Ver.2.3

@furontachuanqi

第一幕 再会

第一場 フリュネの誘惑:死神がイオアンと会うため、宮殿のような娼館を訪れる

第一話 死神と少年

イグマスの町の通りを、死神と少年が歩いている。


いや、男は死神ではなかった。

禍々まがまがしい髑髏どくろの仮面を被り、黒ずくめの服を着ているが、誰かの命を刈りる大鎌は持っていない。死神ではなく、ただの死神のような男だった。

隣を歩く小柄な少年は、十五歳ぐらいか。

巻き毛の黒髪で、肌は浅黒い。

少女のように可愛い顔だが、目の下にくまをつくり、その表情はどこか暗い。何かに取りかれているかのような目付きで、通りを眺めていた。


娼婦たちの声でやかましい通りを、薄気味悪い二人組は歩き続けた。


死神が、ある女に声をかけた。

「〈フリュネの誘惑〉という浴場を、探しているのだが――」

言葉遣いこそ慇懃いんぎんだが、その声には差し迫った響きがある。


毛皮商の首に手をかけ、いちゃいちゃしていた若い女が振り向くと、すぐ目の前に不気味な髑髏が見えた。悲鳴を上げた女は男を突き飛ばし、通りの人混みのなかに消えていった。

死神は困ったように、女の後姿を眺めた。

気を取り直し、尻もちをついている毛皮商へ、顔を向けた。

だが、この男も、慌てて立ち上がると、どこかへ走り去ってしまう。

顔を上げた死神がまわりを見回すと、通りに立っている娼婦や客たちも、怯えた顔をして、じりじりと後ずさった。


死神は、隣の少年に訊いた。

「本当に、その浴場はここにあるのか」

少年が無言で頷く。

「そうか」死神は小さく溜息をつく。「では、もう少し探してみよう」

再び、二人は通りを歩きだした。


二人が歩いているのは、イグマスという大きな都市まちの、〈浴場通り〉と呼ばれる大通りである。


延長が一キロほどある通りには、いわゆる公衆浴場テルマエが、びっしりと立ち並んでいる。これらの浴場は、男女が裸になり清潔を保つ場所――と総督府には認められていたが、実際には純然たる娼館で、浴場の二階、三階にある個室では、いかがわしいみだらな行為が、マッサージと称して夜な夜な行われていた。


季節は夏、時間はよいの口で、空には丸い月がかかっている。夜でも――いや、夜になるといっそう、イグマスの〈浴場通り〉は賑やかだった。

通りには篝火かがりびが焚かれ、豪華に飾り立てられた浴場を照らし出している。白粉おしろいの匂いをぷんぷんさせた娼婦たちは、瑞々みずみずしい肌を露出させた派手なドレスを着て、通りを行く客たちに笑いかける。浴場の陰ではエルフの美少年が、年増としまの女とひそひそと値段の交渉をしている。

屋台からは、揚げ物の脂ぎった臭いが漂い、吟遊詩人がリュートを奏でながら、竜殺しの詠歌バラッドを酔っ払いに歌っていた。


この暑苦しくて騒がしい〈浴場通り〉を、死神と少年はきょろきょろと、左右の浴場の名前を確かめながら進んだ。通りの者たちは二人を見ると、一瞬ぎょっとした顔をするが、すぐに顔を背け、夢と欲望の世界に戻ってしまう。


依然として、目指す浴場は見つからない。


二人は知らなかったのだが、〈浴場通り〉はおおむね、通りの南に行くほど浴場の格が低く、北に行くほど格が上がる。探している浴場を見つけたのは、通りの最北端、もう別の通りにぶつかるところだった。


「ここか――」

二人は、大理石の宮殿のような建物を見上げた。

ポーチの上には〈フリュネの誘惑フリュネス・テンタティオ〉と、浴場の名前が刻みこまれている。


五階建てか、六階建てぐらいの高さがある。

正面の壁一面に、くねくねとなまめかしいポーズをとる、愛の女神ウェヌス像や妖精ニンフたちのレリーフがびっしりと彫られており、むちむちとした豊満な肉体を、これでもかと言わんばかりに見せつけていた。


「けしからんな」死神が口にした。


太い柱が四本立っているポーチは、まるで宮殿のような印象だが、それに反して入口の扉は小さく、どこか秘密の扉めいた印象を与えていた。そのそばに、用心棒らしきオークが、ひまそうに壁にもたれていた。ただ、視線だけはちらちらと、死神と少年のほうへ向けている。


「入んないのかよ」少年が急かした。

「うむ」

死神は、女神たちの裸体から目を引き剝がすと、ポーチへ一歩踏み出した。すると、用心棒のオークも壁から離れ、入口の扉を塞ぐように立った。


オークは、宮殿のような建物に合わせているのか、手の込んだ上品な服を着ているが、まったく似合っていない。右手の重そうな棍棒を振っては、左手のてのひらに当て、小気味よい音を立てている。威嚇いかくしてるつもりなのかもしれない。


死神がポーチの石段に足をかけると、オークは唸り声を出した。


「何だ、お前ら」

「ここに、イオアン君はいるかね」

「イオアン様だと!?」

意表を突かれたような顔をしたオークが、しばらくしてから質問した。

「いたら、どうだって言うんだ」

「もちろん、会いたいのだが」

「約束は?」

「いや。会うのもひと月ぶりだからな」

「じゃあ、駄目だ。約束して出直せ」

「彼と約束できないから、こうして直接、ここまで訪ねに来たんじゃないか」


オークは考え込んでいる。


「やっぱり駄目だな。迷惑なんだよ。お前みたいな奴らに来られると」

オークは胡散うさん臭げに、死神の仮面を見ると、

「だいたい何だそれは。〈死者の日〉の祭りは明日からだぞ。お前は日付も分からない馬鹿なのか?」

と言ってわらった。

「〈死者の日〉など関係ない」

ムッとした死神が、ポーチに上がった。

「愚か者は君のほうだ。急いでいる。馬鹿の相手などしている時間はない」


「てめえ!」

オークが振りかざした棍棒を、死神はこともなげにかわすと、腰から抜いた短剣を、オークの太い喉元に、さっと突き付けた。

「傭兵くずれが、私にかなうとでも思っているのかね?」

死神が、後ろの少年に合図をする。

「エル――」


少年が、〈フリュネの誘惑〉の扉を開き、中に入った。


「ああ、くそ!」

と叫んだオークは、死神を押しのけて少年を追った。死神もその後に続いた。

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