせいに舞台前に押し寄せ、少年も人波に逆らえず、流れに巻き込まれた。
人形劇は、少年が見たことのある芝居だった。
村のお祭りで、先生と一緒に見た覚えがある。たしか兄弟にまつわる話だ。
農夫の兄と、羊飼いの弟。
神に愛された弟を
あのエルフの若者が少し離れたところに立っていた。
舞台をまっすぐに見ている。
大理石の彫刻ような冷たく白い肌、
焼け
あのペンダントは、間違いなくセウ家の紋章だった。とにかく、この若者は、村人を殺した奴らの仲間なんだ。なんで神は、こいつらこそ罰しない?
仕返しに、あの首飾りを盗んでやろうか?
一瞬考えたが、すぐにその考えを少年は振り払った。
気づかれないはずがない。
危険すぎるし、ここじゃ、必ず捕まるだろう。
先生がいてくれたら、上手く気を
夏の日差しは強く、したたり落ちる汗が、少年の背中に
痛みで冷静になった少年は、はたと気がついた。
――そう、この人混みだ。
誰も、小柄な俺なんて見えやしない。
それに、みんな人形劇に夢中だ。
首飾りは無理だとしても、
この若者はあのとき、鞄から金貨を取り出してた。まだ持っているかも――。
自分の考えに夢中になった少年は、息を殺して、エルフの若者の背中にぴったりと張りついた。
目の前には、大きな鞄がある。
少年は、慣れた
革と紙でできた、ずっしりとした感触。
これは本だろう。
いったい何冊あるんだ?
少年は本を一冊盗もうかと考え、すぐにやめた。
確かに貴重な書物はいい金になるけど、かさばるし、イグマスの
そのまま腕を深く差し込むと、鞄の底で、丸くて硬い金属の感触があった。
硬貨だ!
それも何枚も入ってる!
興奮で、今にも心臓が口から飛び出しそうになる。
少年ができるだけ沢山の硬貨を掴み、鞄から右手を引き抜こうとしたとき、あたりが静まりかえっているのに気づいた。
舞台から、
兄の台詞が聞こえてきた。
これから、弟を殺す場面のようだ。
若者の背中に隠れている少年には舞台は見えないが、前に見た場面は覚えている。
罠にかかった弟の無防備な
人生が、いかに不公平かを訴える兄の独白が延々と続き、それに聴き入っている観客は、これから起こることを期待して、じっと息を止めている。
物音ひとつしない。
少年もまた我慢していた。
硬貨を掴んだ右手が、どんどん汗ばんでいくのが分かるが、動くに動けない。
とっとと弟を殺してくれよ!
少年はそう、祈るような気持でいた。
そして、とうとう、兄が大鎌が振り下ろした。
弟の絶叫が響きわたり、
近くの若い娘が
まわりの観客たちは、ふうと大きく息を吐いた。
少年はサッと右手を引き抜き、上着のポケットに突っ込んだ。
いつもなら硬貨の感触で、何を何枚掏ったのか分かるのだが、いまは、とても区別できるような精神状態ではなかった。
とにかく、早くここから立ち去りたい。
だが、不用意に動けば疑われる。少年がじっとしていると、舞台に登場した神が「いったい弟はどこへ消えたのだ」と、兄を問い詰めていた。
「知りません。私は弟の番人なのでしょうか」兄は
「おお。いったい、おまえは何ということを――」
と、
「おまえの弟の血が、土の中から私に叫んでいる。兄であるおまえは呪われて、この土地を離れなければならぬ。大地が口をあけて、おまえの手から弟の血を受けたからだ。もはや、おまえが土地を耕しても、大地は実を結ばぬ。これから、おまえは、永遠に、地上の放浪者となるであろう」
少年は、エルフの若者の顔を見上げた。
顔面蒼白の若者は、舞台を食い入るように見ている。そこまで人形劇に入り込んでいることに少年は驚いたが、気づかれていないようなので安心した。
少年は舞台に背を向け、若者から離れた。
人形劇の観客から遠ざかると、市場の人混みの中に
歩きながら、勝手に顔がにやけているのに気づき、少年は
神殿への広い石段の端に、少年は腰を下ろした。
巡礼者たちに背を向けて、ポケットから右手を出す。あまり期待しないように自分に言い聞かせる。すべてが
信じられない――!!
少年は息をするのも忘れた。
一度にこれほどの大金を手にしたのは初めてだった。
あまりの幸運に恐ろしくなる。
どうして、これほどの
これから、俺の運命が開けるのかも――。
少年は
大理石でできた巨大なヤヌス像は、台座の上に座り、右手に杖を持ち、左手には大きな鍵を握っている。正面は若者の顔、後ろは老人の顔をもつヤヌスは、ふたつの世界の境界を
光と闇、過去と未来、内側と外側――。
二面性の守護神。
同時に、ヤヌスは扉の神であり、入口の神であり、物事の始まりの神でもあった。
俺もここから、また始めるんだ!
嬉しくなった少年は、勢いよく立ち上がった。
青空を見上げると、すでに太陽は真上にかかっている。仲間もそろそろ取引を終えている頃だろう。急いで待ち合わせ場所に向かわないと――。
この金を見たら、みんな驚くぞ。
台所事情は苦しいから、ずいぶん助かるはずだ。
カルハースだって、きっと俺のことを見直すはずさ。一段飛ばしで、勢いよく石段を駆け下りた少年が、突然足を止めた。
あの子にあげたらどうかな――?
俺が手に入れたんだ。一枚ぐらいならいいだろ。
これで俺が盗もうとしたわけじゃないって、あの子も分かってくれる。
ちょっとした、幸運のおすそ分けさ。
少年は、うきうきとした気分で
まだ物乞いの少女は、いた。
相変わらず目を閉じて、祈りを捧げている。
少年は彼女の前に立ったが、気づかれない。なんて声をかけようか――。
結局、少年は
気がついた少女が、驚いたような顔をした。
あ、俺の顔を覚えてくれてるんだ。
少年は嬉しくなる。
ポケットから、金貨一枚を取り出した。
だが、目を丸くしている少女が、自分ではなく、自分の背後の何かに驚いているのに気づき、少年は振り返ろうとした。
だが、それは
何者かに、後ろから太い腕で締め上げられ、少年は気を失ったからだ。掌からこぼれ落ちた金貨が、音をたてて
締め上げていたのは、男のドワーフだった。
男が腕を解くと、少年は地面にどさりと崩れ落ちた。金貨を拾いあげ、男は少年を軽々と肩に
ドワーフは市場の雑踏に消えていった。
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