第12話:逃した魚は大きいか




 かつて峡谷にそそり立っていた断崖へは、幾つもの大穴が穿たれ。

 施設を構成する金属類は、存在を抹消するかのように取り去られる。


 最早、何の価値もない瓦礫の山となったそこには、只人の生存者など一人として存在してはおらず。

 仮に冒険者などが訪れたところで、果たしてそこに一大施設が存在したなどとは露程も思わないだろう。


 まさに、完全に壊滅、或いは陥落したと言って良い状況。


 しかし、どうだろうか。

 執務室の席に腰掛け、情景を写し取った白黒の写真を眺めていた彼等二人は、ゆっくりと息を吐く。


 敵を鏖殺し、破壊を尽くし。

 本来の目的を達成した筈の彼等、その顔は優れず。


 隊長格の顔からは、憂鬱が見て取れた。



「……西に、第四支部。南に、第三支部、第六支部……と。……はぁ。大元を断った筈が、何故逆に各地へ散ったそれらの情報が新たに露出するのか。これが分からない」

「たはは……。まだまだ先は長そうですねぇ? 特に、キミ。諜報部隊の仕事は」



 写真の施設は、彼等が敵対する組織の総本部。

 確かにそうであったことは間違いなく、事実として、各所へ指令を出していた痕跡となる資料も数多く発見される事になった。


 発見してしまった。

 それこそが、彼等の頭痛の要因なのだ。


 根を断ったとて、既に花は実を結び、落種しており。

 新たな根が、いずれ産声をあげるだろうと。


 彼等は、確信をもって考えており。



「―――ハインツ・レナトゥス。我らの前身となる諜報機関、その第二位を、若くして埋めていた怪物。旧魔導士長、南部の魔術王が後継者。閣下が追い続ける者」

「流石、というべきなのですかね。あの方がああまで警戒してきたのが分かるというもの。放っておけば、それこそ……今頃魔皇国を席巻していてもおかしくはなかったでしょう。とは言え、流石に数十年は大人しくしてくれると思いたいのですが……キミは?」

「………出来れば、今すぐ。早急に取り去りたいものです」



 先に彼等の団長が言ったように。

 国に、軍に必要なのは、最強の一個人では断じてなく。

 如何に長が強大な組織とて、その手足となる者たちが精強でなければ、全体の機能など知れたもの。


 敵も、同じ。

 進んだ技術と設備を所有したとて、研究者たちまでもが畑から採れるわけではなく。

 それこそ、現在と同様の水準へこぎつけるには、数十年は掛かるだろう。


 だが、必ず。

 必ず、かの組織は再び姿を現すだろう……と。


 彼等は、理解している。



「……ふふ。次は何年後か……或いは、何十年後か。今からたのしみですねぇ」



 窓から空を見上げ、身体を震わせる美丈夫。

 差し込む月明かりに照らされた黒髪の半魔種は、美的感覚に優れたヴァイスをして息をのむほど絵になり。

 普段通りの笑みを浮かべているように見えるが。

 長い付き合いであるヴァイスからは、引き攣って見える。



「キース君。作戦は完璧でした。君が気負う事はないかと」

「……………」



 彼等が中枢へ乗り込んだ時、既に敵の首魁たる者の姿は何処にもなかった。

 そもそも、最初から居なかったのだろう。

 危機を察知して逃げたにせよ、偶然にせよ。


 いずれにせよ、戦いは続く。


 施設を壊滅こそさせることが出来たが。

 大元である存在を断たねば、必ずや何度も現れる故。



「それに、最も怒りを覚えているのは閣下でしょう。あの方が表に出さぬ以上、我々がそれを代弁するわけにはいきますまい」

「……ですね。では―――気掛かりと言えば」



 この話題は、ここ迄と。

 話を変えんと。

 平常心を装ってキースが繰り出した言葉には、諦めが見え隠れしており。



「結局、君たちが遭遇した白銀の魔族とは―――何だったのでしょうかね」

「……セリーたちは、言っていました。アレは、魔王だと」



 新しき話題を受け、今度はヴァイスの顔に険が現れる。


 彼等が祀る存在。

 千年を生きる大妖魔は、絶滅した……この世でたった一人の、吸血種と呼ばれる魔族。

 魔族の上位種。

 彼等を統べるべくして存在するもの。


 彼女以外に、いるはずがない。

 その筈であるのに。



「私は、オーク。魔族ではないですから、他の者のように本能で感じることはできませんでしたが。しかし、それでもあの存在は―――恐れ多くも、陛下とよく似ていました」

「……ふーーむ」

「ですが、引っ掛かるものもあります。あれ程の怪物を生み出せるほどの設備を既に確立しているのであれば、反攻してきてもおかしくはなかった。それこそ、この国へ。何故、それをしなかったのか」

「優れた研究者ほど、再現できぬ不確定品にはこだわらないもの。我々の襲撃を予測していて回収していなかったのであれば……偶然の産物、と。やはり、そういう事ですか―――っと」



 考察を交えた話の最中。

 ほの暗い執務室へと踏み入れてきた女性は。



「いつまでも呆けている訳にはいきませんよ、二人共。取り逃したならば、次。次の一手を考えるのが先です。国外だけに目を向けている時間もない現状、話してないで手を動かしてください。目先の目的にすら間に合いませんよ」



 話が聞こえていたのだろう。

 副団長たる上司の言葉を受け、彼等は行動を開始する。

 書類仕事、計算……全ては、後々の為。


 数年先へ、数十年先へ。 

 未来の己へと託し、次は決して逃さない……と。



「時に、副長。国内に目を向けるのは結構、年末調整結構……ですが。そろそろ今年も終わりです。は見つかりましたか?」

「……………」



 ようやく手を動かし始めた逢魔、煌陰。

 同様に、溜まった作業を行わんと、己の席に腰掛けたマーレへ、すぐに投げられる疑問。

 今年も残すところ僅かであることが伺えるヴァイスのの質問に、彼女はピクリと指を止める。


 確かに。

 仕事においては無駄な話と言えるだろう。


 しかし、シンシアか、マーレか。

 どちらが家督を継ぐにせよ、大貴族の出身である以上、彼女たちには一定の義務があり……伴侶は必要で。



「……何が言いたいのですか、ヴァイス」

「いえ、いえ。余計なおせっかいですが。……あぁ、そうそう。ご存じでしたら申し訳ありませんが。良い品物の情報を耳にしまして、こちらも一助になれば……と。―――確か……あぁ、このを」

「んん? ヴァイス君。これは―――、一体?」



 作業机の引き出しに手を伸ばし、一枚の紙を広げるヴァイス。

 そこには、平たくも厚みのある……掌大の布が描かれていた。

 二つで一つ……ハンケチのように様々な色味のモノがあるソレは。

 厚みも、またそれぞれ。

 そんなモノが、何種類もびっしりと描かれている様は、まさしくカタログで。


 

「曰く、胸に立体感を出す事が出来るもの……とか」

「ほう、考えましたね。厚底の軍靴のような物なのでしょうか。面白い発想だ」

「社交界でも、着用しているものが居ましたが。流行り始めているのでしょうね、こういうモノが」



 彼ら二人が言葉を交わし、笑い合う中。

 

 青い瞳は、もはや氷点下を超克し絶対零度の冷たさに突入しており。



「何なら、私も一セット欲しいですね」

「はっは。何に使う―――誰に渡すつもりなのやら」

「クク……ここで装備していきますか? 古来より、こういうモノは盛れるだけ盛って良いと。創世神話にもそう記されていた筈です」

「神々もそうだそうだと言っておりましたね。大きさは、豊かさの象徴……と。失礼ですが、副長のソレは……地母神とは似ても似つかぬ故」

「……………」



 彼女をここまで挑発できる者たちなど。

 魔皇国広しと言えども、およそ彼等二人くらいなものだろう。



「―――二人共」

「「はい?」」



 とは言え。

 出来る事と、やった後に無事であることはまるで異なるもので。



「先ほどから、古来だの神話だのと講釈を垂れている所を見るに、余程好きなようですが……。それならば、創世の登場人物に会いたくはありませんか」

「「……………」」

「淵冥神か、天星神か……お好きな旅行プランを選ばせてあげます。―――駄賃は自費で」



 軍部で十指に入る最上位魔族。

 マーレ・アインハルトは、静かに蒼の宝剣を抜き放つ。


 悲鳴も、物音すらなく。

 その後暫し、執務室には一人分のペンを走らせる音しか聞こえることはなかった。




  ◇




「む―――これは、アインハルト卿」

「―――え? あ、アルモス卿……。珍しいですね、任務後も王都に……年末の業務を?」

「あぁ。君も?」

「はい、四階と一階を往復するばかりで」



 魔王城第一階層。

 各階を行き来する昇降機の前でバタリと遭遇し、横並びにソレへ乗り込んだ二人が、互いに閉まり行く扉を見据えながら言葉を交わす。


 会話に混じり、耳を撫でる駆動音。

 僅かに揺れる床。

 魔核石を動力源とする魔道具は数あれど。

 ここ迄大掛かりなものとなると、製作に掛かる労力はあまりに膨大なものとなり。


 これを開発した、旧魔導士団の技術力が伺えるというもので。



「私も、上で待つ書類仕事を思えば気が重いが。取り敢えずは、任務協力の礼を言うべきだな。一件の後は、禄に時間も取れず。……遅くなってすまない」

「―――あ、いえ……」

「まだ、何か心残りが?」



 床の動きにつられ、両者の身体も僅かに揺れる中。

 シンシアの言葉も、僅かな震えを帯びる。 


 しかし、それは以前のような迷いではなく。

 何処か、気掛かりのようなものが存在しているかのような……複雑なもので。



「その―――彼女は、全てを呪っている様子でした。それでいて、迷子の幼子のような……何かを探してもいるようで」

「……ふむ」



 結局、シンシアはあの魔族にトドメを刺す事が出来なかった。

 今に倒れ伏す相手を前に、捕縛する事も出来なかった。

 

 同じ魔族。

 己の上位種であると脳裏に囁かれ続けた。


 しかし、だからという訳ではない。

 彼女には、そのような干渉を跳ね除ける力量が確かにあり。

 その上で、彼女が敵をという……ある種の失態、己が確かな意思による最善とは言い難い判断を下したのは。



「私には、あの魔族が敵なのだとは、どうしても思えなかった。共に目にした部下たちが言うような紛い物……歪な、魔人のような。偽りの存在だとは、考えられなかったのです」



 それ故に、シンシアはあの魔族を見逃した。

 自身を信じてくれた部下に、本来任に就いていた騎士団に……そして、目の前の男に。


 多くの者に攻められる可能性を理解していて。

 当然、その追及がいつ来るのかと片時も忘れることはなかったが、しかし。



「……………」



 共に、あの件以降は多忙で。

 このように語る機会がなかった故、逆に機を逸してしまい。


 今、この状況で腹を決めた彼女は、男へ問いかけ。



「アルモス卿」

「何も問題は、ない。君の選択を尊重しよう」



 狭い個室、逃れる事叶わぬ昇降機の中で、両者は腹を割る。

 男は、僅かな静寂すらなく言葉を返す。



「元より、私達の目的は組織の壊滅、裏切り者の処断であり、いたずらに殺戮を行う事ではない。もし、その魔族が再び現れ、我らの前に塞がる事があれば、何度でも返り討ちにするのみ。それが、私達。六魔将」

「……ですが。私は、それを成せたにも拘らず出来なかった。我々に求められるのは、全てを完璧に成す強さ。……沿えているとは、言い難いのではないでしょうか」

「それは、違うな」



 会話の中、男は首を横に振り。



「六魔とは、魔皇国軍部を統べる者達。確かに、あらゆる任務を完璧にこなす事が出来る絶対の力量こそ求められるが。同時に、あらゆる命令、あらゆる理不尽。それ全てを跳ねのけ、己を通す。自らの我を通し続ける、怪物の側面……己の芯にのみ従うさもが求められる」



 それは、かつて二人が王廟で行った問答に沿うもの。

 

 己の計画を完遂する為、彼は六魔の制度を作ったのだ。

 ただ王に……、与えられた命令に盲目的に付き従うだけのものなど、端から求めてはいないのだ。



「なれば。今回の君の選択は、この上なくその通りではないか?」

「!」



 事実として、そうだった。

 或いは、同情……或いは、憐憫れんびん

 あの魔族を見てシンシアが感じたもの、その末に出した答えは……ある種、この上なく「我が儘」と呼べるもので。

 騎士としての彼女が。

 見習いの頃より、一度として命令違反を考えもしなかった彼女が見せた、明らかな変化で。

 


「ははは……っ。もはや、違うとは言わせないぞ? ようこそ、こちら側へ」

「……………」



「……ふふ」



 まるで平時のように。

 男が見せた別側面に。彼女もまた、思わず笑ってしまう。


 ……そうか。

 己は、既に……と。



「―――アルモス卿」

「あぁ……」



 ……………。



 ……………。



「あの……、一向に動かないのですが」

「すまない。ボタンを押し忘れていた」



 これ程の長話をしておいて、何故僅かな揺れのみが続き、一向に目的地へ着かぬのか。

 昇降機とは、そういうもの。

 階を指定してボタンを押さねば、動く筈もなく。

 話に夢中になっていた両者は、くつくつと笑みを漏らしながらようやくの移動を開始する。


 シンシアは、近衛の本部である第四層へ。


 アルモスは、己の執務室の存在する五層へ……いや。



「大図書館へ?」

「少し、調べることがあってね。さぁ、仕事に戻ろう。事後処理となる事柄が山積みだ」



 ……今回。

 任務での彼の本当の目的は、結局達成する事は出来なかったという。

 しかし。

 その落胆をまるで感じさせず……どころか、万全に任を達成したかのような自信すら感じさせる男。

 昇降機を降り、歩いていく彼の後姿は。



「アルモス卿……!」



 迷っていた彼女は、やはり今なのだと後ろ姿へ声を掛け。

 


「うん?」

「貴方は、最初から分かって―――いえ。その。私が貴方の元へ相談に行ったのすら。全てが、貴方の差し金なのですか? この結果すらも、全て最初から……」



 彼なら、それが出来てしまうのだろう。

 部下を使い、パイプを用い、他人の行動をそうなるように仕向け、掌で操る事すら出来る。


 それが、魔皇国の暗部。

 闇を喰らう【黒曜騎士団】を束ねる、彼なのだ。



「―――はは……ふふ。どう思う?」



「私が行ったのは、単なる激励げきれいのみ。全ては、君自身が成し遂げただけの事。全ては、君の能力。流石は、六魔将だ」

「……………」

「きっと、他の四人もそう言うだろう。年末の茶会が楽しみだ」



「―――……えぇ。私もです。呼び止めてしまい、申し訳ありませんでした、アルモス卿」


 

 一礼が終わる頃、ゆっくりと閉じる扉。 

 彼女は、一つ息を吐き……前を見据える。


 堂々と歩き始めるその後姿。

 その瞳には。

 以前のような迷いも、動揺するような揺らぎも―――存在してはいなかった。



 ……………。



 ……………。



 昇降機の降り口が閉ざされ。

 若き近衛の長の姿が無くなると、彼は大きく息を吐き出し、呟く。



「……とは言え。私にとっての任務は失敗だ。失敗の責任は取らなければならない。報告すべき事も、山ほどあるからな」



 第二階層―――王都随一の蔵書を誇る大図書館へと踏み入れた彼は、一つの書架の前で足を止め。

 並ぶ本の奥―――隠すようにして存在していたソレを手に取り、中身を確認。


 隠すように懐へ忍ばせ。

 足早に、昇降機へと乗り込む。

 

 魔導士団の研究所が存在する第三層を超え、近衛の駐屯地たる四層、己の執務室が在する五層も超え。

 六、七……八……九。


 ……踏み入れる、十階層。

 謁見の間の更に上層に存在する、魔皇国においてただ一人のみが自由に出入りするそこは。


 魔族統べし王の膝元である。




「―――陛下。騎士アルモス、只今戻りました」

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