第23話:猶予期間にさめざめと




「―――……ふえ?」

「大変でしたよね。辛い事も沢山ありましたよね。頑張りました、ね? とっても……、頑張りましたね」



 ………。

 ……………。



 本当に、一瞬の出来事。

 完全に警戒心を解いていた僕たちはそれに対応する事が出来なくて。

 多分、ソレは抱きしめられた本人が一番思っていただろう。



「―――ぇ?」

「大丈夫、です。話す時間は沢山ありますからねーー。知りたい事、良いでしょう。これからへの不安、勿論あるでしょう。でも―――良いじゃないですか。焦らないで沢山、ね?」



 ぐずる幼子をあやすように言い聞かせ、子守唄を聞かせるように背中をさする。

 歌うように耳元で語り掛け、慰めるように髪を撫でる。



「苦しくないわけ、ないじゃないですか。怖くないわけないじゃないですか。辛くないわけないじゃないですか。あなた達は、まだ高校生の子供なんですよ? 命の取り合いだとか、魔物だとか……増して、世界の命運だとか。理解して納得して、じゃあ頑張らなきゃって言ったとして……立ち止まらずに向かっていけるわけないじゃないですか」

「―――ぁ」

「あなた達は頑張っちゃうんです。それでも、頑張るんです。だって、勇者だから。そんなあなた達だから、選ばれたんですから」

「……………」



 ぽろりと。

 ひとしずくが、何処かに落ちる。



「―――ぅ……ぁ」

「だから、良いんです。良いんですよ?」

「ぇ……、ふぇ……ッッ」



 ―――あの、春香が。

 対人の線引きだけは確固たるものを持っている春香が。

 本当に信頼する人とそうでない人を完全に分けて考える春香が。



「うぁ……、うあぁぁぁぁぁ!!」



 自分から縋りつくように涙を流す。


 歯を食いしばり、力拳で思い切りロシェロさんのエプロンを握って。

 涙腺に残った涙の一滴も、この瞬間で全て残さず出し切ろうと言わんばかりに、涙を流す。



「ね、ハルカさん。わたし、誇らしいんですよ? 一年前。この都市から巣立っていった貴女が、こんなに頑張って。こんなに立派になって、無事に戻ってきてくれたんですから」



 きっと、こうなってたんだろう。

 もし、僕達が元の世界へ帰る選択をしていたら。


 もし、今この瞬間にでも家の中へ入っていたのなら。

 恐らくこうなってたんだ。

 泣かれた側……おばさんとかは意味不明だっただろうけど、ロシェロさんは事情を全てわかってるから。



「―――さぁ」



 春香の頭を撫でていたロシェロさんは、やがてこちらを向く。

 孫に手招きをするかのように、手を動かし、柔和な顔で目を細め。



「あなた達も。空いてますよ?」

「ぇ……ぁーー、っと」

「あ、の……私、達は……―――」



 ………。

 ……………。



 ……そっか。

 そうだよね。

 セレーネ様の姉だもんね。



「―――陸君?」

「りく?」



 困惑のまま立ち尽くす美緒と康太には悪いけど、今回は僕もこっち側へ行かせてもらおうかな。

 その方が、二人も踏ん切りつけやすいだろうし。



「お言葉に甘えて、良いですか? 文字通りですけど」

「勿論ですよーー。さ、こちらへ」



 一応の許可は取って。

 許しが出た所で、空いているスペースに顔を埋める。


 それは人肌のぬくもりと、とても懐かしいもの。

 家庭的で、優しくて、温かなもの。

 流石に春香みたいに泣きはしなかったけど、僕はそれ以上に懐かしさを感じたみたいで。



「―――……ありがとうございます、ロシェロさん」

「良いんです、良いんですよ。血の繋がりとかじゃないんです。旅の無事を祈り、送りだす。勇者は、私にとっても息子や娘みたいなものですから。たんと甘えてくださいな」



 ―――確かに、似ているんだ。

 母さんや、セレーネ様のような……包み込んでくれるぬくもりが、彼女にもあるんだ。


 この国に帰ってきて、教皇庁の門を叩いたとき。

 これまでみたいに僕達を連れまわしてくれた春香が当たり前に行動していた時に、いつも通りの春香だから大丈夫かなって、僕はそう思っちゃった。


 美緒も、康太も。

 二人の方も、ぱっと見では立ち直っているって。

 ……僕自身、まだ辛いものはあるけど、「他の皆が立ち上がったんだから、頑張ろう」……って。


 

 馬鹿だよね。

 四人共それだったんだ。


 確かに、知る事も大事だったろう。

 前へ向く為の、先へ向かうための手掛かりを得ることも大事だっただろう。

 けど、今の春香に―――僕達に一番必要だったのは、互いを奮い立たせる存在としての仲間じゃなくて。


 泣いている理由なんかまるで尋ねることもせず……或いは全ての事情を知り、ソレを理解した上で……その上で全てを受け入れて「頑張ったね」って……「泣いても良いんだよ」って、背中をさすってくれる人。

 家族のように、帰るところになってくれる人だったんだ。


 ここで、一年分をリセットしておかないといけないんだ。

 だから、さ?



「二人共? ちょっと休んでかない?」

「「……………」」



 まぁ、恥ずかしいか。



「だよね、普通は。……春香。康太呼んで」

「―――こうたくん」

「……っす」

「今日だけ、許します。良いです」

「―――……っす」



 途轍もなく神妙な面持ちでやってきた康太は……でも、ロシェロさんが受け入れるように頭を撫でると目を潤ませて顔を隠す。


 男だもん。

 見たくないよね、泣いてるとこなんて。

 これで、また一人。


 で―――……と。



「美緒」

「……はい」

「大丈夫。怖くないよ?」

「―――……はい」



 美緒が揺るがないから、僕達は今日も安全。

 彼女がいるなら、いつも通り安心だけど。

 今この瞬間くらい、美緒も警戒を解いて良い。


 むしろ、この暖かさを思い出さなきゃいけないのは彼女だから、と。



「ふふふ……。流石にこれは大所帯ですねーー」



 言葉と裏腹に、凄く嬉しそうに。

 自分よりがっしりと、背丈も高い幼子も関係なく受け入れてくれる賢者さん。


 いまだけは勇者も休業。

 そのぬくもりに……僕達は皆で、暫しその温かさに身を委ねた。




  ◇




 休業から少しして、夜も更けた頃。

 僕達四人は無事勇者に復帰したわけだけど。


 ロシェロさんに曰く、取り敢えず明日のお昼過ぎまでは自由との事で。

 沢山泣いて、感情を整理する時間を作った方が良いというロシェロさんの助言を受けた僕たちは、それぞれ一つ部屋を借りて寝室にしたんだけど。


 ……いや、おかしいよね。

 外から見たこの家ってそんなスペース無かったよね?

 確かに二階建てだったけど、大分こじんまりとしたコンパクトなお家で……。


 やっぱり空間がおかしいのかな、ここって。

 ……考えつつも、ベッドに横たわりながら暫く見渡していた自分の部屋を出る。


 そうだ。

 今日はまだやるべき事がある。

 整理すると言えば、もう一つ。



「……………」



 ノックを三回。

 二つ隣の部屋のドアを叩いて暫し待ち、在室を確認。



『―――はい』

「ん、僕だけど」

『……………』



 扉の中から聞こえてきた声に返事をして。

 すぐにドアが開けられるのを待ち……あれ。


 ………。

 え、開けてくれないんだけど。



「―――えーーっと。美緒さん? 開けてくれたら嬉しいなーー……なんて」

「……………」

「僕なんかやっちゃったっけ?」

『開けたら、何してくれますか?』



 ………。

 そう来たか。


 それは非常に難しい質問だけど。

 でも、してあげるっていうのはちょっと違うのかもしれない。

 あげるんじゃなくて、どれも僕がやりたいことになっちゃうわけだから。



「ギュってしたい。寄り添って色々と話したい、かな」



 ………。

 扉の鍵が開く音がして。

 それでも、ドア自体は開かなくて。

 入って来いという合図だと受け取った僕は、取っ手を握り……、相変わらず静寂が支配する室内へ侵入し―――あれ?

 


「―――っとと」



 そこに目的の彼女の姿が見えないと思ったのも束の間、斜め後ろから掛かる衝撃。

 ……扉の裏に隠れてたんだ。

 自分からハグしたいっていった筈が、後ろからされる事で若干の消化不良。


 でも、振り向けない。

 今はダメというオーラが、何か。



「美緒」

「―――……ごめんなさい。分かってるんです」

「うん」



 それは、果たして何に対しての謝罪だったのかと。

 考える間もなく、思い至って。

 


「春香ちゃんの事も、康太君の事も、陸君が一番分かってるんだって。最後に立ち直らせることができるのは、そうなんだって。分かってる筈なんです。なのに、私……」

「ううん。僕だって、逆だったら同じ風に思っただろうし。当たり前のことだよ」



 今日の美緒は、ちょっとおかしかった。

 ……いや。

 おかしいというよりは、当然の不安なんだけどね。

 ロシェロさんが春香と僕がお店を探し当てた事を褒めた時、すぐに側へ寄ってきたのも、そう。


 例え幼馴染だとしても、恋人が別の相手に心を砕いているような日々が暫し続くのはちょっと不安だ。

 その二人が異性なら勿論。

 元より仲が良いなら、更に。

 むしろ、相手が親友の春香だからこそ、美緒も遠慮してしまって。

 


「ゴメンね」



 そういう不安とかが積もって、どうしようもなくて、でも彼女らしい奥ゆかしさで示していたんだろう。

 本人を前にして言うのは追い出されそうだからやめておくけど、本当に可愛いと思う。

 そんな彼女が、大好きだ。


 ―――美緒は、強い。

 生まれ、育ち……生い立ちや天性の性格が、彼女をそう形作ったから。

 人に甘えるという事をしないし、出来る限り自分でどうにかしようとするし、何より精神が強固だ。


 けど、溜め込んでしまうのも確かで。

 その息抜きの為に、僕達は度々二人で話す時間を作ったのに。



「最近は、あんまり二人で話とかも出来なかったしね。前は、あんなにしてたのに」

「……………」

「いるのが当たり前って、難しいからね」

「です、ね。私……本当はもっと一緒に。二人の時間も、欲しいんです。陸君が座ってたら、何も気にせず隣で本を読めるような、そんなのが良いです」

「互いに寄りかかるのも良いかもね。背中合わせとかも」

「……む」



 あ、それはダメ?

 やっぱり良家の子女的にはNG行為判定だったりもするのかな。



「―――流石にちょっとだらしない?」

「……いえ。それも良いですね。膝に頭を預けても?」

「それ最高」


 

 膝枕って良いよね。

 ただ、ずっと顔を覗き込まれるっていうのは恥ずかしいけど。

 


「じゃあ……一緒に寝るのは―――どう、ですか?」



 いつの間にか拘束具になっていた腕は離れていて。

 振り向くと、彼女は両腕を広げていた。

 

 ……見て、再確認する。

 後ろから腕を回されていた時と同じ。

 美緒の身体は、やっぱりずっと震えていたんだ。


 広げられた腕を受け入れるように、今度こそ正面から抱きしめると……凄く細くて。

 そして、やっぱり小刻みに震えていた。

 いつだって気丈に振舞って、どんな時でも僕達の指針として導いてくれた、安心して背中を預けられた相棒が。



「―――……私、怖く、なっちゃいました」

「うん」

「この国に戻ってきて、再確認しちゃったんです。やっぱり、本当は逃げたいんだなって」

「……うん」

「元の世界でも、この世界でも。どちらでもいいんです。ただ四人で……大陸の、何処かで……あなたと、のんびりでも。それだけでも、幸せなんです」



 やっぱり美緒は美緒だ。

 どれだけ強くなっても、全く変わっていない。


 彼女の言葉は、そもそも当然だろう。

 確実に勝てる戦いは最早戦いじゃないし、命が掛からなければ只の娯楽。

 極論でもなんでもなく、好き好んで命を掛けた戦いなんかしたい人はいない―――……ゴメン居た、A級より上の人たち。


 ―――腕の中で彼女がピクリと動く。

 変な事考えたの察したね。


 誤魔化すように、腕を伸ばして頭を撫でる。

 身長は殆ど同じだから余裕なんてものはないし、外野から見れば不格好だろうけど、当事者からは見えないから良いんだ。


 ………。

 ロシェロさんの時もおっかなびっくりだったし、美緒ってこういうのを親御さんにしてもらったことあるのかな。

 一応お兄さん居るし、……あるのかな。


 何かいやな嫉妬心湧き出そう。 



「―――陸君? ……んっ」

「美緒が本当にそうしたいなら、良いよ。いっそ逃げちゃうのも、のんびり暮らすのも、ずっと隠れてるのも……あと、一緒に寝るのも」

「……!」

「あ、でも……いや、でもじゃなくて勿論? 本当に何もなく、ぐっすりね? そういう事をするのは、せめてもうちょっと待ってね?」



 まだ責任の取り方とか教わってないんだ、と。

 言い訳するように思考しながら抱擁を解いて。 


 ………。

 ―――うわぁ。



「―――あーー、やっぱり早く寝た方が良いかもよ? 色々あったし、感情的にもなっちゃったし……」

「……です、ね。逃げ出すのは、いつでも出来ます」

「そうそう。寝込んじゃったら元も子もないし。大丈夫? 免疫力落ちて明日風邪ひいてるかも」

「陸君も、ですね」



 互いに言葉は選んでるけど、言ってる事は同じだ。

 顔真っ赤だよ? 貴方もですけど熱ですか? ってね。



「寝よっか。取り敢えずは予行練習として、夢の世界へ逃亡って事で」

「……ふふっ。となり、良いですか?」

「喜んで。―――多分、あの二人もそんな感じだろうし」

「―――え?」

「流石に、こんな正統派な一緒に寝ようじゃないと思うけど。寝落ちなり、何なりでね」



 これも多分、だけどね。 



「僕の予想だと―――」



 遅かれ早かれ、春香が日中の醜態の照れ隠しで康太の部屋におりゃーで突撃するでしょ?

 素面に戻った恥ずかしさで理不尽な事言うでしょ?

 


「で、あっちはその理不尽がご褒美な業界だから、喜んで受け入れて。朝まで何かしら二人で楽しみながら寝不足のまま僕達とおはようって感じ。何食わぬ顔で、本人たちは隠し切れてるつもりで」

「具体的過ぎます」

「多分女王様ごっことかもするんじゃないかな。椅子になれとか。康太も喜んでやるだろうし。だから、僕達の事も気付かないと思うよ? 多分」

「……本当ですかね」



 大丈夫、大丈夫。

 分かるから。


 だって、ほら―――僕って三人の事大好きだし。

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