第22話:賢者ティアナ




「はいはーーい、いらっしゃいませーー」



 風鈴を思わせるような涼やかな入店音が三回。

 続くは、女性としてはやや低く、しかし男性的ともいえない陽気な声。


 ……外からは伺えない内装だったけど、踏み込んだ店内はあの時と何も変わっていない、と。

 そう思わせる程に記憶の片隅に残っていた光景そのままで―――厨房から聞こえてきた声の主を待つままに静止していた僕たちの前へ、その人物は姿を現す。



「はい、お待たせです。えーと、四名様で―――……おや?」



 光の当たり加減で銀にも思える、ぱっと見では分からない程に淡い金色の髪は肩程まで。

 身長は、僕よりやや低いくらいかな。

 やや暗い緑のエプロンと頭巾を付け、陽気な声とよく合っている陽だまりみたいに柔和な翠の瞳を持つ女性……女性?

 店員さんは、食器を乗せるであろうトレーを小脇に抱えるまま、僕達を見て目をぱちくり。


 でも、それもほんの一瞬。

 やがて、自然体で微笑む。



「成程……、です。随分と成長しましたね? 改めていらっしゃいです、今代勇者さん」

「「!」」

「あ。ちょっと待ってくださいね。今、店を―――」



 さらりと当たり前のようにソレを口にした彼女は、自然に僕たちの横を素通りし、ドア前へ。

 Openからclosedへと、看板を裏返して。



「これで―――良しですっ」



 こちらへ振り向くままに一歩、一歩と歩み寄ってくる。



「……つい先日、ここに来た時は何もできないような幼子だったあなた達が、まさか自分の力のみでここを探し当てるなんて。本当に、面白いと思いませんか? えぇ、えぇ。わたし、気になりますよーー。いったい、どうやって?」



 怒涛の言葉と共に、視線が幾重も交差する。

 主に、美緒と康太から向けられる僕と春香へ交互に向けられる視線。

 そして、互いに見合いをする視線。



「―――成程、成程ぉ? 相乗効果、ですか? お二人、さぞ相性がいいんですねーー」



 ……理解が早い。

 あと、近い。

 いまに歩み寄ってきた彼女は、衣服に染み付いた料理の美味しそうな匂いが分かるくらいの距離で……と。



「……………」

「?」



 ……美緒?

 気のせい―――じゃない。

 いま、立ち位置を変える必要はないタイミングで隣へ身を寄せてきた彼女は……ううん。

 

 いや、今は。



「おや? おやおやぁーー?」



 目の前で薄い笑みを深める女性。

 ……迷子な性別はともかくとして、彼女自身は一見何の変哲もない人間種。

 耳も頭巾で隠れているし、魔力だって、本当に何の特異性も……。



「……えぇ、と。お久しぶりです……。その、ロシェロさん―――で、大丈夫ですか?」

「勿論ですよ、リクさん。でも、その口ぶりだと……別の名前も知っていそうですね? あなた達は」



 よく笑う人だ。

 接客業をしてるからなのかな。

 でも、悪戯っぽいソレは、やっぱり何処かセレーネ様と重なって。



「僕達、人を探しに来たんです。―――賢者、ティアナを」

「ほほーー」

「色々、調べたんです。……あなた、なんですか?」

「はい、そうですよーー。私が、ティアナ。賢者と呼ばれた事もあれば、女王の座に就き、妖精王と呼ばれていた事もありましたね」



 随分と、あっさり。

 本当に隠しもせずに話すんだ。



「まぁ、色々と話したい事もあるでしょう? さ、お席へどうぞ」



 僕達から視線を外したロシェロさんは、身を翻してそれを促すけど。

 向かおうとするより早く、彼女をじーーっと見つめ続けていた春香が手を挙げ。



「あのあの。表の、エルイン亭って?」

「名前ですかー? エルフな賢者の隠居生活。エル隠ですけど?」

「「……………」」

「―――異世界小説のタイトルか何かか?」



 【えるいん! ~エルフな賢者の隠居生活~】

 ……って、コト?

 どうしよう、普通にありそう。


 それはそれとして、本人が付ける名前でないのは確かだ。

 やっぱり不思議ちゃん属性な人なの?



「ささー、こちらのお席へ。あ、ご飯は―――」

「「食べてきました」」

「おや、おや。それは残念」



 うん、残念だ。

 そういう事にしておこう。

 一つ胸を撫でおろしつつ、各テーブルへ二対二に分かれて腰を下ろす。



「じゃあ、せめてフレッシュジュースでも出しますね。少々お待ち」

「「……!!」」



 そう言うなり踵を返して厨房へ入っていくロシェロさん。

 止める間もない。

 食べてきたし飲んできたって言えばよかったの?



「―――セーフか?」

「デザート判定なら……いや、でもジュースだよね? 手の加えようなくないかな」

「……毒見してね、二人で」

「怖いです」

 


 そんな話をしている間に、それぞれの前に置かれた深紫の液体。

 始まる目での戦い。

 先良いよ、いやそちらこそ、いやいやレディファースト……。



「ふふん……! 自信作です!」



 ………手加えてあるのね。

 フレッシュジュースだし、そりゃ自作か。

 けど、そんな嬉しそうに「むふー」って感じで言われたら飲まないわけにも……。


 あ、美味しい。

 デザート判定だった。

 僕たちの好意的な反応に満足した様子の彼女は、他所から一つ椅子を引っ張って来ると、お誕生日席のように五つ目の席を拵えて。



「―――では、何から話しましょうか」

「良いです?」

「勿論、貴方達は知る権利があるでしょう。私は賢者様なので、知らないこと以外、大体の事は知っていますよーー?」

「うーーんと、じゃあ―――……あーー」



「「……………」」



 アレだ。

 聞きたい事があまりにも多すぎたんだ。

 口を開いたは良いけど、そこから、なにから話すべきかを迷い迷って……結局ジュースに口先を向ける春香。

 


「―――魔皇国が、宣戦布告しました。大陸、全ての人間国家へ」

「そのようですね」

「それを宣言したのは……私達をこのお店に連れて来てくれた人です」

「ほう、ほほーーぅ」



 踏み込んだのは、美緒だった。

 宣戦布告が行われた場に居合わせた事。

 ……それを行った存在が、僕達の師であった事。

 一つ一つを重々しく伝える彼女に対し、ロシェロさんはあまりに平然とその言葉を受け止めて、自分のジュースを一口含み。



「……あの立て看板の、名前」

「え?」

「あれ、彼が付けてくれたんですよーー? 私がこのお店を始める時に」



 ………。

 ……………。



「いまでこそなんとも思いませんけどねぇ? 当時の私は、あんまり気に入ってはいなかったんですー。でも、他にピッタリの名前なんて思いつかなかったですし―――」

「何で……。何で、ロシェロさんは先生と。あの人と友人でいられてるんです?」



 今度こそ春香が尋ねる。

 当然の疑問だった。

 二人は、敵同士の筈なのに。

 


「えぇ―――そうですね、そうですねぇ……。まずは、そこから訂正が必要でしたね」



 訂正……?



「まず、第一に。私は、先の宣戦布告には何も思う所はありません。勝手にやれば良いと思ってます」

「「……!」」

「元より、私の所属していた国は中立でしたし。彼が人間国家と括ったのなら、たがうことなく対象はそれのみでしょう。彼が約束を違えた事は一度としてない、です。まぁ、そもそも200年前の続きが今始まっただけの事……。私にとっては、その程度の事。先に始めたのは、こちら側なのですから。報復を受けて、過去の事だろうというのは―――まあ、都合が良すぎますしねーー」



 ふわりとした言葉遣いとは裏腹に、あまりに物騒な言葉の数々。

 確かに、エルシードは中立国。

 人間側でも魔族側でもないという事を踏まえれば、その視点は当たり前だったんだろう。

 

 そもそも先に攻めたのは、という話だ。



「無論、皆さんの気持ちは分かりますよ? それでも、止めたい。大勢の命が失われるのを見過ごす事は出来ない……勇者に選ばれたのですから、ね。……分かりますよ」



 僕たちの気持ちも汲んでくれている。

 その上で、彼女はそのスタンスというわけで。



「ふーん。―――そうですね。コウタさん?」

「え? あ、はい」



 微妙な沈黙が破れる。

 自分へ矢印が向くとは思ってなかったんだろう。

 康太は授業中不意に指されたようにビクリと震えて。



「あなたは、此処に居る他の三人が何らかの理由で異種族を淘汰とうたしようとして、ソレを止めますか?」

「―――……いや、勿論止めますけど」



 間があったのは、逡巡しゅんじゅんしていたからじゃない。

 ただ、呆気にとられただけ。

 康太ならまず間違いなくそういうだろうことは―――いや、僕達の誰でもそう答える筈で。



「では。その人が、ずっと旅を共にした仲間たちの、最後の一人なら?」

「……止めますね。むしろ、最後の仲間だからこそ」

「その戦いに、正当性があるならば?」

「………あーー。聞いたうえで判断したいっすね。場合によっては協力、とかも考えますけど」

「素晴らしい。一緒に堕ちる覚悟もあるんですか」

「―――あの。墜ちた勇者でも生もうとしてます?」

「そういうわけじゃないんですけどねーー」



 ………。

 ……………。



「では、最後に……それが一人でなく、二人だったら」

「―――……!」

「条件は同じです。ですけど……もし、一人でなく二人だったら。二人が、それぞれ敵対陣営の長であったのなら? どうしましょうか。もう止められないところまで来てしまっていたら。互いが互いを倒すほか道はないとしたら。傍観者となった貴方には―――何が出来ますか?」



 ………。

 ……………。


 

 康太は答えない。

 僕が言うのも何だけど、康太って僕たちの事大好きだから。

 仲間が居ないと何もできないと……単身でも鬼神みたいに強いのに、平然とそう言っちゃうタイプだから。


 もし、本当にそうなったとしたら。

 


「恋愛感情だとか、どっちの方がという話じゃないんです。二人共、大切でした。そして、今となっては本当に最後の一人……最後の仲間。依存してしまうのも無理はない、でしょう」

「……っす」



「私の心境は、まさしくそんな感じでしょうか」



 ………。

 ……………。



 ―――最後の仲間。

 ロシェロさんにとって、先生が……。



「えぇ。剣聖シディアンは―――彼なんです」

「「……………!!」」



 先生が、シディアン……?

 200年前に暗黒卿との決闘で敗れ、命を落とした英雄が……暗黒卿本人ッ!?



「え……? ぇ。あえぇぇッ!? ……ん? おかしくないか……? だって剣聖って、確か武術の比類なき才能と引き換えに―――」

「魔術の使えない体質だった、よね? 美緒ちゃん」

「……合点がいきました」

「そうか……! 身体情報の偽装に魔力を使い過ぎて、普段は魔術なんて使えない!!」



「「あ!!」」



 それが事実と仮定して、気付く。

 同じことをずっとされていたのに、既に一度騙されているのに、どうして気付かなかったんだろう。

 先生が普段魔術を行使する事なんて、教える時以外では全然なくて。 



「―――見えてきたみたいですね。相関図が。……そうです。私も、彼も。勇者ソロモンと共に旅をした仲間の一人でした。丁度、今の皆さんのような四人で……その辺りもとてもよく似ていますねーー」



 ロシェロさんは、懐かし気な……それでいて物悲し気な表情で語る。


 自分は、四人の中では最も加入が遅かったこと。

 だから、他の三人の始まりはあくまで伝え聞いたのみだという事。

 当時、エルシードは大混乱に陥っていたという事を。


 それぞれを、少しずつ。



「私がパーティーに加わる事になったきっかけ。その始まりは……因縁は。ある意味では、私やナクラさんとも。そして、世界。あなた達にも無関係ではない、一人の男から始まりました」



「当時、ナクラさんはある任務の最中で。旅に加わったのも、偶々だった、と。ですけど、既に暗黒卿としての彼と面識があった私とセレーネは、それは驚きましたよ。だって、何食わぬ顔で当代の勇者様と一緒に居るんですから。しかもこっち生まれの勇者様……歴史上初めて天星神様の加護を授かった存在もセット」

「「……………」」

「あの人常習犯かよ」



 いや、本当にそうだ。

 どれだけ勇者の旅に同行したいんだろう。

 そういう遊びなの?



「ともかく。敵の前には秘匿の結界すら何の意味もなく、我らの行動の先の先まで読まれる始末。途轍もない過去の残骸すら持ち出されて、エルシードはあわや陥落―――という所で、助けてもらったんです、三人に」



 黒幕の目的は、王族の宗家たるロシェロさんやセレーネ様だったと。

 彼女自身はやれやれと首を振り、一呼吸あけ。


 

「当時、私達四人が旅の中で幾度と戦った因縁の存在。敵の首魁……、その名を、ハインツといいました」



 彼女の放った言葉を耳に、互いに目配せをする。

 聞いたことのない名前だ。

 少なくとも勇者ソロモン等の物語にもそういう名前は出てこなかった筈で。



「知らない名前……だよね?」

「はい、覚えがないです」

「ふふふっ、そうでしょうね」



 おかしそうに笑ったロシェロさんは。

 しかし、次の瞬間には真面目な顔に戻って、人差し指を立てて。



「―――でも、知っている筈ですよ」

「あたし達?」

「はい。その男は、ここ数年……直近ではこう呼ばれていました。―――プロビデンスの導主……と」

「「―――――」」



 その瞬間、全てが繋がった気がした。

 大規模殲滅任務の果てに死闘を演じた術者。

 あの男が持っていた紅い瞳……その正体が魔族であったという事。

 追跡の果てに、暗黒卿と初めて邂逅した記憶。

 

 全て―――全てが。



「討伐したのは、皆さんだと伺ってます。かつての我々の敵討ちをしてくれたこと。一つの因縁を終わらせてくれたこと。是非、私からもお礼を言わせてくださいな」



 ……うん。



「……まぁ。間接的には?」

「はい。ギルドの発表では、そうですね」

「我々がやりました」

「そういう事でお願いします」

「ふふ……ですか。―――導主は、かつて暗黒卿に敗れ魔皇国から逃亡を図った、魔族。暗部を担う組織の出だったんです。まぁ、我々の護り全てを抜けられてしまったのは道理ですよねー。因みに、当時の最新鋭となる技術、念話などをこちら側へ持ってきたのも彼ですよ? 我々エルフにも問題なく運用できるように解析するのは私自身苦労しましたけど」



 サラッと、色々とヤバいこと色々に言ってる。

 既に知ってることもあるけど、それだって偶然に手に入れただけの、驚嘆に値する情報なわけで。

 本当に多くを知ってるんだ、賢者さん。


 

「―――まぁ、そういう事で、私は女王を辞めたんです」

「「えぇ……?」」



 「そういう事」で説明するには無理あるよね、それ。

 セレーネ様も愚痴言うよ、これ。



「―――……とっても、楽しかったんです」



 けど、結局僕達はツッコむことは出来なかった。

 軽口を挟むことができない雰囲気が流れていたんだ。

 


「細々とした話は沢山ありますけど……そうですね。人界全て。文字通り、私達四人が全てを走破する頃、それは始まってしまった。―――大地に根差す魔を滅せよ……と。遥か800年以上前。今のアトラ教が今ほどの規模でなかった当時。勇者召喚の秘法と共に教国に伝えられていた神託。今がそうなのだと、その時なのだと」 



 人間種は、英雄たちにソレを願ってしまった。


 最強の勇者ソロモン。

 彼ならば、それこそ伝説とうたわれた魔王すらも打倒できるのではないだろうか……と。

 人界は、魔族を討滅する機運が高まっていて。



「……ソロモンは、不治の病におかされていたんです」



 え?


 ソロモンが―――病?

 そんな話、僕達は。



「高名な治癒士であろうと、どんな霊薬であろうとも、例え太古の遺物であろうとも、決して治すことの出来ない病が、当時既に彼を蝕んでいたんです」

「……初耳、ですけど」

「当然、記録になんて残せませんよ。教会がソレを認める筈がない。だって、それは呪いであり祝福でもあるのですから」



「―――何故、歴史上に天星神様の加護を持つ勇者が彼だけだったか、という話です」



「本来、大神の力は、人の身に過ぎたるもの。増して、神王の完全なる加護。そんなもの、只人が本当に御しきれるわけがないじゃないですか。どれだけ誤魔化しても、いずれは潰れます。……えぇ。類を見ない適性の高さを持っていた彼でさえ、青年のまま生涯を終えることは、確実」

「「……!」」

「本当に、酷いものでしたよ。一度戦闘になれば最強の勇者……でも、末期には歩く事さえ儘ならない程に衰弱していて、ちぐはぐも良い所で。そんな事すら知らず、彼等は勇者を担ぎ上げる始末」



「―――そして。魔族を敵とするのならば、当然彼が黙っている筈なんてなかった」



 ………。

 ……………。



「ソロモンは人間種の為。ナクラさんは、魔族の為。決別は……まぁ、時間の問題でしたよね」



 結局、歴史通りに全ては始まった。

 遥か過去の一次大戦、三代目勇者亡き後の二次大戦……その悲劇が忘れられないうちの戦争が起きることになった。


 いや、戦争ではないんだ。



「最前線に立ったのは我々なわけですし。被害としてみれば、千や万が当たり前に犠牲になったような先二つにはまるで及びませんね」

「―――……狙ったんですか? それを」

「あわよくば、ですけどね。少なくともリサと私はそう動いたつもりです。けど、効き過ぎました」

「効きすぎ……?」

「彼が敗れ、待機していた連合軍はその日のうちに我先へと逃げ出したんですよ。弔い合戦は愚か、自分達の旗頭だった勇者の遺体を回収しようとすらしない。力を蓄え、新たな作戦を練り、機を見て―――そんな発想すら、無かった。一年、二年……十年も経つ頃には、誰も戦争の事なんて気にしてはいなかった。幸い、報復もなかったですからね」



 重ねて―――三次大戦は起きなかった。

 戦う前に、人間が逃げ出したから。


 だからこそ、この戦いは先の二つと比較されることはないし、戦争と呼ばれる事もない。

 犠牲になった数で言えば遠く及ばないから。



「全てを走破し、世界を紡いだ勇者。最強の勇者。救いの勇者……大戦を止めた勇者。それが、至高の勇者ソロモン。彼は、何処まで行っても勇者でした。―――リサと二人で旅でもしながら、穏やかな余生を過ごしても良かった。爵位を得ても良かった。誰も知らない村でつつましく暮らしても良かった。そもそも、人間種が侵攻なんてしなければよかった」



「彼は―――彼等は? 幼い時からの親友のようにバカみたいな話をして、仲良く正座させられて、夜通し騒いで……喜びを分かち合って。……二人は、なんの為に戦わなければいけなかったんですかね? ソロモンの護れたものは。仲間たちとの明日は、リサと添い遂げる未来は。彼が本当に望み、本当に護りたかったものは。一つでも、護れたんですかね?」



 英雄譚は、全ての悲しみを過去に変える……美談に改変する。

 悲劇を、志半ばという言葉で塗り固め、本人の悲哀なんか知りもしない者が我が物顔で綴る。 


 ……僕達自身、その物語に憧れた子供の一人で。

 胸の奥に圧し掛かるものを感じて。


 

 ―――或いは。

 ソロモンは、最後の瞬間に全てを呪ったんじゃないか。

 自分の亡き後にすぐさま逃げ出し、全てを忘れた人間を憎んだじゃないか……と。



 ………。

 ……………。



「と、いうのも一つの側面」



 ……。

 声を荒げないまでも、間違いなく感情を吐露していたであろう彼女は……次の瞬間には人が変わったように素面に戻り。

 淡々と呟くまま……―――否。

 遠くを見て、忘れられないと言わんばかりに微笑んだ。



「笑ってたんです―――あの二人」

「「!」」

「三日三晩続く決闘。これで、私自身は今でも皆さんくらいなら余裕とは言わずとも纏めて相手してトントン……程度には強いと思うんですけど。当時の、研ぎ澄まされた私でさえ近付く事も出来ない戦い……そんな中で、ですよ? あの二人、ずっと笑ってたんです。楽しそうに……それは、楽しそうに」



 「まるで、旅中の、四人で冒険した時のように。一晩を語りあかすかのように……競争するみたいに」



「戦いの勝者が、ただ一人の見届け人だった私に言ったんです。最強の勇者ですら勝てなかった魔族。人間は、向こう百年は決して戦おうなんて愚は考えもしないだろう……って」



 ――――。

 二人は……勇者と暗黒卿は、示し合わせていた?

 人界が魔皇国に戦いを挑もうなんて考えないように……残り少ない寿命を、その為に?



「実際、平和なものでしたよ? この200年は。百識の勇者の道程……皆さんもご存じでしょう?」



 ……そうだ。

 ソロモン亡き後、勇者召喚の目的は変わった。

 魔族を討滅する召喚ではなく、人界を紡ぐことが目的に……僕達は、その考えのもとにここにいるわけで。



「ロシェロさんは……どう思ったんです?」

「知りませんよーー。私とリサに話してない事もすっっっごく多かったですからねぇ、あの男二人」

「……ちら」

「ちらっ」

「「……………」」


 

 美緒と春香の視線が痛い。

 その辺は何処の男児も同じか。



「……ですが、一つだけ。ソロモンが護ろうとしたものを、彼が好き好んで壊そうとする筈はない。それだけは、間違いないんです。仲間だから、分かりますよ、私も。だから、言ったんです。「勝手にやれば良いと思う」って。……先の宣言には、彼の言葉の裏には、確かな考えがある筈なんですから」



 ………。

 ……………。



「勿論。こんな私の慰めの言葉なんかで、優しい皆さんが心の底から安心する事は出来ないでしょうから―――」



 不意に、ロシェロさんが立ち上がる。

 テーブルを回り込み―――右端に居た春香へ歩み寄って。



「……ふえ?」

「―――――大変でしたよね。辛い事も沢山ありましたよね。頑張りました、ね? とっても……、頑張りましたね」



 もつれた糸を解きほぐすように優しく。

 本当に優しく、抱きしめていた。

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