第13話:崩壊する日常
待って―――待って……。
「お別れだ、リク」
「せん……せ、い」
待って。
手を伸ばし、身体を引き摺る。
でも、どれだけ精一杯伸ばしていても、その姿は何処までもどこまでも遠ざかっていく。
気付く。伸ばした手についた、べっとりとした朱。
そして、開いた差を埋めるどころか、いつしか自分が動いていない事。
血溜まりの中に居ることに、気付く。
もがけばもがく程に身体から流れ出るものは広がっていく。
―――動けば、死ぬ?
「……嫌だ」
片腕の感覚がない、片足の感覚がない。
でも、それ以外を引き摺り、引き寄せ……前へ前へと身体を進め続ける。
怖いのは、死ぬことなんかじゃない。
失うのが怖いんだ。
だから―――行かないで。
待って、待って……お願いだから、待って……!!
………。
……………。
「待って下さいッッ!!」
………。
……………。
「……ぁ」
―――ここは?
差し込んだ光明と共に、まず最初に目に入って来たのは真っ白な天井と、伸ばされたように写り込む自身の右腕。
差していたのは、木製の小扉が開け放たれた先から差し込む陽光。
夢……、僕、腕を伸ばして。
全部……。
全部、ゆめ?
でも……この天井も、窓も……見覚えはあっても、僕が普段から知っているものじゃ。
「……陸君?」
「―――――」
「陸君……!」
その声が聞こえて、ようやくベッドの傍らに誰かが居ることに気付く。
黒髪の少女は感情が溢れたように、しかし彼女らしい遠慮がちな動きで身体を寄せてくる。
……髪は乱れている上に瞼は泣き腫らしていて、今まで見た事もないくらいに
「陸君―――良かった……!!」
「……美緒」
夢ではない、血液の熱さでもない、確かな人肌のぬくもり。
それを感じて、改めてその一室を見渡した僕は、そこが白塗りで非常に整理の行き届いた場所であることを理解し。
薬品の香りに満ちている事、ここには僕達二人しかいない事を理解する。
「―――これ。分かり、ますか?」
涙の浮かぶ瞳のまま、彼女は仰向けに横たわっている僕によく見えるような状態で指を二本立てている。
患者によくやるタイプの問答かな。
………。
……………。
夢、じゃないんだ。
脳が覚醒する程に、体の違和感に気付いて。
「え、と……何も見え―――あいえ、二本、です」
「……………目も。大丈夫、です」
彼女が怒る場合、大体は激情に身を任せるっていうより無言無表情で見詰めてくるから。
それが、むしろ怖くて。
今も、その兆候が見えたから急ぎ回答を改めたけど。
確かに。
冗談でも言わなきゃやっていられない状況でも、言わない方がいい場合もある。
「美緒。ここは―――療盟士の?」
「はい、本部です。皆、ここに運び込まれたんですよ」
「―――ッ!! 康太と春香は!?」
二人共、僕が意識を失う直前はリザさん達が護ってくれていた筈。
でも、あの後更に何かがあったのなら……。
「………ふふ」
美緒は、安心したように。
その次に、呆れたような顔で。
「春香ちゃんは―――……私より早く。康太君も、二日前に」
「……二日?」
康太は身体を袈裟に斬られたうえ、更に凄い衝撃で吹き飛ばされていた。
美緒だって、同じく……。
僕がそこから一日二日寝込んだとしても、一日そこらで治るような怪我の筈は……。
「そんな筈……―――ちょっ!?」
唐突に、彼女が自身の上着を軽く捲る。
その下には当然、臍部……へそ周辺の白い肌が―――そして、既にかなり薄くなった刀傷が伺えて。
思わず上体を起こす。
そうでもしないと、今に意図せず下から覗き込んじゃいそうだったからだ。
「触って、みますか?」
「ゴメンなさいゴメンなさい疑ってないです早く隠してくださいお願いします」
血圧とかも上がるって。
やや俯いた状態でずっと瞼を細めたままの彼女は、変わらない表情で服を戻し。
引き換えのように、起き上がった僕へと身を寄せてくる。
「五日たってます。もう、二人とも退院済みです」
「……………」
「一番危なかったの、陸君なんですよ? 全身に深手を負ってて、何処から手を付けたらいいのかって、エムデさんも凄く焦ったらしくて……どうですか?」
渡されたのは、片手持ちの鏡。
成程。顔も―――ん。
「ちょっと後ろ向いててもらって良い?」
「……………」
両手で目塞ぐ方針なのね。
でもそれ、微妙に隙間から見え―――……いっか。
ボタンで留まった簡素な服を胸の部分から広げてみる。
………。
……………。
……ゲオルグさんみたいだ。
「男前が上がった……かな?」
「怒りますよ」
ゴメン。
でも、もう怒ってるよね。
あとさっきより指の間に隙間出来てないかな。
確認した限り、身体中が刀傷だらけで……そのどれもが、内臓一歩手前くらいには深かったことが分かる。
治療法が縫合とかだったら、それこそ手が付けられないどころか、手の施しようがない。
流血だって、多分致死量ギリギリだった筈だ。
魔術のある世界で良かった、本当に。
「―――……ねぇ、美緒」
そして、己の無事が確認されたのなら……後は。
「さっき、美緒より早く退院した筈の春香……言葉迷ってたよね」
「……!」
―――そっか。
やっぱり、そうなっちゃうんだね。
当然か。
およそ、先生は春香にとって本当に信用できる、信頼しきるに足る人物で……。
「あの……陸君。春香ちゃんは……、その」
「………僕。ちょっと出てくるね」
立ち上がろうとして分かる。
左手と右足の感覚が希薄で……全然力が入らない。
それでも、立つ。
途端に、全ての感覚が戻って来たかのように熱を帯びる身体。
「ダメです! 安静に……!」
「もう大丈夫だよ。むしろ、軽くでも身体を動かさないと、なまっちゃうし……ね。大通り、ちょっと歩いたら戻って来るから……、ゴメン」
静止の声に耳を傾ける事無く部屋を出て扉を閉める。
美緒は追ってこなかった。
白塗りの壁、床……病院というにふさわしい通路を標識に従って一人歩き、受付さんに見つからないように大通りへ飛び出す。
外の空気を吸う頃、自分が最低な人間だと意識する。
大切な女の子の手が震えていると、分かっていた筈なのに。
何も言葉が見つからなくて。
こうして、逃げてきて。
今は誰とも話したくないと、あの場から逃げ出してきて。
「……ッ」
息苦しい。
全身の至る所に熱がこもっているようで、じくじくと痛みがある。
今に全ての傷口から何かが出てきそうな、自分が傷だらけの頭陀袋にでもなってしまったような感覚。
多少の怪我くらいなら、ものの数時間もあれば痛みも無くなるのに。
「―――……」
でも。
僕が言葉を失ったのは、それ以上に。
瓦礫の散乱した通り、無造作に置かれた角材と、手付かずの補修資材。
道行く人の顔に明るい感情は殆どなく。
やってくる荷車は補修資材、去っていく荷車は……家財などが山積みで、まるで遠くへ引っ越すかのような。
世界で最も安全な都市とさえ言えるセキドウが……まるで。
まるで、戦場になった市街のような。
思い出の詰まった景観が、まるで嘘偽りだったかのような。
目を背けたくなる光景が広がって。
………。
……………。
『奢ってくれるんですか?』
『今回の依頼、かなり頑張ってたみたいだからね。いつもより上等なものを食べても文句は言われないさ』
『わはーー!』
長期の依頼が上手く行った時、よく彼の奢りで通った。
倒壊した高級レストランの前を通り抜ける。
………。
……………。
『どっか行ったかと思ったら、小銭稼ぎのバイトなんかしやがって。あぁ、そっちにも……先生、足元です』
『ちょっと散らばり過ぎだね。―――ミオ、箒とちりとりを』
『最低です、二人共』
道幅の広い大通り。
宵は、常にお祭りのようなにぎやかさと温かさ、僅かな寂寥感を与える景色。
昼過ぎの時間であること以上に、作業が追い付かないのか、潰れたまま放置された状態の露店。
それらの前を、通り抜ける。
………。
……………。
少し前まで、当たり前にあった筈の光景……当たり前だったはずの日常は。
あって当然の景色が、ない。
………。
……………。
分からない。
何がなんだか、分からないよ。
「―――本当に、ヤバいんじゃねえのか?」
「俺らD級冒険者に何が出来るってんだよッ。A級の戦力は勿論、ゲオルグさんや天弓奏者だって……総長だっていたんだぞ!? それでこのザマって……」
「……少なくとも、東側から中央までは全滅じゃないのか」
「上位魔族って、一匹一匹がS級レベルなんだろ!? 無理だろ、そんなの! 見ただろ!? お前等も! 飛竜種が、百匹は居たんだぞ!?勝てる訳がねぇ!」
―――大陸の勢力図は大きく変わる。
―――人類の生存圏が現在の半分以下になる。
―――大国が軍事力を結集した所で。
聞こえてくる内容は、どれも悲観的なものばかり。
混じっている言葉の中には、少し的を外れた知識や、考察なども多大に含まれている。
同時に、僕達がどれだけ真実に近い情報を享受できていたのかという事を実感する。
渡り合える、勝てる。
S級冒険者なら、上位魔族が相手でも。
でも、最上位魔族……六魔将の領域になれば、単身で勝利を収められる人間などはまず現れない。
最上位冒険者でも、例外ではない……と。
それも、あの人に教わった知識。
「くそッ。一年でどうしろってんだよ……」
「もう、村帰って家業つぐかなぁ、俺」
……一年?
「……―――宣戦、布告」
あの時、確かにソレを聞いた。
それを思えば、聞こえてくる言葉の多くは納得できるものだった。
大陸の勢力図……人類の活動区域は半分になる―――これは単純に、魔族たちが西側へと進出する事は魔素の影響でほぼ不可能であるから。
侵略できても、中央のセキドウ周辺までだろうからだ。
大国の戦力を結集しても、というのも正常な思考だ。
事実、最上位魔族や龍種、一部の幻想種が単身に持つ力は、単純に大国をも凌駕するとされている。
………。
でも、思えばあの言葉を最後に僕の記憶は途切れていて。
その後、何があったのかを僕は知らない。
リザさんになら聞けるのかな。
今は、凄く忙しいだろうけど。
身体の怠さは増していくばかり。
療盟士本部を出た頃より熱く、重く、怠い身体を引き摺って……ようやくたどり着いたギルド総本部。
大会議室が存在していた奥まった棟は、三階部分が丸ごと吹き飛び。
他の棟も……まるで地震で割れたように大きく別たれた幾つもの跡は、およそたった一回の斬撃でできたもの。
施設全体は、内側より外側から見た方が更に酷い有様で。
そんな中でも、冒険者たちの出入りはあり。
依頼も、多数張り出されている様子で……いや。
その多くは、都市内部の作業が主なのかな。
……ここまで来て、ようやく気付く。
目覚めるまでに五日となれば、かなりの日数にも思えるけど。
都市全てを束ねているリザさんにとっては、果たして。
「……やっぱり」
時間を取らせること自体が悪い事かもしれないと。
ここまで来ておいて、思考があまりに優柔不断で。
「勇者様……!?」
「―――ぁ。こんにち……」
「お身体は! ご無事で!?」
「僕は、全然。……依頼、沢山あるみたいですね」
「―――ハハッ……。普段、こういった危険の少ない依頼こそ、平の冒険者がこぞって受けたがるんですがね」
その人達は……うん。
多分、怖くなっちゃったのかな。
「魔物の手も借りたいくらいですよ、全く」
「……はは。後で手伝いますよ」
「―――本当ですか!? これは……、勇者様が従事してくれるとなれば、多くの者が手を挙げるでしょう!!」
軽い会話と共に、ギルド職員さんとすれ違う。
……強くなったつもりだった。
冒険者が目指すべき、果ての領域へ……彼等の側へ、踏み込むことが出来たと。
そう、思っていた。
けど……あの戦いで、僕は何も出来なかった。
今は―――僕は、何をしたいのかな。
彼等、酒場でお酒を飲み、出来るだけ安全な依頼だけを受けて日々を暮らしていた冒険者のような生活?
或いは、等級に相応しい、想像を絶するような魔物を相手にした命懸けの戦い?
……答えは出なくて。
僕は―――もう、折れちゃったのかな。
それでも、やっぱりあの日の事を聞く為に……やはり、歩く。
「―――――何でっすか、総長!!」
そんな時。
聞こえてきた聞き覚えのあるソレは、ゲオルグさんの声だった。
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