第20話:勇者、帰還する
ヴアヴ教国は大陸で最も西側に位置する国。
領主は居ても貴族はおらず、国家の規模自体も並。
更には農工業にも特段抜きんでたモノを持っている訳でもないけど。
それでもこの国が大陸で最も平和な国家と呼ばれているのは、アウァロン世界を広く統べるアトラ教の総本山である事と、魔素の影響が極めて薄い事、そして大陸でも屈指の兵力である信仰の護り手【護教騎士団】を有する事にある。
そう、この国は大陸随一の宗教国で。
そう聞くと、街中どこも穏やかかつ清貧というイメージが先行する。
かくいう僕達も召喚時はそう思っていて。
けど、国の外側へ行けば行く程、何処の国にもありそうな下町的一面が顔を出している。
……あぁ、そうだ。
記憶通りの懐かしい景色だ。
実に、一年ちょっとぶり。
本当に戻って来たんだね、僕たち。
「んままっままままっま」
「んまぁーー」
「この根菜の煮物も……優しい味で、凄く良いですね」
でさ。
これから食事処を探そうっていう所だったのに、すぐさま飯屋にゴーダッシュってどうなのかな。
いや、探す目的を考えれば別に悪くはないんだけどさ。
それにしてもがっつき過ぎだ。
「やっぱり庶民派に飢えてた?」
「ん。んまぁーー」
「なーー、しょうがないよなァーー。高級食材ばっかでもてなしてくれんだから。物足りねえけど食わねぇわけにもいかんままままっ」
「晩餐から朝餉まで喜んで完食しておいてよく言うね」
「モルガンさんもあの量を完食するのにはビックリしてましたね。スミスさんはあまり食べないほうなのかも」
現在地は、教国外周部の下町、その一角にある食事処。
観光地でよくあるタイプの、店先で座って食べるスタイルのお店だ。
メニューの豊富さはその比ではないけど。
簡素ながら、テーブルも椅子も複数存在していて。
店内から顔を出した店員さんが新たな注文品をお盆に乗せて持ってくる。
それに眼を背けるように新たな彩りの加わった卓上を見れば、大なべから移したばかりなのだろうスープが湯気を立てていて……トマトベースのような赤色のそれは、かなりスパイシーな香り。
「このスープは―――セリリ? それに……ミルパ? 味付けは……んっ」
まだ少し熱かったんだろう。
暫く香りを楽しみ、やがてスプーンを口に付けた美緒が目をしばたたかせて。
ちょっと熱かったんだね、彼女やや猫舌だし。
正直、不思議に思う事はある。
今の僕達って、戦闘中に大火傷とかも普通にあり得る世界で生きていて、一定の能力がある筈なのに、その上で日常においてはこうなるんだ。
覚悟の差とか格好良い考えも過るけど、実際どうなのかな。
「……………」
横目に見れば、康太の視線が美緒の口元―――唇に向いている。
これ、あれだ。
長年の経験から、次に彼が何を言うであろうかという想像がすぐさま脳裏を掛け。
脊髄反射の如く動いた腕。
スプーンを深皿に残すまま、フォークへ手を伸ばす。
「……エッr―――いッッでぇぇぇぇぇぇッ!!?」
「具材にするよ、スープの」
食事中の女の子をなんて目で見てるんだろこの性獣。
もう去勢も止む無し―――……あの指輪使っちゃおうかなぁ。
「ねぇ、食事中に大声で騒がないでくんない?」
「え? 俺が悪いん?」
「えっちなのは良くないと思いますよ、康太君」
「あ。バレてましたの―――ででぇッ!!」
「……ん? んーー、やっぱ痕しかついてないね。どんな皮の硬さしてるの?」
正直康太の頑丈さはおかしいと思う。
普通に刺した筈なのに。
「普通に刺さないで貰えます?」
でも、まあ。
流石に、いきなりフォークを腕の甲に刺したのはちょっと反省しなきゃね。
「ちょっとじゃなくて大分反省して欲しいんですが?」
「―――あ、口に出てた?」
「全部な、ぜ・ん・ぶ。今時やーさんでもやらねえだろそんな怖ェコト。おーー、いてて」
でも痛いで済むのね。
……にしても、このスープは美味しい。
じっくり煮込まれてホロホロになりつつも、しっかり形を残した具材。
鼻に抜けるふくよかな旨みは―――敢えて肉を干してから使ってるんだ、これ。
味付けも、複数種類の香辛料が使われていて飽きさせない絶妙な複雑さ。
香辛料は西側では貴重だけど東側から多く流れてきているし、陸路で容易に運搬できるから、あっちの世界ほど足元を見た額って訳でもないのかな。
こんな下町のお店でも食べられるくらいなんだから凄い。
何なら、モルガンさんのもてなしでもその手の香辛料が結構使われてた記憶。
食レポなんて出来ないけど。
「香辛料っていえば、劇で出てたっけ。二百年前の勇者たちの旅路っていうの? 当時は隠し味とか、味付けに使う食材が殆どなかったんだーーって」
「二百年前とは違いがありますね。やっぱり、ギルドが大陸に存在しているかどうかが大きいかと」
「大半が南側とか東側原産って言ってたな。西側には殆どないって」
会話を交えながらも、抱える程もあるお椀の中身は着々となくなりゆく。
これ、あれだ。
値段と量を照らし合わせても……多分、本来はこれ一杯で食事には充分な量なんだ。
お店側もそれを想定してる筈。
―――食事のペースはまるで落ちていない。
全員がまだまだいけると言っているわけだ。
けど、流石にもう……ね?
ず、ズズズ……と。
全員がスープを完飲したのを見計らって話を始める。
「―――で、どうする? 今後の予定」
ちょっと途中で手間取ったけど、目的地へは着いた。
やるべき事は決まっている。
けど、通すべき義理なども挙げられるもので。
「まずは、フィネアスさんに挨拶じゃない?」
「……か?」
「やはりそうすべきですよね。異論はありません」
目的自体は別にあるけど。
それはそれとして、折角だからね。
「んじゃ、行くか。―――店員さーーん、めちゃウマでしたーー」
「「ご馳走様です!!」」
………。
……………。
「返事ないですね」
「厨房の隅で怯えてるんじゃない?」
「あーー、やっぱし? やっぱスープ以外全部食い尽くすのはやり過ぎだったか」
「―――ところで勇者の会話? これ」
流石に食べ過ぎだと思うんだ。
イナゴの大移動じゃないんだから、根こそぎにするのは悪いってスープだけ一杯ずつで我慢したけど、それ本当に我慢っていう?
世間一般の価値観と乖離してない?
あ、根こそぎっていえば。
「そういえば、出てくときに貰った装備ってもう何も残ってないよね」
「「……………」」
剣とかも。
かなり質が良いって先生が評してたやつ、今じゃ全部壊れちゃって買い替えてあるし。
モノを粗末にする勇者って良くないよね?
いや、全然粗末にするどころか大事に使ってたけど……。
中央区へ入り、教国の象徴たる教皇庁大聖堂の正門の傍へやってきて、今更躊躇する。
いや、するだろう。
装備云々じゃなくて、普通に考えて、堂々と乗り込もうっていうのは無理がある話で。
勇者なんて言って、現状の僕達は一般人。
何の約束も予約もなく、一国の―――頂点に近しい存在に会いたいなんて、城門の前で叫んでも狂人扱いだよね、普通は。
「ダメなん? 真正面から行けばいいじゃん。話とおそ?」
「「……………」」
「とりまやってみようよ。一回さ。ね? 一回だけ、一回だけだから」
本当に。
それが出来れば苦労はないんだけど。
真面目に考えてなさそうな春香は抜きにして、三人でも方法を考えてみよう。
三人寄れば文殊の知恵って……。
「ういーー。んじゃ、そういう事でちょっと行ってくるーー」
「「……………」」
「「―――え?」」
おかしい? いや、おかしくないの?
よくよく考えれば、おかしくない春香ってそれはもう春香じゃないわけだから……じゃあ、今に衛兵さん達へ向かって脇目もふらずにズンズン歩いていく彼女は正常?
いや―――いや、止めなきゃ。
思考が遅れた。
多分、他の二人も同じだったんだろう。
気付いて彼女を追った時には、既に春香は番兵さん達のとこまで僅かな位置まで歩いて行ってしまっていて。
「こらこら、君たち」
「此処は神聖な場所で―――」
「すみません。あたし達勇者なんですけど、フィネアスさんって御在宅です?」
気丈に振舞っていても、やっぱりまだ心の傷は……とか思ってたけど。
あぁ、これはいつもの春香だ。
……権力ごり押し?
というかこの場合って御在宅って言葉で本当に良いの?
◇
枢機卿とは、国家の頂点に立つべき教皇の顧問であり、政治面かそうでないかを問わず色々な面で補佐する人物。
詰まる所、スゴクエライヒトで。
僕達が会おうとしているのは、そういう人なんだ。
………。
僕達が旅中で聞いた話は、大まかにこう。
曰く、寡黙。
曰く、鉄仮面。
その政治手腕たるや、大陸に生ける数千万以上の信徒を束ね、各国からの信任も厚く。
しかし、時に非情な選択すらも袋からモノを取り出すように容易く行える冷徹さをも持ち合わせ、まるで人を超えた上位存在のようである……。
―――と。
見事に僕たちの知るあの人の人物像とはまるで異なっている訳なんだけど。
「―――ふ……、ふふ。ふふふ」
「皆様が……これ程、あぁ、ご立派になって……!!」
本当に泣いてる。
今現在、向かい合って座る僕たちの前で目頭を押さえて俯いている人物。
彼こそが、ヴアヴ教国枢機卿ロッド・フィネアス。
御年74歳。
やや長い灰の顎髭を蓄え、好々爺然とした……しかし、確かな鋭い光を
白の西洋法衣を纏えば、もうスゴクエライヒトの風格バッチリで。
「元気そうでよかったです。あ、グラナド! これ食べていいんです? フィネアスさん」
「勿論、勿論」
勇者を召喚した張本人かつ、物語の後編で再登場……と。
この手の人が黒幕ポジションとか、よくある話だけど。
この人に限っては……絶対ないね。
春香が完全に余所行き止めてるし。
黒幕さん別に居たし。
何なら、もう只の孫とお爺さんの絡み……涙を流す彼を見るに、生まれた時以来久々に元気な孫の顔を見たお爺ちゃんって所かな。
「んでで―――フィネアスさん?」
「はい、ハルカ様」
「あたしの異能、聞いてますよね?」
「…………ははは、えぇ。テクト、と仰いましたか。とても興味深いものです」
春香の二言目を聞いた途端、ケロリとした表情で答えるフィネアスさん。
…………あれ。
もしかして嘘泣き?
「凄く喜んでくれてるのは分かりますけどね?」
「えぇ、えぇ! とても喜ばしい事です!」
「でも、そこまで演出しなくても良いんで」
やはり御茶目さんか。
旅中で聞いた話では、彼は寡黙かつ凄腕の為政者で通っているらしいけど。
しかし、今の僕たちと相対する姿を見るに……此方が、彼の本性。仕事中は色々と我慢しているのかもね。
幾つかの世間話、かるい談笑の後。
彼は、思い出したように室内をぐるりと見回して。
「時に、皆様。ナクラ殿は―――」
「「ッ」」
「まぁ、あの方の事。まずお元気なのでしょうが、どうされておりますかな?」
「「……………」」
………。
……………。
「多分、色々と忙しいのかと思います」
「敵が多いって言ってたような」
「お国に帰って色々準備とか」
「四人纏めて雑に処理して意地悪く笑ってましたよ、このあいだ」
「ははは。そうですか、そうですか」
彼も現場に居たのなら、或いは分かったりもしたのかな。
けど、教国代表で議会に出席していたのって、確か女性の大司教さんだったし……。
一般に知られてるだけの報告を聞いただけじゃ、ね。
「―――えぇ。皆様がこの国に戻ってきた理由、承知しておりますとも。……寂しくなりますな」
「ですか」
で、多分こっちも。
彼さ。
多分、勘違いしてるよね?
「……えぇ。やはり。別れとは、どれだけ歳を重ねたとて慣れるものではありません。……しかし、約束は約束。心配ではない、と言えば嘘になりますが。日取りは早いうちに決定すると致しましょう。いま、この瞬間にでも」
あまりに乗り気でこっちが困惑。
ちょっとくらい、「もう少しだけ」とか「助けて」とか期待してたんだけどな。
予想とはまるで異なって。
彼は、淡々とそれを決めようとしているけど。
勿論こちらがソレを受け入れる筈はなく。
「えーーっと」
「「帰りませんよ?」」
………。
……………。
「………え? ―――――なッ!?」
「そういえば、目的言い忘れてましたね」
「教国へは、ちょっとした人探しに来ただけなんです。終わったらすぐにまた戻りますよ? 東側」
「―――……さが、し?」
「はい。その人に色々と話を聞いて。で、その後に魔皇国との戦いに参加しようかなーって感じですね、全面戦争を止めつつ、ですけど。ひとまず、今の所の予定はそんな感じです」
彼は、完全に面食らっている。
当然と言えば当然なんだろう。
「な……ぇ? それは、つまり―――……い、いけません!! お、お待ちください……! 皆様は、既に素晴らしき成果を挙げられました!」
思わぬこちらの意思表明に完全に意表を突かれたからだろう。
驚愕に叫ぶまま、彼は語り始める。
セフィーロの一件。
クロウンスの一件。
エルシードの竜狩りに、ミラミリスの巨大組織殲滅任務……。
そして、全員のA級昇格。
教国に居ながら、常にフィネアスさんの元には僕たちの情報が入るようになっていて。
その報を聞くのが彼の楽しみだったと、そういう話で。
セキドウの復興に力を貸したという話も、近くにこの国へ戻って来るだろうという推測すらも立てていて。
「―――成り行きとは伺っておりますが、【通商連邦】の12氏族家も内戦なく安定しております。これ以上に望むべき事はありませんッ。皆様は、もう……もう……!」
もう、十分頑張ったんだと。
だから、止めろと。
命を捨てるようなことはするなと。
彼は、そう言っているんだ。
彼は、知っているんだ。
例え上位が最上位であろうと、その戦いに身を投じれば無事ではないと。
勇者であろうと……勇者だからこそ、ダメなのだと。
単純なしきたりとして……勇者召喚を、伝説をなぞる旅を現代に見せてくれただけで、十分なのだと。
人々に希望を見せてくれただけで十分なんだと。
彼はそう言っていて。
「……僕達、何だかんだで、ずっと導いて貰ったんです」
だから。
僕達も、言いたい事は言いたいだけ言おう。
「先生―――ナクラさんだけじゃなくて、色んな人に、導いてもらって、助けてもらって、沢山感謝して。あと、色んな人達に襲われて、戦って、苦しんで」
愉しかったことも、辛かったことも、言いたい事だけ、言いたい放題にぶつけよう。
ほら、僕達この世界に拉致されてきた可哀想な学生だし、彼ってその首謀者の一人みたいな所あるし―――そのくらい、許してくれるよね?
「戦って、旅して、色々な所を巡って……。そんな中で。この世界の人たちって、本当に強いんだなって。生きることに必死に、全力で足掻いてるんだなって、分かったんです」
この世界の人々の強さに憧れて。
彼等のようになりたいと願って。
沢山の人を……必死に今日を生きている人たちを、僕達が助けてあげたいと思った。
だからこそ、救えるくらいに強くなろうと思えた。
帰りたかったのもある。
実際、この国を……この建物を飛び出した時はそれだけの理由だったかもれない。
でも、それでも。
本当にここまで強くなろうと、強くなれたのは他ならぬ彼等のお陰。
それだけは嘘じゃないし違えちゃいけない。
「強く、なろうと。沢山足掻いたんです。あなた達みたいに。なのに、こんな状況の中で。世界が、沢山の人が明日に怯えてる中で。自分達だけ安全な場所で。安全なままに……って。本当に、そんな育ち方してると思います? 僕らが。あの人に預けておいて?」
「……ッ!」
死が隣り合わせの世界で。
巨大な悪意が、理不尽が少し歩き出しただけの場所にあるような世界で、それでも彼らが生きているのは、明日を信じてるからなのに。
明日を信じて生きているのに、明日に怯えなくてはならないなんて。
来るであろう脅威に、何も出来ず震えるなんて。
そんな理不尽ってある?
「僕は、助けたい。救いたい……! 明日を喜べるように、皆が好きな事を出来るように。僕達だって、自分勝手になって良い。だって、冒険者なんだから! 冒険者の弟子なんだから!!」
「今まで、導いてもらうばっかりの戦いだったんです。だからこそ―――最後は。最後こそ、自分たちで全てを決めて、この世界の人たちを導いてあげたいんです! 一回負けたくらいで折れてなんかいられない、逃げかえってなんかいられない……見捨ててなんて帰れない!!」
「……………!!」
「あと、死ぬつもりとかないんで」
「皆揃って、絶対に此処へ戻ってきますね? ―――絶対に」
「実はこれあんまり知られてないんですけど、あたし達、実は強くなったんですよ! 世界に数十人しかいないA級ですからね!」
………。
……………。
「……左様で」
「―――っ。左様……ですか、……はは。……ッ、は、ははは。ははは……ッ!!」
目的自体は明白だったとはいえ、熱くなって言い過ぎた気がしたけど。
席を跨いで向き合う中、フィネアスさんは再び顔を伏せて。
……卓上に、何かが滴り落ちる。
先の偽物なんかじゃなく。
間違いなく、今度こそ、本当の意味で彼は涙を流してくれていたんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます