第19話:長命たる片鱗
思わぬ記憶に依頼のヒントを得てから、ある程度の日数が経って。
薄いガラス板の向こうに浮かぶ澄んだ景色。
基本的な配色は蒼、緑、そして茶。
自然豊かな街道……魔物でない動物の鳴き声。
揺れる視界をも楽しみ、青々とした窓の外に目を向けていると、隣から何かが差し出されて。
「―――ん」
「ありがと」
春香がくれたのは、乾燥果物……皆大好きなアンマンだ。
確か、南部原産。
王室にも献上されるような上等なお菓子だけど、乾燥しているから日持ちも良く、水分が抜けて旨味が凝縮されていて……非常に美味しい。
「「……………」」
ポイと口に放り込み、また窓に向き直る。
四人掛けの車内、全員が窓際部署。
暫く、揺れる一室の中には唸る声と果物を咀嚼する音だけがこだまして。
―――気付く。
窓が、さっきより曇ってる。
あとなんかじめっとする。
「……やっぱ、分かんない」
「煙出てきた」
本当に意味が分からないんだけど、本当に頭から煙出してるんだけど、この二人。
まぁ、理由だけは分かっている。
あの日、僕たちは賢者ティアナを探す旅……ひいては、僕たちの旅が始まった場所、大陸最西部に位置するヴアヴ教国へ向けた帰路についたわけなんだけど。
長旅である故か、考える時間は結構あって。
……推測に入る
それは、暗黒卿と賢者の関係というべきもので……。
「話を整理しましょう」
本当に頭から煙を出している春香と、曇った窓に指を走らせている康太。
二人を他所に始まる会話。
「推測通り、ロシェロさんの正体が賢者ティアナだとして、です。先生……ラグナ・アルモスと賢者には確かに面識がある筈。やはり、互いに正体を知らなかったとは思えません」
「……ん。どうして、あの二人は普通に友人関係を維持してたのかって話だよね」
暗黒卿な導き手と、推定賢者なロシェロさん。
僕達の知る二人は、気心の知れた友人と言った感じに見えた。
でも、僕たちの知る200年前のストーリーといえば。
勇者ソロモン。
聖者リサ・オノデラ。
剣聖シディアン。
賢者ティアナ。
他にも何人か居たとは言うけど、パーティーの主要メンバーはこの四人。
大陸のほぼ全てを踏破したとされる勇者パーティーの中で、最初に斃れたのは剣聖シディアン。
彼は暗黒卿との決闘に敗れ、亡くなったとされていて。
ソロモンらが魔皇国との戦いに身を投じたのも、ソレが最たる理由の筈だ。
増して、勇者ソロモンを討ったのも暗黒卿なわけで。
賢者にとって、暗黒卿は倒すべき仇敵であって、友人関係仲良しこよし出来るような相手では断じてない。
考えにくいけど、本当に互いの事をそうだと認識してはいなかった?
それとも、長い時の中で和解した?
……或いは―――僕たちの知っている勇者の旅路と、実際のソロモン等の旅には、僕達一般の知らない「何か」が存在する?
……頭から煙が出てきそうだ。
思考するゲームは大好きだけど。
今回の場合、推理するにはいろいろなものが足りなくて。
「―――足りない。春香、糖分」
「やだ」
………。
……………。
けど、仮に賢者がソレを知らなかったとして、僕が責められる筈もない。
こっちだって自力では気付く事が出来なかったわけなんだから。
長い間……ずっと一緒に居たのに。
先生の正体に、美緒だけが思い至ったという事実。
それは、僕達が信じたくないと、あの時ほぼ正解を見せられて尚、その選択肢を無意識に除外していたからというのもあるけど。
「知りたかったんです、先生について」
春香を部屋から引っ張り出したあの日、落ち着いてから美緒が語ったこと……。
美緒が気付いたのは、彼女らしい好奇という単純な理由という事で。
彼女は、最初期から仲間内での立ち位置を決めていたから。
疑っていたんじゃなくて、一本線を引いていたんだ。
僕達の導き手……彼という個人は自分の事をあまり語らなかったから、あまりに情報が少なくて、あまりに底が知れなかった。
だから、自分一人だけは常に俯瞰して見よう、と。
でも。
打ち解けていくうちに、徐々にそんな考えも霧散して。
最上位の人たちとも巡り合い、独特な人生観を目の当たりにしていく中で、或いはこういう人もいるのか、と……。
けど、やっぱり。
心を許しながらも、疑問は増えるばかりだった。
「……どれだけ長く見積もっても、十年前後。それだけの旅とは思えない深い知識量。にも拘らず、あの人が自身の話をする際には、やっぱり齟齬が多くて」
互いの考えを整理し、相談する時間。
その時に、彼女はどうして気付いたのかという事も説明されて。
例えば、彼自身の自認する年齢と周囲の齟齬。
例えば、周囲に巡らせた過剰なまでの付与魔術反応。
例えば、魔素の適応があってすらあまりに変わらぬ容姿。
「単なる細かな記憶違いなら、そういうものかと考える事も出来たかもしれません。けれど……」
例えば、ギルド登録。
冒険者はギルドで冒険者として登録する為には、出身国を登録する。
僕たちの場合は一応教国となってるけど、彼の出身は?
異世界人であった彼。
この世界へやってきて暫くは、一つの国家で兵士として働いていたと彼は言っていたけど……美緒がきいた限りでは、現状の人間国家でそのようなギルドにも所属していない、更には身元も全く分からないような存在を雇うような徴兵体制を敷いている国家はほぼないと。
それこそ、大戦が行われていた時代の前後くらいだ、と。
「リザさんの話では。先生は、ギルドに登録した時点で既に上位と遜色ない実力を持ち、なお余裕があるようだった、と」
齟齬は、話の根本に亀裂を生む。
『【三昧刃】のミーティン。ちょっと昔に猛威を振るってた悪徳奴隷商会の幹部兼用心棒だった男で、最近じゃとんと噂を聞かなかった暗殺者だね』
他にも。
プロビデンスの件を追っていた時……盗賊団のアジトでの彼の話も。
彼は、まるでその当時に居合わせたかのように語っていたけど。
『ミーティン……とは。また、ずいぶん昔の大物が出てきたなぁ。新人の頃、ベテランの教官たちに極悪非道の悪行三昧をよく聞かされたよ』
『これは仕事が増えそうねぇ』
ナッツバルトさん達の口ぶりが気になった美緒が、デートの折にアルコンで調べた時。
三昧刃が大陸の裏社会に名を馳せたのは、今から十五年以上も前だったという事実は、美緒を混乱させるのに十分で。
「これは、あくまで推測ですけど。もしかしたら、先生は―――私達には、隠そうともしていなかった、と。そう考える事も出来ます」
彼は普段はアレだけど、本当に大事な時、真面目な時は用心を欠かさない人だった。
そんなミスを繰り返し続ける筈はなくて。
だからこそ、もしかしたら……と。
いつか僕達が気付くように。
むしろ、気付いてほしいとでも言うかのように―――。
「着いた?」
「……かな?」
馬車が留まる。
思い起こしていた記憶が、皆の頭から出ていた煙と共に霧散する。
どうやら宿場まで到着したみたいだ。
自分たちでドアを開けて降りると、既に外で待っている人物が二人。
一人は康太より十センチ近く高い背丈の男性。
もう一人はやや恰幅の良い初老の男性。
「―――有り難うございます、モルガンさん。許可証の発行だけじゃなく、ここまで連れて来てくれて」
「いえ、いえ」
僕達自身の馬車はセキドウへ置いて来たから。
これは、モルガンさんのもの。
ギメール経由で行くのがちょっとアレだったから、敢えてラメド共和国側から西側へ行こうとしたんだけど。
誤算な事に、現在は通行に許可証が必要らしく。
しかも、ギルドで発行してもらうのにかなりの日数が必要との事で……いっその事、引き返して別の街道から向かおうかと思い始めた頃に「偶然」通りかかったモルガンさんに拾ってもらったのが現状だ。
僕達の礼を受け取ったモルガンさん……連邦の狸という二つ名を持つ彼は、にこやかに対応して。
「この程度でしたら、苦でもありませんよ。皆様なら、或いは走って向かわれた方が早いやもしれませんがね。はっはっはっ」
「「ですね」」
「流石旦那様。仰る通りです」
「―――はっっはっはっ……ははは。これだから上位冒険者というものは」
自分で言っておいて呆れるんだ。
まぁ、それに関しては召喚直後とかだったら僕達もあきれ果ててただろうけど。
今なら「走った方が早い」とか言ってた竜喰いさんの気持ちも分かる不思議。
………。
大陸議会の出席者。
あの場に居た者の殆どはあの人の正体を知らない。
彼が兜の奥の正体を顕した時、あの場に居たのは僕達四人とリザさん……そして、後から駆けつけてくれたゲオルグさん達だけだから。
だから、勘付いたものがいるだけ。
……そう。
この目の前の人物も、それに勘付いた一人で。
「あの。折角ですから、聞かせてくれませんか? モルガンさんがどうして気付いたのか」
「―――……えぇ、はい」
案内された屋敷の階段を上りながら声を掛けると、スミスさんと共に前を歩く彼は振り返らずに頷く。
「もしや、彼から伺っているかもしれませんが。私は、ある意味では皆さんよりも彼の事を知っていたとも言えます」
モルガンさん。
通商連邦の権力者たる12氏族家……、今やその盟主になった彼だけど。
僕達が聞いた話では、彼はかつて先生に家を半壊させられた過去を持つらしく。
確かに。
あの人って、僕達の前ではあんまりそういう
「あの時の私の選択。それは、我が半生で、最も愚かな事でした。当時の私は、最上位に匹敵する実力者を甘く見積もっていたのです」
「ビショップ家の二の舞……ってコト?」
「えぇ。ある意味では、当時の私も彼女と同じだったという事ですね」
現状、大陸に存在する最上位冒険者はたった七人。
強い強いとは聞いていても、実際に彼等がどれだけ出鱈目な存在かを知っている人は、国家の為政者であっても多くはなくて。
モルガン家と並ぶ力を持ち、春香を攫って勇者を手にしようとしていたビショップ家の当主も、リザさんや先生の能力を見誤っていたところはあった。
それが、没落に繋がったわけで。
モルガンさんは、ブルリと震えて話し始める。
◇
今から八年ほど前。
新たにA級へ到ったという男が連邦を訪れているという報告を聞いた私は、その者を取り込もうと考えた。
A級とは、単身にして一軍に匹敵、凌駕する力。
たったひとり抱えるだけでも大きな戦力と言えたからだ。
しかし、その領域まで上り詰めた者のとる行動はおおよそ二種。
早々にギルド職員やいずれかの国家に仕官する道を選ぶか、永遠に放浪を続けるか。
後者の場合、どれ程の好待遇であろうと勧誘に応じる率と言うべきものは非常に低いとされて。
ならば、行動は早い方が良く。
まず、ギルドの職員へ賄賂を渡し、その冒険者が連邦へ来るように依頼を操作。
冒険者が国に滞在し、住民と親しくなった頃を見計らい、その者たちを利用して引き込む。
勧誘―――というにはいささか脅迫まがいのものも多かったが。
やがて、ソレが悪手も悪手だったと気付いたときには全てが遅くて。
『クリフォード・モルガン。手札は、これで終いか』
『……―――こんな……、こんなっ』
私兵はその全てが打ち倒され。
最高戦力であったA級のスミスさえもが、瞬く間に斃された。
それを成した男は、抜き身の刃を向けている。
『A級冒険者もピンキリだ。長年を掛けて昇格したような、B級に近しい実力しか持ちえない下位のA級。そして、短期間で駆け上がるような真なる才能と成長を持ち得る上位のA級。戦闘になれば、それこそ決着に数秒と掛かることはない』
「そんな上位層さえ、S級と相対すれば数分と持たないが」……と。
自嘲するように肩を竦める男は、倒れ伏したスミスを一瞥し。
『廻流スミスは、世代で見れば私より後でありながら、先んじてA級に到った。暫しB級に留まっていた私ならば、力づくで従えられる……と。成程……、お前の考えは正しい』
『……ッ』
『だが。スミスはお前を止めなかったか?』
それは、事実だった。
計画を進めるこちらへ対し、スミスは最後まで「A級レベルを力業で従わせるのはあまりにリスクが高い」と進言していた。
「私でも彼の底は見えない」とも、だ。
だが、冒険者としての性か……最終的には、実は自分も戦ってみたいと折れてくれた。
その結果。
ほんの先……こちらへ武器を突き付ける男の足元へ倒れている。
……目元へ突き付けられた長剣から視線を外さず、向き合う。
連邦、氏族家の長として、覚悟なら出来ていた。
だが、しかし。
『震えすらしない。流石、覚悟だけはキマっている口、か。……命拾いしたな、狸』
『……!』
『今モルガン家が崩れれば、ギメールはビショップ一強だ。ギルドはそれを望まない』
剣を収めて背を向ける男。
その背に―――言葉を投げずにはいられなかった。
『……ッ。考え直しては頂けないのですか、ナクラ殿!』
『……………』
今回の勧誘で、屋敷は大きく損傷。
蓄えた私兵、力の四割は再起すら怪しいかもしれず。
ここで生き延びたとて、これからを思うと言わずにはいられなかった。
『貴方がついて下されば、今度こそギメールは一つに―――』
『今言った筈だ。一強……一つの家の名のもとに全てが束ねられるのは、決して良い事だけではない。特に、こんな国は。互いに睨み合い、水面下でやり合っているくらいが丁度良い。重荷を支える柱は複数ある方がいい。―――いつ腐りきって挿げ替えても良いように、だ』
足を止めていた男は、振り返る。
全てを見透かしたような目を向ける。
『腐敗、など。何十何百と見てきた。この件、この程度の悪意など、飽きる程見てきたぞ。驕るなよ―――子狸』
『……ッッ!』
『もし、ギメールが一つに纏まる時が来るならば。それを齎すのは、お前や私などではない。それは―――あらゆる腐敗、理不尽を跳ね除ける者たち。本当の勇者が現れた時、だ』
………。
……………。
「あの時の彼の瞳には、底がなかった……いえ。私には、見えなかった。どれ程深いのかもしれぬ、私ですら伺えぬ虚空を感じたのです」
その件があったからこそ。
強い衝撃として、教訓としていたからこそ思い至った、と。
彼はそう言うけど。
魔力による感知も、共に旅をした事による経験則もない。
単純な推測のみで辿り着く。
そういう人が居るという事実は、やっぱりただ強いだけの相手だけを警戒すれば良いというわけじゃない難しさを感じさせて。
端的に。
やっぱり、ギメールを経由するコース選ばなくて良かった。
「―――では。明日には教国へ着きますゆえ。本日はこちらで休まれるのが良いでしょう」
「「……………」」
………。
……………。
「じゃあ、僕たちも」
「おーー、ぽやしみーー」
「おやーー」
「はい、おやすみなさい」
一足先に床へ就くというモルガンさんと別れ。
すぐに、僕達もそれぞれ用意してもらった部屋へと別れることに。
部屋は、セキドウでずっと泊まっていたランクの高い宿の倍は広く。
凄く高級感にあふれる一室で。
流石はお金大好き連邦貴族の別宅。
「………やっぱり、意識しちゃうよね」
これで、長い付き合い。
ほぼ四六時中一緒に居るんだから、先程の皆の様子がややおかしかったことにも気づく。
多分、僕もそうなんだろう。
―――教国。
冒険の始まった場所で、僕達がこの世界へやってきた要因の国家。
必要なものは、既に揃っている。
今なら……元の世界へ帰る事だって、出来る。
ベッドに入ると、その事実が余計に大きくなって。
最近は、ずっとそう。
今回はその件だけど、昨日とかは……。
どうして、先生は世界各地を放浪していたんだろう、とか。
いや、そもそも。
彼はどうして魔族側に―――魔人に? とか。
色々な考えが巡り巡って。
僕たちの知る魔人も、元を辿れば人間だったいう。
なら、彼も……本来の彼は、やっぱり僕達と同じ世界に生きていた只の人間で、やっぱり聞いていた通りに……。
『意味も分からず放り込まれたさ』
『―――三百年前に、ね』
………。
……………。
この世界に来てから幾度と考えた事。
こっちには、長命な種族が居ると聞いて。
そんな彼等は、数百年を当たり前に生きてしまえると聞いて。
暇なんじゃないかとか、色々考えもしたけど。
回答として。
そもそもの話、半妖精など、長命な種ほど価値観は根本的に違くて。
それが当たり前だから、そんな事は疑問に思いもしないし、別に何ともないんだ。
けど。
もし、それを……望まない長命を、後天的に与えられてしまった存在が居るとすれば?
本来の寿命の枠を超えて、長く、長く生きざるを得なくなった只人は、本当にまともな精神を保てるのか、なんて。
もしかしたら、美緒の推測の核。
先生の記憶違いなどが、そもそもそこに由来する致命的なズレだったとするのなら。
今の彼は―――とか。
そんな疑問を、幾度と抱いて。
「………賢者」
賢者とは、多くの知識を持ち、多くの手段を持ち合わせる真なる知恵者。
或いは。
そんな人なら、僕達の疑問にも沢山答えてくれるのかな。
会えれば、良いな。
モルガンさんも、明日には教国へ到着するって言ってたし、今日は……。
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