第16話:四人で勇者だから




「すぐ戻るって……、何処に行ってたんですか!? そんな身体で―――」

「ゴメン」



 病室へ戻るなり流れるように頭を下げて、謝罪。

 謝るべき事が多すぎて、それ一つで許してもらえるなんて思ってないけど、それでもまずは頭を下げる。


 ……。

 目に映る床、……僅かに存在する水の粒。

 僕が戻ってくるまでずっと病室で待っていてくれた彼女は、それ以上何も言わなくて。

 

 ならばと、顔を上げる。 

 彼女の黒く澄んだ瞳を、穴が空くほどに見詰めて。



「……あ、の」

「―――ね。……どう? 美緒。少しは、マシになったかな」

「え?」



 いや、僕の顔色。

 遠かったかなと、更にズズイと顔を近付けて。



「―――あ、あの……。そう、ですね……。何か、あったんですか?」

「うん。殴られそうになったから逃げてきた」

「―――え?」



 きょとん、と。

 やっぱり、この子に泣き顔なんて絶対に似合わないと。


 今目の前にいる少女の事が、あまりに愛おしくて。

 この現実が、嬉しくて。


 ……本当に。



「―――はははっ……」

「……陸君?」



 いま、美緒は不思議に思っているんだろう。

 少し前に目覚めたばかりで、飛び出していった僕が、まるで人が変わったように戻って来たんだから。


 でも、同じだ。



「……ううん。本当に、今あるこの現実に感謝しないとなって」

「―――ぁ……!」

「さ。いこ!!」



 美緒の手を取り、また走り出す。



「何処へ―――」

「いつも通り、引っ張り出しに。あと―――手始めにね、練習しに」


 

 やりたい事をやるだけだと。


 行きがけに、手を引きながら現状の僕の考えを……そして、とある昔の出来事を彼女に説明する。

 混乱していた様子の美緒も最後には納得―――諦めたように顔を上げて。


 やや俯きがちだった表情に光が戻る。


 ギルド方面とは逆方へ。 

 走って、走って。

 辿り着いたのは、最早当たり前になってしまった帰るべき宿屋。

 

 比較的被害は少なかったみたいで。

 復興資材の置き場の一つにもなってるみたいだ。


 屋内へ入り、食堂を見やり、階段を上り。



「陸君。本当に?」

「うん、やるよ。僕、一度決めたら頑固だからね」

「……ふふ。知ってます」

「何をしたいかは、もう決まってるんだ。―――後は、あの二人を、ね」



 美緒に何をしてもらいたいかは話した。

 僕がすべきことも話した。


 あとは。



「でも。まず、出てきてくれるかどうか……」

「だよね。多分、今の康太は拒絶してくるだろうし……。ちょっと、そっちも協力してもらっていい?」

「構いませんけど……何を、ですか?」

「説明した通り。春香って、ホントは脆いんだ。彼女にとって、本当に大切な人になる条件は凄く厳しいから……普段は絶対に大丈夫なんだけど」



 もしも、本当に大切な人に裏切られたのであれば。


 彼女は、またあの時のように。

 心を閉ざしてしまうから。

 ……先生は、春香にとって、本当に信頼できる大切な人の一人だったから。



「聞いてくれてるだけで良いんだ」

「……………?」



 まだ、まるで本調子じゃない身体。

 二、三度ほど小さな深呼吸をして呼吸を整える。

 四回目で目いっぱい空気を吸い、肺を満たす。


 ………。

 ……………。


 さて。



「美緒」

「はい?」




「大好きだ!!」




「――――……え……!?」

「好きだッ! 好きだ好きだ好きだ好きだ!」



 今更言う必要もない事なんだけど、どうしようもない程に好きだ。

 冷静で、理知的で、おしとやかで。

 甘いものが好きで、茶目っ気があって、鋼のような一本芯があって、でも本当は脆い所もある……等身大の女の子。

 


「好きだ!」

「……ぁ……ぁ……ぅ」



 見た目に似合わず自分からも案外グイグイ来るところとか、周到に計画を練って篭絡しようとするところとかも、勿論好きだ。

 並大抵の反撃じゃビクともしない恋愛強者な所も好きだ。

 でも、今みたいなあまりに直接的な表現の場合は脳がまるで処理しきれず、理解しきれず真っ赤になって慌てる所が好きだ。

 無理やり僕の口を塞ぐか、それとも自分の耳を塞ぐべきかでオロオロ迷っているのも凄く可愛い。



「あの、あのっ……! もっ、もう―――」

「大好きだ!」

「わかっ―――分かりましたから!!」



 分かる? 理解だって?

 分かってない。

 美緒は、僕がどれだけ美緒の事を好きなのかをまるで理解してない。



「足りるわけないじゃん! まだまだ、こんなものじゃないんだからッ!!」

「あの、あのぉ……!!」

「僕は、君の事が大好きだ――――ッ」





「世界で一番ッ! 大大大―――――大す―――」




「うるせえええぇぇぇェェェェェェェ――――ッッッ!!」




 ………。

 ……………。



 さて。

 やっと出てきてくれた。


 

「おまっ―――おまえお前お前!! マジで何やってんだよ!? 恥ずかしくねえのかぁ!」

「恥ずかしいに決まってんじゃん。久しぶり、康太」



 春香の部屋のドアが凄まじい勢いで開き、閉じられる。

 宙を舞う和紙のような滑らかな動きで扉の隙間から出てきた康太は、かつてない程に顔を真っ赤にしていて。


 流石純情少年。



「迷惑だろッ! 色ボケ野郎! 無事でよかった!」

「でも、コレなら白昼堂々恥ずかしげもなくイチャイチャしてるなーで見逃してもらえるじゃん。ありがと」

「天災かッッ! マジでアホかッッ」



 でも、本当の事だし。

 ……さて。



「ね。ちょっと部屋入れてよ、康太」

「……………ダメだ」

「女の子の部屋は聖域だとかあーだこーだとか言ってた割に? ちゃっかり自分は入ってる癖に?」

「……そういう問題じゃ、……ねェんだよ」



 うん。

 変な所で大真面目だからさ。


 康太ならそうするだろうなって分かってたんだ。

 分かってたんだけどさ?

 僕としては、もっと予想を超えて……いつも通りの彼でいて欲しかったんだ。



「そう言うのは分ってたけどね」



 改めて、状況を確認する。

 すぐに閉ざされた春香の部屋の扉……前に陣取る、パーティー最高のフィジカルを持つ前衛。

 彼の服は、胸の部分が局所的に濡れていて。


 位置的に……涙。


 恋人の傍にいてあげて、沢山話してあげて。

 凄く、頑張って慰めて………うん。



 ―――で?



「がッッ!?」



 不意に、親友の顔を思い切り横殴りに。

 魔術による身体強化が入っていないとは言っても、これで上位冒険者の拳。


 景気よく吹き飛んで激突、軽く罅の入る壁。

 でも、流石。

 肉体的にはまるで堪えてないみたいだ。


 あんなにバッサリ斬られてたのに、もう完治?



「ねぇ―――分かってるでしょ?」

「……ッ」

「僕が言った事だし、信じて任せたわけだし。その辺は良いんだけどさ? 傍にいてあげるのは当然として―――春香が本当に欲しいのは、そういうんじゃないんだけど」



 今回の康太の行動は、全面的に正しい。

 普通の場合なら、満点中の満点だ。


 けど。



「お前、に……」

「幼馴染だもん。分かるよ。で、僕でも分かるんだ。恋人なら、僕以上に分かってないとダメだよね? 普通なら確かに正解だけどさ? 春香だよ? ……それ、押しつけって言うんだ」



 取り敢えず、まずは彼からだ。

 言い方は悪いけど、単純で簡単な方からだ。



「文句あるなら、良いよ。言ってみなよ」

「……ちッ。まず殴ってから、な。一発は、一発……だろッッ」



 今度は彼が拳を握る。

 重戦士といえど、その動きはあまりに速く……。



「許すとは言ってないけどね」



 無論、避ける。

 武器を持たない徒手空拳……攻撃は無論あっちが上でも、回避においては僕の方が数段は上だ。

 回避に専念するなら、異能の力もあって当たる筈もない。



「―――てめッ!」

「もう、モヤシじゃないんだから。とことんやるよ。あ、弁償代割り勘ね?」

「ざっっけんな!!」



 康太って、いい意味で単純だから。

 悩みなんて、これの合間に語り合うくらいが丁度いい。


 ……僕だって、そうだ。



 ほら。

 男なんて、単純なんだからね。

 あとは、先の件とこのドンパチで少しでもあっちの関心を向けられれば。

 美緒にお願い、かな。

 


 ………。

 ……………。



 ………。

 ……………。



「春香ちゃん。大丈夫ですか?」



 鈍い音が響く廊下。

 ゆっくりと開いた扉をすり抜けるようにして侵入した部屋は、暗く静かで。



「……みお―――ちゃん」



 ベッドに座り込む春香ちゃん。

 数日前に私が訪れた時、彼女は布団を目深に被って、震えていたけれど。


 今は……。

 震えながらも、何かを気にしている様子で。

 なら、私にできるのは。



「陸君から聞きました」

「……ぅ、……ぅ」

「本当に信じていた人に裏切られる。―――辛い、ですよね」

「………ッ……ゥ……うぅ、……ぁ」



 私に出来るのは、抱き締める事だけ。

 ずっとベッドの上にいるはずなのに、冷たくなっている身体を少しでも温めてあげること。


 それだけでは、恐らく今まで康太君が精一杯やっていたであろうことと変わらないだろうけど。


 でも、それで……それだけで良い。

 だって、今は。

 今回は、すぐに。



「「馬鹿野郎ッッ!!」」



 ―――――もしかしたら、もう少し掛かるかもしれない。



「「……………」」



 そうして、部屋の外から聞こえる怒声と衝突音に耳を傾けて。

 二人で、身を寄せ合って。

 

 どれだけ経っても鳴りやまない声、音。

 どうすべきかと考えても、彼の言葉のまま待つしか無くて。



「……! ―――春香ちゃん?」



 変化は、唐突に訪れた。


 握っていた小さな手に、力が籠る。

 震えていた手の……水のように冷たい身体に、温かさが戻ってくる。



「……美緒ちゃん」



「ね。そと、うるさく、ない?」

「―――……えぇ。凄く」

「だよね……」



「あの二人……バカだし。本当に、馬鹿だしさ。揃うと、うるさいし……馬鹿だし。くだらない事で言い合いするし、馬鹿だし」

「……ふふっ」




『簡単だよ。春香が自分から出たいって。見たいって……。いつも通りに、そうすればいいんだ』




 慰めるだけでは駄目なんだと。

 甘やかすばかりでは何の意味もないんだと。


 春香ちゃんが求めていたのは、傍で優しく慰めてくれる「誰か」じゃない。

 手を引いて暗い部屋から連れ出してくれる……或いは、冷たい部屋の外で大騒ぎして、果たして何が起きているのかと、自分から出ようと。そう思わせてくれる……。



「仲間、ですからね。本当にくだらない、そんな会話が大好きなんです」

「……うん」

「ところで……その。陸君、本当は絶対安静なんです。傷口開いちゃいます」

「……バカじゃん」

「康太君も……バッサリいかれたので。傷口、開くかもしれません」

「……バカじゃん」



 そう、おバカさん達なんです。

 私達は、そんな人たちを好きになっちゃったんです。


 だから。

 仲間だから。



「喧嘩。止めてあげませんか?」

「……………」




   ◇




「馬鹿野郎! ボカスカボカスカいてェだろうが!」

「何で慰めるだけなのッ?」

「どうしろってんだよッ!」



「いつも通りにしてればよかったってさっきから言ってんじゃん! 外で大騒ぎ! 手を引っ張ってでも連れ出す! スサノオノミコト!!」

「意味分かんねーんだよ、馬鹿!」

「だから! 康太にそんなしんみり優男なんて似合わないって言ってんの! 馬鹿やってればいいんだって! 分かんないなら相談してよ! 親友じゃん!」

「寝てた奴が何言ってんだ、出来ない事だってあんだよ!」

「そんなの、康太が勝手に決めた早とちりだ!」



日和ひよっちゃったんでしょ? 怖かっただけでしょ!?」

「……こんッ―――のッッ」



「そうだよ! 分かんなかったんだよ! あんなに弱った春香ちゃんなんて初めて見たんだよ、悪いか!? 日和って……大好きなんだよ! とりま一発殴らせろ!」

「いやですーー、痛いのイヤですーー」

「あっ、てめッ―――避けんなぁ!! おまえだって相手の告白保留する情けな男児の癖しやがって! キープか!? ホールドか!? へっ。お前の大好きそんなもんか。あーー、やだやだ。これだからモヤシは」

「カッチーン、ライン超えたね?」

「なっさけねーー、ホントなっさけ―――グぅッ!?」

「こんな時でもなきゃ彼女ホールドも出来ないヘタレさんがなんか言ってるねェ!」

「あ゛ぁ゛!?」

「こっちはとっくの昔にハグもしてるし手だって何度も繋いで―――」

「はぁぁぁーー? 俺なんてもう少しでキスまでいきかけたしぃ? 支えた時にさりげなくお尻撫で―――」




「―――ねぇ」




「何やってんの? 馬鹿二人」

「「……………」」

「あと康太君。それ陸に言ったら……捌くよ?」

「………冗談っすよ」

「ん、出てきたね。久しぶり、春香」

「……ん」



 振り返れば、部屋の入口に春香が立っていた。


 泣き腫らした顔で、立っていた。


 未だ本調子じゃなくて。

 陰りのある表情ながらも、自分の意思で部屋から出てきていたんだ。

 その隣には、頼りになる僕の相棒兼恋人さん。


 何故かはわからないけど、美緒も春香も顔が真っ赤だ。



「……え? 美緒ちゃん? いつの間に部屋……」

「二人が仲良く喧嘩し始めたところからです。障害物が何もなかったので」



 ともあれ、これでようやく身体の力を抜く事が……。

 ―――っ。



「陸!」

「……うん。大丈夫」



 ちょっと倒れそうになって、康太が支えてくれる。


 そろそろヤバかった。

 結局僕は一回も康太の拳を受けてないけど、もし本当に受けてたらかなり響いてた。



「畜生が。何で殴りまくった方が倒れかけてんだよ」

「あはは……。痛かった?」

「……まるで」



 強いなぁ、康太は。



「ね、春香?」

「……………」

「あの時、二人で部屋を出た時は少し寂しかったけどさ。今は、どう?」



 あの時は、僕と春香だけだった。

 彼女を連れだしても、外で待っててくれる人はいなかった。


 でも。

 いま、美緒に手を引かれて出てきた春香の前には、僕達が居る。



「ね。もう、僕だけじゃないんだ。手を引かれて外へ出て、絶対に外でまっててくれる人がいるんだ」

「イデデ……ッ。ま、そゆことで」

「はい。私達は、絶対に、絶対にずっと一緒です」


「……あたし、絶対って言葉、あんまり使うなってパパに……」

「だからです」

「ふふ……。ね」

「―――何の話だ?」

「取り敢えず、泣いたりするのはまた今度!」



 今は、そんな事をしている場合じゃない。

 やりたい事が沢山有るんだから。



「おーい、それ何の話……」

「あたしたち、これからどうするの?」

「陸君」

「……どうすんだ? 死にかけ大将」



 決まってる。



「あの人、殴りにいこ?」

「「……………」」

「で、ついでに話を聞くんだ」

「ついでて」



 あの行動には、何の意味があったんですかって。

 どうして僕達をここまで育ててくれたんですかって。

 聞きたいんだ。



「プロビデンスを壊滅させに行った時。全然戦ってくれなかったあの人、言ってたよね? 僕達が護ると分かってるから何もしない。僕達が動いてくれると信じてるからって」



「都合のいい思い込みかもしれないけど。殺されかけて、本当に馬鹿みたいだけど。僕、まだ信じたい。嘘だって、思いたくないんだ」

「……こっちが何が何でも助けるって信じてるから、マジで後衛狙ってヤりに掛かるって?」



 本当に酷い話だけどね。

 


「皆は……いや?」

「「じゃない」」

「です」



 信じたい。

 あの旅が嘘だったなんて、絶対に思いたくはない。

 もう一度会って話がしたい。


 それに。


  

「―――僕達は、まだ何も失ってなんかいないんだ。それって、本当に幸せで、本当に嬉しくて……。美緒も、春香も、康太もいる。あの人も、会いに行けない遠い場所に行ったわけじゃない」

「いや、魔皇国はガチでヤバ……いや。―――んだな」



 何も失ってない。

 こんな世界にあって、それって本当に幸せな事なんだから。


 目標が達成できないなら、その前を。

 それが出来ないなら、更にその前を。


 出来る事から少しずつやって行けば、必ず手は届く。

 あの人に教わったんだ。



「目的自体は単純なんだ。だから、まずは―――」



 僕達は、誰かの希望でもあるから。

 僕達自身に力がなくても、存在そのものが誰かの生きるための力になるというのなら、助けになるのなら。


 

「いこっか、そと。とりあえず、都市の復興。でしょ?」

「……ん」

「……やっぱ殴られ損かよ」

「ふふ……。陸君。支え、いりますよね?」

「うん、お願い」



 肉体的にも、精神的にも本調子じゃない。

 そもそも、完全に立ち直ったわけでは決してない。

 今だって、一人なら泣き通しだったろう。


 でも、だからどうした。

 この程度で折れるなんて―――あの人だって思ってないだろう。


 もし、ただ一時でも教えた弟子に情けをかけただけ。

 心が折れて、元の世界に帰るだろう。

 本当にそうだったのなら……、そう思っているのなら……、酷い勘違い、僕達をまるで理解できてない。

 先生失格で。


 そんな考えなら。

 ―――いっそ、あの時殺しておくべきだったと後悔させてあげるよ。

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