第2話:マドウクロマジョ
皆さんこんにちは、ご存じ生物研究のハカセです。
まぁ、実のところ本格的に生物研究を再開したのは数日前からなんですけど。
はて、さて……。
今日はどんな生き物を見ることができるでしょうか。
引き続き王都周辺で調査をしているのですけれど……先日の件以来、残念な事にめぼしい収穫は無し。
やっぱり都市全体をカバーするよりは一つのスポットに絞るべきなんじゃないかと思って、一つ王城へ戻ってきちゃいました。
今は……第三階層? って言うんですかね。
見渡す薄暗い廊下、燭台の灯り……ずらりと並んだどの部屋からも強い魔力を感じられて―――時々扉が吹き飛んでいますね怖いですね。
スペクタクル映画を見てるような必要のない緊張感が生まれてる気がします。
しかし、危険を冒さずして生物研究はならず。
この部屋とか……どうですかね。
おじゃましまーー……。
「……ぅ……、ん。……ぅ……、う゛」
ベッドですね、寝室でしょうか。
いや、ベッドは別に珍しくもなんともないんですけど、立ってるんですよ。
魔族は立ったままベッドに横たわる習慣でもあるのでしょうか?
で、そのベッドに縛り付けられるようにしてうなされているように身じろぎしているのは……あれ?
あの黒髪、紅眼の男の人……。
あ! 先日の家主さんじゃありませんか!
こんな所で会うなんて奇遇ですね。
あの時の知識と言い、こんな場所で変な事しているのと言い、もしかして彼も生物観察が趣味なのかもしれません。
けれど……うーん。
どういう状況なんでしょうか。
横になっているのは良いですけど、縛り付けられている感じで身動きがとれなそう……そういうプレイなのでしょうか。
「―――目、覚めた? 体調はどうかしら」
「……その前に状況を確認させてくれ。私は自室で寝ていた筈だが」
うーん……?
もしかして今回は観察されてる側なんでしょうか?
いえ、今はそんな事よりも……この声は。
気配も魔力の乱れもなく暗がりから現れる影……露出が殆どないにも拘わらず蠱惑と肉感を感じさせる黒地の衣、その上に纏った研究者らしき白衣。
まさか……。
「ふふ……、苦労したのよ? 貴方をここまで運んでくるのは」
光の当たり具合で紫にも見える黒髪に、深い紫水晶色の瞳。
間違いありません! ヨウマ属の希少種マドウクロマジョです!
「やってくれたなマッド」
「でも、良い夢が見られたでしょう? 最近寝つきが悪いって言ってたじゃない。そういう薬効の成分を配合した最高純度の幻惑剤よ?」
「……私は。私は、差し入れの……」
「ウチの子たちには何の悪気もないわ。ただ、私がおすそ分けした果物で作っただけ。あとは、最高の食べ合わせを……ね? ……学園を卒業したばかりの女の子たちに囲まれて良い思いも出来たでしょうし」
「………くッ」
会話からも分かる通り、マドウクロマジョは相手を
そして、とっても頭がいいんです。
勿論、全部知ってる私には劣りますけどねー。
生物学、魔術学、工学……多岐にわたる才を発揮してきた存在で、国内では知らぬ者はいない程のカリスマ研究者兼最高位の術士。
多くの魔術応用、魔道具開発に貢献した権威と言っても良いですね。
でも、そんな彼女がどうしてあの家主さんを?
「……だが、普通の薬品程度で私の感知を鈍らせる事など」
「勿論できないわ。けれど、生憎普通じゃないの。それに、貴方の身体は誰が調整して上げてると思ってるのかしら。主治医として、耐性や弱点くらい熟知して当然よ」
「…………寝ている間に何もしていないよな?」
「技術の発展に犠牲は付き物なの」
艶がある薄朱の唇をぺろりと舐めるクロマジョ。
執念深く、一度狙った獲物は逃がさないと言われている生物ですが、状況を見るにどうやら家主さんはターゲットにされてしまっているみたいですね。
「それで……、ね? 本題なのだけど」
「……くっ、どんな厄介事だ」
緊張の一瞬。
即ちシャッターチャンス。
生物図鑑に載せる写真を撮っている中、マドウクロマジョはとても緊張したように、逡巡しながらソレを口にします。
「その―――さ、散歩でも、どう……かしら?」
「…………ん?」
「……一緒に」
「さんぽ?」
「え、えぇ。ほら……! 食事、でも」
「……………」
………。
「回りくどい!! デートの誘いくらい普通にしてくれ!」
「ででででデートじゃあないわ!? 私はただ医者として、貴方の身体を預かるものとして経過を見ておかないといけないって思ってるだけよ! 栄養とか、そういうの!」
ベッドに詰め寄り、捲し立てるマドウクロマジョ。
これには家主さんも目を白黒させますが、やがて調子を取り戻したのか、或いは諦めたのか。
溜息一つ、顔を上げて。
「……プランは? ……あるみたいだな」
「期待して良いわ」
自信満々にえへんと胸を張るクロマジョ。
笑ったり、焦ったり照れたり偉ぶったり……一見とても冷静かつ妖艶、獲物を弄ぶ性格ながら、この多彩な表情の変化も彼女の特徴なのです。
―――おっと、家主さん達が行っちゃいますね。
カメラも追ってみましょう、とてとてーー。
………。
……………。
「このお店よ」
「……ふむ。かなり新しそうだな」
「ついこの間出来たの。奇麗でしょ?」
と。
やってきました、商業区。
寿命の長い魔族でも、或いは魔族であるからこそ流行り廃りが忙しない彼等。
その遊び場とでも言うべき区画ですね。
この辺の固有種は……ううん。特にめぼしい種はないですかねぇ。
それより、数々の店店が立ち並ぶ中で、今だ新しい外装。
頑丈な金属の骨組みを混凝土で塗り固めた重厚な外装でありつつ、洒落っ気を感じさせる蔓や蔦のような装飾の交じり合った建築は二階建て。
煙突から出る煙からは様々な食材の匂いも。
そして、ガラス張りの店内では談笑しながら食事をする人達の姿が伺え、一見さにも入りやすそうな雰囲気。
確かにこれは期待できそうです。
「中々にぎわっている所を見るに―――流行の店、という風体か。てっきり君はこういうものに興味がないと思っていたのだが……」
「私だって色々と研究してるのよ。さ、入りましょ?」
予約しているのか何なのか。
並ぶ列を無視し、腕を組むままに店内に足を踏み入れるクロマジョと家主さん。
二人が通されたのは二階でも一番奥の席で。
二階にもやっぱりお客さんはぎっしり。
どちらかというと小難しい顔をした研究者、或いは学者肌の人が多いように見えます。
皆さんヨウマ科ってコトですね。
黒樹を削り出したような広いテーブルにはシミ一つないクロスが掛かり、中央には煌びやかな燭台。
各所に配置された蔓のリースは食用の乾燥薬などが付いていて、同じものが店内の至る所からつり下がっている……ニンニクを吊り下げてたりする店みたいなものでしょうか。
やや暗い照明だからこそ、この手の装飾が映えるんですね。
ここ、やっぱり魔女の隠れ家って風体で。
卓に着いた家主さんは早速とテーブルのそこかしこへ目を走らせますが。
「うん? メニューは……」
「このお店、そういうのないのよ。お客さんの年齢とか、体調とか、好みとか。そういうのに合うものを出すの」
「―――面白いな。だが、創作料理に関しても私はうるさいぞ」
「……だ、大丈夫ヨ」
「……?」
二人が席に座って間もなく、黒衣にとんがり帽子……いかにもな女性店員さんがお水を運んできます。
でもエプロンは白なんですね。
美人さんで……クロマジョを含め、やっぱりヨウマ科は女性らしい身体つきの女性が多いみたいです。
「外界からの訪問者様。本日は御来店いただきありがとうございます。当館のシステムは―――」
「大丈夫よ。早速お願いしようかしら。重くないものが良いわね。落ち着きたい気分なの」
「畏まりました」
「……おい、イザベラ」
「どういうモノを食べたいか、それだけ伝えれば良いわ。冷たいとか熱いとか、ガッツリとか」
「はい、何なりとお申し付けを。お連れ様は?」
「……重くなく、くどくなく、消化の良いものを。温かいなら最高だ」
「ではスープを……シチューなどは? 栄養を余すことなく摂取できます」
「ならば、それで」
「―――くすっ」
「笑うな」
「では……。ごゆっくりどうぞ」
………。
店員さんが去ったあと、クロマジョは我慢できないと言うようにくつくつと声を漏らします。
「あはははっ! 本当におじいさんね、あなた……!」
「悪かったな。それよりも―――」
………。
注文が来るまでの間は心配しなくて良さそうですね。
まるで長い付き合いのように談笑する二人。
どうやら本当に仲が良い様子です。
けれど、そんな会話の中でもクロマジョの紫の瞳は妖しく光っていて。
「なぁ、イザベラ」
「―――え? な、何かしら、改まって」
「………いや」
「―――お待たせいたしました」
と、さほど時間は経っていない筈ですが、もう運ばれてきましたね。
沢山の料理を両手のトレーに乗せたまま器用に行き来する店員さん―――彼女が卓へ置いたのは、家主さんの注文らしき紅色のスープ……ボルシチでしょうか? サワークリームは乗ってないみたいですけど。
クリーム系を想像していましたけれど、広義的には紛れもなくシチューですね、うん……、うん?
このシチュー、何だかちょっと。
「―――……フム」
「……………食べないの?」
「君のがまだ来ていないだろう」
「冷めちゃうわよ。温かいうちに頂く、美味しいうちに食べるっていうのが貴方のモットーでしょ?」
「まぁ……それもそうだな」
卓に置かれていた銀製のスプーンを取り、シチューを掬う家主さん。
彼は何も躊躇う事もなく温かく湯気の立つソレを一口。
「……ほう? うむ、……うむ」
「……ど、どうかしら? この……―――お店」
と……、家主さんの口からコリッという音が聞こえてきます。
野菜ですよね?
シチューの具材にしては少し……硬い?
「悪くないな」
「そう!?」
叫ばんばかりにテーブルを叩いて飛び上がるマドウクロマジョ。
けれど、それを咎めるお客さんは居ません。
流石はマドウクロマジョ、一瞬の声にもすぐさま防音の魔術が自動で発動するようにしているんですね。
彼女が見ている前で、家主さんは止める事無くスプーンを動かして。
ポリ……、パリ……。
やっぱりシチューの咀嚼音じゃありませんよね?
これが創作料理なんでしょうか。
「お待たせいたしました、香草サラダになります」
「―――えぇ、ありがと」
「あぁ、良いかな。シチューのおかわりを。温め直してもらって」
「おかわりッッ!?」
まだいくらも経っていないのに、もう食べちゃうなんて。
それにおかわりまで。
余程気に入ったのでしょうか。
「で―――今更だが、どういうかぜの吹き回しだ? 塔に引きこもったまま外に出るという事すら知らなかった君が、外食に私を誘おうなどと」
「……………」
「食事など只の栄養補給とも行っていた君が、だ」
「いつの話? それ」
「あーー……二百数十年前?」
えと、資料資料……。
マドウクロマジョは、魔皇国でも最も魔術研究の進んだ都市である南部シャルンドア領の出身。
かの地方は都市全土に高塔が乱立していて、塔が大きい程長い歴史を持ち、知識を蓄えた名家であるとされています。
中でも、彼女の家であるローレランスは最も高い塔を有する領主の家柄。
クロマジョは外敵から身を護る為に、幼生期はずっと塔の中で暮らす習性があるみたいですね。
「―――大きな進捗、か」
「……バカにしてるのかしら?」
「ふふ……。かつて、君が初めて私に料理を持ってきた時の事、覚えているか?」
「……さぁ、いつの事か」
「フィーアと知り合う前……これも随分昔の話だな。当時、君は料理のりの字も知らなかった。ある日突然「料理は魔法って聞いたわ」……などと言いながら寸胴鍋を私の所へ持ってきて―――……その先はとても口に出来たものではないが、二つの意味で」
その情報は? ……えぇ、入ってますとも!
マドウクロマジョの生態その八……魔術研究の権威である彼女ですが、対照的にとても料理が苦手。
包丁は、握れても持ち上げ、振ることすら難しい程に非力だとか。
初めて挑戦した料理はシチューで、何と七色に光っていたんですって!
「もぐ……むぐ」
「……おいしい、の? ずっと……たべて」
「―――クククッ」
ポリポリ……芯の残った野菜の音。
「……あぁ。美味いな」
……やっぱり家主さんの口には合うみたいで。
余程の悪食なのか、それとも。
「イザベラ」
「……な、何かしら」
「ダイエット中か? サラダにすらほとんど手を付けないとは」
「私は燃費いいの。食べたいんだったら食べたら?」
「いや。暫くはこれ一本で行かせてもらう」
「―――そんなに気に入ったの……?」
また店員さんを呼び、おかわりを注文する家主さん。
彼は一口一口を味わうようにそれを口に運んで。
「……このシチュー……芋は……煮込みが足りていないのか芯が残っている。こっち根菜も、そうだ。逆に、鳥の肉などは火が通り過ぎてややパサついているようだな」
「……ぅ」
「が……余程客の好みを心得ているようだ。香辛料は繊細な味を壊さない程度に多めに入り、スパイシーかつ、濃い目の味付け。紅羊のミルクが上手く纏めてる」
「普段慣れていない者が、それでも一生懸命作った。食べさせたい者の好みに合わせて……。そんなシチューだ」
「………!」
「―――美味いぞ、イザベラ。本当に良く出来てる」
……。
「……。本当にズルいわね、あなた」
「寝覚めから今に至るまでの全てを掌で転がしていた魔女がソレを言うのか? 昨日の出来事、ここへ到るまでの道のり、そして店。君の仕込みでなかった箇所があったのならば聞きたいな。ウチの団にスカウトしたい」
「―――……ばか」
あ、このお店の情報も来ましたね。
名前は黒魔女の厨房……コンセプトは肉体を魔術行使に最適なものへ作り替える料理を提供すること。
オーナーは匿名ですけど、妖魔種の中でも特に名の知れた貴族家の出身とか―――うん?
「本当に……君の成長ぶりには驚かされる事も多いな。……成長の余地がある、というのは良い事だ。……喜ばしい事だよ、本当に」
「……ラグナ? あなた」
「なに、独り言さ」
………。
長い付き合いであるが故の信頼関係。
それでいて、あのシチューのように煮え切らない関係。
完成する日は……来るんですかねぇ。
「ねぇ、ラグナ? その……。シチュー……、また作っても、良いかしら?」
「ふん―――私が料理を残したことがあったか?」
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