第14話:茶を啜るなり




 王都より西に広がる地方は、大陸でも最も肥沃ひよくな土地が数多く。

 カルディナやミンガム、グラッスロー、グラウ……魔皇国の主要な領の半数以上が西部に属する。


 王都より南方。

 妖魔種の名家が数多く類し、有名な領ならばローレランス家が治めるシャルンドアが挙げられる。

 特異な進化を遂げた魔物も多く存在し。

 更には、アベールを始めとした未だ手付かずの自然地帯も多い。 


 王都より北方。

 何処までも続く街道の先に広がる、広大かつ特異な気候を有する土地、その全てはロスライブズ領に属する。

 環境としてはこの上なく荒廃しているが、産出する地下資源は大陸でも随一。


 そして、王都の東側に当たる地域。

 魔皇国と果ての海を隔てる霊峰を取り巻く一帯……そこは、農業区画であり。


 国唯一である公爵の治める地……と、便宜上呼ばれている。



 ……………。



 ……………。



 耕作地帯の、のどかな光景が広がる田畑。

 いわゆる、田園風景。

 それが一面に見渡せる家屋群の離れ……懐かしい香りを放ついおりに、俺は居た。


 外面を取り繕うこと無く、騒ぎ立てる者もなく。

 一定の動作で液体を攪拌かくはんする音だけが、ゆったりと流れる時の中でやけに大きく響く。


 ススと差し出された椀を持ち。

 ゆっくりと傾けると、口の中に広がる特有の苦み、深み……確かな旨み。


 このあまりに繊細な味が、あの剛腕から繰り出されたという事実。

 重ねて、あまりに信じがたいものだが……ふむ。



「―――相変わらず。茶だけは旨いな、爺」

「えぇ。本当に、美味しいです」

「ふん、大人しく飲んどれ。今、集中しておる」

「その菓子はどうだ?」

「……悪くは無いの。これは、コレで」



 集中ったって。

 注ぐのが終わったら、後は口動かしてるだけだろうが。


 この場に居るのは、三名。

 右から順に、爺さん、爺さん、爺さん。


 ……老人ホームではない。

 しかし、二百年以上を生きている俺が、平均年齢をいちじるしく下げているという知りたくもない事実には、正直恐怖しか覚えず。


 とは言え、流石に相手が悪いのだろう。


 魔皇国の逝ける……っと、間違えた。

 生ける伝説、【龍公】アダマス・ドラコニカ。

 本来何ものにも縛られぬ筈の種に在って、建国当時より魔王の配下として在り続けた、異端にして最強の龍種……第二形態完備、もうお前が魔王やれの権化。

 

 そして、魔王と龍公に続き、魔皇国でも第三位の長命者にして国政の要。

 二度目の生もそろそろ終わりか。

 俺たちの誰もが認める国家のナンバー2、【宰相】バルガス・アルシディア。

 六魔将、その他諸々の癖もアクも強い怪物たちを、陛下以外で唯一纏められる者。

 俺と彼等が絶対の信を置く賢者。

 

 我が国における文と武の体現者、そして俺。

 三人が、広がる景色に視線をやりながら、並んで座敷に座り込み茶を傾ける。


 まるで、隠居連中だが。


 当然、そういう訳ではない。

 この高齢社会に在って、たかが寿命を迎えた程度で仕事を辞められるわけはなく。

 更には示し合わせたわけでもなく……本当に、偶々三者の休みが一致しただけなのだ。


 恐ろしい事だろう。


 宰相閣下の休みなど、超の付くレア物で。

 俺だって休暇などほぼない。

 更に言ってしまえば、爺は爺で、やる事は一応存在している訳で……この三者が集って茶を啜っている様は、あまりにレアな光景とも言えるだろう。

 もしもここが王都の通りに面する茶店だったなら、まず通行人の二度見と店員の卒倒が約束される程度には。


 まぁ、だからと言って。

 何か特典があるわけでもないのだが。



 ―――ズゾゾゾゾ。



「近頃、王都では鶏卵や乳の需要が増加しているというのは存じていましたが……成程、今の流行りはこういうモノなのですね」

「近頃、と言っても。ここ十数年はずっとですけどね。プリン、ケーキ、クッキー……今や、ずっと最盛期だ」

「―――はは……。年月の流れを感じてしまいます」



 外出できな過ぎて、箱入り娘になりかけてるし。


 どれだけ外出てないんだ? この御仁は。

 宰相とは名ばかりの、禁固刑でも受けさせられているのか?



 ―――ズッゾゾゾ。

 


「いかに賢人でも、知らないものまでは仕方がありませんね。この機会に、今の流行を抑えておきますか? 色々と持ってきたので」

「アルモス殿にお任せしますよ。この茶に合うものを」

「承りました」

「―――ズッゾゾゾ」



 えーーと。 

 茶に合うもの、茶に合うもの……。

 ……………。

 


「―――ジュルルㇽㇽㇽ……」

「おい爺、何度言わせれば分かる。茶じゃねえんだ、スプーン使え」

「ジュ?」



 む、じゃねぇよ。

 幾ら雰囲気に合うように碗に固められてるからって、本当に湯飲みみたいにゴクゴクいきやがって。



「ぷりんとは、こののど越しこそが真価と見つけたり」



 訳の分からんことを言うままに。

 耄碌爺が、良く冷えたプリンを豪快に啜る。


 普段が煎餅とか、素朴なものを茶の友としている影響か。

 卵たっぷり、バターギトギト、油分たっぷりの洋菓子系統が実に物珍しいのだろう。


 ソレにしたって喰い過ぎだが。

 余程気に入ったらしく。

 世界初、糖尿病でポックリ逝く龍ってのが誕生しそうだな。



「くくくっ。懐かしいですね。未だ、アルモス殿がこの国に来たばかりの頃を思い出します」

「……勉学に忙殺される私を横目に、二人で茶を酌み交わしてましたっけ」

「懐かしい話ですよ」

「……はは。あの頃は、まだ今よりはマシな仕事量でしたね。お互い」



 当時は、爺とバルガスさんも定期的に茶を交わしていたし。

 俺の仕事量も……まぁ、まだマシだった。

 爺の所為で数えきれないほどに死に掛けたし、バルガスさんの座学で神経が焼き切れかけもしたが。


 それでも、今よりはまだ自由時間もあった。



「……父は、常々言っていました。いつか、かの騎士が戻ってきた時。あきれ果て、物も言えぬ程の都市を……国家を造り上げるのだ、と」

「驚きは、山ほどありましたよ。今となっても、驚かされる事は多い」


 

 自分の残業時間とか、な。  

 管理職だから残業代でねぇんだけどさ。


 彼もまた、俺の内情を詳細に知る一人。

 全てを知る数少ない一人で。



「しかし、結局貴方に頼ってしまう面も多かった。父は……くくっ。きっと笑っているでしょうね。口惜しさを交えつつ―――かの騎士が、また馬車馬の如く働いているぞ、と」

「ははは」



 絵本の物語、御伽噺が示す通り。

 かつて、この王都にほど近い場所には、一つの村があり……。


 魔皇国の初代宰相。

 当時は、まだそう呼ばれてはいなかっただろうが……その地位に就いていたのは、現宰相の父親。

 当時の、村の長が息子だった。


 バルガスさん同様、彼にも沢山世話になった。

 色々と、無茶ぶりばっかりしてな……。


 ―――陛下曰く、あの本の著者は、初代宰相らしく。

 

 日々、薄れゆく記憶の中。

 決して、忘れぬように。

 そして、世界の何処にいようと……かの騎士が、必ず戻ってこれるように、自分達は待っていると。


 そう思ってあの本を残した、と。

 だからこそ、大陸中……多くの種族の言語に訳され、広められ、あの物語は今へと伝えられた。



「歴史に残る、紛れもない偉人ですよ。―――しかし、今でも、彼が彼女の心を射止めたというのが面白……意外でしたけどね、私は」

「くくくっ……。私もです」



 息子にまで言われるか。

 相も変わらず不憫枠だな、ポンドさん。



「大いなる龍種すら魅了した母が。彼女が、何を以って父を選んだのか。今となっては、私が知る事はありません」

「ですね。……爺、どう思う」

「……しらぬ。物好きの考える事などは」



 爺の弟もまた、当然に龍種。

 本来、個にして完結された生命である彼等だが、爺のような例もあって異端者は多く。


 というか、生態がまるで統一されない故、異端じゃない龍が居ないというべきだが。


 【魔公】ムート。

 この土地からも望む事の出来る大山……広い霊峰の何処かに今もいる筈の龍の初恋は、やはり魔族の女性。

 老宰相の母親で。

 失恋こそ経験したものの、結局性癖がねじ曲がってしまったのか……その龍は、結局妖魔種の女性との間に子を作った。


 結果、その子孫として。

 魔の極致である龍の血を魔力全振り、若作り全振りで十全に活用しているのが、イザベラという訳だ。

 


「本当に、懐かしい話だ」

「えぇ、……えぇ。いけませんね。この歳になると、感傷的になってしまい」



 ……マジで泣いてるのか?

 口元を緩ませながらも一方の掌で両瞼を覆う彼は……、ゆっくり俺へ向き直って。



「アルモス殿。今のうちに伝えておきましょう。貴方が逃げぬうちに」

「………え?」

「年末の祝宴には、当然出席していただきますよ」



 ……………。



 ……………。



 畜生。

 色々と懐かしい話で逸らしに掛かった筈なのに、無理やり通してくるか。

 流石は宰相。

 休暇中でも仕事の話とは恐れ入った。



「アダマス殿も、お忘れなきように」

「うむ……、む」



 俺も、爺も。

 陛下以外で唯一逆らうことのできない、頭の上がらない相手がこの老宰相なわけで。


 間接的ではなく、こうも正面から言われれば屁理屈をねる事も出来ない。


 しかし、短気爺の事。

 本人へ不服をぶつけられないと見た龍は、身に纏う着流しをひらりと靡かせて庭へ降り。

 切れ長の鋭い黒眼を、こちらへ向ける。



「来い、わっぱ。暫し揉んでやる」

「……久々だな」



 結局の所。

 百年二百年程度の時間で、全てが変わるという事など決してなく。



「―――これはまた、懐かしいですね……」



 畳の上に置かれていた武器を手に庭へ繰り出した俺と爺は、よーいドンの合図なく剣を交える。

 容易く肉を。骨を断つ鋭さの刃が火花を散らす。


 かつては、毎日のように繰り広げられていた筈の光景。

 今や、あまりに贅沢になってしまった死合い。


 その、ただ一人の見物客は。

 老宰相は、何かを思い起こすように顔を綻ばせて。



「あなた方は、いつだってそうでした。いつだって、お二人は―――後に続く者へ、道を示し続ける。剣一本。その身、一つで」



 懐かしむように湯呑を傾ける老爺。

 彼自身、稀に見る休息……のどかで、あまりに贅沢なひと時なのだろう。


 

 ……………。



 ……………。



(―――おい、爺)

(うむ……あ奴に聞かれると困るからの)

(今回の口実はどうする。同じ手なんか通じる筈もないぞ)

(分かっておる。差し当たっては……)



 だが。

 実際の所、この剣舞は彼の思うようなものでは決してなく。


 応酬に隠された真の目的。

 バルガスさんに隠れるように、鍔迫つばぜりり合いの最中に交わされるヒソヒソ話。

 議題は、無論……。

 


((祝宴、出席したくない))

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