第一章

いかにして少年は掏摸に手を染めるようになったのか、その理由と来歴。市場で金貨を手にした少年は、ドワーフに拉致される

第2話

少年が、市場の雑踏ざっとうを駆け抜けている。


角を曲がり、目についた店に飛び込む。店頭のびついた甲冑かっちゅうの背後に隠れる。息をひそめるが、追手おっては現れない。


大きく息を吐くと、少年はポケットから干した果物を取り出し、噛みしめた。ねっとりして甘い。

棗椰子ナツメヤシの実。

椰子の木が並んだ、故郷の熱い砂浜を思い出す。

少年は笑みを浮かべる。

久しぶりだったけど、腕は錆びついてなかった。


少年はくちゃくちゃと口を動かしながら、店頭を見回した。

欠けた食器に古い椅子やテーブル、ガラス瓶、様々な形の剣や鎧、使い道の分からない機械の部品――。どれもがらくたばかりだ。骨董屋こっとうやなのかもしれない。天幕の奥は真っ暗で薄気味悪く、中に人がいるのか分からなかった。


かすかに歌声が聞こえた。

隣の古着屋と骨董屋のあいだに、物乞ものごいの少女が胡坐あぐらをかいて座っていた。


もしかしたら、あの子は――!

胸が高鳴る。

少年は、静かに少女へにじり寄った。


目の前を行きかう大勢の買い物客のせいで、はっきりと見えない。

黒髪を伸ばしたした少女は、丸い顔に小さな鼻、肌は微かに緑がかっている――沼人ぬまどと呼ばれる民の特徴だ。ふつう海辺や湿地のそばで、船の上で暮らす彼らが、内陸の町に現れるとは珍しい――けれど、故郷を追われたなら別だ。


やっぱり、姉妹のどちらかかもしれない。

少年は目をらして観察した。


少女は気持ち上を向いて目を閉じ、何か呟いている。歌っているのではなく、神々に祈りを捧げているのかもしれない。少年より少し年下、十二歳ぐらいに見えた。だとしたら、妹のほうの可能性がある。


どちらでも良かった。

姉でも、妹でも。

ふたりのうち、どちらかでも生きていれば、それだけで少年は嬉しかったのだ。


少年は旅をしながら、新しい町に着くたび、あの村で知り合った姉妹に出会わないかと期待していた。

もしかしたら奴隷商人に連れていかれ、どこかで働いているかもしれない――この世界に、もう存在しない可能性なんて、考えたくもなかった。


ただ、物乞いの少女は似ている気がするが、横顔だけでは断定できなかった。あれから何年だろう? もう三年はっているはずだ。見た目も変わっているかもしれない。少年はさらに少女に近づこうとした。


邪魔が入った。

雑踏から人が現われ、少女の前に立った。

くそっ。少年は小さく悪態をつくと、再び甲冑の後ろに隠れた。


背の高いエルフの若者が、少女の前に立っている。


黄土色のり切れたローブ。貧しい修道僧だろうか。しかし、物乞いの少女は気づかないのか、目を閉じて祈りの言葉を呟き続けている。

若者は少女の前で片膝をつくと、背中の大きなかばんに手を入れ、彼女の前にある皿に何かを落とした。金でも恵んだのか、その音はエルには聞こえなかったが、少女が目を開けた。


少女がはじけるような笑顔を浮かべた。

知り合いなんだ――。

なぜか、少年の胸が痛んだ。


少女が、一方的にエルフの若者に話し始めた。手振り身振りを交えて、生き生きとした表情がころころと変わる。小さな女の子が、一日の出来事を、一生懸命に父親に話している――そんな感じだ。若者は尖った耳を少女の口元に近づけ、ただ聞いているだけのようだが、ときおり笑みを浮かべている。


話している内容は聞こえないが、遠くからでも、その親密な空気が伝わってくる。


突然、少女が話し終えた。

彼女は、若者の胸元をそっと指で触れた。


若者があたりを見回したので、少年は顔を引っ込めた。若者は胸元に手を差し入れると、大きなペンダントを取り出した。

少女がペンダントを手に取り、優しく触れる。ゆっくりと動かすと、太陽を反射して、ペンダントがまぶしい輝きを放ち、少年にもはっきりとその形が見えた。


! 


あれは、セウ家の紋章じゃないか!!

少年は息が止まった。

時間が止まり、過去の苦痛に引き戻された。


体が震え始め、憎しみで叫びだしそうになる。

落ちつけ!

少年は爪が食い込むほど、両手を握りしめた。

イグマスはセウ家が統治する町だ。ここで騒いだら、俺は捕まるだけだぞ。


少年はゆっくりと息を吐くと、気持ちが落ち着くまで、じっと目を閉じていた。


目を開けた少年は、あっと声を上げた。

あの若者は姿を消していた。

物乞いの少女は、市場の人混みの奥へ目を向けている。そちらへ去ったのかもしれない。しばらくすると、少女は再び目を閉じて、祈りをあげ始めた。


少年はまだ動揺していた。

落ち着けと、再び自分に言い聞かせる。

あのエルフが、セウ家に関わっているのは間違いない。だけど、あの村にいたと決まったわけじゃない。セウ家に仕える者なんていくらでもいるんだから。

気を取り直した少年は、甲冑の後ろから姿を現わすと、物乞いの少女の前に立った。ゆっくりと彼女を見下ろす。


あの子じゃない――。


姉でも、妹でもなかった。

沼人であるのは確かだけど、まったくの別人だった。


少年は失望し、胸に穴が空いたような気分になった。同時に、目の前に座っている、初めて出会った少女にかれるのも感じていた。

なぜかは少年にも分からない。

ただ、可愛かわいらしいからかもしれない。それとも、物乞いであるのにも関わらず、とても満ち足りた、おだやかな表情をしているからだろうか?

少年も通りで生き延びていた時期があった。そのつらさがよく分かるからこそ、不思議に思えた。

目の前の少女は、ぼろぼろの服を着て、ぼさぼさの頭で、たぶん長いこと体も洗っていないだろう。それでも彼女からは、何か神聖なものが感じられた。どうしてだろうと少年は思う。彼女が熱心に祈り続けているからかな?


何か、話したい。

でも、気後きおくれして言葉が出てこない。


少年は、女を苦手に思ったことはない。むしろ、あまりに年上の女から可愛がられて、うんざりしているぐらいだった。だが目の前の、清らかな雰囲気の少女には、何か少年を躊躇ためらわせるものがある――。


自分の魂が、汚れているからかな。


目を伏せた少年が、光る何かに気づいた。

膝をつき、少女の前の皿を確かめた。かちかちに固くなったパン、しおれた向日葵ひまわりの花、くすんだ真鍮貨セステルティウスの上に、にぶい光を放つものがある。


金貨ソリドゥスだ!

少年は驚き、目をみはった。

なんで物乞いが金貨を? 高価たかすぎるだろ。


これ一枚で、銅貨アス数百枚の価値がある。

この子だって困るはずだ。

金貨なんて家にめ込んでおくためのもので、市場じゃ使えない。いったいどこの馬鹿が――と考えた少年は、あのエルフの若者だと思い当たった。

一番上にあったんだからそうだろう。

でも、貧しい修道僧が金貨なんかを与えるかな?

だとしたら、あの僧侶はいったい――。


そもそも、本物なのか?

少年は金貨を手に取った。


見たところ、本物のようだった。

裏返すと、昔の皇帝インペラトルのすり減った横顔が刻印されていた。最近の皇帝じゃないから昔に鋳造ちゅうぞうされたもの、つまり、この金貨に混じり物は少ないということだ。

念のため、少年はかじって確かめようとした。

間違いなくこれは――と少年が顔を上げると、物乞いの少女が、まじまじと自分を見つめていた。驚いたように、とても大きく目をあけて。


「俺は――」


少年の口から金貨が落ちた。

金貨の落ちた音がちゃりんと響き、ふたりのあいだで時間が止まる。


少女は悲しそうな目をした。

少年は真っ赤になった。


少女の澄んだ目は、少年を恐れても、非難しているわけでもなかった。

そうではなく、貧しい物乞いからさえも盗もうとしている人間がいる残酷な世界を悲しみ、そして、それを何とか受け入れようとしている表情――に思えた。


「――そうじゃないんだ」

だが、それ以上言葉が続かない。


恥ずかしさにいたたまれなくなった少年は、勢いよく立ち上がると、少女に背を向け、逃げるようにして、市場の雑踏に飛び込んだ。

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