第14話:本当に信じているのならば




「何でっすか! 総長!」



 彼の声は大きいからよく通る訳で。

 本来、リザさんの執務室が位置する筈では無い方向からその声が聞こえた事で僕は足を止める。


 

「行かせて頂ければ、必ず」



 そして、どうやら二人だけではない。

 リディアさんもいるみたいだ。



「総長……コイツは良いから、俺だけでも許可を」

「いえ、私だけでも」

「俺」

「私を」

「……なりませんよ、二人共。我々が一存で決められることではないのです。それに、あなた達のソレはいささか過激と性急に過ぎる」



 部屋の中に誰が居るのかは容易に想像できたし、あの三人であれば僕が廊下に居ることも当然気付いていただろう。

 そう思い、取り敢えずノックを……。



「どうぞ。リクさん」

「―――失礼します」



 何の疑問もなく、間もなく促されるままに部屋へ入る。

 


「意識が戻られたのですね。お身体は―――……リクさん」

「リク様」

「馬鹿か? お前」



 と、すぐに咎めるような視線を受ける。

 ゲオルグさんまでその対応なのは意外だけど。

 

 最上位の冒険者ともなれば、ある種、人体構造の全てを理解しているといって良い。

 解体とかお手の物だろうし。

 こう動かせばこうなる、逆にこうすればこうなる……たった数ミリの誤差が命取りになる繊細な体裁き。

 それらを瞬きの時間にも満たない間に、脳が送る信号の限界を遥かに超えて連続で駆動する、し続ける。

 この人達なら、僕の身体の状態なんて自分の事のように分かるだろう。


 けど。



「無理をしてるのは分かってるんです。でも、お礼が言いたくて」



 本当は、他に理由があった。

 けれど、眉を顰めた三人に見つめられてしまって、まず最初に言い訳のようにソレが出てきた。

 母親に叱られたとき、必死に脳を回転させる子供みたいに。



「僕は、途中まで意識ありましたから。……護ってくれて、有り難うございます」



 ………。

 ゲオルグさんもリディアさんも、今すぐにでも依頼へ乗り出せますといったいで立ち。

 武器だって背負っている。

 座すままに、朗らかにお喋りなんて思ってはいなかったけど、流石にこれは予想外で。



「それで……何、してるんですか?」

「なに、とは」

「ぶん殴りに行くに決まってんだろが」



 正直意味が分からない。

 ハッキリ厄災だ。

 最上位冒険者が全力で敵対してくる……一国家として考えればそれはこの上ない絶望。


 けれど……。

 リザさんが止めるのも、分かる。

 こと今回に至っては、彼等のソレでさえあまりに無謀だ。

 

 この際、彼等からは目を逸らして。

 冷静に座り続けているリザさんへ視線を移すけど……でも。


 やっぱり。

 いつだって余裕を失わない彼女すらも、今は少しやつれて見えて。

 ふと、視界に入る書類。


 それ等には、見覚えのある国印や国旗などの意匠が見受けられる。

 アトラ大陸に在する大国の親書? ……いや。



「リザさん。それは―――?」



 ……少し逡巡して、或いは自分が勘違いしている可能性が浮上する。

 今しがた二人が言っていた「行かせてもらえれば」という言葉、ゲオルグさんの「殴る」という言葉。


 もしそれがあの人の事でなければ。

 そして、この目の前の書類。


 悪い予感……悪い夢。

 そう思いたかった。



「ギルドへの嘆願、とでもいうべきでしょうか。同盟国同士での連盟の物が主ですが」

「……―――はは」



 けれど……笑ってしまった。

 本来、決して笑うべきではないものなのに。


 ある程度、政治や国家というものの裏が見える。

 これまでの旅と、師の教えが齎した影響によって、それの意味する所が分かってしまう故に、笑ってしまった。



「―――これって」



 ………。

 ……………。



「つまり……この混乱に乗じてギルドへ更なる自国の要人を、とか……自分の国の権益を、ってことですか?」

「……………」



 沈黙の肯定。


 大陸議会の襲撃で、セキドウは機能不全。

 各国の要人を護る筈のギルドは大打撃を被った上、その依頼は成功とは言いずらく。


 そこに漬けこんで。

 弱った状態のギルドへ、不利な話を飲ませようとしている。


 ……正気なの?

 


「僕……意識を失う前に、確かに聞いたんです。アレは……あの宣言は、夢だったんですか?」

「「……………」」



 権益の問題じゃない。

 損益や交渉なんかの問題じゃない。

 人の、人間種全体の危機、あまりに多くの人の命が掛かっている問題……人間国家全体が纏まるべき、この上ない状況の中で?


 この期に及んで、自分の利益? 権益の拡大?

 人類の為、人間種を守護する為に存在するギルドへ……命を賭して彼等を護る為に戦ったギルドや冒険者への返礼が、これ? 


 馬鹿げているにも程がある。

 自分たちの住んでいるマンションが今に全焼する程の火災が発生しているっていうのに、別の家に価値のあるものを盗みに入っているような物。

 自分の首をあらん限りに絞めている。

 今に自分が焼け死のうとしているのに、それすら分かっていないような。

 


「分かってない筈がない。何で、そんな事」



 じゃあ。

 僕は―――僕達は、一体何のために……何を護る為に戦ったの?

 果たして、僕達の任務に意味はあったの?

 


「申し訳ありません、リクさん」



 それは、何への謝罪だったのか。

 果たして、リザさんがしなければいけないものだったのか。


 僕は知っている。

 彼女がどれだけ大勢を見つめ、どれだけ先の事を見据えて……どれだけ多くの人の為に動いているのか。

 彼女には何の非もない筈なのに。


 でも、その謝罪が僕の頭に冷静さを呼び戻す。



「……僕も、すみません。分かってるんです。今だから、なんですね?」

「人間とは。人とは、そういうものなのです」



 例え共通の敵が現れたとしても。

 自分たちが淘汰とうたされるされないという状況でも。


 そんな中でも、己の利を求めずにはいられないし、敵を討滅した後の事を考えずにはいられない。

 ある種正しく、ある意味では理解できない思考。


 主観的に、あまりに愚かな思考。

 だけどそれは国を動かす者にとってはなくてはならない行動力であり、知識であり、責務。

 客観的には……、間違ってはいない。

 



 ―――人間なんて、いつの時代もそんなものだろう? 




 ―――百年前の大戦も、三百年前の大戦も。人間同士で醜く殺し合い、資源を食い潰し。そして、我が魔皇国へ幾度と攻め上ろうとする愚かしき短命種。




 今なら。

 この世界で多くを見てきた今なら、あの人の言葉を多少なりとも理解する事が出来る。

 人間は、ずっとソレを続けてきた。


 数千年前の滅びも、恐らくは。


 確かに、人間っていうのは……。



「……あの。二人は、どうして?」

「ムカついたから」

「……有体に言えば、同じく。義憤というべきでしょうか」



 本気で言ってるのかな、この人達。

 いっそ、むしゃくしゃしてて暴れたいから、体の良い相手を探してるって素直に―――……じゃなくて、ギルドの為とでも言っておけばいいのに。


 僕も、それくらいの気概があれば……。

 


「入ってきた時から辛気臭ェ顔してたくせに、更に沈むんじゃねえよ。見てて気分わりィ」

「……スミマセン」

「んだからッ―――ハァ……」



 今に、ゲオルグさんは僕の方へ歩いて来て。

 僕の肩に手を置こうと―――え、怖いんだけど。



「避けんな」

「いや。だって―――肩の骨とか砕け割れそうですし」

「お前は俺を何だと思ってんだ?」



 それは勿論……、歩く厄災とか。

 竜と相撲できるような人はちょっとムリって言いますか。

 ゴリラみたいな……ううん、ゴリラって、言う程ゲオルグさんじゃないよね。

 


「ちげェよ。……話がある。場所変えんぞ」

「……僕に言う割には、ゲオルグさんも随分しおらし―――」

「殺すぞ」



 今度こそ肩を組まれ、ヒソヒソと交わす言葉。

 あの二人の聴力ならまず聞かれてない筈はないけど。


 リザさんには聞かれたくないってことなのかな。

 好きな人には自分の嫌な部分見せたくないのは同意するけど。 



「相談事ですか。私も同行しましょう」

「付いてくんな殺すぞ」

「聞かれて困る話をするのであれば、猶更ソレを許すつもりはありません。それに、セレ……いえ」

「あ?」

「許すつもりはありません。今のリク様の身体ならば、猶更」



 ……今、セレーネ様って言いかけたかな。

 もしかしてリディアさん、彼女から何か命令とか―――されてるんだろうな。



 ………。

 ……………。



 ………。

 ……………。



「―――リク。歯ァ、食いしばれや」



 言われるままに、三人で臨時の執務室を出て。

 ギルド本部の地下に位置する訓練場に着た途端、彼が発した第一声がこれ。


 リディアさんが居るからと、油断していたのもあるけど。

 掛けられた声に振り返る間もなく、既に拳は目の前。

 

 あ。

 これ、ヤバ―――……。


 風圧。

 今まで感じていた身体中の痛みを一瞬忘却する程の背筋の冷たさ。

 頬を掠めて抜けていく剛腕。

 幹のように硬く芯の詰まっていそうなそれには幾多の戦闘の記憶である古傷と、尋常じゃなく太い血管が幾本も伸びている。


 ……そこまで、見届ける。



「―――ッ。……いきなり、何するんですか」

「はっ」

「……………」



 冷たいものが頬を伝う。

 動く様子のまるでなかったリディアさんと、ニヤリと笑うゲオルグさん。

 二人の意図が読めない。



「おい、リク。俺ァ、マジで当てるつもりでぶん殴ったんだぜ? 並みの上位冒険者なら、まずぶち当たってた。怪我? あぁ、してるな。精神状態? ボロッボロのカスだ」

「……ッ」

「んで? 特別大サービスだ、言ってやる。今のお前は、間違いなく俺らと歩ける側だ」

「―――……僕には、異能が。ライズが、ありますから」



 この世界ではない、地球の神様から授かったという僕の異能。

 僕自身の……そのものの力じゃ断じてない。



「馬鹿野郎が」



 ゲオルグさんは、右足を床からほんの数センチ上げ、振り下ろす。

 ……轟音。

 地震が四方を震わせ、特殊素材で構成された床に蜘蛛の巣のような長大な傷が刻まれる。



「お前のソレは、一度でも必要があんだろうが。俺の攻撃が―――最上位の攻撃が、そんな甘っちょろいモンだって言いてェのか? あ゛?」

「―――ゲオルグ」



 ………。

 ……………。


 

 ゆっくりと。

 なんとなく、彼の言わんとする事が見えてきた。



「言葉は強いですが。リク様。およそ、コレの言う通りです」

「……………」

「異能が授かりの力だとして。それを十全に引き出す頭脳と、併用する数多の技術、そして魔術。貴方の強さは、あなたのモノ。それが変わる事は決してないのです。私自身、血筋による権能は己のみの力だと胸を張る事は出来ませんし……例え、異能を失ったとして。貴方は、自分を弱いと思えるのですか?」


 

 もし、ある日突然異能が使えなくなったら?

 考えた事は―――ある。


 小説や、漫画の主人公も。

 彼等も、ある日突然自分の根幹たる最初の能力がなくなった時―――果たして、そのまま物語を続けられるか。



「……僕は」



 初めは、何もできなかった。

 ゴブリンと初めて相対した時の恐怖は忘れもしない。


 元上位冒険者と一騎打ちを行った時。 

 敵の慢心とライズのお陰で、勝利できた。


 初めて魔人と相対した時、暗黒騎士ヴァイスと戦闘になった時、竜と戦った時。


 じゃあ、異能を失った時。

 今の僕は果たして、それらに手も足も出ずに敗北する?


 恐らく、ある程度は食い下がれるはずだ。

 今の自分なら、異能を失ったとしても、戦力半減という程ではない筈だ。

 

 いや、でも。

 五日前に感じた無力感は……アレは、始めのソレと全く―――



「本気で分かってねェなら、言ってやる。ありゃあ、だったんだよ」

「癪ではありますが、そうですね。重ねて、失礼を承知で申し上げますが。私達でも、何も事態を好転させることは出来なかったのです。貴方を、誰が責めるのです? 何故、そこまで己を追い込むのです?」



 ………無理。

 今までの会話、全てがその一言に集約されている。



「仮に、お前が俺やこの耳女とタメでやり合えるくらいだったとして。んじゃあ、本当に変えられたか?」

「……………」

「全部まるっと護れたか? あ?」

「……ッ」



 僕だけじゃない。

 怒りに震えているのは、己の無力を嘆いているのは、僕だけじゃない。

 それで尚。

 嘆いていて、二人は欠片たりとも揺れてはいない、軋んではいない。

 


「……本当に迷いがないですね、二人って」



 本当に、凄い。

 この人たちは、凄い。


 それしか考えられなくて。



「吹っ切れてさえしまえば、簡単なものなのです。リク様だって、出来ますとも。今の貴方には、貴方自身が幾多の死線を乗り越えて紡ぎあげた技がある。例えそのうち一つを失ったとして、貴方が折れることはありません。決して。何故なら……貴方は、まだのですから」

「―――……!」

「っつうこった。ちったァ自信取り戻せや。んなんで戦えんのか? 馬鹿が」



 僕は、折れてない。

 戦える。



 ―――誰と?



「戦、う?」

「うん?」

「あ?」

「……ぇ?」

「―――行くんだろ? アイツに会いに、殴りに」

「私も、そうお考えなのかと……。違うのですか?」



 ………え?


 

「何で……ぼく」

「だってお前―――疑ってんだろ? アレがマジだったのかってよ。アイツは、本当にそれを狙ってるのか。あのまま俺らが行かなきゃ、自分達は殺されてたのか。本当は、他に何か伝えたかったんじゃねェか……ってな?」

「……………」


「―――前に、聞かれたんだよ、道すがら。お前等が、本当に人間を殺せるのかって……そりゃあ、ガキみてェに怯えた顔でよ」

「ぇ?」

「お前ら四人と俺がセフィーロで会ってすぐ。アホ共をぶっ殺しに行った時の事だ」

「……………」



 それって。

 僕達が初めて人を殺した、あのセフィーロの一件?

 道すがら話したって……馬車で向かってる時?

 


「三百年生きてるんだってな。あの若作りジジイ。んで、お前等をめでたくもれなく死にかけ療盟士送りにしやがった。そんな奴が、当時お前等んことをカスにしか見てなかった俺に言ってきやがったんだ。すまねぇ、お前等を頼む、ってな」

「……!」

「意味不明だと思わねェか? マジで」



 ……本当に、意味不明なんだ。

 全然分からない。

 でも、それが決して希望でも何でもなかった時……その可能性を失うのが怖いから、僕は……。

 


「俺にゃ、結局野郎の考えなんざ分かんなかったが。……結局、この体たらくだしな」

「……………」

「ゲオルグ」

「が―――やろうと思えば、幾らでもやりようはあった。だろ? そこが分からねぇ」

「……あの。エルシードに来訪されてからの皆様しか存じ上げない私の主観ではありますが。彼は、常にあなた達の事を話していて、自慢していて。同時に心配し、考えている様子でした」



「私から見ても。皆様を……とても大切に思っていたのは、間違いないですよ」



 ………。

 ……………。



 思えば、そうだった。

 さっき臨時の執務室で話を聞いたときも……僕は、「行く」という言葉を真っ先に極東の国だと想像した。

 それは、多分二人の言う通りだったんだろう。


 僕は、無意識にずっとソレを考えていたという事。


 リディアさんも、ゲオルグさんも。

 二人も、行こうとしてる。

 


「行けば……分かるんですかね」

「そりゃ。まぁ」

「何かしらの確実な答えは見つかる筈です」



 拳を握る。

 打ちのめされる事は幾多もあった、悩むことは数えきれないほどにあった。


 でも。

 折れることはなかった。

 昔から、立ち直りは早い方だった。



「―――……スミマセン。急用、思い出しました」

「おう」

「無理はなさらないでくださいね」



 二人に別れを告げ、歩く……走る。



 そうだ。

 最初から、する事は一つだった。

 ………皆に、話さないと。皆と、話さないと。

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