幕間:全ては過ぎ去りし記憶

第1話:ビバ武術大会




 緻密に積み込まれた石段は、数えるのも果てしなく。

 先へ、上へと広がる……巨大な円形。

 石床で構成された無機質な冷たさを覆い、かつ燃やすかのような歓声が、そんな円形の小世界には満ちていた。


 数千の大観衆が見守り、見下ろす中央。

 闘技場を構成する規則的形状の岩々は、それ単体は頑丈さに重きを置いただけの……しかし、何ら特別な金属でも加工材ですらない、切り出されたものでしかないが。

 

 その一つひとつには、精緻な保護刻印が刻まれている。

 本来は一振りの剣、単一の武器になされるような刻印だ。

 重ねて、刻印は大気中を覆う魔素ではなく、ソレが生物の中で変質し生成された形……所謂いわゆる魔力を流す事で、初めて効力を発揮する。

 単に刻印のなされた石を幾ら緻密に重ねたとて意味はない。


 場を構成するは、数万はくだらない数の刻印石。

 それら全てを賄う程の魔力的動力源。

 初期費用のみならず、維持費、稼働費、補修費用……単なる娯楽としての「闘技」に、これ程までの金銭をつぎ込むという行為は、この時代本来の考えとしてはあまりに常軌を逸していると言えるだろう。


 しかし。

 それを是とするからこそ、この国には数多くの武芸者が集い、観客が集い、その行為を可能とするだけの財を築き、税を賄う事ができている。


 武術の大国。

 大陸一の武芸者が生まれる国家―――名を、【剣王国グラディス】

 かつて世界を震わせた古の大戦以降、悲しみのみを生んできた戦を、武を競う試練の場として……悲しみ無き真実の栄光が生まれる催事として昇華した最初の国家だ。



 ………。

 ……………。



 ………。

 ……………。



 深い宵の中でも、淡い光を放ち続ける闘技場中央部。

 光の発生源は、場を構成する石材。

 本来、刻印というものは記されたのちに不可視となるものであるが、構造をやや改変させ、魔力が流れる間は常に光を放ち続ける造りにされているのだろう。


 つまり、昼夜を問わず興行を行うことができるという事で。



「―――ちィィッ。こんのすばしこいガキめ……!」

「ふふっ」



 片や、細身の……ともすれば少女とも見紛うような色白の、茶の髪を持つ青年。

 片や、オークの背丈に及ぼうかという色黒の大男。

 身長差は、実に20はあるだろうか。


 大男は、見た目に違わず両手持ちの戦斧。

 青年もまた、彼が片手でも扱える程度の長剣を。


 両者共に抜き身の武器を持ち。

 合図が出るや、前へと掛かり……振り下ろされる戦斧、ふわりと避ける影。

 斧が振り下ろされるたびに突風が巻き起こり、石畳は大きく陥没し、姿を戻す。



「「―――おおぉ……!!」」



 波のようにこだまするどよめき。

 ここまでの闘技において、この場の石材が陥没する様子など殆ど見ることの無かった観客の驚愕は当然と言えるだろう。

 魔術刻印により鋼鉄を超える硬度が、単なる打撃に撃ち負けたのだ。 


 およそ怪力、剛力無双。

 戦斧の男は確かな実力者だった。


 だが、対する青年もまた、決して取り乱さず。

 男の動きをつぶさに観察し、やがて彼の懐へと潜り込む。



「……ここ」

「ちィッ、そうきやがるなら―――おぉッッ!?」



 懐へ潜り込まれたとて、動揺も少なく。

 瞬間に斧を捨て、慣れた動きで格闘戦と向かい打とうとした男。

 彼は決して致命的な失敗などしておらず、むしろそれが最善の行動であったのだろうが……それにも動揺せず、青年は先んじて刃を振るう。



「―――ぐッ―――……、が……ッ」



 滑るような動きで胴を叩き、横を抜ける。

 果たして、その細腕からはどれ程のエネルギーが放たれていたのか。

 身体をくの字に曲げた男の横をすり抜けつつも、しかし油断はなく、即座に武器を構え振り返る青年。


 ……その警戒や、しかし。

 屈強な戦士の咆哮が続くことはなかった。



「……今のはちょっと焦りました。流石、戦士の集う大会ですね」

「「―――――」」



 ………。

 ……………。



「何と……、なんとなんとぉぉ!! 柔よく剛を制すとは、まさにこの事かッ!! 勝者はァ! 冒険家ソロモンだぁぁぁ!」



 続く、割れんばかりの喝采。

 最早、客席の中で立ち上がっていない者の方が少数派だろうか。


 痛みに呻きながら運ばれていく大男。

 賞賛に応えるように手を挙げつつも、やがては入場口から繋がる通路へと歩き去っていく影。

 

 激闘を繰り広げた両者が去って尚。

 暫しの間、彼等の興奮が冷めやることはなかった。 



 ………。

 ……………。



「―――お疲れ様です、ソロモン。二回戦突破ですね」



 予選より長らく続いた大会も、最早上位争いの最中。

 今や選手たちの控室は共同のものではなく、一人一人に充てられたものが賓客の如くもてなす豪奢な一室へと変わり。

 

 特別席に繋がる部屋で青年……ソロモンを出迎えた少女が、興奮冷めやらぬ顔で賛辞を贈る。

 その手には南部プリエール原産の果物が。

 貴族の食卓にのみ並ぶようなソレが、傍らの籠には山のように積まれている事実。

 それは、この大会……ひいては、この国が英雄への賞賛を惜しまない事の現れと思え。


 

「―――っとと……。ありがと」



 いまに放られたソレを、快く受け取る青年。

 彼は今一刻も早く水分を補給したい気持ちで、この果実はうってつけ。


 それを悟っていた少女は、まさに相棒といえるべき関係であることが伺える。



「もぐ……ん、最高っ。ね、リサ。これよりグレードの高い部屋あるのかな。もっと良い果物とか」

「……流石に打ち止めじゃないですかね」

「あ、やっぱり? ……ふふ。もしかしたら、この調子で優勝しちゃうかもねー、ボク」

「もう。すぐにそうやって」



「蟻の穴からつつみも崩れる、ですよ?」

「つつ……何だって?」

「些細な油断が命取り、という事です。まだまだ戦いはあるんですから、慢心しちゃダメですよ?」



 諫めるような少女―――リサの言葉。

 重なるような、ガリリという音。

 丸ごとかぶりつくあまり種まで思い切り噛み切ったのだろう。


 ガリリ……。ガリガリと。

 苦い笑みを見せたソロモンは肩を竦める。



「相変わらず、クリューソス並みに硬いなぁ、リサは」

「……何ですって?」

「喜ぼうよ。確かに優勝出来たら凄く嬉しいだろうけどさ? ツワモノ揃いの本戦二回戦目を抜けたって時点で凄く嬉しいんだから。仕官の誘いだって廊下で沢山受けてきたんだよ? ……まだ耳鳴り」

「む……、ぅ」

「僕達がだってバレたら、本当にどうなるか……」

「―――……です、ね」



 出会いから、既に一年近くが経つ。

 二人が出会ったのも或いは運命か。

 性別も、性格も……、住んでいた世界すらも違う男女は、しかし相棒として切磋琢磨してきた。


 無名の一般枠としての参加からも伺える通り、いまだ名が知れる程ではないが。

 それでも、十分強くなったという自覚がある程度にはリサ、そしてソロモンら二人は密の濃い歳月を過ごしていたのだ。



「うーーん。まだちょっと乾くなぁ」

「甘いものだけじゃむしろ乾くっていいますね。お水もありますよ? 私は……、これにします」

「―――あ、それアンマン?」

「えぇ。食べますか?」

「うん。半分こしよ……何みてんの―――わっ」

「……………」



「「――――――――――」」



 どよめきと共に、歓声が巻き上がる。

 今までにも当然にそれらはあったが、今回のモノはとりわけて激しく、それだけ激しい戦闘だったのか、と。


 闘技場が見下ろせる位置……リサの隣に移動したソロモンは、現在の試合に視線を向け、目を細める。

 それは、隣の相棒も同様で。



「―――わぁ……」 

「………あの人、やはり」



 始まったばかりの筈や、しかし……今や、闘技場に立つ者は一人。

 その存在は、予選の最終試合でリサが対峙した存在だった。



「……やっぱ、凄いよね。予選は目立ってなかったのに、明らかに……。あんなに強い人もいるんだ、世界には」

「因みに、今の流れだと準々決勝でソロモンと当たりますよ?」

「え」



 言われて、改めて目を向ける場内。

 ……昏倒している術士風の男と、それに背を向けて退場する……男。

 目深に黒の外套を被っている故、最初の内性別は不明だったが、現段階ではその正体が黒髪の男であると分かり。 

 長剣を鞘にしまうまま、その姿は入場口に消える。



「―――名前を公開しないのってセーフなのかな」

「強ければ良いという剣王の方針ですからね」

「……はは」



 なら、僕達もそれで良かったのかな……と。

 実直なのか、奔放なのか。

 顔をくしゃりと歪め、人の良さそうな笑みを作りながらも、彼は次なる試合への空想をも幾重にも浮かべ、思案する。


 恐怖か、それとも高揚か。

 無意識に強く拳を握っていたソロモンは、たらりと何かが伝い、流れ落ちるものを感じ―――感じ。 



「あ」



「ソ・ロ・モ・ン?」

「……ごめんて」



 すぐさま、拳で握りつぶした果実アンマン、滴り落ちる残骸の後始末に奔走する事になった。 




  ◇




「―――では皆様!! ご注目!!」



「麗しき優男ッ。しかしてその動きは風の如く! 才気あふれる若き旅人にして、無名の貴公子! 果たしてその底を知ることはできるのかッッ。個人的には、できれーーばボッコボコにやられて欲しいイケメン!!」


「―――冒険家ソロモン!」

「紹介おかしくない?」



「そーーしてぇぇーー! 己が全ては背中で語ろう!! 予選が最終戦で有力選手の一人、剣姫リサを破り、その他試合すべてを圧倒的な技のみで抜けてきたこの男! 果たして、次はどのような動きを見せる? いい加減名前を教えてくれぇぇ!!」


「―――流浪の剣士!」

「……………」



 訪れた、準々決勝というべき勝負。

 遂にあの剣士と相対したソロモンには、決して油断などなかったが。


 相棒であるリサが。

 ……単純な剣の冴えなら、ソロモンでは及びもつかない彼女が、純粋な白兵で負けたという事実。

 しかも、完膚なきまでに、だ。

 彼女に曰く、「一瞬たりとも勝てるが見えなかった」との事で。


 柄を握った拳に力が籠る。

 理解できる。

 ……相手の狙いは、まず間違いなく―――と。



「それでは。試合、開始ぃぃぃぃい!!」



 ―――。

 一瞬。

 たった一瞬で目の前へと距離を詰める影。



「ッ!!」

「……………」



 咄嗟の判断により、地面を幾度も転がる身体。

 剣で受けるだけではまるで殺しきる事の出来なかった衝撃を逃がす為……そして、立て直しのため。

 三度転がるまま、しかし相手から一瞬たりとも視線を外してはいなかったソロモンは、四度目の回転で無理やり石床を蹴る。



「―――呑み込め、冥海氾濫」



 ここまでの戦いで、ソロモンは目の前の男と同様、剣技と身体強化のみで戦ってきた。

 一度としてを使うことはなかった。

 現段階ではまるで扱いきれない力であると共に、相棒に怒られるからだ。

 しかし、ここにきて。

 


「……―――!」

「そっか。これも、避けるんだ……! なら―――叡地牢天ッッ!」



 ソレを使った理由は一つ。

 今の自分が何処まで来たのか。

 この、今まで会った事もないような……底の見えない相手を前に、自分の全てをぶつけてみたくなったからで。


 ソロモンが放った横薙ぎの剣が、虚空に渦を産む。

 大気が、まるで大海の質量を持つかのように揺れ、波打ち。

 空間を喰らい、何処までも追いすがる虚空の斬撃を、まるで未来予知かのように避けた剣士。

 彼へ、今度は闘技場の床が茨のように変質し追いすがる。


 包み込むように正確に伸び、敵へ手を伸ばし。

 

 

「……………」

「うそッ!? ―――ッ……!!」



 初めて見せた魔術の片鱗に大きく沸く闘技場など、彼自身は耳に入らない。

 ソレを放ったソロモン自身の困惑は、二つ。

 一つは当然、自分の技が全く当たらない、通用しないという焦りから来るもの。

 そして、もう一つは……。 



「あ、のッッ―――何で、来ないんですか? さっきの、もっと。もっと見せてくださいよッ」



 ……剣士の放った、最初の一撃。

 アレは、明らかに一瞬で決めるつもりの剣技だった筈だ。


 しかし、今はどうだろう。

 幾度と交わる剣と剣―――合わせるような動き……。

 それは、まるでソロモンが仕掛けるのをずっと待ってるかのような。

 何かを測っているような。


 ………。

 答えない剣士へ、警戒を続けながらも彼は更なる興味を持ち。



「あの―――」

「………。……私も、見たい」

「―――……ははっ。あぁ。そういう事ですか?」



 そして。

 いつしか両者共に距離を離した棒立ちのまま、交わした言葉で得心する。


 互いに、互いの技がもっと見たいのだと。

 ただ、それだけの事だったのだと。



「なら、一緒にやりません? 一番良いので」

「……悪く、ない」



「じゃあ……。錬技―――、六星降臨」



 ソロモンは、全身へ―――たった一撃に、己の全ての魔力を乗せ。

 通常の限界を遥かに超えた身体強化のままに、石床へ踏み込む。



「―――――あ」



 あまりの圧に、足が……巨大な戦斧の衝撃を受けすら無事だった床が砕け、足が沈み込みかけ。

 そのラグが闘志に若干の隙を生むも、彼は進むのをやめなかった。



 ………。

 ……………。


 

 ―――相手の剣が砕けるのを、確かに感じるも。

 同時に、腹部に衝撃を覚え……意識が遠のくのも感じていた。

 極大の身体強化が、あらゆる情報を……「お前は負けたのだ」という、いらない情報まで運んできたのだ。

 


 結局、一度たりとも技は見れなかった、と。

 溜息を吐きたくなる気分のまま、彼はソレに身を委ね―――。



 ………。

 ……………。



「「――――――――――」」



「……あれ?」



 大歓声の中、彼は目を覚ます。

 目の前には、片手で半ばから砕け散った武器の柄を握り、もう一方の手をひらひらと動かしている剣士の姿。

 覗き込んだ瞳は、真紅だった。



「……立てるか、冒険家」

「え? ―――ぁ。有り難う……ございます」



 完全に虚を突かれた。

 いや、これまでの試合では己の勝利と共に、歓声に応える事もなくすぐさま退散していたのだ。

 そんな剣士がそれとは全く異なり、同様の敗者たる己へは手を伸ばしてくるなど、予想できないだろう。


 しかし、折角だと。

 手を取り立ち上がれば―――広がる散々の光景。


 惑星の衝突かと思う程の巨大な陥没、広い盤上の三分の一に及ぼうかという巨大な亀裂。

 その発生源は、紛れもなくソロモンの踏み込んだ足跡の地点。


 ……特別席の向こうで、冷たい憤怒の感情を見せる相棒。

 長く綺麗なまつ毛の先まで、強化の片鱗が残る目は捉えてしまう。



「―――派手にやったな、冒険家」

「……ぁ。……あーー」

「身体強化。これ程のものを見たのは、久方ぶりだ。凄まじいな」

「……補修費用請求されたり?」

「さて、な」



 ………。

 ……………。



「―――あ、あのぉっ! 僕、ソロモンっていいます。宜しく……ぅ。できたり、します?」

「……………」

「……あーー、の?」

「共犯認定なら、無理があるだろうな。無論、御免被る」

「……やっぱり?」

 


 対戦相手だったのだから、ここは一つでどうか……と。

 抱いていた密かな望みを看破され、肩を落とすソロモンだったが。

 伸ばしていた手を、不意に握り返されたことで我に返り。



「だが、礼に礼で返さないのは。名乗りもしないのは、確かに失礼だろう」



「………―――私は、シディアン。只の、旅の剣士だ」

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