第4話 

楽しげなリュートの音が聞こえ、少年は物悲ものがなしい思い出から引き戻された。顔を上げると、人だかりが市場にできている。少年はそちらへ歩いていった。


大きな人の輪の中に、小さな舞台が組まれていた。舞台脇で、少女がリュートを爪弾つまびいている。

これから人形劇が始まるらしい。

舞台の前では、幼い子供たちが膝を組んで座り、舞台を指差したり、ひそひそとささやきあったりと、芝居が始まるのを心待ちにしていた。


まだ、ぼんやりしていた少年は、舞台を眺めていて、ハッとした。


舞台の後ろから、派手な格好をした人形づかいと一緒に、セウ家の首飾りをした、あのエルフの若者が現れたからだ。

ふたりは談笑している。

少年は一瞬身を固くしたが、若者の視線は、そのまま少年の上を通り過ぎた。

やがて、人形遣いが舞台に引っ込み、若者は子供たちの後ろに立った。

少女が演奏をやめ、牛の首についているようなベルを鳴らした。カランカランという響きと共に、遠巻きに見ていた大人たちが、いっせいに舞台前に押し寄せ、少年も人波に逆らえず、流れに巻き込まれた。


人形劇は、少年が見たことのある芝居だった。

村のお祭りで、先生と一緒に見た覚えがある。たしか兄弟にまつわる話だ。

農夫の兄と、羊飼いの弟。

神に愛された弟をねたんだ兄が殺し、それを怒った神が、兄を罰する陰鬱いんうつな物語――。


あのエルフの若者が少し離れたところに立っていた。

舞台をまっすぐに見ている。

大理石の彫刻ような冷たく白い肌、うれいに沈んだ表情――若者の首には、細い金の首飾りがかかっているのが見えた。

焼けげた村の風景を思い出し、少年は再び怒りを感じる。

あのペンダントは、間違いなくセウ家の紋章だった。とにかく、この若者は、村人を殺した奴らの仲間なんだ。なんで神は、こいつらこそ罰しない?


仕返しに、あの首飾りを盗んでやろうか?

一瞬考えたが、すぐにその考えを少年は振り払った。

気づかれないはずがない。

危険すぎるし、ここじゃ、必ず捕まるだろう。


先生がいてくれたら、上手く気をらしてくれるのになあ。ひとりじゃ絶対に無理だよ。それに、この人混みだ。もしエルフが気づいて、叫び声をあげたりしたら、逃げ切るすべはない。薄汚い恰好の俺は、観客の袋叩きにあうだろう――。


夏の日差しは強く、したたり落ちる汗が、少年の背中にみた。子供の頃、盗みで捕まってむち打ちにあった傷跡だった。


痛みで冷静になった少年は、はたと気がついた。

――そう、この人混みだ。


誰も、小柄な俺なんて見えやしない。

それに、みんな人形劇に夢中だ。

首飾りは無理だとしても、かばんの中身をるだけなら気づかれない。

この若者はあのとき、鞄から金貨を取り出してた。まだ持っているかも――。


自分の考えに夢中になった少年は、息を殺して、エルフの若者の背中にぴったりと張りついた。


目の前には、大きな鞄がある。

少年は、慣れた手際てぎわで鞄の紐をほどくと、そっと右手を差し込んだ。

革と紙でできた、ずっしりとした感触。

これは本だろう。

いったい何冊あるんだ?

少年は本を一冊盗もうかと考え、すぐにやめた。

確かに貴重な書物はいい金になるけど、かさばるし、イグマスの故買屋こばいやを知らない俺は、どこで売り払えばいいか分からない。足がつく可能性がある。

そのまま腕を深く差し込むと、鞄の底で、丸くて硬い金属の感触があった。

硬貨だ!

それも何枚も入ってる!

興奮で、今にも心臓が口から飛び出しそうになる。


少年ができるだけ沢山の硬貨を掴み、鞄から右手を引き抜こうとしたとき、あたりが静まりかえっているのに気づいた。


舞台から、台詞せりふが聞こえない。


兄の台詞が聞こえてきた。

これから、弟を殺す場面のようだ。

若者の背中に隠れている少年には舞台は見えないが、前に見た場面は覚えている。

罠にかかった弟の無防備なうなじに、兄が大鎌を振り落とすのだ。


人生が、いかに不公平かを訴える兄の独白が延々と続き、それに聴き入っている観客は、これから起こることを期待して、じっと息を止めている。

物音ひとつしない。

少年もまた我慢していた。

硬貨を掴んだ右手が、どんどん汗ばんでいくのが分かるが、動くに動けない。

とっとと弟を殺してくれよ!

少年はそう、祈るような気持でいた。


そして、とうとう、兄が大鎌が振り下ろした。


弟の絶叫が響きわたり、

近くの若い娘が甲高かんだかい悲鳴をあげ、

まわりの観客たちは、ふうと大きく息を吐いた。


少年はサッと右手を引き抜き、上着のポケットに突っ込んだ。

いつもなら硬貨の感触で、何を何枚掏ったのか分かるのだが、いまは、とても区別できるような精神状態ではなかった。


とにかく、早くここから立ち去りたい。


だが、不用意に動けば疑われる。少年がじっとしていると、舞台に登場した神が「いったい弟はどこへ消えたのだ」と、兄を問い詰めていた。


「知りません。私は弟の番人なのでしょうか」兄は白々しらじらしく嘘をついた。


「おお。いったい、おまえは何ということを――」

と、なげいた神が重々しく罰を宣告した。

「おまえの弟の血が、土の中から私に叫んでいる。兄であるおまえは呪われて、この土地を離れなければならぬ。大地が口をあけて、おまえの手から弟の血を受けたからだ。もはや、おまえが土地を耕しても、大地は実を結ばぬ。これから、おまえは、永遠に、地上の放浪者となるであろう」


少年は、エルフの若者の顔を見上げた。

顔面蒼白の若者は、舞台を食い入るように見ている。そこまで人形劇に入り込んでいることに少年は驚いたが、気づかれていないようなので安心した。


少年は舞台に背を向け、若者から離れた。


人形劇の観客から遠ざかると、市場の人混みの中にまぎれ込んだ。

歩きながら、勝手に顔がにやけているのに気づき、少年はあわてて下を向く。すぐにでも掏った成果を確かめたかったが、人目につくこの市場では無理だ。少年は人気のないヤヌス神殿テンプルム・イアニへ向かった。

神殿への広い石段の端に、少年は腰を下ろした。

巡礼者たちに背を向けて、ポケットから右手を出す。あまり期待しないように自分に言い聞かせる。すべてが銅貨アスということだってあり得るのだ。少年は握りこぶしをゆっくりと開いた。


金貨ソリドゥスが三枚に、銀貨ソマが六枚。

信じられない――!!

少年は息をするのも忘れた。


一度にこれほどの大金を手にしたのは初めてだった。

あまりの幸運に恐ろしくなる。

どうして、これほどの硬貨かねを、あの若者は持ち運んでいたんだろう――分からない。分からないけど、とにかくこれは凄いことだ。


これから、俺の運命が開けるのかも――。

少年は呆然ぼうぜんと、近くのヤヌス像を眺めた。


大理石でできた巨大なヤヌス像は、台座の上に座り、右手に杖を持ち、左手には大きな鍵を握っている。正面は若者の顔、後ろは老人の顔をもつヤヌスは、ふたつの世界の境界をつかさどる神である。

光と闇、過去と未来、内側と外側――。

二面性の守護神。

同時に、ヤヌスは扉の神であり、入口の神であり、物事の始まりの神でもあった。


俺もここから、また始めるんだ!

嬉しくなった少年は、勢いよく立ち上がった。


青空を見上げると、すでに太陽は真上にかかっている。仲間もそろそろ取引を終えている頃だろう。急いで待ち合わせ場所に向かわないと――。

この金を見たら、みんな驚くぞ。

台所事情は苦しいから、ずいぶん助かるはずだ。

カルハースだって、きっと俺のことを見直すはずさ。一段飛ばしで、勢いよく石段を駆け下りた少年が、突然足を止めた。


あの子にあげたらどうかな――?


俺が手に入れたんだ。一枚ぐらいならいいだろ。

これで俺が盗もうとしたわけじゃないって、あの子も分かってくれる。

ちょっとした、幸運のおすそ分けさ。


少年は、うきうきとした気分で骨董屋こっとうやへ向かった。


まだ物乞いの少女は、いた。

相変わらず目を閉じて、祈りを捧げている。

少年は彼女の前に立ったが、気づかれない。なんて声をかけようか――。


結局、少年は咳払せきばらいをした。

気がついた少女が、驚いたような顔をした。


あ、俺の顔を覚えてくれてるんだ。

少年は嬉しくなる。

ポケットから、金貨一枚を取り出した。

だが、目を丸くしている少女が、自分ではなく、自分の背後の何かに驚いているのに気づき、少年は振り返ろうとした。


だが、それはかなわない。


何者かに、後ろから太い腕で締め上げられ、少年は気を失ったからだ。掌からこぼれ落ちた金貨が、音をたてて石畳いしだたみを転がっていった。

締め上げていたのは、男のドワーフだった。

男が腕を解くと、少年は地面にどさりと崩れ落ちた。金貨を拾いあげ、男は少年を軽々と肩にかつぎ上げた。まだ驚いている少女に、にやりと笑いかける。


ドワーフは市場の雑踏に消えていった。

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