第13話:魔王の懐疑




「―――陛下。騎士アルモス、只今戻りました」



 ……………。



 ……………。



『……入れ』



 長い沈黙の後。

 重厚な扉の奥から確かに得た了承と共に、踏み入れる空間。

 彼女―――魔王の自室は、非常に簡素なもので。

 そもそも。第十階層というのも、王城全体から見れば天上裏の一角のような物であり、法外的な広さはなく。


 しかし、女性の私室とは思えぬ中性的な空間に在って。

 一見すればシンプルな造りに見えるそれら調度品は、どれも実用性重視かつ造りの丁寧な品ばかりで。

 


「……うむ、……うむ」



 極薄の、漆黒のランジェリーを身に纏った彼女は、実に座り心地も造りも良さそうな……執務机のお供にぜひ欲しい腰掛けに深く身を預けていた。

 

 身の丈は、それこそ130センチあるかどうか。

 本来の姿のまま、しかしその幼い外見にまるで似合わぬ老眼鏡を掛け。

 あまりに分厚い古書を半ばまで読み耽っていた彼女は、こちらをたった一瞥いちべつだけして、再び本のページを―――読むの早っ。



「……………」

「―――え、早っ」



 マージで速い。

 一ページ当たり、一秒と掛けていないだろう。

 ペラ……、ペラ……ではなく―――ペラペラペラペラ……と。


 彼女は、風が本のページをくような速度でソレを読み続ける。

 俺、たった一瞥されただけ。

 「入れ」とか言っておいて、本当に入れただけかよ。

 

 第二次軍部改革以降……詰まる所、六魔将制度の制定以降だが。


 本来、最終的には国家の頂点に君臨する彼女へ通される多くの政策。

 それらは宰相と六魔将の担当する業務の一つとなり、只でさえ仕事をしなかった魔王は、更に己の時間をエンジョイするようになった。

 謁見の間より、10階層に引きこもる事が多くなった。

 宰相さまはそろそろめでたく二度目の死を迎えるだろうが……まぁ、それは良いとして。

 

 俗に、前以上に暇になったわけだが。

 その上で、まだ時間が惜しいようだな。


 何か、若干機嫌も悪そうだし……、待つか。

 彼女は、言わば気ままな猫。

 気が向くまま牙の向くまま……天井天下、唯我独尊の絶対君主は、今日も気まぐれに生きている。


 何者も、誰であろうとも、それを邪魔する事は叶わず。


 邪魔出来ないのなら、仕方がないし。

 先に、一人で頂こう。


 毎度、このコルクを抜く瞬間が―――


 

 ……………。



 ……………。



「―――おい」

「………如何しましたか?」

「主のねやへ、小脇に酒瓶を抱えて入ってくる臣下があるか?」



 ここにいるぞ。


 だって呑みたいもん。

 凄く疲れたんだもん。

 一番リラックスできる時くらい、好きにさせて欲しいものだ。 



「あぁ……、つかれた」



 ドカリと、あまりに上質な絨毯の上に腰を下ろして。

 俺は、大きく力を抜く。

 

 不遜にも程があるし。

 あり得ない事だろうが、もし誰かに見られれば、俺はたちまちの内に不敬罪で地下牢へ出荷されることだろう。


 昔は、催し事の時だけ張りつめていれば良かった。

 公の場のみ、真面目に取り繕っていれば良かった。

 だが、近頃は……、王城内の何処でもキラキラした視線を受け、肩が凝る毎日。


 本当に、どうしてこうなったのやら。

 いつかの平騎士時代が懐かしく思えて―――……いや、当時も十分視線は受けまくっていたが。

 昨今の行き過ぎた風潮は、俺が基本戻ってこない理由の一端すら占めている気がするぞ。


 ……あぁ、そうだ。



「先ほど、昇降機で会いましたが―――彼女。その後は、どうですか?」

「……シンシアか」

「えぇ、勿論」



 真っ先に尋ねたのは、彼女について。


 近衛騎士長の主任務の一つは、魔王の護衛。

 謁見の際などは、常に傍らにはべる事となる訳で、共に過ごす時間は多い筈だが……。


 魔王は、目を細め。

 ゆっくり眼鏡を外して息を吐くと、さらに深く椅子へもたれる。

 姿こそ幼くとも、重ねた年月を感じさせる所作だ。



「大分マシにはなったの。顔色も悪くない」



 ……そうか。

 ようやく、か。

 騎士長就任以降……魔王の傍に侍る彼女は、常に青い顔をしていたからな。

 こちらも、経験を積ませた甲斐があった。 


 シンシアに唯一足りなかったモノ。

 自信さえ揃えば。彼女は、真に敵なしと言えるだろう。



「なら、良かっ―――」

「して? 一体、何を吹き込んだ。偶に其方の話が出れば、あの子の顔が真っ赤になるのじゃが」



 ……………。



 ……………。


 

 何って……激励?

 いや、顔が、真っ赤……?

 まるで意味が分からんぞ。



「何も身に覚えがないと申すか」

「えぇ、特には」

「ならば、教えてやろう。アレは、メスの顔じゃ」



「…………は……? ―――ははッ、まさか」



 いきなり、何を仰るかと思えば。

 一杯やる手も思わず止まったぞ。


 それは、流石に誇張というモノだろう。

 だって、あのシンシアだぞ?

 創作に出てくるようながっかり、或いはくっころ属性を有する女騎士とは似ても似つかない、この上なく高潔で真面目な女騎士さんだぞ?


 うちの連中に見習わせたい程で。

 騎士の手本のような出来た子だ。


 真面目な彼女に限って、そんな。

 流石に無い……と、思いたい。

 だが……、目の前の王様は、如何にも機嫌が悪そうで。


 冗談で言ってるわけじゃないな。

 何なら、先程までのややご機嫌斜めな様子……俗に言う塩対応も、そういう事かもしれず。


 とは言え、弁明するまでもない事だ。

 


「いや、いや……。ははは。年齢差を考えて―――」

「余を愚弄しておるのか?」

「……滅相もない」



 失言過ぎんだろ。

 俺と陛下の年齢差の方が、かなりだぞ。


 昔は俺がアレだったのに。

 今は向こうがアレだとは。

 年齢的な守備範囲の広さには、自分でも驚かされるというモノだな。

 魔族の方々が、あまりにパッと見で年齢分からないのも多大な問題があるだろうが。



「―――まぁ、良い。下手な事をすれば、即刻切り落とすでな」

「まるで良くない」

「して? その瓶は?」



 本当に思い至らぬ俺の様子に諦めたのだろう。

 彼女は、鋭く細めた視線をこちらの手元へやる。


 目の前で美味そうにやられては、流石に辛抱たまらないらしい。

 


「あぁ、エリべです」

「かっぱらって来たのか」

「人聞きの悪いこと言わないでください。女王曰く、今年の作は、今までで最高の出来だと。一緒に飲まないかと誘われただけですよ。そりゃあもう、煽情的に」



 半妖精の国には様々な特産があるが。

 中でも、名産たる最高級ワイン……それがコレなわけで。


 只の贈り物だし、本当に貰っただけだ。

 有難ーく、な。

 あの国とは良い関係でいないと、いずれ例の計画に支障をきたす可能性があるし。

 ……色々あったし?


 ロンディ山脈の近くに寄ったついでに、傷心の女王さんへメンタルケアをな。

 しなだれかかってきたから、急いで逃げてきたが。 



「……ふん。娘も嫁いだような小娘が、色気付きおってからに」

「だからじゃないっすかね」

「勇者の方も、そうじゃ。母娘揃い、同じような手口でたらし込んだのではないか。娘の方は……リリーと言ったか?」

「―――リリアナ、です。純粋、誠実……いい子でしたよ、あの子は。あのパリピ勇者には勿体ない程に」

「……アルモス?」

「だから、違いますって。私にとっても、孫の様なものですよ。彼女も、そう。姪のようなもので……食指が動こう筈もない」


 

 だから、年齢差。


 それこそ、彼女……セレーネの方だって。

 昔……まだ幼かった時分は、同じくらい可愛かったんだがなぁ。


 抱っこせがんできたり。


 ちょこちょこ付いて来たり。


 結局、の方も不思議ちゃんに育ってしまったし。

 流石エルシード、王族の性格がまるで安定しない事に定評があるか。


 席を立たぬまま、風属性の精密操作―――アホみたいな技量―――によって俺の前にグラスを浮かばせた陛下は、こちらがグラスの半ばまで中身を注いだ後にそれを引き寄せ。

 深紅の液体をゆっくりと検分し、僅かに少しを口に含んで目を閉じる。


 ……旨かろうな。

 農耕に長けた分家、リアノール一族の願いを込めた最高傑作とされるワインだ。



「―――して……。粛清は、失敗か」



 っと、来たか。


 こればかりは……な。

 俺は改めて崩していた姿勢を正し、今更ながら臣下の礼を取る。



「は。申し開きのしようもなく……。全ては、私の力不足です。―――処罰は、如何様にも」

「たわけ。騎士団を除き、軍最上位しか知らぬ極秘任務。公に知られよう筈もない任の失敗で其方を裁けば、余の求心力はどうなる」



 変わらないんじゃないっすかね?

 ほぼ神様ですし。

 俺一人裁かれたところで、今更、絶対的な彼女の治世が揺らぐことは決してない。


 それに、今回の件は……元を辿れば、全て俺の責任なのは疑いようもない事実。

 それも、決して変わる事はなく。



「何も変わらぬとでも考えていそうな面構えじゃのう、英雄」

「……それやめません?」

「考えておったじゃろう。何も変わらぬ……と。それもまた、動かぬ事実。不変の称号よ」

「……………」

「我が騎士よ。裏は、表があって初めて裏となり得る」

「―――ええ。仰る通りです」



 魔王様の格言のお時間か? と。

 今まで幾度とソレに助けられた覚えのある俺は、伏して傾聴し。



「我らが、いかに搦手からめてを講じようと、アレは元暗部の天才。どれだけ背後から狙えども、裏をかけども、逃がれられてしまう。今やアレ等にとって代わった、其方ですら」



「このまま続けて、意味はない―――なれば……どうする?」



 それは、問いかけだった。


 だが、どうもこうもない。

 今回の作戦は、その為のものだった。

 そのための、シンシアからの助力だった。

 しかし、それさえも。


 やはり……やはり。



「―――真に、表が。必要なのやもしれません。我らとはなんら関わりのない、己の意志でアレを追う者たちが。近衛や黒曜の括りなどではなく、根本的に異なるもの。我等魔族とは異なるものが」

「……ふむ」



 一度、会話が途切れる。

 静寂の訪れた一室に、俺がワインを注ぐ音がやけに大きく響く。


 たった数秒。

 その間に己の杯を干した彼女は、やや朱がさした顔をこちらへ向ける。

 


「ラグナ」



 ……流れ変わったな。

 陛下が俺をアルモスと呼ぶ時は、大体配下としての俺を求めている時。

 そして、その名で呼ぶ時は。



「……はぁ。正直、お手上げだ。野生のウサギ並みに警戒が強すぎる」



 今は、彼女が心を完全に許せる……、休められる存在を求めているという事で。

 立ち上がった俺は、彼女の一人席とは対面に位置するソファーへドカリと腰を下ろす。


 魔王は、それを咎めもせず。

 無言のままに空のグラスをこちらへ突き出す。

 が、当然彼女の細腕では距離が足りず、更には深く座り込んでいるせいで、最早届く届かない以前の問題だ。


 ……注ぎに来い、という事なのだろうが。

 そんなに欲しいなら、自分で貰いに来ればいいだろう。



「シオン」

「……………」

「シオン。おいで?」



 一人掛けより、こちらの方が広いと。

 

 彼女へ、ゆっくりと手招きする。

 ずっと思ってたんだが、これもネコ呼ぶ時のやつだよな。


 只のネコなら、成功率は低いが。


 この気儘なネコ様は、果たして。



「……もう一杯寄こせ」

「あるだけあげるさ、食いしん坊さん」



 どうやら、ワインに惹かれた体で行くらしい。 

 

 席を立ち。

 重厚なテーブルを回ってゆっくりとこちらへやって来た魔王は、俺の隣へ腰かけ。

 恭しく注がれたソレを一息に呷る。


 相変わらず、よく食べるしよく飲むな。



「ら―――らら……ら」



 ククク……そろそろ効いて来たな、酒精アルコールが。

 美味い酒のお陰でようやく機嫌が直って来たのか。

 

 かつて幾度と聞いた古い唄を口ずさみつつ。

 少女は、己の物だと主張するかのように……またも猫のように、身体を俺へ擦りつける。


 さらりと、手に触れる銀の長髪。

 何十年、何百年経とうと、その輝かんばかりの髪色は健在で。


 手櫛でいた端から、するすると零れ落ちてしまう。

 ……毛先から元へ、頭へ。

 ゆっくりと動く腕は、いつしか小さな頭をゆっくりと撫でている。

 完全に無意識だ。



「―――夢を、夢をな? 見たのじゃ」

「……あぁ」



 ……。

 暫く、何かに感じ入るように目を細めていた彼女は。

 やがて、こちらの膝へコテンと頭を預け、語る。



「ロイドが、新たな打ち上げ実験を行うのだと。ルーナ先生が、勿体ぶるように……クスクスと笑いながら迎えに来てな? 離れた場所では、エリゴスが悠々と剣を降ろし、泥だらけのアダマスがまた走り、剣を振る」



 ―――もう、日も落ちる頃合いの……夜の帳が降りた世界。 

 村の皆が、ワイワイと行き交う。

 多くの種族、多くの氏族が共に語らい、横を通り抜ける。

 

 そんな中……宵の空に、それが轟き。


 空に、色とりどりの花が咲く。

 先程まで忙しなく動いていた者達、エリゴスが武器を降ろし……それを好機と見たアダマスが駆ける。

 返り討ちにあう。

 

 ある者がその場に座り込み、多くの者が食べ、飲み、語らい……。

 皆が、空を見上げている。

 美しきその光景に、多くの者が種族もいさかいも忘れて空を仰ぐ。

 アダマスが転がされる。



「余は……早くはやくと、そ奴の手を引いて……急かすようにな? 何も逃げない……と、そ奴は笑って……」



「まずは、何を食べようかと。ぐるりぐるりと……。あれが良いか。いや、あれが良いか。そうだ、アレが良いと……振り返って。そこで、目が覚めた」



 そうか。

 ……そうか。



「お祭りは、楽しかったかい?」

「……ふふっ。他愛もない、露の如き、泡沫うたかたの夢よ」

「また、見れるかもしれない。今度は、その先まで。アイスに芋も、串焼きも……お腹一杯、お祭りの定番を食べれるところまで、ね」

「それ程食いしん坊ではないわっ」

「ははは」



 よく言う。


 ……ならば、そうさな。

 今日も、その夢を見られるように……魔王がよく眠れるように。



「リラックスが必要だね。差し当たっては―――」

「眠れるまで何をするか、じゃな」



 先の古書の影響か。

 寝ころんだまま、やや重たげに見える瞼を擦る陛下。

 その期待の宿った眼差しを受け、俺は思案するまでもなくそれを提案する。



「本でも読むかい? 二人並んで」

「うむ。では、聞かせるが良い」


 

 はいはい、読み聞かせですね、と。

 目が痛くならないので頼みたいな。

 この後、まだ書類仕事が控えてるんだ。


 寝転ぶままに彼女が指を振ると、俺の傍らにはいつの間にやら一冊の本が置かれていて。

 一際古く……しかし、先程の分厚さとはまるで異なる心許なさを持つソレは……読み終えるのに、果たして10分と掛かるかという情報量。


 それ程までに、薄く……ページは、主に絵柄で構成されている。



「……本当にこれで?」

「…………‥」

「天下の魔王陛下が……子供用絵本の音読を? ご所望? それも―――」

「悪いのか?」

 


「ふふふ……くくっ。いいや、全く」

「笑うでない」

「とと、これは失礼を」


 

 ようやく機嫌を取り戻してくれたと思っていたのに、ここで眠気を吹き飛ばされては敵わないと。

 俺は、グラスのワインを一口傾け。

 喉を潤した後、ゆっくりと本の表紙を開く。



「では、ゆっくりと読もうか。―――昔、むかし。ずぅっと昔の御話。そこには、一つの小さな村があり……」



 ……………。



 ……………。



 昔と、何も変わらない。

 あの頃と同じように、何度も……何度も。


 護るべき主にせがまれ、俺は物語を聞かせる。

 主が寝息を立て始めれば、優しく抱き上げてベッドに寝かせ……風邪をひかぬように布団を掛ける。


 もしも、唯一違う所があるとするのならば。

 こうして聞かせている物語が、あの頃には存在していなかった……紡がれている最中だったもの、ということで。

   



 絵本の名前は―――建国騎士と白き龍。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る