第16話:静かなる開戦
「……………ぅ、ぁ……、―――ぁ」
既に涙も枯れたように。
それでいて、まだ泣き足りないというように。
背も、足も、足首さえも冷たい石と鉄の感触が支配していた。
小さな存在は狭い一室に閉じ込められ、差し込む灯りさえ、鉄扉……鉄格子の先。
朱に染まり乾いた服、汚れた裸足のまま壁を背に蹲る小さな影は、闇の中に溶けてしまいそうなほどに弱弱しく……そして衰弱していた。
「―――なぁ、リーダー……! そろそろ教えてくれたって良いんじゃねえかぁ!?」
「―――それは、俺も気になる。こんな簡単な任務、どうして受けた」
拳ほどの覗き穴の向こう側。
灯りの差したあちらからは、肉と酒の香りと共に、はばかる気配もない笑い声が聞こえて。
「王族様でもねぇ、お貴族様でもねぇ……! 大富豪ですら……、高々小金持ちの地方役人なんか殺したって、碌な稼ぎにもなりゃしねぇのによ。てか割に合わねえぜ? 態々俺たちが!? これが上の命令だってんならいよいよ俺らのことを小間使いか何かと勘違いし始めてんじゃねえのか? なぁオイッ!!」
「……騒がしいぞ」
「ッスな」
「しかし、隊長。言葉はどうあれ、実際私も同意見です。何故、このような……」
部屋には五人の男たちがいた。
それぞれが食事を交えながらも片時も武器から手を離さず、確かな実力を有している事が伺える気配を纏っていた。
「大旦那直々の依頼だ。決して他言するような真似をするなよ。―――死ぬぞ」
「「………ッ」」
そんな彼等にすら走る緊張。
それもまた、リーダー格の男の実力の高さがうかがえ。
男は誰の目を、耳をはばかるでもなく声を潜め。
小さく、しかし圧の籠った言葉を紡ぐ。
「あの娘は、奇跡の名の下に生まれてきた財宝―――」
……。
「聖女だ」
「………へ?」
「「―――――」」
沈黙。
それは、完全なる静寂。
男の口から出た言葉に、一瞬彼等は己の耳がおかしくなったのかとすら錯覚し。
しかし、己を含めた全員が同じ反応だったことに、おかしいのはリーダーなのではないかと一斉に再び視線を集中させる。
「ちょっっ……ま、待ってくだせぇ!? そいつぁ流石に……」
「聖女って、あの!? クロウンスとか、プリエールとかの聖女ですかい!?」
王国クロウンスに火の聖女
聖国プリエールに水の聖女
匠国トルキンに地の聖女
教国を総本山とするアトラ教の流れを汲む中でも、どれもが大陸に多大な影響力を持つ大国に分類される国家。
巨大組織の実行部隊として、己らの実力に並々ならぬ自信を抱える彼等をして、決して事を構える気など起きようはずもない大勢力。
その御輿たる―――聖女?
あの、物置で蹲っているだけの、10代にもなっていないような女が? ……と。
「……悪い冗談でも、気が触れたわけでもない。ミーティン様がお調べになった事だ。裏は取れているだろう」
「「……………」」
彼等の組織、その大幹部。
個人で幾つもの敵対組織を八つ裂きに、千を超える首を晒してきたかの【三昧刃】の名を出されてしまっては、彼等も押し黙る。
それ程までに強大な存在であると同時に、彼等の頭ではその情報を処理しきれなかったというのもあるのかもしれない。
「だが、それだけではない」
「だけって……」
静寂の訪れた室内。
それを笑い飛ばす事すら出来なかった彼等へ、長は再び静かに口を開き、続ける。
「我らにとって、陽のもとたる聖女は御伽噺の存在にすら近しかった。だが……あの娘は、まさしく御伽噺の創造物とも言える」
「その難解な言葉遣いどうにかならないっすか?」
「流石に元学者先生」
「………。元より、数年前から調査がされていた事。……勇者の血筋」
「「は?」」
「勇者って……どの? 炎刃のオルバンス? 冥官のカロン?」
「それとも迅雷侯? ……まさか、異界の勇者の子孫とかいうんじゃねえでしょうね。数十年前に帰ったっていうキサラギとか」
「……………」
その、どれでもないと。
無言のままに否定した彼は、再び声を潜め……。
「異界の勇者であり、六大神の勇者でもある。あの娘は―――勇者ソロモンと聖者オノデラの子孫だ」
「「――――――――」」
今度こそ、空間は完全に固まった。
或いは、夢物語の存在である時間魔法でも使われたかのように。
驚愕を飛び越えて放心をするほかない彼等は、その言葉を理解するのに幾ばくかの間を要した。
……勇者ソロモン。
言わずと知れた、最強の勇者。
何処の国でも、都市でも、僻地に存在する農村部の住人でさえも、その名を持つ勇者が何を成したか、何を成せなかったのかを話し始めれば暫し止まる事はないだろう。
そして、聖者オノデラ。
キサラギより以前に異界より召喚された勇者であり、ソロモンの相棒であり恋人だった女性……大陸ギルドの創始者。
二人の間に……子孫が。
日陰者とて、かつて幼き頃は確かに光に焦がれ、擦り切れんばかりに絵物語を熟読した英雄の名。
歴代勇者達の中で、最も名高き二人。
「勇者の……子孫。同時に、聖女などと。とても値の付けられるようなものではない。素養など、語るまでもない。今は小娘であろうと、いずれは歴史に名を残す存在へ
………。
しかし、その道は閉ざされたと。
言外に告げる彼には、何の感情もありはしない。
……。
再び……否、三度静寂の訪れた空間。
彼等は再度酒を喰らうでも飯を喰らうでもなく放心していたが……。
「今なら、よ? 殺さねえ限り……」
やがて、一人が思い立ったように腰を上げる。
「………殺さねぇ限り、何やっても良いって事……だよな?」
「「……………」」
「ほら、聖女って……あれだ。死なない限り、聖女のままなんだろ? なら……」
「止めておけ。殺すぞ」
「でもよぉ……こんな機会、二度とねぇんですぜ!?」
「……、確かに、それは」
「興味は、あるが……」
そんな誘惑には抗えないと。
だからこそこのような場所にいるのだと。
自分を制する事の出来ない愚か者たちを前に、やはり長は動く。
「―――覚えておけ。上の者ほど、権力者ほど純潔を貴ぶものだ。それが失われたモノは商品価値を著しく損なう。欠けた芸術の価値は低い。……良いだろう、試してみるといい。命の光を失った後ですらその劣情を催せるならば……」
部下たちを制するように、僅かに抜き放たれた短剣の銀光。
光は暗闇では一際よく見えた。
故に……だからこそ。
一筋の光や闇の中でこそ、それらを総じて飲み込む真なる暗黒は。
………。
野外へ繋がる重厚な扉が。
音を立てる事無く、開いた。
「な……、に……!?」
それ迄、決して平静を欠くことがなかったリーダー格が。
彼が、動揺を……恐怖を滲ませる。
「―――あり、得ない………! くッ……!!」
しかし、動揺も長くは続かない。
男は瞬時に行動を開始せんと短剣を構えつつ、片時も動かさなかった長剣の柄に力を入れ―――。
己の身体が動かぬ事。
身体に力が入らぬ事。
視界が揺らぎ、意識が朦朧としている事。
それらを一遍に理解した。
その理由を理解した。
「―――ぁ、……ガ」
「「―――――」」
その言葉を最後に、物言わぬ肉塊となって崩れ落ちる身体。
統率者が居なくなったことにより、狂乱に叫ぶ男たちは……悲鳴だけが、ただ一人の耳にこだまし続ける事になった。
………。
……………。
金属が軋み、歪み、乱雑に取り払われる。
ぼろきれの様な服を纏い、部屋の隅に丸まっていた存在は、やがて扉の隙間から流れ込んできた朱の色を目に。
「ぁ……ぁぁぁぁぁぁあ!!」
何かを思い出したように狂乱と叫び、その場で蹲る。
身なりの良い瘦せ型の男性。
藍色の髪の穏やかな女性。
最も大切だった者たちが斬り裂かれ、
それは、フラッシュバック。
それは―――少女は今もなお、その幻影の中にいた。
幻影に怯える彼女へ、しかしその存在は歩みを止める事無く近付き、漆黒の小手に覆われた腕を伸ばしているのだ。
まるで、あの時と同じ―――泣き叫ぶ彼女の口を塞ぎ、両親を殺した者たちのように。
「―――――ぁ……ぁ……ぅ……うぁぁ!」
「……………」
両の手で口を塞ぎ、何とか耐えていた少女が、ついに悲鳴を漏らし。
伸びていた手が、止まる。
一秒……二秒……全身を漆黒の鎧に包んだソレは、同じ体勢で固まり続け。
そこに何の感情があったか。
震える少女は終ぞ読み取る事が出来ず……その姿を目に映す事もやめた。
ただその場に蹲り、嵐が過ぎ去るのをまった。
………。
……………。
「―――おい、ここだ! 扉も開いてるぞ!」
どれだけ経ったか。
次に少女が我に返った時……聞こえてきた声は、今までのどれとも異なるモノで。
「―――これは……この惨状は」
「レナ―タの暗殺部隊が……こんな呆気なく……」
「後だ。その子を保護するぞ」
雪崩れ込んできた彼等の服に朱はなく。
扉の向こうからは、朝日の光が確かに差し込んでいた。
夜が、過ぎていたのだ。
「………あ、ぁ……」
「大丈夫……、もう、大丈夫だ。私はヴァレット……冒険者だ。匿名の依頼を受け、君を助けに来た」
◇
大陸中央部……とある都市。
200年の知識を含有せし尖塔のふもとに存在する巨大施設は、どんな時であろうと決して内部の灯りが消えることはなく。
しかし、階下の忙しなさがそこに到る事はない。
非常に、静謐な空間だった。
………。
薄暗い執務室ではランプの灯りだけを頼りに、紙にペンが走る音だけが。
その僅かな、ほんの些細な音だけがあり。
ただ一人居た彼女は、不意に親書へ走らせていたペンを止め……やがて立ち上がると、すぐ傍の丸机に備え付けていた保温容器を手に、一つ……二つのカップへと中身を注ぐ。
それと同時。
窓から一つの影が身体を折り、ぬるりと屋内へ侵入してくる。
地上三階に位置する執務室へと……外窓を超え。
「いらっしゃいませ。……扉から入ってくればいいものを―――おひとりですか?」
「……。予約はないが。時間は取れるか?」
「……えぇ」
答えを聞くままに、彼女の対面に腰を下ろす影。
男は、深く……深く息を吐く。
「お久しぶり……、と言えば良いですか?」
「……………」
「いつも、いつも。いつだって、貴方は突然に現れるのです。困ったことに、いつだって違う事情を抱えて、現れるのです」
「はは……。前回は君直々の依頼だった筈だが……だが。その割には、今回も用意が良い。流石だな」
「昔から直感は。それに……あなたはそういう人だと分かっていますからね」
「―――私にとっては、長い付き合いなのです。只人である、私には」
「……そうだな。君は……只の人間なのだからな」
そこで、一旦は途切れる会話。
最適なままの状態の茶が注がれるのを、両者静かに。
彼女もまた、ソレを注ぎ終わると男の対面の席へと、ただ自然に腰を下ろし。
「事が始まる前に。君とは、話をしなければと思った。全てが、始まる前に」
「……………」
「なら……まずは聞かせてはくれませんか? 貴方の人生を。貴方が歩んだ足跡を。貴方の……物語を」
「……それは、長くなるな」
「構いませんよ。まだ、お茶は沢山残っています。けれど……」
「300年、ですからね」
「―――あぁ。もう、忘れてしまったが。それくらいは、生きたか。今では碌に食べ物も喉を通らない」
「クッキーは? ロゼッタからの差し入れものですが。お茶請けに」
「………もらおうか」
………。
……………。
男は、彼女が求める大半を答えた。
己のかつての名と、どのようにこの世界に来たのか。
或いは、どのように魔族と出会ったか。
無論、己らと関わる事になった経緯まで―――何より……何故あの時、彼女の前に現れたのか。
「……貴方の身体は」
「…………。冒険者としての私は、アレで全てだ。かつて存在した、ナクラという名の男は。もし、その男が銀の魔族に出会う事もなく、しかし300年の研鑽を人として積めたのであれば……それが」
「冒険者としての、貴方だったと?」
「笑い話だろう? 才能を持たぬ、ただ巻き込まれただけの旅人。君たちの領域に到るのに、三百年。それも、人間としての肉体であったのなら、数百、数千……数万は死んでいる。その上で、ようやく君たちの足元に手が届いただけの―――凡人。それが……私だ」
「私が只のナクラであったのなら。同じ年月を生きたのなら。私は君たちの誰であっても、勝てるとは思えない」
………。
かつて通商連邦で当代の勇者が風の聖女に投げた疑問への答え。
「もし彼女と彼が戦ったのならどちらが勝つのか」
……現在の話題だった。
「才能とは、残酷なものだ。絵物語に語られるのは、常に才能を持つ者達。彼等が歩む旅路に埋まった屍の事など、誰が語るか?」
「……物語の登場人物が、それを語ってしまう時代なのですね」
「ははは」
そこで話題がひとしきり終わったと。
何度目、何十度目かの沈黙。
双方が再び口を閉ざし、或いは潤す中で。
「物語、と言えば」
これまで話を聞く側だった彼女が、まるで子供のように。
ワクワクしたように……絵本の内容に胸を高鳴らせたかのように、身を乗り出して話し始める。
「―――私……、御婆様の昔話が大好きだったのです。こんな夜更けで、月も六星も遠い日に。お父様もお母さまも寝てしまったような夜更けに。本も読めない暗闇で、思い出したように紡がれる、物語が」
「それは御婆様が子供の頃に聞いた、
「……………」
「彼は、誰よりも大切な人で。他の何ものにも替えられないくらい大好きで。勇敢で、格好良くて……けど、何処かとぼけて、抜けてるところもある……陽だまりのような人」
「―――ふ。あぁ……まさに」
「彼女は、誰よりも自由な人。長命者なのに誰よりもはしゃいで、誰よりも感情豊かで。問題児。けれど、いつだって、どんな時だって明るく、進むべき道を示してくれた……星空のような人」
「……言い得て妙だな」
「その人は仲間の誰より強く……。誰よりも傲慢で、寡黙で、気分屋で、杜撰で、その癖どうしてか料理上手で……」
「……子供に聞かせる話だろうに。少しは手心というものを……」
「ふふっ。負けず嫌いで、ロクデナシで―――」
「……………」
「でも、本当に大切な時は、いつだって静かに仲間の傍に寄り添ってくれる……月のような―――誰よりも……、優しい人だったと」
「―――――」
「……御婆様は、晩年のあの御方に。仲間との旅の話を、何度も
「……………」
「あの方は、とても大切で、とても温かい旅路を、懐かしそうに話していたと。……その中で、何度もその人に謝りたいと呟いていたと。もしかしたら、その人が負っていた荷を解いてあげられた道も……きっとあったのではないかと。何度も……」
「……そう、聞いています」
………。
それは、この宵の中でも最も短い話題の一つとなったが。
どうしてか、その話題が簡単に塗り替えられてしまうことはなく。
男は、遥か昔に置いてきた何かを。
記憶を手繰り、思い出すかのように目を細め。
「………そうか」
……。
「………そうか」
ただ、同じ言葉を消え入るように呟いていた。
果たして、女性の語ったソレが真実か偽りなのか……その言葉に、何を思ったか。
ほぅ……と、大きく細く息を吐き出し。
杯に注がれた何度目かの中身を干した男は、座していた椅子から、ゆっくりと立ち上がり、彼女に背を向ける。
「……十分だ。一つ。肩の荷が、降りた」
「―――そうですか。それは、或いは我々に不都合だったのかもしれませんね?」
「……はは。違いない、だ」
確かに、静かに笑い合う両者。
しかし。
次瞬には目を細めていた二人は互いに向き合い。
「―――彼等が、最後の手札を手にしました」
「聞いている。最新の聖剣―――ロイドール。名前だけだが……知っている」
「……流石ですね。今やトルキンの聖剣は四振りとなり、新たな聖剣も彼等の手に。トルキンは、事実を大々的に発表します。この報は、間もなく大陸中に広がるでしょう」
「無論、グロリアにおいて勇者の遺産を手にした事も……。世界が変わる。動く……か」
女性は、微笑みながらも男を見据え。
男は、やがて天井を見上げるまま。
「良いだろう。これは宣戦、と言うべきではないが……―――勝つのは私だ、調停者」
「ふふふっ。……いいえ、勝つのは……、彼等ですよ、暗黒卿」
陣営を束ねし両統率者は、静かに宣戦を下した。
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